時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

文字の大きさ
55 / 55

55 謎多き我が妻

しおりを挟む

 全ての工程を終えてみると、ユイは驚く程に大人しく眠っている。通常は二、三日の間、絶え間なく痛みと熱でもがき苦しむというのに。
 変化が完全に終わる前に、心臓が力尽きて止まれば失敗だ。

 静かすぎるユイを前に、不安が消えない。

「ユイ……一体、どうなってるんだ?」
 彼女の手を取り握り締める。冷たい。仮死状態の時よりも体温は低い。手首の脈はヴァンパイアの耳でも確認できない。
 ところが、弱りきった心臓からは想像もつかない程に、今の拍動は力強いのだ。


 静かに眠っているならばと、ユイを連れてロシアに発った。これ以上日本に留まる理由はない。彼女もそれを望んでいた。

 亡き妻を故郷へ連れて行くという設定で、プライベートジェットをチャータした。これならば、始終彼女に寄り添っていても不審がられない。
 ロシアで共に暮らしたあの邸に運ぶ。今回、清掃業者へは依頼していない。今ではユイもまた、食事も排泄もしないのだ。もう清掃は必要ない。



 それから三日が経っても、彼女は目覚めない。
 この三日間、俺は文字通り片時もユイから離れる事はなかった。またも食事が疎かになっている。
 まだ三日だ。四、五日かかる場合だってある。そう自分に言い聞かせる。

 そして五日が経ち、六日目の朝になっても、ユイの心臓は激しい拍動を続け、まるで止まる気配がない。
「まだ変化が終わらないというのか?」
 あちこち診察するも、肩の骨折箇所は完治しているし、首筋には何の痕跡も残っていない。傷は治っている。確実にヴァンパイアへの変化は起こっているはずなのだ。

「ユイ!早く目を覚ましてくれ……。気が変になりそうだよ!」
 俺は飢えと焦りで憔悴し切っていた。

 こんな事を口にした矢先、ふいにユイの鼓動が若干弱まり出した。
「ユイ、ユイ。聞こえるか?俺の手を握ってみろ」

 しばらくすると、弱まりかけた心臓がまた暴れ始めた。今までにない狂乱のリズムを打ち鳴らし、まるで何かを訴えているようだ。
 ユイの背中が拍動と共に反り返って持ち上がった。驚くべき力強さだ。
 そして次の瞬間、体はドサリと音を立ててベッドに沈んだ。

「ユイ!ああ……どうか耐えてくれ……」今の俺には、こうして祈る事しかできない。

 さらにもう一度体が持ち上がり、ベッドへ沈む。
 だが、これはどうやら最後の悪足掻きだったようだ。彼女の頑固な心臓も、ようやく引き際に差し掛かったか。
 耳を澄ましてその心音だけに集中する。
「もう少しだ、頑張るんだ。俺はここにいるから、ずっとここに……」

 そしてとうとう心臓は、トトッと二回拍動した後、完全に止まった。
 ヴァンパイアの耳でさえ、何の音も聞こえない。

 ただ静寂だけが部屋を満たしている。

 その張り詰めた空気を破り、俺はユイに声をかけた。
「ユイ。待ちくたびれたよ。いい加減、目を開けてくれないかな」

 その声に答えて、ついにユイが目を開く。その瞳は暗い色をしてはいるが、ヴァンパイア特有の煌きを放っていた。

「ようこそ、ヴァンパイアの世界へ」
「新堂、先生?」
「そうだよ」
「ああ……!愛してる、新堂先生!」

 完全に覚醒したユイは、何事もなかったように飛び起きて俺に抱きついてきた。

「良く頑張った。本当に、良く耐えてくれた。ありがとう、ユイ……」
 生まれ変わったユイに腕を回して、この手で強く抱きしめる。もう力を加減する必要はない。力いっぱい抱きしめた。

 俺はこの日を、永遠に忘れないだろう。
 暗黒の世界で孤独に生きて行く運命だった自分が、愛しいユイと共に新しい未来へと歩みを始めたこの日を。


 一つ、不満がある。やはりユイの心の声は聞こえない。

「先生?」
「本当におまえは謎だらけだな……」
 疑問符でいっぱいの顔をしているユイに打ち明ける。
「転生の過程で、うめき声すら上げずにいられたヤツなんて、聞いた事がないよ」

 心の中が見えない事は、まだ秘密にしておこう。

「ああ…………それね」
 呟くように答えると、ユイは俺から体を離して視線を彷徨わせた。

「意識を失ったはずなのに、どういう訳か考えてるの。グルグルいろんな事を」
 ユイは人間だった頃と何ら変わりない口調で話し続けた。
「眠ってしまいたいのにできない。体中が引き裂かれるように痛くて、燃えるように熱くて。もう死んだ方がマシ!って叫んでたよ?でも、声、出ないんだもん、仕方ないじゃない?」

「そうか。苦しんでいたんだな。ごめんな、辛い思いを何度もさせてしまって」
「謝らないで。私達、これからでしょ!」
 この肝の据わり方は、ヴァンパイアになっても健在のようだ。
 これは先が思いやられそうだよ……。

「さあ先生、喉が渇いて死にそうよ。食事に連れてってくださる?」
 ようやく一緒に食事が摂れると、ユイは大喜びだ。
「仰せのままに。愛しき我が妻」

 そうだな。俺も嬉しいよ。
 後は、キハラとの約束を果たさねばならない。ユイを殺人鬼にするなという約束を!



~完~
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

処理中です...