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第十四話

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 マリーが隠れ部屋へ連れ去られた後、クレイグが隠れ部屋での捕縛を終えて、ホールへと戻って来た。 ホールで指揮しているデーヴィッドと合流した。

 「兄上、こちらは全員捕えましたが、カラムがいませんっ!」
 「……っそうか、ホールに居たのは視界の端に映っていたんだけどね」

 ホールを見回して、クレイグの表情が曇った。

 「兄上っ! マリーはどうしました? 直ぐに兄上がホールを掌握すると思っていたので、離れたんですがっ?!」
 
 デーヴィッドもホールを見回して、眉を顰めた。

 「そう言えば、暫く見かけていないなっ……まさかっ、彼女に何かあったっ?」
 「……っマリーには中和剤を既に飲ませているから、もし、クスリを盛られていても中毒になる事はないと思いますが……っもし、カラムに連れ去られていたら……っ」

 いつも余裕のあるクレイグが青い顔をして自身の兄に詰め寄る。
 
 「レグ、落ち着けっ! 誰も建物の外へは出ていないと報告が来ている。 もし、居るとしたら客室の何処かだよ」
 「探してきますっ!」

 デーヴィッドは小声で指示を出す。 御庭番たちは、捕えた貴族たちを連行して行った。 クレイグとデーヴィッドは二人だけでマリーを探す事にした。

 (マリー、何処だっ! 何処に居るんだっ)

 マリーにもしもの事があったら思うと、クレイグの胸に不安が押し寄せて、上手く呼吸が出来なくなった。 マリーの最後の記憶が、先程別れた時に寂しそうな笑みを浮かべた表情などと、考えたくない、とクレイグは足を進めて客室を探し回った。 全ての客室を確認したが、誰も居なかった。

 「何処のいるんだっ! マリーっ!」

 壁を強く叩きつける音が廊下で轟く。 デーヴィッドがクレイグの肩を掴んで落ち着かせる様に叫んだ。 マリーが見つからず、クレイグらしくなく、とても動揺していた。

 「レグっ、落ち着けっ!」
 「しかし、兄上っ!」

 廊下の天井から御庭番が音を鳴らさず、御庭番が静かにデーヴィッドのそばの床へ降り立った。

 「どうだった?」

 デーヴィッドは、御庭番の方を見ずに問いかけた。

 「見つけました。 隠し部屋に隠されています。 ランディーニ嬢も一緒です。 ただ、カラムは既に逃げ出してしまったのでおりません」
 「キャロが……っどうして?」
 「分かった。 行くよ、レグ。 案内しろっ」

 御庭番は無言で頷くと、王子たちの前を足音をさせずに歩いた。 後ろ姿だと、黒い何かが蠢いている様に視える。 薄暗い廊下を通り過ぎ、2階と3階の会談の踊り場に、大きな肖像画の前まで来た。 肖像画は何代か前の国王と王妃だ。

 王子2人が訝し気に眉を歪めると、御庭番は額縁の一部を軽く叩いた。

 肖像画は軋む音を鳴らして、ゆっくりと手前に開いた。 中は、玄関ホールぐらいの前部屋があり、正面に扉があった。 素早く御庭番が中へ入り、正面の扉に手を掛けた。

 クレイグとデーヴィッドが御庭番の後に続く。

 開いた扉の中から、クスリの紫煙が吐き出された。 どうやら、クスリを撒かれている様だ。 マリーが心配でクレイグの口の端を噛んだ。 隠し部屋は仕切りの無い二間続きになっている様だ。

 マリーは居間の床で倒れ、キャロラインは奥の寝室のベッド上で寝かされた状態だった。

 クレイグは直ぐに、マリーのそばへ駆け寄って声を掛けた。

 「マリーっ! 返事をしてくれっ、マリー」
 「レグ、直ぐに医者に診せるよ。 見られる前に、この建物から出るよ。 裏に馬車を回せ」
 「はいっ」

 デーヴィッドは、キャロラインを抱き上げて素早く隠し部屋を出た。 クレイグもマリーを大事そうに抱き上げて、デーヴィッドの後に続いた。 御庭番の案内で誰にも見られずに建物の裏口から脱出する事に成功した。 馬車へ乗り込む際、デーヴィッドが御庭番に指示を出す。

 「後の事は頼んだよ」
 「はい、お任せを」

 素早く御者に王宮へ行くように指示を出すと、馬車は王宮へと走り出した。

 (マリーっ)

