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3話
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グイベル邸は、舞踏会を行うホール。 お客様用の2階建ての建物が立っており、裏からグイベル家が生活をする屋敷へと繋がっている。 渡り廊下で繋がっている屋敷は、お客様用の建物と違い、カウントリム調の平屋の建物が拡がっている。 平屋の裏の建物が使用人専用の屋敷だ。
廊下や部屋の隅、黒塗りの飾り板の各所に、飾り灯篭が吊り下がっている。
お客様用の建物の玄関から入り、真っ直ぐに裏へ続く渡り廊下に向かう。 渡り廊下からグイベル邸へ入ると、正面の廊下を進み右に曲がると、アンガスの部屋がある。
ガラス扉を開けて、居間へ。 居間の半分弱が30cm程の高さの小上がりの板の間が作られ、窓からは森が見えていた。 居間の半分のスペースには、暖炉の前にソファセットが置いてある。
小上がりの板の間に、2つ机が向かい合って置いてあり、格子状の飾りの仕切りの前に書類棚が2つ並べてある。
アンガスは椅子に腰かけ、アバディ領の書類を難しい顔をして穴が開くほど見つめていた。
しかし、書類を眺めているアンガスの瞳には、何も映っていない様に見えた。 小上がりの板の間は、前はアンガスの文机と寝転べる大きなクッションが置いてあった。
天井と黒く塗りつぶされた棚板には、娯楽小説が並べてあったのだが、1冊もない。 今は、アバディ領の書類で埋まっている。
チラリと棚の上に視線を向けると、アンガスは恨まし気に見つめた。
成人を機にアバディ領を受け継いだアンガスには、遊んでいる余裕はない。 来年は王都の学園に通う事が決まっている為、時間が掛かる難しい仕事は回って来ない。
書類仕事に集中していないアンガスを見咎め、向かい合って座っている補佐官が口を開いた。
「若様、先程から書類を眺めては止めの繰り返しですよ。 気になるなら、会いに行けばよろしいではありませんか。 お会いにならなければ、気持ちも固まりませんでしょうに」
「何の理由で会えと言うんですか?」
「……っえ?」
アンガスの言葉が理解できなかったのか、目の前で補佐官は切れ長の瞳を数回、瞬きを繰り返した。 補佐官を鋭く見つめると、アンガスがもう一度、同じ事を訊ねる。
「……だから、どのような理由でローラと会えと言うんですか?」
「えぇぇぇ、そこからですかぁ?!」
執務室に補佐官の声が信じられないと、小上がりの板の間に響き渡った。 予想していなかった補佐官の様子に、アンガスは困惑の表情を浮かべた。
「理由なんて何でもいいじゃないですかっ。 それこそ番だから、会いに来たでもいいですし。 宣言通り、距離を縮めに来たでも。 あ、でも、これは少し義務的ですね」
「義務……」
「素直に、顔合わせの日から君の事が忘れられないんだっ! でも、良いと思いますよ。 そちらの方が情熱的ですしね」
「な、何を言っているんですかっ?! 忘れらない何てことは……あ、ありませんっ!!」
「えぇぇ、そうなんですかぁ?! 本物の番同士って、会った瞬間から情熱的に求め合うんだと、思ってましたよ。 こんなにあっさりしているなんて、思いませんでした」
「……っ」
補佐官の言い様に、アンガスは頭が痛いと項垂れた。 アンガス自身も補佐官の言う通りの話を聞いていた。 周囲にも本物の番同士の夫婦や恋人たちがいない為、比べようがない。
「貴方は本物の番同士を見た事があるのですか?」
「ないですね、若様が初めてです。 私も番が見つからず、偽印を刻みましたしね」
「ああ、そうでしたね」
補佐官が2年ほど前に、親が決めた令嬢と偽印を刻んだ事を思い出した。 アンガスも婚約式に参列して、偽印を刻む儀式を見ている。 偽印で将来を約束した2人の横顔はとても厳かで、神秘的でもあった。 番にあまり興味が無かったアンガスも、少しだけ気持ちが動いた事は驚きだった。
偽印を刻んだという割には、とても幸せそうな笑みを浮かべている。 番が見つかった今の自身とは違う、満ち足りた表情をしていた。 補佐官の幸福感が移ったのか、小さく笑みが零れる。
「幸せそうで何よりです」
