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6話

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 グイベルの領都、商店が連なる街の一角に花街がある。 番至上主義の獣人の国に何故、花街があるのかというと、花街の役目は主に、何らかの形で番と添え遂げられなかった者、番に先立たれた者を慰める為にある。 それと、若い番同士のお忍びで逢瀬する為にある。

 最近は、異国情緒溢れる花街に物見遊山で観光に来る若者たちもいるので、花街へ来る全ての者が花を買うわけでない。

 ◇

 突然、王族が来客するという先ぶれに、アンガスはジェレミーへお茶屋で落ち合おうと、場所を伝えた後、馬車を走らせて屋敷を出た。

 アンガスが向かったお茶屋は、花街がある通りで、数件手前にある美味しいと有名なお茶屋だ。 花街の周辺は食べ物屋や酒屋が軒を連ねている。 商店街へ着くと、馬車を馬車止めに送り、アンガスは徒歩で目的のお茶屋へ向かった。

 目的のお茶屋まで後、数件の所で、目の前を歩くジェレミーとアダムの背中が見えた。

 「ジュリー、思ったよりも早い到着ですね」
 「ああ、アンガスか。 いや、先ぶれに出しのはグイベル領へ入ってからだったからな」
 「……もっと早く出して下さい。 早ければ、屋敷でもてなしの用意も出来ます」
 「そんな事したら、城を抜け出そうとしているのが父上に見つかってしまうだろう」
 「「……」」

 呆れた様な小さい空気がアンガスとアダムの間で流れた。 突然、アンガスの胸が小さく痺れるような痛みを訴えて来た。 アンガスの鼓動が小さく跳ねる。

 「……っ」
 
 (……何でしょう? どうしてか胸騒ぎがします……)

 アンガスの様子に気づいたジェレミーとアダムが訝し気な表情を浮かべ、眉をしかめているアンガスを見つめてくる。 大丈夫だと、答えようと顔を上げたアンガスの視界に、ローラとローラの手を引くリーバイの姿が飛び込んで来た。

 「あ、あれは……ローラ?……とシュヴァルツ伯爵子息……」
 「何?! アンガスの番かっ! 何処だ、何処にいるのだ? 会わせろっ!」
 「ジュリー、もう少し、声を落として下さい」

 ジェレミーは興味津々でアンガスが見つめる先を伺い、何処にローラがいるのかとしきりに聞いてくる。 しかし、アンガスの耳にはジェレミーの言葉や声も届いていなかった。

 アンガスの目の前で、ローラはリーバイに手を引かれ、花街の門をくぐろうとしていたのだ。

 アンガスの足が反射的に動き、真っ直ぐにローラの元へ速足で向かう。 心臓の鼓動が早くなり、熱い血液が身体中を駆け巡り、脳みそが沸騰する。 後ろから、ジェレミーとアダムが何かを叫びながらついて来ている事にも気づかなかった。

 門をくぐろうとしているローラの腕を取り、リーバイに花街へ連れ込まれようとしている所を引き留めた。 振り返ったローラの表情がこわばっていたので、自身がものすごく怖い顔をしているのだろうと理解した。 初めての感情でアンガスは内心でとても戸惑っていたし、焦ってもいた。

 (何故、こんな所にローラとこの男がいるんですっ!!)

 ◇

 赤い柱に黒塗りの板と飾り灯篭で装飾された扉付きの門を潜り、ジェレミーを先頭に30メートル強ある石畳みが敷かれた花街の通りを歩いて、一番奥の茶屋へと向かった。

 昼間だというのに花街は賑やかだ。 石畳みの通りの左右に軒を連ねている茶屋から、煌びやかな装いの男女が行きかう人々に声をかけている。

 (まぁ、シュヴァルツ伯爵子息がローラを何処へ連れて行こうとしていたのか、予想はつきますけどね。 私も知っている場所ですし、あの茶屋は普通の観光客も訪れますし……)

 アンガスは、ただ花街を歩くという観光目的の人間の気持ちが全く分からなかった。

 (こんな所へ入る所を見られたら、不名誉な噂が立つだけどいうのに……)

