財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す

花里 美佐

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近づく距離1

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 とうとう一番会いたくなかった人に捕まった。

「あら、お久しぶりね、香月さん。ご奉公の年季が明けて戻ってきたの?随分とずうずうしいのね。まさか、辰巳さんを籠絡してその席を奪うなんて、私には絶対出来ないわ」

「黒沢さんはお変わりなくお元気そうで何よりです。崇さんに頼まれて渋々戻ってきたんです。ご心配には及びません。崇さんが気に入らなければ私はまた支社戻りの予定です」

 それを聞いて嬉しそうに高笑いしている。本当に変わらないってすごい。さすがの崇さんも彼女を選ぶことはしないと信じたい。

「あらそうなの。じゃあ、あっという間かしらね。何しろ、半年も本部にいなかったのだし、忘れていることも多いんじゃないの?何かあれば代わってあげますからいつでも頼って下さって結構よ」

「……それはありがとうございます」

 横から声がした。瀬川常務、いや、今は専務か。

「黒沢さん。こんな所にいたのか。お客様が来るから、早くお迎えに出て。あれ、君は香月さんじゃない?戻ったっていうのは本当だったのか」

 眼鏡をずり揚げて私をじっと見つめる。

「……はい。お久しぶりでございます。これからまたよろしくお願い致します」

「いやはや驚いたね。君も浮き沈みの激しい人生で大変だね。まあ、頑張って。いつまでやれるかわからんけどね」

 部下も部下なら、上司も上司。どっちもこんなだものね。この人の担当にならなくてよかった。

 いつものミルクティーを買いに廊下の端で自販機に向かっていた。すると、またもや会いたくない人に声をかけられた。

「おい、菜々。急に戻ってきたと思ったら、どういうことだよ?随分と出世したじゃないか……。話が違うぞ」

「斉藤さん。お久しぶりです」

「なんだよ、他人行儀だな。今は誰もいないんだから名前で呼べよ」

「もう、ただの先輩です」

「相変わらず可愛くねえな、お前は、だからダメなんだよ」

 伸吾が私の腕を引いた。

 すると後からいつもの香りが急にして、腰を引かれた。伸吾の手が離れた。

「ああ、斉藤君。せっかく立候補してくれた総帥の秘書の件だけどね、新藤さんが辰巳にしたいそうだ。君には秘書室長が監査担当役員をお願いしたいそうだ」

 彼は私の腰に手を回し、自分の横に囲い込むと、じろりと伸吾を睨んだ。伸吾は私の顔と彼の顔を見比べながら怯えた顔をした。

「そ、そうですか……」

「それと、ね……ひとつハッキリ言っておくことがある。香月はもう君とはすっぱり切れたんだから、君も名前を呼び捨てにしたりしてあまり甘えないことだな。彼女は次期総帥の俺の秘書になった。もう少し付き合い方を考えた方がいいね。彼女は俺の管轄下だ。何かあれば容赦しない。そのつもりでいろ」

 最後のひと言を言い終えると、驚いて固まっている伸吾を残して私の腕を引いて部屋へ戻る。

「ミルクティーならあとで奢ってやる……戻るぞ。あいつ、本当に嫌な奴だな」

 そう言うと、私の顔をのぞき込んだ。私はどうしてあんな人だと気づけず今まで付き合っていたのか考えると本当に自分が嫌になった。

「まさか未練があるんじゃないだろうな?」

「え?あるわけありません。後悔ならありますけど……ただ自分の男を見る眼のなさにがっかりしていただけです。このままだと、私あっという間にひとりで三十になりそうです」

「……馬鹿だな」

「え?」

「お前に声をかけたがっていた奴らは、専務や俺の手前遠慮してたんだよ。それをあの男は……ずうずうしいんだよ。あいつは秘書に不向きだ。いずれ実務へ戻すから安心しろ」

「……慰めてくれてありがとうございます。お仕事で恩返しが出来るように頑張ります」

「お仕事以外でも恩返ししてほしい。こういうお前とふたりの時間は大切にしたい。たわいない話をしたり、冗談を言ったりする時間。俺には大事なんだ。お前はそうじゃないのか?」

 またのぞき込むように膝を折って私の顔を見る。恥ずかしい。その綺麗な顔で見られると、ドキドキする。

「首元から赤くなってる。いい傾向だ」

 首筋を指で指した。近い、近いからやめて……。意識しないようにしているのに、困る。

「だから、からかうのはやめて……ください」

「やだね。お前とこうやって……いるのが楽しいんだよ。前からそうしたかったんだ」

「え?」

「いつも日傘専務と冗談を言い合って笑ってたじゃないか。うらやましかった。俺にもその笑顔を向けて欲しかった。今は俺のことを見て、笑っていて欲しいんだよ」

 彼の優しさを勘違いしないようにと努力しているが、そういう目を見ると嬉しくて期待してしまいそうになる。でもダメだ。

「この距離感に慣れて欲しい」

「……秘書の距離感とは違います。は、離れて下さい」

「俺はこれから場合によってはこういう距離感になるから、このくらいで驚かれたら困るんだ」

 あっけにとられている私を見て、プッと吹いて笑っている。また、冗談。本当にたちが悪すぎる。彼の胸を押して、壁から身体を離して下がって距離を取る。

 すると腕を引かれてまた囲い込まれた。

「逃げるな。何もしない。慣れろと言っている。内密のはなしも多いから、小さい声で指示することもある。至近距離に慣れてもらわないと困るんだ」

「……ダメです、無理です」

「じゃあ、ダメじゃない関係になるか?俺はいつでもいいぞ。なにしろ、一度キスした仲だ」

 そう言うと、おでこに軽くキスを落とした。びっくりした。私は彼を突き飛ばした。

「ダメです!総帥に秘書を辞めさせられます。お願いです……」

「ふざけすぎたな。すまない。でも大丈夫だ。心配するな。絶対辞めさせたりしない」

 彼の秘書になって二週間。あっという間だった。結局海外に戻らず、国内の重要取引先に総帥継承のことを内密に話して回るため、外出も多くなった。

 月曜日の朝のことだ。

「香月、聞きたいことがある。先週の笹倉建設へのお持たせの菓子だが、笹倉社長の奥様の好物で限定品だと社長にいわれて驚いた。面識があったのか?」

「専務と笹倉社長は昔から面識がおありでした。社長の奥様があそこの商品を好きだというのは、笹倉社長からたまたまお聞きしました。私もあそこの店が好きだったので、新作菓子は私が予約購入してお渡ししていました」

「香月さんが秘書ですかと笹倉社長から即座に聞かれたんだ。驚いたよ。しかもプレゼンの書類もそうだ。売上の対比率とかお前が入れて作っていたというのは本当か?」

「あれは……何回か作ったあとで聞かれたので、最初から表に組み込んで入れておいた方が役に立つだろうという単純な考えです」

「営業三部の部長が褒めていたのはそういうこともあってのことなんだな。臨機応変に出来る。お前ほど、俺の秘書に向いた女はいない。初の女性秘書にピッタリだ」

「……ありがとうございます」

「週末、本邸に帰ったんだ。今話したことを父さん達に話して聞かせてきたぞ。いかにお前がすごいかを自慢してきた」

「!」

 な、何を言ってるの?総帥ご夫妻に私の話をした?や、やめて……。

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