「ええ、幸せですよ。 若様も番様と早く婚約できればいいですね。 グイベル家の使用人一同は、皆、若様の婚約式を楽しみにしているんですよ」
「そう、それは悪い事をしたね。 期待に応えられるよう、精々、頑張りますよ」
アンガスが書類を引き寄せ、読みだした事で雑談を終え、2人は仕事を再開させた。
◇
夕食前に仕事を終わらせ、食道へ向かう。 廊下では既に晩餐の匂いが漂っていた。
アンガスの部屋を出て、向かい側の正面に補佐官の支度部屋がある。 支度部屋にはアンガスの部屋に入りきらないアバディ領の資料が置いてある。 補佐官と一緒に支度部屋へ入り、明日の仕事の資料を確認する為、奥の書類棚に手を掛けた。 支度部屋の隣が食堂なので、壁越しに弟妹達の賑やかな声が響いてくる。 何やら、妹たちが騒いでいるらしい。
「騒がしいですね。 何でしょう?」
補佐官も妹たちの声に訝し気な声を上げた。 書類の確認を終えると、アンガスと補佐官は隣の食堂へ向かった。 廊下を出て食堂が見える位置まで進むと、双子の弟の1人が顔を出した。
「あ、兄上っ!」
「どうしたんです? アイザック、随分と賑やかですね」
「ああ、妹たちが、別に衣装部屋が欲しいって言っていて、兄上の補佐官が使っている支度部屋をくれって……父上に直談判しているんだよ」
アイザックは気の毒そうに補佐官の方を盗み見た。
「……っ」
「えぇぇぇ?! そんな事されたら、私が仕事できませんよっ!!」
「そうですか……困りましたね」
アイザックはにこやかな笑みを浮かべてアンガスの方へ面白そうに笑う。 グイベル家の屋敷は家族が増える度に増改築を繰り返してきた。 アンガスを筆頭に、双子の弟、妹が3人いる。
もう、充分に入り組んだ形になって来ている屋敷内に、建物を増築する敷地はない。
一番上の妹が生まれた時に、中庭を潰して妹の部屋を作った。 後から生まれた妹2人も一緒の部屋へ押し込んでいるのだ。 1人で使うには広いので、3人でも充分だという。
しかし、妹たちは衣装部屋が欲しいのだと、補佐官の支度部屋を潰し、自身たちの衣装部屋にしようとしている。 補佐官は分かりやすく狼狽えていた。
補佐官の支度部屋は、アバディ領の資料室も兼ねているので、取り上げられるととても困る。
食堂へ入ると、一番上の妹が猛然と、父親に突撃していた。 補佐官は自身の支度部屋がなくなるのを心配して、食道の入り口で成り行きを見守っている。
食堂は半分がダイニングで、半分は小上がりの板の間でソファを置いて寛ぎのスペースになっている。 ダイニングのスペースはガラス扉が対面に作られ、扉の左右には天井から床までのガラス窓が嵌められている。
8人家族が一同で介しても、圧迫感を感られず、光が射し込み、解放感のある食堂になっている。
ダイニングテーブルには、家族が既にいつもの席に着いていた。 アンガスが食堂に入ると、家族の視線がアンガスに集中する。
「私の部屋を欲しがっているのは誰ですか?」
一番上の妹、カトリオーナに近づくと、アンガスは笑みを浮かべた。
「「「お兄様っ!」」」
カトリオーナだけでなく、下の妹2人も声を揃えた。 三つ子ではなく、年子の姉妹なのだが、息ピッタリである。 ずっと一緒に居るからか、三姉妹の行動はいつも一緒である。 一番上のカトリオーナが言えば、下の2人も姉に従い、賛同するのだ。
「だってっ! 私たちの衣装部屋はもう、いっぱい、いっぱいなのですわっ! 新しいドレスが買えませんっ」
「着ていないドレスもあるって聞いていますよ。 それに4・5年もすれば結婚してカトリオーナたちは家を出るでしょう? 直ぐに必要が無くなるのですから、要らないでしょう」
カトリオーナはアンガスの言葉を聞くと、衝撃を受けた様な表情をして固まってしまった。
「お、お兄様っ! そういう事ではありませんわっ!」
「兄上……」
「う~ん、確かに必要ないだろうけど……。 その言い方はちょっと……」
「兄上、そんな事じゃ、ローラ嬢にも逃げられるよ」
「……何の話です?」
双子の片割れカーシーが訳知り顔で宣う。
「今、ローラ嬢の所にカウントリムから若い男が来てるらしいんだ」
「そうそう、しかもとても好い男らしいよ」
無言で双子を見つめると、父親が1人の男の入国許可書を見せて来た事を思い出した。
(確か、ローラのいとこで、カウントリムの侯爵家の人間だったか?)