 周囲で客引きをする男女に紛れ、ちらほらと観光客らしき人達がいる。 アンガスの視線の先を見て、察したのかアダムが小さく笑いをこぼす。

 「ちょっとした盛り上がる話のネタなんだよ。 令嬢と子息、平民の若者たちにしてみればな。 どうみられるかなんて考えてないんだよ、皆」
 「硬いぞ、アンガス。 ちょっと花街でお茶するだけではないかっ」

 平然と宣うジェレミーに頭が痛いとアンガスは頭を抱えた。

 「……そう言って、騙す男もいるでしょう」

 アンガスは最後尾を歩いているリーバイへ視線を移す。 リーバイはアンガスに睨まれ、慌てて先程の弁明をした。

 「違うって言ってるだろうっ! 本当にあそこの茶屋の饅頭が美味しいからローラを誘ったんだっ! それに君には……っ関係ないだろうっ」

 鋭く睨みつけられたリーバイは、言葉を詰まらせた。

 リーバイが言う一番奥のお茶屋に辿り着き、立派な門構えを見上げ、隣で呆けているローラを促し、お茶屋の門を通り抜ける。 お茶屋の玄関ホールに入ると、正面の左側に受付カウンターがあり、ジェレミーが躊躇いもなく、誰もいない受付へ近づいた。 そして、慣れている様子で呼び鈴を鳴らす。

 呼び鈴が鳴らされると、正面のアーチ型に切り抜かれた入り口から女将が出て来た。

 「いらっしゃいませ。 あら、若様じゃありませんか、お久しぶりですね」

 にっこり営業スマイルを浮かべる女将が誤解を招くような事を口走り、ローラとリーバイがすぐに反応を示し、疑わし気な眼差しをアンガスへ向けてくる。

 咳払いを1つして、金色の瞳を細めてローラとリーバイの方へ視線を向ける。

 「ほんの小さい頃に、父親に連れられて来ていた事があるだけです……」
 「ほう、父親にね……」

 リーバイの首を取った様な表情に、アンガスは深いため息を吐いた。

 「茶と饅頭をもらいに来ただけだが、今、大丈夫か?」

 アンガスとリーバイの様子を無視して、ジェレミーが片目を瞑って女将に伝えると、王子だと気づいた女将はしゃんと背筋を伸ばした。

 「大丈夫ですよ。 奥の部屋になさいますか?」
 「いや、手前の二間でいい」
 「では、少々、お待ち下さい。 準備をして参ります」
 「うむ、ゆっくりで構わんぞ」

 女将が店の奥に引っ込み、店の中が少しだけざわついたような気配がした。 王子が突然、お忍びでやって来てのだ。 一般人は驚くだろう。 しかも、部屋を指定したという事は。

 ジェレミーは慣れた様子で、玄関ホールの左側に用意されているソファへ腰掛け、長い足を組んだ。

 「もしかして、殿下……。 こちらに来たことがあるのですか?」
 「ああ、私も父親に連れられてな」

 ジェレミーは片目を瞑ってアンガスの質問に答えた。 茶屋は男女が求め合うだけでなく、裏の会合を行う事もある。 防音防犯に優れ、口も堅く、話が聞こえたとしても女将たちは言いふらしたりしないからだ。

 部屋の準備を待っている間、ローラは興味深そうに玄関ホールやアーチ形の入り口から見える客室を眺めている。 ローラの視線に気づいたアンガスは、ローラへ話しかける。

 「あちらの客室でお茶をしている客人たちは、皆、花街を観光している者たちですよ。 中には客引きもいますけどね」
 「へぇ~、そうなんですね。 花街をただ観光している人がいるんですね」
 「ええ、グイベル領の花街は異国情緒に溢れてますからね。 カウントリム調の内装に見慣れている私たちと違い、ブリティニアの人たちにしてみれば、自国で海外旅行している気分になるんでしょう」
 「なるほどですっ!」
 「ですが……」
 
 楽しそうに笑うローラにアンガスは黒い笑みを向ける。 隣で分かりやすく肩を跳ねさせたローラがアンガスから少しだけ距離を取った。

 「軽々しく、男とこんな所へ来ないで下さい。 何かあったら、ここでは逃げられませんからね」
 「……っはい」

 小さく笑いがこぼれ、声がした方を見ると、準備が整たったのか、女将が受付に戻って来ていた。

 「お待たせしました。 お部屋の準備が整いました」
 「ああ、すまない、ありがとう。 皆、行くぞ」

 ソファから立ち上がったジェレミーの号令で、女将を先頭に、後を続いて茶屋の中へ入った。 通された部屋は、入り口から直ぐの二間続きの部屋だった。

 中庭に面したガラス窓と小上がりの壁の丸い窓から、中庭の庭園が見える。 幼い頃に何度か来ただけだが、変わっていない景色に懐かしさを感じた。

 部屋は小上がりの1間とテーブル席の1間だ。 テーブル席は2人掛けで、小上がりのソファセットは4人掛けだった。 ジェレミーとアダムはテーブル席へ座り、アンガスたち3人に小上がりを譲ってくれた。

