私、クズ王子に振り回されてますっ。

伊織愁

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第二十九話

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 湖の地平線から朝日が昇り、湖が煌めく。 湖の畔に建てられた屋敷にも昇って来る朝日が差し込み、窓ガラスが光を反射して煌めく。 12月も終わろうとしている季節としては、今朝は暖かい方だろう。

 中二階に作られたベッドルーム、大きめのベッドが置かれていて、薄暗かった部屋が明るくなり、身じろぐ人影。

 マリーの顔に雲間から出て来た太陽の陽が当たり、眩しくて目が覚めた。 上半身を起こして、いつものようにベスを呼び出そうとした。 ベッド脇に置いてあるはずのサイドテーブルを探り、ベスの顔を思い浮かべる。

 (……んっ、ベス、まだ来てないの? いつもは起こしに来るのに……今、何時かしら?)

 しかし、いくら探っても目当ての物が見つからない。 いつもあるはずの呼び出し用の鈴が無い。 眠い瞼を擦り、目の前の見慣れぬ煌めく湖が見渡せる景色に、寝ぼけていた脳が活性化した。

 (そうだっ! 私、クレイグ様と旅行中だったっ)

 慌てて、隣で寝ているはずのクレイグを探す。 マリーは右端で寝ていたはずだ。 いつの間にか、真ん中で寝ていた様だ。 クレイグの姿がない。 ベッドから起き上がり、ネグリジェの上からガウンを羽織る。

 階下から階段を上がって来る足音が聞こえ、マリーは階段へ視線を送った。

 階段を上がって来たのはクレイグで、既に寝間着からかラフな部屋着へ着替えていた。 手には紅茶セットを乗せたお盆を持っている。 クレイグはサイドテーブルに紅茶セットを置くと、マリーににっこりと笑いかけて来た。

 「やっと、起きたか、寝坊助」
 「おはようございまっ、えっ……寝坊助?」

 クレイグの朝の第一声に、意味が分からずマリーは首を傾げた。 マリーは朝日で目が覚めたはずだ。 クレイグは楽し気に微笑みむと、マリーの手に紅茶カップを持たせてきた。

 「もう、昼だ。 まぁ、昨日は移動で大変だった上に、ニックに振り回されたからな。 肉体的にも、精神的にも疲れていたんだろう。 今朝、ベスが来たけど下がらさせた。 ゆっくり寝かせてあげようと思って」
 「そ、そうですか……」

 マリーが朝日だと思っていた射し込んで来た陽射しは、朝日ではなかった様だ。 マリーは午前中、眠りを貪っていたらしい。 頬を真っ赤に染めて紅茶を一口、飲むと、少しだけ落ち着いた。

 クレイグは朝から風呂へ入った様で、身動ぎすると、クレイグから石鹸のいい香りが香って来る。

 いつの間にかベッドの真ん中で寝ていた自身を思い出し、マリーはクレイグに恐る恐る訊ねた。

 「あの、クレイグ様っ……私、もしかして寝ている間、ご迷惑をおかけしたのではないですか?」
 「いや、全然」

 クレイグの表情は言葉とは裏腹に、取ってつけた様な笑みから、マリーが迷惑を掛けた事が分かった。

 (瞳が笑ってないっ……私、何かした……寝ている間に、絶対に何かしたんだわっ! ……あっ)

 ハッとした様子で顔を上げたマリーは、疑問符を浮かべるクレイグに詰め寄った。

 「……っまさか、来たんですかっ?! クレイグ様狙いの令嬢が夜這いにっ!」
 「……いや、来てないぞ。 来ないって言っただろう」
 「本当ですか?」

 感情の読み取れない笑みを浮かべるクレイグをじっと睨みつけるように見つめた。

 「本当だ。 そんな事よりも、お腹空いてないか? 食堂へ行こう、もう、昼食の準備が出来ているはずだ」
 「……何か誤魔化された気がします」
 
 じっとガウン姿を見て来たクレイグは、何かを察したのか、1つ頷いて来る。

 「ああ、俺が居たら着替えられないか……ベスを呼ぶか……俺は下で待ってるから、ゆっくり着替えてくれ」
 「……ええっ」

 最後まで答えを曖昧にしたまま、クレイグは下のリビングへ降りて行った。 下でクレイグがベスを呼び出す声が聴こえ、人をダメにする丸いソファへ腰掛ける気配がした。 直ぐにベスが部屋へ来ると、着替えを持ってベッドルームへやって来た。

