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第三十話

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 ボートを湖の沖で止め、ゆったりと揺られて数時間、クレイグと初めてじっくりと話せた時間でもある。 湖の畔に、まだクレイグ狙いの少数の令嬢たちが、クレイグが戻ってくるのを待っている様だ。

 マリーの様子に気づいたクレイグがオールを持ってボートを漕ぎだした。

 「湖を一周……は無理か。 半周しよう。 戻ったら令嬢たちも諦めて帰っているだろう」

 お気楽な様子でクレイグが片目を瞑る。 落ち着かないマリーを宥めてくれているのだろう。 突き刺すような令嬢たちの視線は、気にするなと言うには無理があった。

 「……何故、婚約者のいる方の夜這いをするのかしら……」
 「ああ、それは……この国がまだ、不安定だからだろうな。 内戦があって、レファウ国とファカオシレア国が統合したのは知っているだろう?」
 「はい、こちらへ来る前に、少しだけ学びました」
 「うん、流石はマリー、ちゃんと予習していたんだな」

 (本当は、クレイグ様が留学すると聞いて、勉強したんですけど)

 マリーはクレイグにバレない様に、苦笑をこぼした。 クレイグの話の合間に、オールを漕ぐ水音が絶妙な相打ちを打つ。

 「統合して数年、まだ貴族たちは国別で派閥が分かれている。 だから、足元を固める為に、色々と画策しているんだろう。 俺と婚約できれば、アルストロメリアの後ろ盾が得られるしな」
 「……地盤固めですか」
 「そう、だから、絶対に俺と婚約したいわけじゃない。 本命はニックで、俺とはあわよくばだろうな」

 クレイグの言い様に、いつも2番目の位置な自身を自虐しているように感じた。 マリーはムッと唇を尖らせた。

 「クレイグ様、忘れないでくださいね。 私はクレイグ様が好きで、結婚するのですから」
 
 マリーの愛の告白に、クレイグは嬉しそうに笑った。

 「知ってるよ。 俺もマリーが好きだから結婚するんだ」

 湖の水面が光を反射して、煌めくエフェクトがクレイグに降り注ぐ。 マリーの胸が飛び跳ね、急激に身体が発熱を起こす。 時々、忘れがちだが、クレイグはとても美男子だった。

 湖を半周して畔へ戻ると、クレイグの言う通り令嬢たちは帰っていた。 しかし、クレイグの話を思い出し、マリーは今夜、夜這いに来る令嬢のもてなしに思考を巡らせた。

 ◇

 森の動物たちが眠る深夜、中二階のベッドでクレイグは漫然としていた。 隣には、気持ちよさそうに寝息を立てるマリーが寝ている。 そして、今夜もクレイグを抱き枕にして抱き着いて来ている。

 「……っ令嬢を迎える策はどうしたっ……策はっ」

 クレイグのつぶやきは、すっかり寝こけているマリーには届かない。 クレイグからは、深いため息きしか出なかった。 少しだけ意地悪な気持ちになったクレイグは、そっとマリーを抱きしめた。

 階下で僅かな物音が聞こえ、舌打ちをついたクレイグは、防犯はどうなっているのかと、憤る。

 (本当に……どうやって扉の鍵を開けてるんだ?)

 意地悪な発想を浮かべていたクレイグは、階段を上がってくる令嬢へ聞かせるように、マリーへ口づける。 抱き寄せられたマリーは、息苦しくなったのか、小さく呻いた。

 上がってくる令嬢はクレイグたちが起きている気配に気づき、上がってきた階段を降りて行った。

 令嬢は勘違いしたが、何のことはない。 口づけたのはクレイグ自身の腕で、鳴らしのは腕に吸い付いた音だ。 クレイグの表情から水が引くように感情が消える。

 (……虚しい……)

 クレイグから何度目かの深いため息が出た。 迎え撃つと意気揚々としていたマリーは、令嬢が上がって来ても全く気付かなくて、クレイグが抱き寄せても起きなかった。

 翌朝、マリーが目覚めて出した第一声。

 「ベッドルームに入っても来なかったの?! 入って来てたらっ……」
 「入って来てたら?」
 
 令嬢はどんな目に遭っていたと言うのだろうか、とマリーの様子を見て、クレイグは頬を引き攣らせた。 クレイグが引いた様子を見て、マリーは慌てて弁明した。

 「……あ、暴力で訴えようなんて思ってないですよっ……全然、全く……」

 マリーは突然、クレイグから視線をそらし、瞳を泳がせてしどろもどろに言いよどんでいる。

 (……これはっ、マリーには珍しく、暴力に訴えるつもりだったのか?……確か、護身術を身に着けてたなっ)

 マリーには祖母から身につけさせられた護身術がある。 入学当初、クレイグがマリーに触れようとすると反射的に出ていた扇子での防御術だ。 昔を思い出すと、懐かしくて少しだけ頬を緩ませた。

 クレイグとマリーは本格的に話し合いをする為に、ベッドへ腰を下ろした。 ベッドは2人分の体重を受け、軋んだ音を鳴らす。

 横に座らせたマリーをじっと見つめる。 クレイグは無言ではっきり言えと、圧力を掛けるような眼差しで見つめる。 クレイグの眼差しに耐え切れなくなったマリーは、観念するように口を開いた。

