私、クズ王子に振り回されてますっ。

伊織愁

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第八話

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 貴族街の中央区画に、フランネル家のタウンハウスはある。 八角形の建物が大2つ、小1つが仲良く並んで建てられ、庭は庭師が綺麗に剪定し、スッキリとした仕上がりになっている。

 春には綺麗な花たちが庭や屋敷を彩り、小鳥も囀っている事だろう。

 マリーの朝は、専用メイドのベスに叩き起こされる事から始まる。 いつものように意気揚々とベスが螺旋階段を上がって来る。 衝立だけで半分に分けられたマリーとドロシーの部屋。

 鼻歌まじりで螺旋階段をリズミカルに登ってくる足音が部屋まで響いている。

 螺旋階段を上がり切り、部屋の左側を使っているマリーのスペースをベスの瞳がロックオンされた。 歩くスピードを緩めず、いつもの様に突進して来たベスは、ベッドの前で急ブレーキをかけてスピードを落とした。 ベスの視界にベッドで腰掛けるマリーの姿が映し出されていた。

 いつもならまだベッドでぐずっているというのに、マリーは起きていた。 いや、眠れなかったのだろう。 目の下にデッカイ隈が出来ていた。

 ベスの瞳が大きく見開かれ、驚愕の表情を浮かべて叫んだ。

 「マリー様が、今日も起こされる前に、自力で起きていらっしゃるっ!」

 ベスの大きな叫び声と失礼な言葉に、マリーはムスッと唇を尖らせて自身の専属メイドを横目で見つめた。 いつまでも驚愕の表情で固まっているベスを今度は、眉を顰めて瞳を細めた。

 衝立の向こう側で慌てた様に物を机に置く音がし、次に慌てた足音が続いた。 物音に自然と2人の視線が衝立へ向いた。

 衝立から顔を出したのは、眉を下げた表情のドロシーだ。 ドロシーは既に起きていたが、ベスの叫び声で何事かと、心配をして顔を覗かせたのだ。 一昨日からおかしい従姉の事を、心底心配しているのだ。

 ドロシーは朝の支度が終わっていて、既に制服を身に着けている。 いつでも出発できる状態だ。

 「どうしたの? マリー? ベス?」
 「あ、ドロシー様っ! 毎朝、お寝坊のマリー様がっ、今日も自力で起きていらっしゃいます!」

 マリーは昨日も眠れずに、早朝に1時間程度、眠っただけだった。 だから、ベスが起こしに来た時には、既に目を覚ましていた。

 ベスの言い様に、ドロシーが苦笑を零す声がする。 マリーのベスを見つめる眼差しに、更に不機嫌さが混じる。 声にも不機嫌だとありありと出ていた。

 「なんだかそれが、とても悪い事のように聞こえるわね」
 「あっ! いえ、そういう訳ではっ」
 「ベス、ここはいいから。 貴方は下で朝食の準備をしていて頂戴」
 「は、はい、承知致しました。 では、ドロシー様、マリー様のお支度のお手伝いをお願いしてもよろしいでしょうか?」
 「ええ、任せて」

 ベスは慌てた様子でお辞儀をすると、螺旋階段を降りていった。 マリーとドロシーの視線を合せ、同時に小さく笑った。 少し元気が出たマリーを見て、ドロシーがホッとした様な表情を浮かべた。

 「ドロシー、着替えなら1人で出来るから、貴方も下へ降りてもいいわよ」
 「ええ、本当に大丈夫?」
 「もう、大丈夫よ」
 「そう、なら良かったわ」

 マリーの言葉に安心した様な笑みを見せ、螺旋階段の方へ歩いて行った。 ドロシーが螺旋階段に手を掛けた時、ふと気になって訊ねてみた。

 「そうだわ。 ドロシーはもう、ダレルと口づけはしたの? ダレル、手が早そうだけど……あっ」

 螺旋階段を降りかけた格好で固まっているドロシーを見て『しまった』と思ったが、遅かった。

 ドロシーは顔を真っ赤にして、頭からは煙を出し『ええ、ええ、ええぇ~』を連呼していた。 話を聞ける状態ではなくなってしまった。 ドロシーに、この手の話は駄目なのだ。

 (すっかり忘れてたっ。 うん、これはっ……どっちなのかしら? ダレルに訊いてみる?)

 マリーの脳内で憤怒するダレルが思い浮かび、きっと『淑女がそんな事を訊いたら駄目だっ!』って言うだろうと、想像すると面白くて小さく噴き出した。

 (ダレルも柔軟なようで、硬い所があるものね。 特にドロシーに対しては、過保護だし……)

 重い音が混じった足音を鳴らして、螺旋階段を上がって来る気配がする。

 ドロシーの叫び声を聞きつけ、再びベスが突撃してきた。 『何があったんですか?!』と騒ぐベス。 ずっと真っ赤になって『ええぇ~』と言っているドロシー。 収集がつかなくなった2人を眺めて、『うるさいわね』とマリーがボソッと呟いた。 今日のマリーの朝はとても賑やかだった。