いつもの席に着いて状況を見守っている父親に視線を送ったが、肩を竦まれただけだった。 双子に視線を向けて、知り得ている情報を双子に教える。
「知っていますよ。 誰かさんが親切に教えてくれましたからね。 その若い男がローラのいとこだという事もです」
「なんだぁ、知ってたのか……つまんないの」
「……お前たち……」
「じゃ、これは知ってる?」
カーシーが鼻を小さく鳴らし、意味深な笑みを浮かべる。
「そのいとこがローラ嬢を口説いているって専らの噂だって」
「何でも子供の頃からローラ嬢の事が好きだったらしいよ。 もう、叶わない恋だけど」
「……っはぁ」
一瞬だけアンガスの金色の瞳が鋭く光り、アンガスが発する事のない言葉が零れた。
食堂の空気が一気に冷え込み、冷気が漂う。 双子はアンガスの冷気に当てられ、身体を小さく震えた。
「うわぁ、あんなに行き成り番とか言われても戸惑うとか言っているくせに、嫉妬はするんだ」
「……っ」
アイザックの容赦ない言葉に、何も言えなくなったアンガスは言葉に詰まる。
ローラが他の男といるのが苦痛とかではなく、ローラを口説いているという事が気に入らないと思ってしまっていた。 番の刻印が熱くなり、感情が刻印に流されていく。
「そういう訳ではありませんっ」
(刻印に流されていては、自身の気持ちが見えてきませんっ。 気を付けないと)
アンガスの気持ちを見透かしたように、カーシーが生意気な事を言う。
「でも、別に刻印に流されてみてもいいじゃない? そっちの方が気持ちが見える場合もあると思う」
「何を生意気な事を……」
双子はまだ13歳である。 色恋を語るには、まだ早い年だ。
(……いとこですか……どんな奴でしょう)
ローラの所へ足繫く通う若い男の話になり、カトリオーナ妹たちの衣装部屋が欲しいという話が綺麗に霧散してしまった。 補佐官も話が決まらずに終わってしまったので、知らぬ間に支度部屋へ戻っていた。
「ちょっと、お兄様方っ! 私たちの話が全くなくなってしまったではないですかっ!」
騒ぐカトリオーナを宥めて全員が席に着くと、晩餐が運ばれて来た。 晩餐を口に運び、アンガスは当たり前の事を考えていた。
(やはり、補佐官が言うように一度、会いに行った方が良いでしょうね。 次にローラに会った時の自身の感情がどうなるか分かりません。 もし、いとこも居るのだとしたら……)
アンガスは否が応もなく、自身の気持ちが変わってしまうのがとても怖くて、ローラに会いに行けなかった。
◇
アンガスがローラのいとこを知った頃、いとこのリーバイはローラの所へ通う傍ら、アンガスの事も調べていた。 グイベル家はカウントリムでも有名な家名なので、どのような家なのかは分かっているが、アンガスの人となりは知らない。
頻繁にローラの家には幼い頃から通っていたが、ローラの幼馴染でもあるアンガスとは顔を合わせた事が一度もなかった。
リーバイはローラの家の応接室で、ローラが降りて来るのを調査報告書を読みながら待っていた。
調査報告書には、アンガスは物腰が柔らかく、誰にも親切で丁寧だと言う。 今までに浮いた話もなく、女癖が悪いという噂はない。 次期侯爵で、白へび族の次期長と決まっている優良物件だ。
