時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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45 偽りの結婚式

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 ユイの一生に一度の晴れ舞台は、曇り空だった。

 今年の春は天候があまり良くないようだ。好んで太陽の下に出ようと思わない俺としては、幸運だったと言えるが。
 ユイと出会って三年半。俺達は結婚する。表向きは至って普通の結婚。だが本当はユイの言うように嘘っぱちだ。
 そもそも、ヴァンパイアと人間が結ばれるなど、正気の沙汰ではない。


 偽りの式は滞りなく進み、教会からレストランへと場を移す。

 披露宴などと大袈裟にはせず、歓談の場を兼ねた食事会にしようと二人で決めた。
 自分達に注目が集まる時間は、極力減らしたい。俺はもちろん、ユイは闘病中の身。親しい間柄ならば、病魔の影には薄々気づくはずだ。だが問題ない。
 ヴァンパイアの魔力は、人間達の感覚を惑わせる事ができる。幸いな事に今日のユイはとても元気そうだ。これならば一日くらいは誤魔化せるだろう。

 数年ぶりの再会を喜ぶユイと友人の様子を、手付かずになっているテーブルの料理越しに見守る。

〝ユイ!久しぶり~、ご招待ありがとう!元気にしてた?綺麗よ、とても〟
 淡いクリーム色のワンピースを着た背の高い女性。彼女はユイが最も仲良くしていた友人だ。
 二人は手を取り合って再会を喜んだ。痩せてしまったユイを不審がる様子はない。

 そして友人が、辺りをキョロキョロと見回し始める。

〝急だったから、皆は呼んでないんだ。ごめんね……〟
〝なぁんだ、残念!誰かに会えると思ったのに。でも大丈夫、私がバッチリ見届けたからね。それにしてもあなた達、本当に結婚まで行くとはねぇ~!〟

――未だに信じらんない!だって相手は、あの新堂先生よ?
 彼女の思考は、たちまち高校時代の映像に変わる。

〝私も思う。夢なんじゃないかって。未だにこんなにメロメロだし?〟
〝やっだぁ~!〟
 声を張り上げながら、友人はユイの背中を勢い良く叩いた。

 ユイがよろめいた瞬間、透かさず側に寄って後ろから支える。
「大丈夫か、ユイ」

「し!新堂先生!あれ、いつの間に?え?」友人は俺の突然の登場に驚いている。
「ヤダ、話に夢中で気がつかなかったのね!向かって来てたでしょ。ねえ先生?」
 ユイがすぐに嘘のフォローを入れた。
「そ、そうなの……?」
 まだ疑問符で頭をいっぱいにした友人に声をかける。
「突然の招待にも関わらず、今日は来てくれてありがとう。どうか楽しんで行ってね」

 友人と別れて席に戻った途端、ユイに小声で説教をされる。
「ダメじゃない、急に来ちゃ。皆はね、私みたいに慣れてないんだからね?」
 済まない、と頭を下げた時、タイミング良くミサコさんが現れた。

「ちょっと?ユイ!何してるの。新堂先生が何かしたの?そういう態度は人前ではダメよ。いい?常に旦那様を立てて、敬う気持ちで……」
 慌てて口を挟むユイ。「あ~!!違うの、先生の頭にゴミが付いてて。屈んでもらっただけ!」ね?と目で訴えてくる。

 俺は静かに頷いて、最大限の笑みを投げかけた。

 するとなぜか、ミサコではなく俺達を遠巻きに眺めていたゲスト達から、感嘆のため息が聞こえてきた。このヴァンパイアの笑みに魅了されて、誰もが動きを封じられているらしい。これはまずい、やりすぎたか。
 しかし、やはりミサコはそうではないようだ。

「そういう事にしておくけど。ちゃんと覚えておきなさいね!」こうユイに言い放ち、改めて俺に向けて祝いの言葉をかけると、自分の席に戻って行った。

「お母さんに、先生の魔力通じてない……。なんで?」
 俺を見て疑問をぶつけるも、次のゲストがグラスを持ってやって来るのに気づき、ユイはそちらに視線を向けた。

[カッコ内ロシア語]

「(ドクター新堂!結婚おめでとう!何て美しい花嫁だ、羨ましいよ!)」ロシア人の男性三人が俺達を囲む。
 一応、花婿のゲストも誰かしらいないと怪しまれるというので、適当にロシアの病院関係で交流のあった青年達を何人か呼んだのだ。

 ユイの方からは、ミサコと再婚相手、そしてこの機会にどうしても訪日をと集まったイタリア側の親戚達。ミサコの実家からも親戚が数名。祖父母の姿は見えない。当然出席拒否だろう。不審感でいっぱいの視線を思い出して納得する。
 そして先程の友人とキハラ一家。以前勤めていた会社の同僚も数名呼んだようだ。
 顔ぶれは何ともインターナショナル。イタリア語とロシア語が飛び交っている。

「先生、私、ちょっと向こうにいるね」
 ロシア語での医療分野の話題になると、気を利かせたのかユイが席を外した。彼等にロシア語で今日のお礼と、楽しんでくださいと言葉をかける事も忘れない。
 できた花嫁じゃないか?

 ユイが向かった先は、やはりキハラの所だった。しばし盗み聞きをするとしよう。

〝キハラ!〟
〝ユイお嬢さん。来ていただいて済みません。呼んでくだされば、自分がお席に向かいましたのに〟相変わらずの畏まり口調だ。
 膝の上には可愛らしい娘がちょこんと乗っている。ユイはその娘に目を落として一瞬固まったように見えた。

 初対面だからな。大丈夫か?

〝んもう!お嬢さんはやめて。それとその敬語も!いい?今度言ったらお仕置きするからね?〟
 どうやら心配は無用だったようだ。

 ユイの口調を真似て「おしおき!おしおき!」と何回も繰り返す声が聞こえる。声の主はキハラの膝の上の娘。
 ユイはすっかり打ち解けたらしく、その娘に顔を寄せて一緒になってお仕置き!と叫んでキハラを困らせていた。
〝ユイお……、じゃなかった、……ああ、勘弁してくれ!〟
 困った顔のキハラが嘆く姿は妙に笑えた。

 仕舞いにはキハラの妻も加わって楽しげな光景となる。

 少ししてキハラは娘を妻に渡すと、立ち上がってユイの腕を掴んだ。
 ズンズン大股で歩くキハラに、慣れないハイヒールで何とかついて来るユイ。

「おい。ちょっといいか」俺のところまで来ると、キハラがおもむろに言い放つ。
 辺りは雑談するゲスト達でざわついていて、この声を気に止める者はいない。
「キハラさん。私もあなたと話がしたかったんです。後ほど時間を作ってくれませんか」
「今でいいだろ、ここで言え」
「それは……」

 口籠もった俺に、不審な目を向けるユイ。
「何よ、私に聞かれたくない事?ちょっと先生!一体な……」ここまで言ってふいにユイが言葉を途切れさせた。 

「まあいいだろう。めでたい席での殴りあいは勘弁してやる。後でな」そう言ってキハラは家族の元に戻って行った。

「ちょっと。今の何だったの?まさかあなた達、声に出さずに会話してた、なんて事ないでしょうね?」キハラったら何者?と呟き声で続ける。
「男同士の会話は持ち越された。彼の目力は半端ないな!」

 すっかり感心して豪快に笑ってしまった。

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