 ◇
 
 校舎の最上階にある生徒会室。 生徒会長である王太子のデーヴィッドと、第二王子であるクレイグが顔を突き合わせていた。 昨日、目撃した事をクレイグが兄に報告していたのだ。

 「そうか、ネモフィラ家の次男が関わっているのか。 確か、前に食堂で婚約破棄騒動を起こした生徒だったか……」
 「はい、そうです。 小遣い稼ぎなのか、恋人の男爵令嬢に貢ぐためか。 カラムと一緒になってクスリをばら撒いているのは間違いないですよ」

 椅子が床を擦る音が鳴り、デーヴィッドが立ち上がった。 机に両手をついて無言で頷く。

 「なんとしても、現行犯で逮捕しないとね。 ネモフィラ家の次男は暫く泳がせる。 カラムを捕まえる為にもね」
 「はい」

 顔を上げたデーヴィッドの深い海ような瞳が妖しく光った。 全身から只ならぬオーラを出した自身の兄を見て、クレイグの喉が上下する。 絶対に腹黒い事を考えていると、こめかみに汗が流れた。

 授業の開始を知らせるベルが校舎で鳴り響く。

 デーヴィッドと一緒に生徒会室を出て螺旋階段を降りていく。 クレイグの視線の先で、螺旋階段を上がって来るマリーを捉えた。 クレイグの瞳が僅かに見開き、自然と口元に笑みが広がる。
 
 声を掛けようと口を開きかけたが、しかし、マリーはクレイグと視線が合った途端、背を向けて上がって来た螺旋階段を猛スピードで降りて行った。

 猛スピードで降りて行くマリーの後ろ姿を呆然と眺めた。 クレイグの胸に燻っていたモヤモヤが大きくなった。 足を止めたクレイグを追い抜いたデーヴィッドが振り返って声を掛けて来た。

 「えっ、何っ? レグ、彼女に何したんだ? お前の顔を見て、もの凄い形相で降りて行ったけど……」
 「……いや、何もしてないっ」

 (流石に兄上にも言えないなっ。 訳も分からず、衝動的にキスしたこと。 しかも、マリーに避けられた事がかなりショックとかっ)

 デーヴィッドに知られたら、面白がる様子が容易に想像が出来る。 クレイグは駆け下りてもう、姿を視えないマリーの影を見つめていた。 マリーに避けられた事が思ったよりもショックを受けている自身にもの凄く驚いていた。

 そばでデーヴィッドがクレイグを観察している事にも気づかない程。

 ◇

 豪華なシャンデリアが吊り下げられ、若い男女がソファーで寛ぎ、談笑している。

 自身の屋敷のサロンでカラムは、沢山の若い紳士淑女たちを内密に招待して、ホームパーティーを開いていた。 1人掛けのソファーに座り、ワインを片手で揺らしながら。 カラムは、シャンデリアに反射させたワインの赤を愉しんでいた。

 騒ぎ出している紳士淑女の中に、ネモフィラ家の次男とセスキペダレ男爵令嬢がいる。

 2人の姿を眺め、カラムは馬鹿にしたように嗤った。 同じローテーブルを囲って座っている子息に、カラムは話しかけられ、愛想よく笑顔を見せた。

 「そう言えば、カラム様、学院へ行って来たと聞きましたが、学院以外のお仕事もお忙しいと聞きます。 お体大丈夫ですか?」
 「ああ、心配ありがとう。 この通り、ピンピンしているよ」

 子息の問いかけに、嘘くさい笑顔を張り付けて、両手を拡げた。 子息がカラムの耳元に小声で囁く。

 「まさかとは思いますが、アレがバレている訳ではないですよね? 学院の花壇が荒らされて、事情徴収されたと聞きましたよ」
 「大丈夫だ、ただ、何か知らないかと訊かれただけだ。 あいつらは成人したとはいえ、学生で、何も知らないだけのまだまだ子供だ。 もしバレていても、尻尾は掴ませてないよ」
 「それなら良いんですが……」

 (全く、小心者がっ)

 カラムは思っていた。 長兄に跡取りが出来ないなら、次男の自分がランディーニ公爵の跡取りになるはずだと。 結果は、長女の息子で三男がランディーニ公爵を継ぐという。 甥の三男は18歳の若造で、少し頼りなげに見える青年だ。

 カラムの口元から小さく歯を鳴らす音がした。

 実は、姪のキャロラインを引き込もうと、玉砕覚悟でホームパーティーの招待状を送ったが、学生の身分なので参加できない旨の返事が届いていた。

 (どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがってっ!! 俺は欲しい物を絶対に、手に入れるっ!)

