時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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44 残された時間

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 ユイの回復は一時的なものだった。再びすぐに症状が現れる。さらに悪い事には、次第に薬剤の効果が鈍くなっていた。……厄介だ。

「大丈夫だ。まだいくつか候補はある。どれかは効き目があるだろう」
 病院のベッドに横たわる不安そうなユイに、こう告げて安心させる。
「もし全部効かなかったら?」
「今からそんな事言うなよ。その時はまた、別の手段を考えるさ」

「ねえ!そうなる前に出発しようよ、今ならまだ平気よ!」
「ダメだ。長時間のフライトは体に障る。もっと良くなってからな」
「良くなる?薬、効いてないんでしょ。今を逃したら行けなく……なるかも」上体を起こして訴えるも、最初の勢いは続かなかった。

「だったら、キハラさんだけでもここに呼ぶか?」
「呼んじゃダメ!私が行かなきゃ意味がないの!」突然ユイが大声を上げた。
「ユイ?」
「……ゴメン。自分で、会いに行きたいから。……ただそれだけ」

 目からは涙が溢れている。彼女の心中は良く分からなかったが、そっと涙を指で拭って、あやすように告げる。
「大丈夫。二人にはちゃんと会えるようにするから。今は安静にして。いいね?」



 一進一退を繰り返す容態を抱えながらも、ユイは二十一歳を迎えた。

 結局、どの薬剤も思わしい効果が出ていない。このままでは、ユイに残された時間は少ないと言わざるを得ない……ダメだ、根っからのマイナス思考はこれだから!

「新堂先生、指輪、着けたいな」
 病院に来てから、ずっと外させたままになっている。
「貴金属はダメだ。誰も病院では着けてないだろ?」
「何でダメなの?検査の時に外せばいいじゃない。着けたい!」ユイは引かない。

「我がまま言うな」
「なら家に帰る!家なら着けてもいいでしょ。寝てるだけならどこでも同じよ!」仕舞いには不貞腐れて愚痴る。
 八つ当たりする事で発散できるならば、大いにしてくれればいい。
「それに……家ならず~っと一緒にいられる。こんな煩わしい機械もいらないし!」
「そういう問題じゃない」俺は静かに言い返した。
「ならどういう問題?」

 答えずにただじっとユイを見下ろす。

「ムダムダ!もうその魔力、私には効かないから。きっとこのホルモンのせいでね」
「魔力なんて使ってないよ。大人しくできないなら、眠らせるしかないかな」
 注射器を構えて迫ってみる。
「ま~コワい!ヴァンパイアより権威を振りかざす医者の方がよっぽどコワいわ!」
「声が大きいぞ。外でその言葉を口にするなって言ってるだろ」

 こんな指摘をしたが、俺達の半径五メートル以内に誰もいない事は確認済みだ。

「あ~あ。もういいよ」八つ当たりに疲れたのか、ユイが主張をやめた。
「ようやく寝る気になったか。もう〇時を回ったぞ。早く寝ろ」
 ピシャリと言い放って部屋を出て行こうとすると、今度は縋るような声で引き止められる。「どこ行くの?いてくれないの?」
「もうすぐナースが見回りに来る。その間だけだ」

 ナースの見回りが済んだ頃に様子を見に行くと、ユイは大きな瞳をキラキラさせながら、まだ起きていた。若干痩せたせいで、瞳の大きさが際立っている。
「だから……。寝ろって言ってるだろ?」枕元に顔を寄せて、ため息混じりに囁く。
「ん~いい匂い。落ち着くなぁ……。ずっと側にいてね。ちゃんと寝るから」

 冷えた手でそっと髪を撫でてやると、ユイはようやく目を閉じた。



 桜が咲き始める頃になると、薬剤は効果を発揮するどころか、副作用でユイの体を蝕み始めた。
 俺としては泣く泣く点滴治療を中断した訳だが、当の本人は大喜び。どんな事態になっても注射点滴を拒める心境が理解できない。
 だが時に薬は毒にもなる。予想外にも中止した事でやや体調が回復した。

 その日、ユイの眠る病室の窓際に立ち、しとしと降る雨を眺めていた。

「先生?……何見てるの?雨か……やだぁ。桜、散っちゃうかな」目を覚ましたユイが、目を擦りながら外を見ようと体を起こす。
「起きたか。気分はどうだ?」俺は質問に答えずに、側に寄って問診を始める。
「うん。大丈夫」この答えに頷き、形だけのモニターチェックをする。

