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15話 「まさかっ……シアの所にっ?」
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馬車の二輪が土を蹴る音と、蹄が土を蹴る音が重なり、座席が静かに揺れる。 馬車の窓から見える景色が、森から長閑な田舎町に変わっていく。 馬車は今、王都へと向かっていた。
ユージーンとエドワードは、お互いの父親から言われた通り、コモン領にあるホイットニー家の本宅へ行って来た帰りだ。 しかし、ホイットニー家の主は留守で、王都にあるレイバン商会で商談の為に言っていると、ホイットニー家の侍従から伝えられた。
空振りに終わり、ユージーンは小さく息を吐き出した。
「連絡を取ってから動けばよかったな」
「だね。 ちょっと頭が混乱してるのかな……僕としたことが、簡単な事も思いつかなかったよ」
エドの言葉にユージーンが眉を下げて、情けない表情をした。 僅かに瞳を見開いたエドが苦笑を零す。
「俺も気づかなかったから、お互い様だ」
車窓から見える空を覗き見たサイモンが表情を曇らせる。
「もう日が沈みますし、ホイットニー家の当主とは、入れ違いになりそうですね。 レイバン商会に着く頃には、商会は閉まってますよ」
「サイモン、ホイットニー家の当主に、いつ会えるか連絡を取ってくれ」
「承知しました、ジーン様」
サイモンが柔らかい白い髪から白い羽根を抜くと、白カラスの伝言鳥を飛ばす。
「じゃ、学園へ行くか? 殿下にも報告しないとならないしな。 禁忌の呪文を漏らしたのが誰か分からずじまいだが」
「そうだね。 もう一度、レイバン商会を調べるかな」
エドワードとサイモンが無言で頷き、サイモンは再び白カラスを何処かへ飛ばした。 一行の馬車は行先を学園へ変え、ゆっくりと走り出した。
◇
ユージーンとサイモンが生徒会室へ着いた時には、エミリーの行方が再び分からなくなっていて、生徒会の面々がざわついていた。 生徒会のメンバーの中に、赤狐の獣人、トバイア・ルナァがいる事に目を留めた。
いつも感情が視えない笑みを湛えているトバイアが、今は沈痛な面持ちで立っていた。
「彼が何故、ここに?」
「赤狐のトバイア……」
サイモンは、パーティーでトバイアに出し抜かれた事を思い出したのか、苦い顔をしていた。
「番カップル荒らしの件で、彼は自首して来たんですよ。 それと、ホイットニー嬢の情状酌量を嘆願する為、ですね」
「だが、あの娘は、また行方をくらましたらしい」
アンガスは眉を下げて説明してくれた。 アダムが眉を顰めて吐き捨てた。
「……エミリー」
トバイアが沈痛な声を出した。 黄金の瞳を細めてトバイアを見ていたジェレミーがユージーンたちの方へ顔を向けた。
「で、そちらはどうだったのだ? エドの父上殿に、会いに行っていたのだろう?」
「はい、やはり殿下の言う通り、レイブン家の当主が認識阻害の魔法を掛けていました。 ホイットニー嬢は……コモン子爵とコローネー家の娘の間に生まれた子供でした」
ユージーンの説明にジェレミーは満足げに頷いた。
「ふむ、そうか。 で、君たちの父君たちはどうしたのだ?」
「はい、陛下に会う為、王宮へ向かったので、今頃は陛下と面会している頃かと」
続いて答えたエドワードの言葉に、ジェレミーの両眉が上がり、口元の端が引き攣った。
「そ、そうか……ち、父上にっ」
「殿下、陛下に報告しないという訳にはまいりません。 お覚悟を」
「う、うむ」
アンガスの進言に、ジェレミーは力なく項垂れた。 そして、ボソッと呟いた。
「しかし、ホイットニー嬢はいったい、何処に行ったのだ?」
「……っまさかっ」
ユージーンの胸に嫌な予感が過ぎる。 エミリーは、番事態を深く恨んでいる様子だった。 特にリィシャの父親はエミリーに恨まれている事だろう。 脳裏にリィシャの顔が浮かんだ。
エミリーが『ジーン! 貴方は、わたしの番なのよ!』と、入学式で言っていた事をユージーンは思い出した。 もしかしたら、エミリーは本来ならリィシャの立場が自身だと思っているのではないかと考えた。
(捕まりたくないから、逃げ回っていると思っていたが、まさかっ……シアの所にっ?)
