僕は君のことを忘れるけれど、ボクはキミのことを忘れない

香澄 翔

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ボクはキミを忘れない

10.何度でも繰り返す

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 あのあとお母さんが帰ってきたのは、ボクが眠ったあとの深夜のことだった。そして今朝も、挨拶もそこそこに仕事に出て行ってしまった。

 たぶんボクと顔を合わせづらいのだろう。今でもまだぎくしゃくとしているように思う。

 それでも少しでも会話が出来るようになっただけ、マシなのかもしれない。

 ボクの名前は坂上こはる。でも少し前は戸田こはるという名前で、さらにその前は関根こはるという名前だった。

 ボクの血縁上の父の名前が関根だった。でも正直ボクはお父さんのことはほとんど覚えていない。ボクが物心つく前に事故で死別したらしい。だからボクにとって家族というのはお母さんだけだ。

 ボクが小学生の頃まではお父さんの姓を名乗っていた。でも中学生に上がる少し前にお母さんが再婚することになった。

 ボクにはお父さんの記憶がないから、自分にもお父さんが出来るということに少し期待していたと思う。でも反面どこかで恐れてもいた。知らない男の人と暮らすことに困惑していたと言ってもいい。

 そしてその恐れはむしろ悪い方で的中してしまった。

 最初からボクを見る目にどこか嫌な雰囲気は感じていた。それでもお母さんが選んだ人なのだからと、見ないふりをしていた。気がつかないふりをしていた。

 それでも初めのうちは特にこれという事はなかった。強いていうなら、女の子なのだから『ボク』はやめろと言われたくらいだろうか。

 でもなかば反発するようにしてボクはボクと言い続けた。ボクは女の子じゃなくて、ボク自身なんだと強く心の中で思っていた。

 でも何度か言われたその言葉の中に、時間と共に少しずつ違う空気を感じ出すようになっていた。

 絡みつくような嫌らしい何かは、だけど仮にも『お父さん』なのだから、気のせいだと、何かの間違いだと思い込んでいた。思い込もうとしていた。

 でもそれがいけなかったのだろう。
 最初はお風呂や着替えをしている時に、わざと入ってくるくらいだった。怒るとごめんごめんと大して謝る気もなさそうに告げて、それでも外には出て行ってくれていた。

 けど次第にそれはエスカレートしていって、あいつはやがてボクの体に触れるようになった。

 はじめのうちは偶然を装っていたけれど、すぐに露骨に触れるようになっていった。怖くて、でも何も出来なくてその時のボクは耐える事しか出来なかった。

 我慢していれば終わる。ボクが耐えなかったら、お母さんが苦しんでしまう。そんな風に思っていた。

 幸いなことにまだ多少体を触れられた以上の事はなかった。
 でももしもそのままの時間が過ぎていたのだとしたら、いつかはボクはあいつに汚されてしまっていたかもしれない。

 体に触れられるのをこばもうとすると、あいつはボクを殴り飛ばした。汚い言葉でボクを罵っていた。そのたびにボクは恐怖を刻み込まれて、やがてボクはあいつに逆らうことができなくなっていった。

 あいつはお母さんがいるところでは何もしてこない。お母さんから見えるようなところにも傷は作らない。お母さんにわからないようにしていて、だからボクも何も言えなかった。お母さんを傷つけたくなかった。そんなボクの気持ちを見透かしたかのように、あいつはボクを服従させるために暴力を振るった。

 だからやがてボクはなるべく家に帰らずに、お母さんが帰ってくる時間まで街中をさまようようになっていた。
 夜の街中をさまよって、なるべく人と会わずに済むように隠れるように歩き回っていた。

 もしこの時に出会った人が悪い人だったのなら、ボクの未来は違ったものになっていたのかもしれない。

 でもボクが出会ったのは、たけるくんだった。
 たけるくんは何もできなくて公園で座り込んでいたボクに、話しかけてきてくれた。

『ずっとここにいるから、どうしたのかなって思って』

 たけるくんの言葉はおっかなびっくりで、すごくぎくしゃくとしていて、ぎこちなくって。たぶん女の子と話すのはなれていなかったのだろう。それでもこの時のたけるくんがボクを助けようとしてくれたことは十分にわかった。

 だからボクは思わず泣き出していた。
 泣きながらボクの身に起きたことを話し始めた。

 たけるくんはボクの話をじっと聞いてくれていた。何も言わずに、ただじっとボクの話を聞き続けてくれた。
 たけるくんはボクの話をきくなり、何かを考えているようだった。それからお母さんが帰ってくる時間をきくと、一緒に家にいくといってくれた。

 この時のたけるくんは知らない男の子だった。あいつと同じ男というだけで、どこかに恐れも感じていた。それでもこの時はたけるくんは、他の誰よりもボクのことをみてくれる気がしていた。

 たけるくんは家に帰り着いたと同時に、あいつへとボクのことを問い詰めだしていた。
 あいつは最初はしらばっくれていたみたいだったけど、あんまりにもたけるくんがしつこいものだからとうとう我慢が出来なくなったのだろう。