「なあユイ、式を挙げないか。近いうちに、何なら今週中に」
 ユイに、何とかして前向きな気持ちになって貰いたいと思いついた事だった。
 この提案にもっと喜んでくれると思ったのだが……無反応だ。
「……反対なら、考え直すけど」

「違う!そうじゃないの。ちょっとビックリして。だって急に結婚だなんて……」
「急でもないだろ。俺達、婚約中なのを忘れたか?ユイも二十一になった事だし。今は体調も安定してる。会いたい人達を招待するといい」
「何かそれって、結婚式ってよりも生前のお葬式みたいね」

 ユイはいつもの皮肉を口にしたつもりだったのだろうが、この時ばかりは腹が立った。

「そんなふうに捉えるならやめる。この話はなしだ」
「ごめんなさい!怒らないで……。ただ、お別れ会も兼ねてるねって言いたかったの」
「だからって相反する式を並べるなんて。どうかしてるよ」
「何よ、どうかしてるって。あなたに言われたくない!私、もう長くないんでしょ?そう考えるのは普通じゃない!」

「誰がそんな事を言った?勝手に決めるな。つまりおまえは、幸せを祝って貰う気はないって事だな」
 一瞬黙り込んだユイだが、すぐに反論してくる。
「そっちだって偽りの結婚じゃない!してどうなるの?子供だって作れないし、親戚が増える訳でもない。今と何が変わるっていうのよ。その上、私はすぐにいなくなるってね!ああ、だからか……っ」

 生きる気力を取り戻して貰うために提案したのに、これでは逆効果じゃないか。最後にユイが言おうとした言葉は、聞きたくなかった。
 これ以上の口論は無意味だ。この直後に彼女を薬で眠らせたのは言うまでもない。


 どのくらい時間が経ったのか、目を覚ましたユイにこんな指摘をされる。
「ちょっと先生!椅子、使って!そんな姿勢で長時間いられないのよ?普通は」
 どうやら不自然な格好をしていたらしい。考えにふけっていて気づかなかった。
「何の事かな?」次の瞬間には、何事もなかったように椅子に座って答えた。

 こんな俺のとぼけ具合にユイが笑っている。久しぶりに笑顔を見た気がする。
「もう……。誰にも見られてないでしょうね?」
「抜かりはないよ」
 目を合わせて、しばし笑みを交わした。

「ユイ。さっきは済まなかった」ユイの手を握って謝罪の言葉を伝える。
「悪いのは私。何だかイライラして。さっきだけじゃないね。ここへ来てからいつもあなたに当たってる。ごめんなさい。……どうか、嫌いにならないでね」

「なる訳ないだろ。これでも、普通の人間よりは打たれ強いはずだぞ?」
 こんな答えに、またもユイが笑う。
「ガラスのハートじゃないんだ。脈打つ事のない、冷たくて固いハートじゃ」
「自身は決して傷つかない、ダイヤモンドのハートの方が正しいかな」悪戯っぽい目で言ってみる。
「それなら安心ね。もう少し痛めつけても?」
「ドンと来い」自分の胸を拳で叩きながら、おどけて答える。 

「式、いつにする?早くドレス着たいなぁ!あの指輪、着けていいって事でしょ?」
 拒絶の言葉を言われると思ったのか、ユイは言葉を並べ立てた。
「お母さんに早めに連絡しないと、飛行機の手配とかあるし。あ、そうだ、高校の時のお友達も呼んでいいかな!」

「ユイ」
 恐る恐る俺の目を覗き込むユイに、静かに伝えた。「あまり盛大にはできないぞ?そこは分かってくれ」
 ユイは満面の笑みで頷いた。「良かった!取り止めは、取り止めになったのね!」


 こうしてユイに一時的に退院の許可を出し(主治医は俺だ)、一旦家に帰る。
 
 式は一週間後。ドレスの手配やら式場の手配、招待状を書いたり当日の料理を選んだりと、やる事は結構ある。
 外出させずにそれらをこなすため、業者を家に呼んで打ち合わせを進めた。ドレスもいくつか候補を持ってこさせ、家で試着させる。

 ドレスを試着した彼女は子供のようにはしゃいだ。
「ユイ、疲れてないか?無理しなくていいからな」
 皆が美しいと彼女を褒め称えた(実際に美しかったが)。……欲を言うなら、青白い肌ではなく、健康的な血色の良い状態で、純白のドレスを着せてやりたかった。

 挙式を急ぐ理由は、ユイを前向きな気持ちにさせるため。俺は諦めてはいない。
 ユイはまだ若い。人間としてもっともっと学ぶべき事があり、未来への可能性や夢があるのだから。

 まだまだ、終わらせる訳には行かない。

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