◇
リィシャの部屋の古時計から、17時を知らせる鐘を響かせ、夕食の美味しそうな匂いがリィシャの部屋まで漂って来た。
(今日のメニューは、お母様が来ているから、ビーフウェリントンにするってクロフォードが言ってたわね。 楽しみ~)
リィシャの部屋の扉が3回、ノックされた。
返事の後、夕食時に着るドレスの着替えを手伝う為に、数名のメイドたちが入って来た。 入って来たメイドたちを見て、エメラルドの瞳を細め、少し面倒そうに息を吐き出した。
細めた瞳の色には、心底面倒だと思っている事がありありと出ている。
(いちいち着替えるのは、本当に面倒だわ)
メイドたちは、クロウ家の本宅からタウンハウスへ一緒に着いて来たメイドだ。 ユージーンが厳選したメイドたちのなので、リィシャは何かあるなんて疑いもしなかった。 だから、リィシャもメイドたちの顔は把握している。
日常の当たり前の風景なので、知らない顔がいるとは直ぐには気づかなかった。 ふと、目の前に居るメイドと視線が合い、知らない顔だと思い当たった。
「あら? 貴方、初めましての顔ね」
「ええ、最近、入ったんです」
背後から甘い香りが漂った瞬間、リィシャの意識が遠のいていった。
(えっ……)
一瞬の出来事だった。 リィシャと長年仕えてくれているメイドたちが意識を失い、柔らかい絨毯の上へ倒れ込んでいく。 リィシャの部屋には、甘い香りが漂い続けている中、1人だけ立っているメイドは平気な様だ。
(……っパメラ……スー……ザ)
リィシャはメイドの安否を確認できずに、意識を失った。 指を鳴らす音がリィシャの上へ落ちる。
メイドが指を鳴らすと、音もなく数人の男たちが窓からリィシャの部屋へ入って来た。 そして、リィシャを抱きかかえ、窓から連れ去ってしまった。 メイドは誰も居ない廊下を選び、見つかる事なく、簡単にクロウ家のタウンハウスを出て行った。
◇
リィシャが居なくなった事に気づいたのは、夕食の時間が過ぎても、リィシャが降りて来なかった為、侍従が部屋へ確認に行った時だった。 リィシャが攫われてから1時間以上経っていた。
ユージーンが知らせを聞いてタウンハウスへ飛んで帰って来た時点では、2時間以上経っていた。 屋敷へ走り込んで来たユージーンは、行儀作法などかなぐり捨て、リィシャの部屋へ一目散に向かった。
リィシャの部屋の前の廊下を大きな足音をさせて、2組の足音を響かせた。
リィシャの部屋の扉を開け放ち、部屋の居間と寝室へと入り、中を確認する。 居ないと分かっているが、リィシャの姿を探した。 ユージーンの願いは叶えられず、リィシャの姿は何処にもなかった。 ユージーンの眉が寄り、顔が歪む。
「……っシア」
入った時から居たのか、背後で人の気配がした後、沈んだクロウ夫人の声が耳に届く。
「ジーン、帰ったのね」
振り返ったユージーンは、自身の母に詰め寄った。 夫人の背後に立っていた侍従と、サイモンが二人がかりでユージーンを押さえる。 押さえられながらも、ユージーンは言葉を放った。
「ジーン様っ」
「母上っ! シアが居なくなったと言うのは本当ですかっ?!」
「ええ、本当よ」
クロウ夫人が苦虫を噛み潰したような顔をした。 夫人と同じ表情をした侍従が、夫人の後に続いて事件のあらましの説明をした。
「シア様は、ご夕食の為にお支度をなさっておりました。 数人のメイドがお手伝いをしておりましたが、1人だけ部外者が紛れ込んでおりまして、その者に連れ去られたようです。 他のメイドたちは、シア様の部屋で倒れておりまして、医師に診せたところ、眠っているだけでした」
「誰も気づかなかったのか?! 部外者が紛れ込んでいたのにっ」
「はい、誠に申し訳ございませんっ」
侍従が平身低頭で謝罪した。 侍従の後頭部を見つめながら、ユージーンは拳を強く握り締めた。 見かねたサイモンが助け舟を出す。
「ジーン様、クロウ家に簡単に侵入できる訳がありません。 もしかしたら精神魔法を掛けられたのかもしれません」
「サイモン……そうか、ホイットニー家の当主も操られている様に見受けられたからな。 皆が気づかなかった事を考えると、あり得るな」