おまけに白髪の髪は艶やかで、ほのかに色気が漂い、色男なのだそうだ。
しかし、番が見つかったというのに、直ぐに婚約を決めていない事に、リーバイは首を傾げた。 自身がローラの番なら、誰にも取られない様、直ぐに婚約式をして、ローラに逃げられない様に外堀も埋める。
「この男はローラの何が不満だと言うんだっ……僕がローラの番になりたいのにっ」
リーバイは読んでいた調査報告書を握り潰した。 釣り書きと一緒にアンガスの絵姿も同封されていて、絵姿のアンガスはとても美麗で、リーバイでは最初から相手にならない容姿だった。
「男は顔じゃないっ。 僕だって負けてないはずっ」
絵姿と全ての調査報告書を掌の上に出した炎で燃やし、リーバイは不敵な笑みを浮かべる。 全て灰になった頃、ローラが応接室の扉を押し開いて入って来た。
「リーバイ、お待たせ」
灰を暖炉にくべていたリーバイが振り返ってローラに応対する。
「いや、全然。 ローラの為ならいくらでも待つよ」
「……また、リーバイはそんな事を言って」
ソファで向かい合ったリーバイとローラはお茶とお菓子をお供に、懐かしい子供の頃の話を語り出した。
◇
ローラとリーバイが昔話に花を咲かせている頃、アンガスは出かける準備をして、馬車止めまで回り、馬車に乗り込むと、御者に行先を告げた。
「ブレイク家まで行って下さい」
「畏まりました」
ブレイク領まで馬車で2時間の距離、午前中には着くだろうと、アンガスは馬車の中で瞳を閉じた。
廊下や部屋の隅、黒塗りの飾り板の各所に、飾り灯篭が吊り下がっている。
お客様用の建物の玄関から入り、真っ直ぐに裏へ続く渡り廊下に向かう。 渡り廊下からグイベル邸へ入ると、正面の廊下を進み右に曲がると、アンガスの部屋がある。
ガラス扉を開けて、居間へ。 居間の半分弱が30cm程の高さの小上がりの板の間が作られ、窓からは森が見えていた。 居間の半分のスペースには、暖炉の前にソファセットが置いてある。
小上がりの板の間に、2つ机が向かい合って置いてあり、格子状の飾りの仕切りの前に書類棚が2つ並べてある。
アンガスは椅子に腰かけ、アバディ領の書類を難しい顔をして穴が開くほど見つめていた。
しかし、書類を眺めているアンガスの瞳には、何も映っていない様に見えた。 小上がりの板の間は、前はアンガスの文机と寝転べる大きなクッションが置いてあった。
天井と黒く塗りつぶされた棚板には、娯楽小説が並べてあったのだが、1冊もない。 今は、アバディ領の書類で埋まっている。
チラリと棚の上に視線を向けると、アンガスは恨まし気に見つめた。
成人を機にアバディ領を受け継いだアンガスには、遊んでいる余裕はない。 来年は王都の学園に通う事が決まっている為、時間が掛かる難しい仕事は回って来ない。
書類仕事に集中していないアンガスを見咎め、向かい合って座っている補佐官が口を開いた。
「若様、先程から書類を眺めては止めの繰り返しですよ。 気になるなら、会いに行けばよろしいではありませんか。 お会いにならなければ、気持ちも固まりませんでしょうに」
「何の理由で会えと言うんですか?」
「……っえ?」