 「えと……クレイグ様付きの暗部と話して……夜這いに来た令嬢を捕まえて……」
 「ん? ちょっと待てっ!」

 クレイグが驚いている横で、マリーはクレイグが驚いている事に不思議そうに顔を傾げた。

 「……暗部と話した?」
 「はい」
 「……あいつらが? マリーと会話したのか?」
 「はい、夜這いに来た令嬢を捕まえたいとお話したら、快く引き受けてくれましたけど……」
 「……そうか」

 暗部は秘密裏に動く部隊で、任務や命令がないと表舞台には絶対に出て来ない。 しかも、暗部が潜んでいる場所もクレイグは知らないのだ。 大体の位置しか分からなかった。

 令嬢を捕まえる方法よりも、クレイグはマリーが何故、暗部が潜んでいる位置を知っているのか、とても気になった。

 「何故、暗部の潜んでいる場所を知っているんだ?」
 「あ、それは亡くなった祖母から聞いたんです。 祖母は若い頃、当時の王子の婚約者候補だったらしくて、王子と仲良くさせてもらってたみたいです。 その時に聞いたらしいんです。 暗部が何処に潜んでいるか」
 「……っ」
 
 マリーの祖母という事は、当時の王子とはクレイグの祖父の事だ。

 (情報漏洩……おじい様、何やってるんですっ!)

 頭を抱えたクレイグは亡き祖父を思い出し、項垂れた。 マリーの祖母に暗部の事まで話しているという事は、とても信頼していたという事。 同時に、マリーの祖母を愛していたのだと思われる。

 「……で、捕まえた令嬢をどうするつもりだったんだ? マリーは」
 「えっ、それは……お茶でもして、落ち着けと話し合いを……」
 「は?」
 「と言うのは嘘で、落ち着けではなく、完膚なきまで泣かせようと思ってましたっ」
 「……っあ、うん、そうか」

 『完膚なきまで泣かせる』とは、マリーらしいと言うか、きっと一言モノ申したい思いが強かったのだろう。 しかし、暗部に頼んだとしても、聞き入れてもらえないと言うか、通常なら話しかけられても返事もしないだろう。

 (どんな策があるのかと思っていたら……暗部に頼み事をするなんて、中々、やるなぁマリー。 俺でも話した事なんて、数少ないのに……。 でも、いい加減、令嬢の夜這いは安眠妨害だな)

 後、マリーの抱き枕になるのもいい加減、辛くなって来ている。 ベッドから立ち上がり、ベッドルームの暗がりの隅に視線をやり、クレイグが言葉を発した。

 「令嬢たちがどうやって扉の鍵を開けているのか、調べてくれ」
 「御意」

 クレイグが視線を向けた場所から、姿は見えないが、低い男の声が発せられた。 ベッドでまだ座っているマリーも、暗がりから声が聞こえて驚いたのか、身体が飛び跳ねていた。

 朝食の為、食堂へ2人で降りて行くと、ニックが面白そうな笑みを浮かべて、さりげなさを装い宣った。

 「やぁ、おはよう。 昨夜はとても熱々だったようだね。 婚約者のいない私には、とても羨ましいよ」

 何故か深夜の出来事がニックに知られていて、訳の分からないマリーはクレイグとニックの顔を交互に見ていた。 クレイグのこめかみに青筋が浮き上がった。

 (早急に防犯を何とかしないと駄目なようだなっ)

 ◇

 テーブルの上に沢山の煌めくスイーツが並んでいる。 甘い匂いに食欲がそそられ、マリーは目の前のアフタヌーンティーに手を出した。

 今日の予定は、シェーンとエヴァニアとのお茶会だ。 彼女たちは明日、自領へ帰る。 顔を合わせてから女子だけで話した事はない。 ニックのおすすめの通り、小ホールから出られるウッドデッキで、庭園を眺めながらお茶会をする事になった。 男性陣は小ホールの遊具で楽しんでいる。

 (後で私も混ざろう。 ちょっとダーツをやってみたいのよね)

 一口サイズのカヌレを一口で頬張り、紅茶を一口飲み、2人が楽しそうに話している横で、マリーは別の事を考えていた。

 (あ、でも、ここで女子よりも男子に混ざりたいって……駄目よね。 淑女として……)

 「マリー様の所は、お式はいつですの?」

 マリーの年頃だと、婚約者がいて結婚準備をしている令嬢がほとんどだ。 必然的に婚約者の話や結婚の話が出てくる。 シェーンとエヴァニアは、今、結婚準備に忙しい時期である。

 なので、自然とマリーたちのお茶会も結婚の話題になった。

 「えっ……お式?」
 「ええ、結婚式ですわ」
 「あ~、そうですね。 今はまだ、学生ですし……一応、クレイグ様の留学を終えてから準備に入ると思います」
 「まぁ、そうなんですの」
 「では、もうすぐですわね。 王族の婚姻となると、準備に1年以上はかかりますわよね」
 「ええ」