「はい」
唇を引き結んだ後、顔を背けたユージーンが落ち着いた声を落とす。
「すまない、シアが攫われたって聞いて、動揺した。 メイドたちは眠らされただけか? 怪我はしてないんだな」
「はい、他には何も。 盗まれた宝飾類などもございませんでした。 窓が開いて御座いましたので、賊は窓から出て行ったのだと思われます」
リィシャの部屋の開いたままの窓を見つめた。 もう、窓の外は暗くなりかけていた。
「そうか、分かった。 ありがとう。 もういい、下がってくれ」
「はい、承知いたしました」
侍従は礼をしてリィシャの部屋を出て行った。 サイモンが心配そうにユージーンを見つめて来る。 サイモンと視線が合ったユージーンは、無言で頷いた。
「シアを連れ去ったのは、ホイットニー嬢だ。 後は、何処に連れ去ったかだな」
「ええ、そうですね」
そばで夫人の硬い声が聞こえて来た。
「ジーン、真の番ならば、考えなくてもシアの居場所が分かるはずよ。 真実にシアと心が通じているのならね。 分からないなら、シアとの関係を考え直しなさい。 シアが欲しいなら、シアにも貴方と同じとまでは言わないけど、返してくれるようにならないと。 お互いを感じ取れないわよ」
夫人の言葉でユージーンの眉が深く寄り、何も言えないくらい表情が歪んだ。
「ジーン様……」
(分かっている。 気持ちが通じ合っている番同士は、番の匂いをかぎ分けられるんだと。 どれだけ距離が離れていも……僕とシアはまだそこまで繋がってはいないっ)
ユージーンがもたもたとしている間にも、リィシャがエミリーから酷い目に遭っているかもしれないと思うと、ユージーンの気持ちは焦るばかりだった。
◇
学園を囲う生い茂った深い森の中に、廃れた離宮が佇んでいる。 小ホールの穴の開いた天井から冷たい風が吹き抜け、森の奥から動物の声が遠くに聞こえる。
冷たい風が頬を撫で、ワンピースの裾がゆらりとはためき、白い肌のふくらはぎが覗き、夜空に輝く月の光に照らされていた。 細っりとした身体が床の冷たさで小さく震えた。
リィシャは再び、離宮の小ホールの冷たい床で寝かされていた。
じんわりと冷たい感触に、既視感を覚えて目を覚ましたリィシャは、2度目の拉致にエメラルドの瞳を細めた。 細めた瞳には、もういい加減にしてくれという感情が滲んでいる。
目の前にいるエミリーをリィシャにしては、珍しく鋭く睨みつけた。
「……また貴方なの? エミリーさん」
「……」
「いい加減にして欲しいのだけど……」
エミリーはリィシャの声に何も答えない。 ただ、じっとリィシャを見つめてくる。 不意に不敵な笑みを浮かべると、エミリーの口から思ってもいない言葉が飛び出した。
「やっぱり貴方、似てないわよね父親に」
「えっ……父親?」
キョトンとした表情を浮かべたリィシャに、エミリーが何かを察したのか、小さく笑った。
「貴方、何も知らないの?」
「えっ、何もって? 何の事?」
リィシャは少しだけ強い口調でエミリーに訊いた。
「私と貴方も全然、似てないわね。 やっぱり母親が違うからかしら」
「えっ! えぇぇぇぇっ! そんな話、聞いてないわっ!」
(母親が違うって言う事は……。 あれ? もしかしなくても、エミリーさんと私は……腹違いの姉妹って事になるんですけど……)
「う、うそ~~~っ!」
リィシャの信じられないという表情と叫び声に、エミリーは鼻を鳴らして柔らかい銀色の髪を肩から払った。 リィシャの首筋で銀色に輝く番の刻印を見つめてきたエミリーの青い瞳に、嫌悪感が滲んでいった。
(という事は、お父様が浮気をしたって事? お母様という番がいたのにっ? 姉妹よりもそっちの方が信じられないわっ)
エメラルドの瞳に猜疑心を滲ませ、エミリーに問いかけた。
「それが本当だとしたら、父が貴方の母親と浮気したという事になるんだけど。 浮気の方が信じられないわ。 私たちカラス族は仮初の番だとしても、1人の人と人生を添い遂げるんだからっ。 父が貴方の母親と浮気なんてっ」
エミリーの瞳に哀れみの感情が滲んでいく。