アンガスの言葉が理解できなかったのか、目の前で補佐官は切れ長の瞳を数回、瞬きを繰り返した。 補佐官を鋭く見つめると、アンガスがもう一度、同じ事を訊ねる。
「……だから、どのような理由でローラと会えと言うんですか?」
「えぇぇぇ、そこからですかぁ?!」
執務室に補佐官の声が信じられないと、小上がりの板の間に響き渡った。 予想していなかった補佐官の様子に、アンガスは困惑の表情を浮かべた。
「理由なんて何でもいいじゃないですかっ。 それこそ番だから、会いに来たでもいいですし。 宣言通り、距離を縮めに来たでも。 あ、でも、これは少し義務的ですね」
「義務……」
「素直に、顔合わせの日から君の事が忘れられないんだっ! でも、良いと思いますよ。 そちらの方が情熱的ですしね」
「な、何を言っているんですかっ?! 忘れらない何てことは……あ、ありませんっ!!」
「えぇぇ、そうなんですかぁ?! 本物の番同士って、会った瞬間から情熱的に求め合うんだと、思ってましたよ。 こんなにあっさりしているなんて、思いませんでした」
「……っ」
補佐官の言い様に、アンガスは頭が痛いと項垂れた。 アンガス自身も補佐官の言う通りの話を聞いていた。 周囲にも本物の番同士の夫婦や恋人たちがいない為、比べようがない。
「貴方は本物の番同士を見た事があるのですか?」
「ないですね、若様が初めてです。 私も番が見つからず、偽印を刻みましたしね」
「ああ、そうでしたね」
補佐官が2年ほど前に、親が決めた令嬢と偽印を刻んだ事を思い出した。 アンガスも婚約式に参列して、偽印を刻む儀式を見ている。 偽印で将来を約束した2人の横顔はとても厳かで、神秘的でもあった。 番にあまり興味が無かったアンガスも、少しだけ気持ちが動いた事は驚きだった。
偽印を刻んだという割には、とても幸せそうな笑みを浮かべている。 番が見つかった今の自身とは違う、満ち足りた表情をしていた。 補佐官の幸福感が移ったのか、小さく笑みが零れる。
「幸せそうで何よりです」
「ええ、幸せですよ。 若様も番様と早く婚約できればいいですね。 グイベル家の使用人一同は、皆、若様の婚約式を楽しみにしているんですよ」
「そう、それは悪い事をしたね。 期待に応えられるよう、精々、頑張りますよ」
アンガスが書類を引き寄せ、読みだした事で雑談を終え、2人は仕事を再開させた。
◇
夕食前に仕事を終わらせ、食道へ向かう。 廊下では既に晩餐の匂いが漂っていた。
アンガスの部屋を出て、向かい側の正面に補佐官の支度部屋がある。 支度部屋にはアンガスの部屋に入りきらないアバディ領の資料が置いてある。 補佐官と一緒に支度部屋へ入り、明日の仕事の資料を確認する為、奥の書類棚に手を掛けた。 支度部屋の隣が食堂なので、壁越しに弟妹達の賑やかな声が響いてくる。 何やら、妹たちが騒いでいるらしい。
「騒がしいですね。 何でしょう?」
補佐官も妹たちの声に訝し気な声を上げた。 書類の確認を終えると、アンガスと補佐官は隣の食堂へ向かった。 廊下を出て食堂が見える位置まで進むと、双子の弟の1人が顔を出した。
「あ、兄上っ!」
「どうしたんです? アイザック、随分と賑やかですね」