 王子たちは向かい合って座り、お互いの膝の上には、マリーとキャロラインを乗せている。 膝の上で寝ているマリーの心臓の音を確かめ、規則正しい肺の動きと、体温にホッとして柔らかい表情を浮かべた。

 デーヴィッドは、顎に手を当てて考え込んでいた。 兄の険しい表情に、キャロラインをたきつけてしまった事を思い出した。 結果、キャロを危ない舞踏会へ参加させてしまった事に、クレイグが申し訳なさそうに眉を下げた。

 「キャロの事は私の所為です。 きっと私とマリーの邪魔、までは行かないでも。 私にアプローチをしたかったのだと思います。 俺がやってみればいいなんて言ったからっ」
 「うん、キャロは幼い頃からレグが好きだったからね。 その事は別に責めないし、キャロがお前にアプローチする事は自由だ。 それに、キャロを閉じ込めたのは確実にカラムだろうから、レグの所為ではない。 カラムが利用したのだろう。 詳しい事は、2人に事情を訊く事にしよう」
 「……っはい」
 「しかし、レグなんて何処が良いのだろうね? 女を見る目など、全くないのに」
 「兄上っ?!」
 
 馬車が揺れると、座席も揺れ、クレイグの膝の上で座ったマリーは、安心した様にクレイグの肩に顔を乗せた。 クレイグの肩に、マリーの体重が掛けられ、香水の甘い匂いが直ぐそばで香る。
 
 クレイグは何とも言えない表情を浮かべ、デーヴィッドは小さく口元に笑みを浮かべた。

 「女を見る目の無いお前が選んだマリーは、とても良い子だと思うよ。 俺もマリーは可愛いと思う」
 「……っあ、兄上っ」
 
 いつもは余裕綽々で令嬢と遊んでいるクレイグが、マリーが少し膝の上で身動ぎしただけで、狼狽え、軽口にも動揺した事にデーヴィッドの頬が益々緩んだ。

 「可愛いと言うのは本当だけど、お前からマリーを取り上げようとは思わないよ。 レグがやっといい子を見つけたというのに、どうしてそんな事が出来ると思うんだ」

 クレイグは無意識に、デーヴィッドの言葉に心からホッと安堵した表情を浮かべた。

 (兄上が相手だと、絶対に勝ち目がないからな。 でも、兄上が相手だと、俺よりもマリーが振り回される事は間違いないな)

 クレイグの様子に益々、デーヴィッドの口元で面白がるような笑みが広がる。 マリーを見つめるクレイグの瞳に、今までとは違う感情の色が滲み、柔らかい眼差しを向けている。 クレイグから優しさが溢れ出して、膝の上で座って眠るマリーを抱える図は、とても優しい絵になっていた。

 向かいの座席で同じくキャロラインを膝に抱えて座るデーヴィッドが兄の顔をして、珍しく優しい眼差しを向けている事に、クレイグは気づいていなかった。 ボソッと呟いた言葉も聞こえてはいないだろう。

 「全く、これで自分の気持ちにも気づかないとは、我が弟ながら、鈍い奴だな」

 クレイグは幼い頃から2つ上の兄が苦手だった。 黒い笑みを浮かべて、色々な企てをしている所を見て育った。 何をしても優秀で、何1つとして勝てた事が無かった。 しかし、スペアとしてクレイグは、デーヴィッドと同じように優秀である事を望まれていた。 早々に兄には敵わないと認め、何も望まない事を選んだ。

 崩れたマリーの髪をクレイグの手が優しく解く。

 近寄って来る令嬢や婚約者候補の令嬢たちには、何も感じない上にクレイグの事を大臣たちと同じく、スペアだと思っている者と婚姻は結びたくなかった。 何も望まない中、マリーだけは違った。

 馬車の車窓からは王宮が見えてきていた。

 出会った時から面白い娘だと思い、ちょっかいをだしていたが、マリーとの仲は誰にも邪魔されたくはないと思っていた。 だから、正直、デーヴィッドがマリーに興味を持っている事を知って、とても焦っていた。 デーヴィッドが本気になったら、とてもじゃないが敵わないと。

 (誰に対しても、こんなに気持ちを揺さぶられる事は無かったな。 ……っ結構、好きになってる……のか?)