哀れみの表情を見たリィシャは、エミリーが本当の事を言っている事を知った。 実の両親の事は覚えていない。 顔もどんな人だったかも知らない。 何も知らない実の両親の事だが、衝撃は大きかった。 リィシャのエメラルドの瞳が衝撃で大きく見開かれた。
ユージーンとエドワードは、お互いの父親から言われた通り、コモン領にあるホイットニー家の本宅へ行って来た帰りだ。 しかし、ホイットニー家の主は留守で、王都にあるレイバン商会で商談の為に言っていると、ホイットニー家の侍従から伝えられた。
空振りに終わり、ユージーンは小さく息を吐き出した。
「連絡を取ってから動けばよかったな」
「だね。 ちょっと頭が混乱してるのかな……僕としたことが、簡単な事も思いつかなかったよ」
エドの言葉にユージーンが眉を下げて、情けない表情をした。 僅かに瞳を見開いたエドが苦笑を零す。
「俺も気づかなかったから、お互い様だ」
車窓から見える空を覗き見たサイモンが表情を曇らせる。
「もう日が沈みますし、ホイットニー家の当主とは、入れ違いになりそうですね。 レイバン商会に着く頃には、商会は閉まってますよ」
「サイモン、ホイットニー家の当主に、いつ会えるか連絡を取ってくれ」
「承知しました、ジーン様」
サイモンが柔らかい白い髪から白い羽根を抜くと、白カラスの伝言鳥を飛ばす。
「じゃ、学園へ行くか? 殿下にも報告しないとならないしな。 禁忌の呪文を漏らしたのが誰か分からずじまいだが」
「そうだね。 もう一度、レイバン商会を調べるかな」
エドワードとサイモンが無言で頷き、サイモンは再び白カラスを何処かへ飛ばした。 一行の馬車は行先を学園へ変え、ゆっくりと走り出した。
◇
ユージーンとサイモンが生徒会室へ着いた時には、エミリーの行方が再び分からなくなっていて、生徒会の面々がざわついていた。 生徒会のメンバーの中に、赤狐の獣人、トバイア・ルナァがいる事に目を留めた。
いつも感情が視えない笑みを湛えているトバイアが、今は沈痛な面持ちで立っていた。
「彼が何故、ここに?」
「赤狐のトバイア……」
サイモンは、パーティーでトバイアに出し抜かれた事を思い出したのか、苦い顔をしていた。
「番カップル荒らしの件で、彼は自首して来たんですよ。 それと、ホイットニー嬢の情状酌量を嘆願する為、ですね」
「だが、あの娘は、また行方をくらましたらしい」
アンガスは眉を下げて説明してくれた。 アダムが眉を顰めて吐き捨てた。
「……エミリー」
トバイアが沈痛な声を出した。 黄金の瞳を細めてトバイアを見ていたジェレミーがユージーンたちの方へ顔を向けた。
「で、そちらはどうだったのだ? エドの父上殿に、会いに行っていたのだろう?」
「はい、やはり殿下の言う通り、レイブン家の当主が認識阻害の魔法を掛けていました。 ホイットニー嬢は……コモン子爵とコローネー家の娘の間に生まれた子供でした」
ユージーンの説明にジェレミーは満足げに頷いた。
「ふむ、そうか。 で、君たちの父君たちはどうしたのだ?」
「はい、陛下に会う為、王宮へ向かったので、今頃は陛下と面会している頃かと」
続いて答えたエドワードの言葉に、ジェレミーの両眉が上がり、口元の端が引き攣った。
「そ、そうか……ち、父上にっ」
「殿下、陛下に報告しないという訳にはまいりません。 お覚悟を」
「う、うむ」
アンガスの進言に、ジェレミーは力なく項垂れた。 そして、ボソッと呟いた。
「しかし、ホイットニー嬢はいったい、何処に行ったのだ?」
「……っまさかっ」
ユージーンの胸に嫌な予感が過ぎる。 エミリーは、番事態を深く恨んでいる様子だった。 特にリィシャの父親はエミリーに恨まれている事だろう。 脳裏にリィシャの顔が浮かんだ。
エミリーが『ジーン! 貴方は、わたしの番なのよ!』と、入学式で言っていた事をユージーンは思い出した。 もしかしたら、エミリーは本来ならリィシャの立場が自身だと思っているのではないかと考えた。
(捕まりたくないから、逃げ回っていると思っていたが、まさかっ……シアの所にっ?)