「ああ、妹たちが、別に衣装部屋が欲しいって言っていて、兄上の補佐官が使っている支度部屋をくれって……父上に直談判しているんだよ」
アイザックは気の毒そうに補佐官の方を盗み見た。
「……っ」
「えぇぇぇ?! そんな事されたら、私が仕事できませんよっ!!」
「そうですか……困りましたね」
アイザックはにこやかな笑みを浮かべてアンガスの方へ面白そうに笑う。 グイベル家の屋敷は家族が増える度に増改築を繰り返してきた。 アンガスを筆頭に、双子の弟、妹が3人いる。
もう、充分に入り組んだ形になって来ている屋敷内に、建物を増築する敷地はない。
一番上の妹が生まれた時に、中庭を潰して妹の部屋を作った。 後から生まれた妹2人も一緒の部屋へ押し込んでいるのだ。 1人で使うには広いので、3人でも充分だという。
しかし、妹たちは衣装部屋が欲しいのだと、補佐官の支度部屋を潰し、自身たちの衣装部屋にしようとしている。 補佐官は分かりやすく狼狽えていた。
補佐官の支度部屋は、アバディ領の資料室も兼ねているので、取り上げられるととても困る。
食堂へ入ると、一番上の妹が猛然と、父親に突撃していた。 補佐官は自身の支度部屋がなくなるのを心配して、食道の入り口で成り行きを見守っている。
食堂は半分がダイニングで、半分は小上がりの板の間でソファを置いて寛ぎのスペースになっている。 ダイニングのスペースはガラス扉が対面に作られ、扉の左右には天井から床までのガラス窓が嵌められている。
8人家族が一同で介しても、圧迫感を感られず、光が射し込み、解放感のある食堂になっている。
ダイニングテーブルには、家族が既にいつもの席に着いていた。 アンガスが食堂に入ると、家族の視線がアンガスに集中する。
「私の部屋を欲しがっているのは誰ですか?」
一番上の妹、カトリオーナに近づくと、アンガスは笑みを浮かべた。
「「「お兄様っ!」」」
カトリオーナだけでなく、下の妹2人も声を揃えた。 三つ子ではなく、年子の姉妹なのだが、息ピッタリである。 ずっと一緒に居るからか、三姉妹の行動はいつも一緒である。 一番上のカトリオーナが言えば、下の2人も姉に従い、賛同するのだ。
「だってっ! 私たちの衣装部屋はもう、いっぱい、いっぱいなのですわっ! 新しいドレスが買えませんっ」
「着ていないドレスもあるって聞いていますよ。 それに4・5年もすれば結婚してカトリオーナたちは家を出るでしょう? 直ぐに必要が無くなるのですから、要らないでしょう」
カトリオーナはアンガスの言葉を聞くと、衝撃を受けた様な表情をして固まってしまった。
「お、お兄様っ! そういう事ではありませんわっ!」
「兄上……」
「う~ん、確かに必要ないだろうけど……。 その言い方はちょっと……」
「兄上、そんな事じゃ、ローラ嬢にも逃げられるよ」
「……何の話です?」
双子の片割れカーシーが訳知り顔で宣う。
「今、ローラ嬢の所にカウントリムから若い男が来てるらしいんだ」
「そうそう、しかもとても好い男らしいよ」
無言で双子を見つめると、父親が1人の男の入国許可書を見せて来た事を思い出した。
(確か、ローラのいとこで、カウントリムの侯爵家の人間だったか?)