 ◇

 ベスを中二階へ送り、クレイグは丸いソファへ腰を下ろした。 柔らかいクッションはクレイグの体重を深く沈み込ませた。 目の前に拡がる大きな湖が視界に入る。

 (今日は、湖に行ってもいいな。 天気もいいし)

 湖を眺めていると、畔に設置してあるキャンプ場やボートで人影を見つけた。 シルエットからポールと婚約者のエヴァニアだと思われる。

 中二階からマリーとベスの話し声が聞こえ、クレイグの脳裏で先程のマリーとの会話を思い出した。

 クレイグの表情を読み取ろうと見つめて来るマリーの真剣な瞳を思い出し、クレイグは苦笑を零した。 来たのか来なかったで言えば、来た。

 (……驚きを通り越して、引いたな。 ニックの言う通り、本当に夜這いに来るとは……マリーが一緒のベッドで寝てくれて良かった。 何もなかったけどなっ……)

 昨夜の事、マリーと一緒のベッドで眠れたのは良かったが、存外、マリーは寝相がよろしくなかった。 マリーには言えなかったが、ずっと湯たんぽ代わりに抱き枕となっていたクレイグ。

 どうするか考えていた時刻、そっと部屋の両扉が軋む音を聴きとった。

 (本当に来たのかっ……鍵かけたはずだが……どうやって開けたんだ?)

 真っ直ぐに中二階へ上がって来る足音が聞こえ、クレイグは小さく溜息を吐いた。 ベッドへ近づいて来た侵入者は、上半身を起こしたクレイグと、隣でクレイグに抱きつきながら寝息を立てているマリーを見て、瞳を見開いた。

 「……本当に夜這いに来るなんて、かなり引くな。 やっぱりもうちょっと、防犯を考慮した方が良いな。 ゆっくり寝られない」
 「……っ」

 顔を青くした令嬢が何かを言おうとして、固まった。 令嬢の顔が青から恐怖の表情へと変わり、自身の背後で何者かが動いている気配に視線を向ける令嬢の様子を眺める。
 
 「騒がないでくれ、俺のマリーが起きるだろう。 何処のご令嬢か知らないが、お帰り願おう」

 クレイグの言葉の後に、令嬢は床へ倒れた込んだ。 令嬢の背後で黒い人影が動き、気絶した令嬢を素早く運び出して行く。 クレイグは何もない薄暗い部屋で呟いた。

 「今度来たら、襲撃者として討つと伝えてくれ」

 返事はなかったが、影にはちゃんと伝わっているだろう。
 
 階段を降りて来る足音がなり、回想から現実へ意識を戻す。 マリーが着替えを終えて降りて来た。 振り返ったクレイグは、マリーを見ると頬を緩ませた。

 ◇

 食堂へ行くと、既に昼食の準備が出来ていた。 上座の誕生日席に屋敷の主であるニックが座り、右側の暖炉の前の席に、アランとシェーンが並んで座っていた。 マリーとクレイグは、左側、アラン達と向かい合う席を選び、移動する。 上座からニックの爽やかな声が耳に届いた。

 「やぁ、おはよう。 昨夜はゆっくり寝られた様だね」
 「……っはい、おはようございます、ニック殿下。 ゆっくり寝かせて頂きましたっ」

 恥ずかしくなったマリーは俯いてしまった。 もう、朝の挨拶をするには遅い時間帯だ。 アランとシェーンとも挨拶をにこやかにかわし合った。 シェーンが意味深な笑みを口元で浮かべる様子に、マリーは頬を引き攣らせた。

 (……こんな時間まで寝こけるなんて、シェーン様に変な誤解を与えてるっ)