 カラムのサロンでのホームパーティーは、夜通し行われ、いつまでも煌々と光りが灯されていた。

 沢山の若い紳士淑女がカラムの屋敷を出る時には、お土産が入った紙袋に紛れて茶色い小袋が混ざっていた。 勿論、ネモフィラ家の次男とセスキペダレ男爵令嬢のお土産にも混ぜられていた。

 ◇

 口づけを交わしたマリーとクレイグの2人がその後、どうなったかと言うと。

 学院の中庭で、追いかけっこをしていた。

 ずっと会えなかったクレイグが話しかけて来たのだが、会えたら会えたで、マリーは気恥ずかしくてクレイグを避け続けた。 そして、朝早くから学院に登院して、美化委員の仕事をしていたマリーは、東屋で待ち伏せしていたクレイグにとうとう捕まったのだ。

 マリーはクレイグを見かけた途端、勝手に身体が反応して足が反対方向へ向いていた。 気づけば、クレイグから逃げ出していた。

 背後からクレイグが猛スピードでレンガを蹴って追いかけてくる足音が背中に突き刺さる。

 直ぐ後ろまで来ているクレイグの手がマリーに伸ばされる。 足の長さと体力の差で、クレイグに軍配が上がった。 そして、マリーの逃亡劇は一瞬で終わった。

 クレイグの肩が上下して、荒い息を吐き出す。 マリーからも荒い息が吐き出された。

 日頃から、運動などしない貴族令嬢には全力疾走は身体に毒だった。 1つに結んだ髪は乱れ、首筋から汗が滴る。 マリーは暫く話す事が出来ないくらい、疲れ果てていたので、クレイグは僅かに頬を染めてマリーの首筋を見つめている事に気づかなかった。

 (くっ! 日頃の運動不足が祟ったわっ)

 先に声を発したのは、日頃から身体を鍛えているクレイグだった。

 「マリー、逃げないでくれっ! お願いだ、そのままでいいから聞いてくれ」
 「……っ」

 クレイグはマリーが逃げ出さない様に、手を繋いでいた。 繋いだ手からクレイグの温もりを感じ、走って身体が熱くなっているというのに、更に熱くなった。

 「あんな事して、すまなかった。 どう説明したらいいか分からないんだが、気づいたら……そのキスをしてた。 マリーの気持ちを無視して、キスした事は本当に悪かった。 すまない」

 クレイグはマリーと手を繋ぎながら、頭を深く下げた。

 キスをした理由を聞いてマリーの胸にぐさりと棘が刺さった。 何故、キスしたのか分からないが、正直に言ってくれた事は評価しようと、きつく紫紺の瞳を閉じた。 変な言い訳をされるよりはマシだと、だがしかし。

 (好きな人からキスした事を謝られるのって、結構きついわね。 しかも、理由もはっきりしないなんて。 乙女なら、『好きだから』って言って欲しいって思うわよねっ! 大丈夫、元々期待なんてしませんからっ!)

 マリーの口から、思ってもいなかった言葉が零れた。 しかも、高慢ちきに言ってしまった。

 「お、王室専用のアフタヌーンティーのセットをご馳走して頂ければ、あの事は無かった事にして忘れてあげますわ」
 「……っ分かった。 今日の放課後に、一番美味しいアフタヌーンティーをご馳走しよう」
 「では、放課後に。 私は、美化委員の仕事が残っておりますので、これで失礼致します」
 「……ああ」

 マリーは優雅にシースルーの布をスカートごと裾を摘まんで、淑女の礼をした。 そして、踵を返して逃げる様にクレイグのそばを離れた。 クレイグを全く視界に入れなかったので、少し、寂し気な笑みを浮かべていた事に、マリーは気づかなかった。

 ◇

 何度も言うが、嫌な事は本当に直ぐにやってくる。 マリーは今、とても後悔していた。

 (王室専用のアフタヌーンティーをご馳走しろなんて言うんじゃなかったっ……)

 中二階の王室専用の食堂は、王家の者か、王家に連なる家、学院ではランディーニ公爵家、今期はいないが、海外の要人などが利用している。 そして、王子の婚約者候補の令嬢たちも、王子かキャロラインが招待すれば利用できる。 マリーはいつかの既視感に襲われていた。

 令嬢たちからの嫉妬の視線がマリーへと注がれる。

 特に怖かったのが、キャロラインだった。 以前に見た可愛らしい笑顔ではなく、黒い笑みを浮かべていたからだ。 他の令嬢の嫉妬の視線は痛いが、どうでもいいと思っていた。 彼女たちの本命は王太子妃だ。 クレイグの事は、王太子妃になれなかった時の為の保険なのだ。 本気でクレイグを狙っているキャロラインだけが怖いと思っていた。

 背中に射殺す様な視線を感じて、ぶわっと背筋に悪寒が走った。

 クレイグは分かっているのか、いないのか。 それとも分かっていて、わざと優しい眼差しをマリーにむけているのか。 目の前で、柔らかい表情で顔を崩すクレイグの笑顔が眩しくて、直視できなかった。

 「マリー、遠慮なく沢山、食べろ。 お詫びの印だからな」
 「……ええ、とても美味しいですわ」

 大好きなフォンダンショコラを口に運んで、無理に美味しそうな笑みを浮かべる。

 本当は、全く味などしなかったが、ご馳走しろッと言った手前、不味そうに食べる事は出来なかった。 令嬢たち、キャロラインが居なければ、とても美味しいアフタヌーンティーだったのに、とマリーは肩を落としたのだった。

 落ち込んでいるマリーとは違い、クレイグは思っていた。 マリーとキスしてから急激に変化した気持ちに戸惑いもあったが、何故か、マリーと結婚も良いなと考えていた。
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