◇
リィシャの部屋の古時計から、17時を知らせる鐘を響かせ、夕食の美味しそうな匂いがリィシャの部屋まで漂って来た。
(今日のメニューは、お母様が来ているから、ビーフウェリントンにするってクロフォードが言ってたわね。 楽しみ~)
リィシャの部屋の扉が3回、ノックされた。
返事の後、夕食時に着るドレスの着替えを手伝う為に、数名のメイドたちが入って来た。 入って来たメイドたちを見て、エメラルドの瞳を細め、少し面倒そうに息を吐き出した。
細めた瞳の色には、心底面倒だと思っている事がありありと出ている。
(いちいち着替えるのは、本当に面倒だわ)
メイドたちは、クロウ家の本宅からタウンハウスへ一緒に着いて来たメイドだ。 ユージーンが厳選したメイドたちのなので、リィシャは何かあるなんて疑いもしなかった。 だから、リィシャもメイドたちの顔は把握している。
日常の当たり前の風景なので、知らない顔がいるとは直ぐには気づかなかった。 ふと、目の前に居るメイドと視線が合い、知らない顔だと思い当たった。
「あら? 貴方、初めましての顔ね」
「ええ、最近、入ったんです」
背後から甘い香りが漂った瞬間、リィシャの意識が遠のいていった。
(えっ……)
一瞬の出来事だった。 リィシャと長年仕えてくれているメイドたちが意識を失い、柔らかい絨毯の上へ倒れ込んでいく。 リィシャの部屋には、甘い香りが漂い続けている中、1人だけ立っているメイドは平気な様だ。
(……っパメラ……スー……ザ)
リィシャはメイドの安否を確認できずに、意識を失った。 指を鳴らす音がリィシャの上へ落ちる。
メイドが指を鳴らすと、音もなく数人の男たちが窓からリィシャの部屋へ入って来た。 そして、リィシャを抱きかかえ、窓から連れ去ってしまった。 メイドは誰も居ない廊下を選び、見つかる事なく、簡単にクロウ家のタウンハウスを出て行った。
◇
リィシャが居なくなった事に気づいたのは、夕食の時間が過ぎても、リィシャが降りて来なかった為、侍従が部屋へ確認に行った時だった。 リィシャが攫われてから1時間以上経っていた。
ユージーンが知らせを聞いてタウンハウスへ飛んで帰って来た時点では、2時間以上経っていた。 屋敷へ走り込んで来たユージーンは、行儀作法などかなぐり捨て、リィシャの部屋へ一目散に向かった。
リィシャの部屋の前の廊下を大きな足音をさせて、2組の足音を響かせた。
リィシャの部屋の扉を開け放ち、部屋の居間と寝室へと入り、中を確認する。 居ないと分かっているが、リィシャの姿を探した。 ユージーンの願いは叶えられず、リィシャの姿は何処にもなかった。 ユージーンの眉が寄り、顔が歪む。
「……っシア」
入った時から居たのか、背後で人の気配がした後、沈んだクロウ夫人の声が耳に届く。
「ジーン、帰ったのね」
振り返ったユージーンは、自身の母に詰め寄った。 夫人の背後に立っていた侍従と、サイモンが二人がかりでユージーンを押さえる。 押さえられながらも、ユージーンは言葉を放った。
「ジーン様っ」
「母上っ! シアが居なくなったと言うのは本当ですかっ?!」
「ええ、本当よ」
クロウ夫人が苦虫を噛み潰したような顔をした。 夫人と同じ表情をした侍従が、夫人の後に続いて事件のあらましの説明をした。
「シア様は、ご夕食の為にお支度をなさっておりました。 数人のメイドがお手伝いをしておりましたが、1人だけ部外者が紛れ込んでおりまして、その者に連れ去られたようです。 他のメイドたちは、シア様の部屋で倒れておりまして、医師に診せたところ、眠っているだけでした」
「誰も気づかなかったのか?! 部外者が紛れ込んでいたのにっ」
「はい、誠に申し訳ございませんっ」
侍従が平身低頭で謝罪した。 侍従の後頭部を見つめながら、ユージーンは拳を強く握り締めた。 見かねたサイモンが助け舟を出す。
「ジーン様、クロウ家に簡単に侵入できる訳がありません。 もしかしたら精神魔法を掛けられたのかもしれません」
「サイモン……そうか、ホイットニー家の当主も操られている様に見受けられたからな。 皆が気づかなかった事を考えると、あり得るな」
「はい」
唇を引き結んだ後、顔を背けたユージーンが落ち着いた声を落とす。
「すまない、シアが攫われたって聞いて、動揺した。 メイドたちは眠らされただけか? 怪我はしてないんだな」