 ぎこちなく座るマリーとは裏腹に、誤解されている事にクレイグは気にした様子もなく、平然と座った。 2人が席へ落ち着くと、給仕係が直ぐに昼食を運んでくる。

 昼食のメニューはガレットとコーンスープに、大皿へ山盛りに盛られたソーセージだった。

 ソーセージ多くないか、とマリーは内心で思ったが、ニックとアラン、シェーンは既に食事を始めていたので、半分ほどが無くなっている。 楽しそうに談笑しているが、2人足りない。

 (ポール様とエヴァニア様がいないわ。 まだ、寝てるって事はないわよね。 私みたいに……)

 少しだけ自虐的な思考になってしまったが、ソーセージを口に運ぶと、粗みじんの肉にジューシーな肉汁、一口噛むと弾けるような音を出す皮。 スパイシーな味付けが後味を引く。

 マリーの口の中で幸せな美味が拡がり、頬が緩んでいく。

 (はぁっ、美味しいっ! 幸せが拡がっていくっ)

 幸せそうにソーセージを咀嚼するマリーを全員が見つめている事に気づいていなかった。 幸せそうなマリーを地獄に落とすような言葉がニックから放たれた。

 「そうだ、クレイグ。 深夜に侵入して来たご令嬢は、今朝早くに自領へ帰って行ったようだよ。 暗部から報告があった。 良かったね、これで夜這いは無くなるかもね」

 ニックは優雅にカトリラリーを操り、いつもの事だと言うように、さらっと報告して来た。 報告を受け取ったクレイグは、『バラすなよ』と言うように、小さく溜息を吐いた。

 「黙っていても、どうせ直ぐにバレていたよ、クレイグ。 そうだ、今日は天気もいいし、湖へ行こう。 ポールとエヴァニア嬢は先に行っているんだ。 バーベキューを楽しんでいるよ。 マリー嬢もボートへ乗って楽しむといい」

 2人足りないと思っていたポールとエヴァニアは既に、湖でボード遊びをしているらしい。 ポールとエヴァニアは思っているよりもアクティブなようだ。 反対にアランとシェーンは大人しいと言うよりも、しっとりとした大人な感じだ。 左隣で涼しげな顔をして、ソーセージを頬張るクレイグをチラリと見てから、マリーは頷いた。

 「はい、ボートには昨日から乗ってみたいと思っていたんです、是非、ご一緒させて下さい」
 「ああ」
 「ふふっ、楽しみですわね、マリー様」
 「ええ、シェーン様っ」

 淑女の笑みを向けて来るシェーンに、マリーも淑女の笑みを返した。 シェーンとは淑女然としていないと、対応できない。 何故か精神が削られる。 凛とした姿が、油断してはならないと、緊張してしまう。 きっとシェーンからしてみれば、普通に接してくれているのだろう。

 (やっぱり、シェーン様って苦手だわっ……淑女の仮面をかぶり続けるのは、疲れるものっ)

 昼食を終えると、マリーたち一行は湖の畔へやって来た。 畔にはボートが数隻と、バーベキューをする為のかまどがレンガで作られており、乗せられた網にソーセージや野菜などが焼かれていた。

 かまどのそばには、パラソルの下にテーブルセットが2つ並べられていた。 ボートを停めている場所にトイレとシャワー室も完備されていた。 ボートは手漕ぎボードで、2人乗りだ。

 既にボードで繰り出していたポールとエヴァニアがマリーたちに気づき、大きく手を振っている。

 風が少し冷たいが気持ち良さそうだ。 マリーたちも2人に手を振る。

 「では、クレイグ様、行きましょう」
 「えっ……」

 マリーは有無を言わさず、クレイグを引っ張って空いているボートの元へ連れて行く。 ニックが湖の畔へ来ると、何処から聞きつけて来たのか、畔を監視しているのか、何処に潜んでいたのか。

 令嬢たちがわらわらと集まって来た。 ニックに気軽に話しかけていく者、アランに近づいていく者にと別れていく。 勿論、クレイグの方へ来る令嬢も居たのだが、マリーの方を見ては令嬢が集まり、何か小声で内緒話をしていた。 一向に話しかけて来ない令嬢たちを無視して、マリーとクレイグはボートへ乗り込んで湖の沖へボートを進めた。