 小さく笑ったデーヴィッドが視界に入り、クレイグが面白くなさそうに眉を顰めた。

 「……っ笑わないで下さい。 俺は全然、面白くない」

 クレイグの反応に、堪らずデーヴィッドが吹き出して笑い出した。 馬車の中で笑い声が響き、益々、クレイグの表情が険しいものになっていった。

 馬車は王宮へ続く坂道に差し掛かり、スピードを上げた。

 ◇

 舞踏会の騒動から1週間ほどが経った。 後処理に追われているクレイグには、会えずじまいでいた。 キャロラインの事は、人伝えに聞いている。 キャロラインは何処にも怪我はなく、クスリを嗅がされている事以外は無事だった様だ。 しかし、精神的ショックが大き過ぎる為、暫くは修道院で療養していると聞いた。

 今回の舞踏会で多くの貴族が捕まり、ランディー二家もお家騒動に発展し、ランディー二家は伯爵位に降格、キャロラインの婚約者候補も取り下げになった。 ランディーニ家は予定通り、長女の三男が継ぐことに決まった。 カラムは以前、行方知れずだったが、ランディーニ家から追放され、貴族から抹消された。

 マリーはと言うと。 クスリを嗅がされ危険な目に遭ったというのに、とても元気だった。

 フランネル家の本宅に療養として戻って来ていたマリーは、念のために自身の部屋のベッドで寝かされ、大きく息を吐き出した。 舞踏会の事を思い出すと、背筋に冷や汗が出て来た。

 (……っ殿下の誘いには、絶対にもう乗らない方が良いよね……)

 脳裏にクレイグとデーヴィッドの顔が浮かび、断るのは無理だろうと眉を八の字に下げた。

 学院は既に学期末休暇に入っていた。 学院の学期末試験は特別にフランネル家の本宅で受けさせてもらい、無事に落第点も取らずに終えた。 ベッドから視える窓の外では、粉雪が空から舞い降り、本格的な冬が訪れていた。

 粉雪が降る景色はとても綺麗だが、眺めているだけで寒さが身体に染みる様に感じ、小さく身体が震えた。 メイドがマリーの部屋の寝室の扉を3回、ノックされた音が響く。

 「マリーお嬢様、お目覚めですか? お茶をお持ちしました」
 「ええ、どうぞ入って」

 マリーの返事の後、メイドがワゴンに紅茶とお菓子を乗せて、寝室へ運んできた。 紅茶のいい香りが寝室に漂った。 ベッドのそばまでワゴンが置かれ、紅茶カップが渡された。

 「どうぞ、お嬢様」
 「ありがとう」
 「今日のお菓子は、シェフ自慢のマカロンです」

 ベッドの上へ小さなテーブルが置かれ、テーブルの上にマカロンを乗せた皿が並べられた。

 「美味しそうね。 頂きます」

 紅茶を啜り、マカロンを口に頬張ると、マリーの口元に笑みが広がった。 メイドがエプロンのポッケトから手紙を取り出して、マリーに差し出した。 片眉を上げたマリーは、黙ってメイドから受け取った。

 受け取った手紙から、嫌なオーラの雰囲気が漂い、マリーの眉間に皺が寄った。

 「……なんだが、嫌な予感がするだけどっ」
 「どうかされました?」
 「……っ」

 封筒には王家の印が蝋で押されていた。 中身の内容は何か分からないが、どんな内容だったとしても断れないという事だ。 マリーは恐る恐る手紙の封を開けた。

 小さく蝋の剥がれる音が、不幸への足音の様に聞こえる。

 手紙の内容は、ランディーニ家の跡取りのお披露目の舞踏会があり、舞踏会にクレイグが出席する事になった。 体調が良ければ、マリーも一緒にどうかという誘いだった。

 (これは……っどっちだろうか? ただの誘いなのか、仕事なのか)

 マリーの経験から軽々しく誘いを受けない様にした方が良いと思う一方、クレイグに会いたくて仕方がないという気持ちがせめぎ合った結果、王家直々の誘いの為、出席する事にした。

 小さく息を吐き出し、メイドに指示を出した。

 「出席するわって、お父様に伝えて」
 「承知致しました」

 メイドが飲み終わった紅茶と空になったお菓子の皿をワゴンに乗せて、マリーの部屋を出て行った。 メイドが出て行った後、マリーは手紙を見つめて胸に拡がった嫌な予感を振り払った。

 マリーの嫌な予感が当たりランディーニ家の舞踏会では、一波乱吹き荒れる事になるとは思いもしなかった。 窓の外では、粉雪が大粒の雪の結晶に変わり、フランネル家の庭に降り注いでいた。
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