「はい、他には何も。 盗まれた宝飾類などもございませんでした。 窓が開いて御座いましたので、賊は窓から出て行ったのだと思われます」
リィシャの部屋の開いたままの窓を見つめた。 もう、窓の外は暗くなりかけていた。
「そうか、分かった。 ありがとう。 もういい、下がってくれ」
「はい、承知いたしました」
侍従は礼をしてリィシャの部屋を出て行った。 サイモンが心配そうにユージーンを見つめて来る。 サイモンと視線が合ったユージーンは、無言で頷いた。
「シアを連れ去ったのは、ホイットニー嬢だ。 後は、何処に連れ去ったかだな」
「ええ、そうですね」
そばで夫人の硬い声が聞こえて来た。
「ジーン、真の番ならば、考えなくてもシアの居場所が分かるはずよ。 真実にシアと心が通じているのならね。 分からないなら、シアとの関係を考え直しなさい。 シアが欲しいなら、シアにも貴方と同じとまでは言わないけど、返してくれるようにならないと。 お互いを感じ取れないわよ」
夫人の言葉でユージーンの眉が深く寄り、何も言えないくらい表情が歪んだ。
「ジーン様……」
(分かっている。 気持ちが通じ合っている番同士は、番の匂いをかぎ分けられるんだと。 どれだけ距離が離れていも……僕とシアはまだそこまで繋がってはいないっ)
ユージーンがもたもたとしている間にも、リィシャがエミリーから酷い目に遭っているかもしれないと思うと、ユージーンの気持ちは焦るばかりだった。
◇
学園を囲う生い茂った深い森の中に、廃れた離宮が佇んでいる。 小ホールの穴の開いた天井から冷たい風が吹き抜け、森の奥から動物の声が遠くに聞こえる。
冷たい風が頬を撫で、ワンピースの裾がゆらりとはためき、白い肌のふくらはぎが覗き、夜空に輝く月の光に照らされていた。 細っりとした身体が床の冷たさで小さく震えた。
リィシャは再び、離宮の小ホールの冷たい床で寝かされていた。
じんわりと冷たい感触に、既視感を覚えて目を覚ましたリィシャは、2度目の拉致にエメラルドの瞳を細めた。 細めた瞳には、もういい加減にしてくれという感情が滲んでいる。
目の前にいるエミリーをリィシャにしては、珍しく鋭く睨みつけた。
「……また貴方なの? エミリーさん」
「……」
「いい加減にして欲しいのだけど……」
エミリーはリィシャの声に何も答えない。 ただ、じっとリィシャを見つめてくる。 不意に不敵な笑みを浮かべると、エミリーの口から思ってもいない言葉が飛び出した。
「やっぱり貴方、似てないわよね父親に」
「えっ……父親?」
キョトンとした表情を浮かべたリィシャに、エミリーが何かを察したのか、小さく笑った。
「貴方、何も知らないの?」
「えっ、何もって? 何の事?」
リィシャは少しだけ強い口調でエミリーに訊いた。
「私と貴方も全然、似てないわね。 やっぱり母親が違うからかしら」
「えっ! えぇぇぇぇっ! そんな話、聞いてないわっ!」
(母親が違うって言う事は……。 あれ? もしかしなくても、エミリーさんと私は……腹違いの姉妹って事になるんですけど……)
「う、うそ~~~っ!」
リィシャの信じられないという表情と叫び声に、エミリーは鼻を鳴らして柔らかい銀色の髪を肩から払った。 リィシャの首筋で銀色に輝く番の刻印を見つめてきたエミリーの青い瞳に、嫌悪感が滲んでいった。
(という事は、お父様が浮気をしたって事? お母様という番がいたのにっ? 姉妹よりもそっちの方が信じられないわっ)
エメラルドの瞳に猜疑心を滲ませ、エミリーに問いかけた。
「それが本当だとしたら、父が貴方の母親と浮気したという事になるんだけど。 浮気の方が信じられないわ。 私たちカラス族は仮初の番だとしても、1人の人と人生を添い遂げるんだからっ。 父が貴方の母親と浮気なんてっ」
エミリーの瞳に哀れみの感情が滲んでいく。
哀れみの表情を見たリィシャは、エミリーが本当の事を言っている事を知った。 実の両親の事は覚えていない。 顔もどんな人だったかも知らない。 何も知らない実の両親の事だが、衝撃は大きかった。 リィシャのエメラルドの瞳が衝撃で大きく見開かれた。
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