 2人の猛攻撃に、マリーの頬は引き攣り、乾いた笑い声をあげた。

 (……言えないっ……)

 クレイグの素行が悪すぎて、マリーの祖父から結婚の延期を余儀なくされている事は。

 (言えるわけないわっ。 祖父に反対されて、王族が結婚を延期させられてるなんてっ……話題を変えようっ)

 「シェーン様とアラン様は、幼い頃からの婚約者だとお聞きしましたが……」
 「ええ、そうなの。 お聞き及びでしょうが、私たちの国は統合されて無くなりました。 名前は残っていますけど、レファウ国の王家はもう存在してません。 王家の血筋が流れている私とアランは幼い頃から、ファカオシレア王家に人質同然に預けられていたんですわ」
 「……そうなんですね」
 「ええ、ですから……他国で暮らすために、必然と2人で協力し合うようになったんです。 アランの方から婚約するのであれば、私としたいと申し出てくれたんですわ」
 「まぁ、素敵ですわぁ」

 エヴァニアは瞳を煌めかせて、夢を見る少女のような表情をした。 エヴァニアの視線がマリーへ移り、マリーとクレイグとの馴れ初めを聞かれる番になった。 クレイグとの馴れ初めも言えない。

 また話が元へ戻りそうになり、マリーはエヴァニアの方へ視線を向けた。

 「あ、エヴァニア様はどうなんですか? やっぱり幼い頃からポール様と?」

 アルストロメリアでは成人するまで婚約者を決めないが、他国は違う。 他国の貴族は、幼い頃から婚約者が決められている。

 「いえ、私たちは学園に入学してから出会ったんですわ。 お互いに別の婚約者がいましたけど、流行り病で亡くなってしまって」
 「あ、そうなんですね……知らなくて、私」
 「ふふっ、大丈夫ですわ。 もう、何年も前の話ですから。 当時は悲しかったですけど、ポール様の明るさに救われました」
 
 エヴァニアの話の後も、何とかマリーの話は回避した。 とてもではないが、マリーとクレイグの出会いも軽々しく言える話ではない。 お茶会の内容は結婚式に着るドレスや宝石などの話になった。

 ほっと胸をなでおろし、マリーも会話に参加した。 今は生徒会の話になり、彼女たちが通う学園は王太子のニックとアラン、ポールの3人が上手く運営しているのだとか。

 「たった3人で……凄いですね。 皆さん、とても優秀なのですね」

 マリーは学院へ戻った後の生徒会での仕事を思い出すと、頭痛がして、瞳が死んだ様な表情になった。

 (あぁぁ、帰りたくないっ)

 事情を知らない2人は、頭を抱えるマリーを見て首を傾げていた。

 ◇

 暗部に調べさせて分かったが、クレイグが思っていた通りだった。 隠れ家の使用人の中に、金を受け取って令嬢に合鍵を渡していた様だ。

 (おいおい、マリーがいるの知っていて渡しているのか?)

 「夜這いの成功失敗は関係ないようです。 夜這いの令嬢が暗殺者だとしても、鍵を渡した後は知らぬ存ぜぬで過ごしている様です」
 「そうか、ご苦労様」

 クレイグは暗部からの報告を小ホールを抜け出し、階段横の男子トイレで受け取った。 クレイグは男子トイレを出て、小ホールへ向かうとニックを探した。 先程まで、ニックは卓球をしていたはずだが姿が見えない。

 小ホールの右側には大きなガラス窓があり、先にはウッドデッキでお茶会をしているマリーたちの姿が見える。

 (ニックの奴、何処に行った?)

 小ホールの奥、卓球台が置いてある先に、バーベキューが出来る裏庭へ出た。 探していたニックの姿があった。 ニックは3台あるテーブルの真ん中のテーブルに座り、バーベキューで焼かれていた肉をご機嫌で頬張っていた。

 ニックのそばへ行くと、何故、クレイグが来たのか分かっている様な顔をして微笑んだ。

 「その顔は、知ってしまったんだね」
 
 小さく息を吐きだしたクレイグは、眉を歪めた。

 「……っもしかしなくても、俺からの苦情が来るまでほっとく気だったか?」
 「すまない。 直ぐに処理するよ。 君を怒らせたと言った方が、貴族たちも大人しくなると思ったんだ。 もう、今夜から来ないよ」
 
 ニックの話を聞いたクレイグは深いため息を吐いた。 やっぱりニックは自身の兄にどことなく似ている。 きっと敵わないだろう。

 「……ニックの暗部の見張りも外してくれ。 何かもお前に報告されるのは、気に食わない」
 「分かったよ。 君とマリー嬢に万が一があったら、私が嫌だから外の見張りに回すよ」
 
 食えない笑みを浮かべるニックにクレイグは苦笑をこぼした。 肉を焼いていた使用人がニックの視線に気づき、皿に盛った焼き立ての肉を差し出してくる。 クレイグが受け取ると、背後の扉からマリーたちと、アランとポール、使用人が何人かが裏庭へやって来た。

 直ぐにバーベキュー大会になり、裏庭が急に賑やかになった。 1人、使用人が居なくなっているが、クレイグとニック以外は気づいていなかった。
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