 ボートを漕ぐのは勿論、クレイグである。 マリーも漕ぎたいと主張したが、ボートに乗る時は相手の男に任せるべきだと、クレイグが固辞して来たので、マリーは諦めた。

 ポールとエヴァニアとすれ違い、挨拶を交わしてもう少しだけ沖に出る。

 湖の畔に視線をやると、まだこちらを見ている令嬢たちが居た。 先程は誤魔化されたが、再び訪ねようと、マリーはクレイグを見つめた。

 「クレイグ様、さっき嘘を吐きましたね」
 「嘘って何だ?」
 
 まだ誤魔化そうとしているクレイグに、ムッと口を尖らせるマリーはきっぱりと詰め寄った。

 「夜這いに来た令嬢はいなかったって話ですっ」
 「……ああ、その事か……心配しなくても、直ぐに追い返したよ。 それに、マリーが一緒に寝ていてもの凄く驚いた顔をしていたな」

 クレイグはとても楽しいイベントだったと言うように頬を緩ませた。
 
 「……っ一緒に寝ている所を見、見られたのですかっ?!」
 「ああ、マリーも、もし夜這いに来る令嬢が居たら、と思って一緒のベッドで寝たんだろう?」
 「そ、それはそうですけどっ」

 マリーの狙いはクレイグの言う通りだが、実際に見られれば、とても羞恥心が煽られるものだ。

 「それに、これで俺とマリーは噂とは違って仲睦まじいと、噂になるだろう? もう、来ないと思うぞ」

 クレイグは得意げに言うが、マリーは令嬢たちが簡単に諦めるとは思えなかった。 湖の畔へ視線をやれば、こちらを見ている令嬢が居るのだから、油断は出来ない。
 
 「どうして夜這いは来なかったって、直ぐにバレる嘘を吐いたんですか?」
 「……っ」

 クレイグは恥ずかしいのか、頬を染めて俯いた。 クレイグの漕ぐボートが止まり、静かに水面が揺れる。 オールを握りしめたクレイグが小さく呟いた。

 「……夜這いが来た事を知ったら、もう一緒のベッドで寝てくれないと思ってだな……」
 「えっ……」

 少しだけ照れたような表情をして、マリーを見つめて来ると、クレイグはマリーの昨夜の所業を教えてくれた。 マリーは眠ると直ぐに抱きついてきて、クレイグを湯たんぽ代わりにしていたらしい。

 「……っす、すみませんっ」
 「いや、そのおかげで令嬢も引いたわけだしな」
 「……っ」

 マリーは『やっぱりやらかしていた』と頭を抱えて項垂れた。 しかしすぐにクレイグが嘘を吐いた意図に気づいた。

 「……もしかして、一緒に寝られなくなると思って嘘を吐いたんですか? 私がもう、一緒に寝る必要が無いだろうと、言いだすと思って?」
 「……っ」

 クレイグが珍しく顔を真っ赤にしてマリーから視線を逸らした。 季節外れの陽気の所為なのか、クレイグの見た事のない姿を見てしまった所為なのか、マリーも連れられて頬を染めた。

 身体が熱を持ち、熱くなった血液が全身へ回り、顔が熱くなって頬が蒸気する。

 「……まぁ、もう来ないだろうから、別々で寝るか」
 「……」

 クレイグの別々で寝るかの言葉に、何故かマリーの変なスイッチが入った。 今も湖の畔でクレイグを狙う令嬢が待ち構えているのだ。

 力強く拳を握りしめたマリーは、決然とした表情でクレイグを見つめた。

 「いえ、昨日、宣言した通り、旅行中は一緒のベッドで寝ましょう。 まだ、クレイグ様を狙っている令嬢がいるようですし、速やかに諦めて頂く為に策を弄しましょう」
 「そ、そうか……俺としては嬉しいが……策ってどうするんだ?」
 「それは今夜のお楽しみです!」
 
 『ふふふっ』と不敵な笑みを浮かべるマリーを見つめるクレイグの瞳は、何をやらかすつもりなのだろうと、不安に揺れていた。
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