いつもの席に着いて状況を見守っている父親に視線を送ったが、肩を竦まれただけだった。 双子に視線を向けて、知り得ている情報を双子に教える。
「知っていますよ。 誰かさんが親切に教えてくれましたからね。 その若い男がローラのいとこだという事もです」
「なんだぁ、知ってたのか……つまんないの」
「……お前たち……」
「じゃ、これは知ってる?」
カーシーが鼻を小さく鳴らし、意味深な笑みを浮かべる。
「そのいとこがローラ嬢を口説いているって専らの噂だって」
「何でも子供の頃からローラ嬢の事が好きだったらしいよ。 もう、叶わない恋だけど」
「……っはぁ」
一瞬だけアンガスの金色の瞳が鋭く光り、アンガスが発する事のない言葉が零れた。
食堂の空気が一気に冷え込み、冷気が漂う。 双子はアンガスの冷気に当てられ、身体を小さく震えた。
「うわぁ、あんなに行き成り番とか言われても戸惑うとか言っているくせに、嫉妬はするんだ」
「……っ」
アイザックの容赦ない言葉に、何も言えなくなったアンガスは言葉に詰まる。
ローラが他の男といるのが苦痛とかではなく、ローラを口説いているという事が気に入らないと思ってしまっていた。 番の刻印が熱くなり、感情が刻印に流されていく。
「そういう訳ではありませんっ」
(刻印に流されていては、自身の気持ちが見えてきませんっ。 気を付けないと)
アンガスの気持ちを見透かしたように、カーシーが生意気な事を言う。
「でも、別に刻印に流されてみてもいいじゃない? そっちの方が気持ちが見える場合もあると思う」
「何を生意気な事を……」
双子はまだ13歳である。 色恋を語るには、まだ早い年だ。
(……いとこですか……どんな奴でしょう)
ローラの所へ足繫く通う若い男の話になり、カトリオーナ妹たちの衣装部屋が欲しいという話が綺麗に霧散してしまった。 補佐官も話が決まらずに終わってしまったので、知らぬ間に支度部屋へ戻っていた。
「ちょっと、お兄様方っ! 私たちの話が全くなくなってしまったではないですかっ!」
騒ぐカトリオーナを宥めて全員が席に着くと、晩餐が運ばれて来た。 晩餐を口に運び、アンガスは当たり前の事を考えていた。
(やはり、補佐官が言うように一度、会いに行った方が良いでしょうね。 次にローラに会った時の自身の感情がどうなるか分かりません。 もし、いとこも居るのだとしたら……)
アンガスは否が応もなく、自身の気持ちが変わってしまうのがとても怖くて、ローラに会いに行けなかった。
◇
アンガスがローラのいとこを知った頃、いとこのリーバイはローラの所へ通う傍ら、アンガスの事も調べていた。 グイベル家はカウントリムでも有名な家名なので、どのような家なのかは分かっているが、アンガスの人となりは知らない。
頻繁にローラの家には幼い頃から通っていたが、ローラの幼馴染でもあるアンガスとは顔を合わせた事が一度もなかった。
リーバイはローラの家の応接室で、ローラが降りて来るのを調査報告書を読みながら待っていた。
調査報告書には、アンガスは物腰が柔らかく、誰にも親切で丁寧だと言う。 今までに浮いた話もなく、女癖が悪いという噂はない。 次期侯爵で、白へび族の次期長と決まっている優良物件だ。
おまけに白髪の髪は艶やかで、ほのかに色気が漂い、色男なのだそうだ。
しかし、番が見つかったというのに、直ぐに婚約を決めていない事に、リーバイは首を傾げた。 自身がローラの番なら、誰にも取られない様、直ぐに婚約式をして、ローラに逃げられない様に外堀も埋める。
「この男はローラの何が不満だと言うんだっ……僕がローラの番になりたいのにっ」
リーバイは読んでいた調査報告書を握り潰した。 釣り書きと一緒にアンガスの絵姿も同封されていて、絵姿のアンガスはとても美麗で、リーバイでは最初から相手にならない容姿だった。
「男は顔じゃないっ。 僕だって負けてないはずっ」
絵姿と全ての調査報告書を掌の上に出した炎で燃やし、リーバイは不敵な笑みを浮かべる。 全て灰になった頃、ローラが応接室の扉を押し開いて入って来た。
「リーバイ、お待たせ」
灰を暖炉にくべていたリーバイが振り返ってローラに応対する。
「いや、全然。 ローラの為ならいくらでも待つよ」
「……また、リーバイはそんな事を言って」
ソファで向かい合ったリーバイとローラはお茶とお菓子をお供に、懐かしい子供の頃の話を語り出した。
◇
ローラとリーバイが昔話に花を咲かせている頃、アンガスは出かける準備をして、馬車止めまで回り、馬車に乗り込むと、御者に行先を告げた。
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