 あいつはたけるくんを殴り飛ばした。

 たけるくんはそれでもあいつを問い詰めようとした。

 あいつはたけるくんを何度も殴り飛ばした。馬乗りになって、殴り続けていた。

 やめて。やめてとボクは大声を漏らす。だけどあいつはやめようとしなくて、ボクはでも止めたくてあいつに近づいたけど、はね飛ばされて。

 そしてあいつは何かをうめき声のように言葉を漏らしながら、たけるくんを殴り続けて。
 そこにお母さんが帰ってきた。

 あいつはいろいろとごまかそうとしたけれど、殴られ続けていたたけるくんがはっきりとした証拠になった。

 その場で警察を呼んで、あいつは逃げ出したけど、でもすぐに警察に捕まった。
 そのあとお母さんはボクの話をちゃんと聞いてくれた。警察もボクの言葉を疑いもしなかった。たけるくんが大きな怪我をしてでも、あいつの暴力の証拠を作ってくれたから。

 たけるくんはお母さんが帰ってくる時間をみはからって、わざとあいつを怒らせたのだと言う。たぶんそういうやつは我慢が出来ないから、自分が殴られれば疑いなく犯行が認められると思うといっていた。

 もちろん警察からは、あぶないことはしないようにと怒られていた。

 こどもの浅知恵で本当に何かあったら取り返しがつかなくなったかもしれないとも言われたと思う。
 確かにそうかもしれない。冷静に考えればもっとはやく他の大人を頼るべきだったのだろう。

 それでもボクにとってはたけるくんは救世主だった。

 ボクがただ話しただけなら、警察は信じてくれなかったかもしれない。お母さんも信じてくれなかったかもしれない。あいつは外面だけは良かったから、信じてもらえなかったかもしれない。たけるくんがわざと殴られてでも証拠を作ってくれたから事件になった。

 事件になったからこそ警察もお母さんも信じてくれた。そうでなければ、誰も信じてくれなかったかもしれない。

 そのあとはいろいろとあったけど、お母さんとあいつは離婚することになった。
 そのときは心の底から安心できた。やっと救われたんだって思った。

 あいつが今何をしているかは知らない。

 でもボクの目の前からは消えていなくなった。

 いまでもあいつのことを思い出すと、体が震えて止まらない。触れられていた時のおぞましさは、ボクの脳裏に強く焼き付いている。

 だけどそれでもたけるくんがいてくれたから、ボクは救われたんだ。
 ただこの事件以来、お母さんとボクの間にはちょっとした溝が出来た。

 お母さんはたぶんボクに負い目を感じているのだと思う。表面は変わらないけど、ボクと目を合わせてくれることが少なくなった。そして今までよりもより仕事に精を出すようになって、家には戻らなくなった。

 そんなお母さんにボクもどう接していけばいいのかわからなくなった。
 もちろん母子家庭に戻ってしまったから、生活する上で仕事を増やさなければならないというのもあるとは思う。もともとお母さんはキャリア系で仕事がかなり忙しくて、そももそも家にはあまりいない人だった。

 でもボクと顔を合わせづらいからなるべく家にいないようにしている、というのも多分ある気がする。

 ボクはそのこともたけるくんに相談していた。

 たけるくんは自分のせいでお母さんとの間に溝を作ってしまったと、悲しそうにしていたけれど、それはたけるくんのせいじゃない。あくまでボクとお母さんの間のことだ。たけるくんがいなければ、ボクは心身共に壊されていたと思う。だからボクはたけるくんには感謝の気持ちしかない。

 そんなたけるくんのことを、ボクは好きになった。好きにならないはずがないよね。

 たけるくんがボクを救ってくれた日から、ずっとずっと。もうずっと好きなままで。
 とうとう我慢出来なくなって、告白をした。

 たけるくんはボクを受け入れてくれて。ボクのことを好きになってくれて。
 一緒にデートを重ねるうちに、もっともっとボクのことを好きになってくれて。

 幸せな時間がこれからはずっと続くんだって、ボクは無邪気に信じていて。
 だけど唐突に、たけるくんはボクのことを忘れていた。

 ボクのことを一番好きになってくれたことと、引き替えにして。

 大きく息を吸い込む。

 たけるくんはボクのことを忘れてしまった。だからボクも過去のとは忘れようと思った。

 もういちどボクのことを好きになってもらえばいいんだ。

 少しずつ近づいて、あんまり強く刺激を与えないようにしたら、きっとたけるくんはまたボクのことを好きになってくれる。病気を乗り越えてくれる。そう信じていた。

 だからもういちど一から始めよう。

 何度繰り返すことになったとしても、何度でも。

 何度でも何度でも。ボクのことを好きになってもらうんだ。

 そうしてボクは繰り返してきた。たけるくんがボクのことを忘れて、ボクはたけるくんに話しかけて。好きだという気持ちを取り戻してもらって。またボクのことを忘れて。

 繰り返して、繰り返して。もう忘れられないくらいに記憶に強く塗り重ねられるそのときまで。ボクは何度でも繰り返すから。
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