 「私たちはこちらで話しているから、アンガスたちはそっちの小上がりを使えばよい」
 「……っ」
 
 リーバイが戸惑っていると、ジェレミーはにこやかな笑みを浮かべた。

 「大丈夫だ、話の内容は聞かないし、聞こえても他言はしない。 勿論、アダムもだ」

 アダムは無言で頷き、ジェレミーは黄金の瞳に怪しい光を滲ませてリーバイを見つめている。 ジェレミーの言い知れぬ雰囲気に、リーバイは無意識にジェレミーから物理的に距離を取っていた。

 「……っ殿下、シュヴァルツ伯爵子息を脅さないで下さい……」
 「すまない、つい……な。 友人の失恋の危機に、魔力が漏れてしまった様だ」
 「……っ振られてませんっ」
 「……っ」

 笑って誤魔化すジェレミーを無視して、アンガスたちは勧められた通り、小上がりに設置されているソファセットに腰かけた。 籐製の椅子が4つ置かれていて、アンガスとローラは奥の2つの席に座る。 リーバイは、必然的に手前の席へ着く。

 「で、手を出さない下さいと言っているにもかかわらず。 何故、性懲りもなく……しかも、花街の茶屋にローラを誘うんです?」
 「……僕は、ずっとローラの事が好きだったんだ。 なのにっ、僕はローラの番になれなかったっ」
 「リーバイっ……」
 「……っ」

 鋭く睨みつけてくるリーバイにアンガスは面食らってしまった。

 「ローラが幸せなら、僕だって何も言わないよっ、でも、君は……番だというのにっ。 婚約をしていないっ」
 「……それこそ、君には関係ない事です。 婚約の事は私とローラで決める事です。 君にとやかく言われる筋合いはありません」
 「……っアンガス様っ」

 ローラはアンガスとリーバイの方を交互に視線を向けてくるだけで、事態に狼狽えるだけで何も言わない。 徐々にヒートアップしていき、アンガスとリーバイはお互いに威嚇の音を口から出している。

 (本当にイラつきますっ! この男、全く持って気に食わないっ!)

 「僕は引かないっ! 絶対にローラを振り向かせて見せるっ!」
 「……っなっ、ローラは私の番ですっ! 気安く呼び捨てにしないで下さいっ!」

 アンガスとリーバイは同時に両手をローテーブルにつき、威嚇の音が鳴らされ、部屋中に響き渡った。 ジェレミーとアダムは宣言通り、口を出さずに静観している。

 話は並行線で、出されてお茶と饅頭の味は全く分からなかった。 隣でローラが饅頭を口いっぱいに頬張っている姿は視界の端に入っていたが、構う余裕がアンガスとリーバイにはなかった。

 ◇

 どうやって戻って来たのか、リーバイとどうケリを付けたのか怒りで覚えておらず、アンガスは屋敷へ戻って来た。 ジェレミーはローラと会えた事に満足したのか、屋敷へは寄らずに王都へ帰って行った。 グイベル邸では、ホッとした様な寂しいようなという空気が流れていた。

 アンガスはまたもや、自身のベッドへダイブし、今回はリーバイへの怒りで手足をジタバタと動かした。 寝室の入り口で補佐官が見ている事にも気づいていなかった。

 アンガスの部屋の裏は、使用人宿舎があり、丸い窓から宿舎の赤い壁が見える。

 顔を上げて何とはなしに赤い壁を眺めるが、視界に入ってくる赤い壁よりも、脳みそが浮かべているのは、ローラの様子だった。 何も考えずに花街へ行こうとしている様子を思い出すと、心の底から苛立ちを覚える。 次に茶屋でのローラの様子が思い浮かんだ。

 小動物の様に、美味しそうに饅頭を頬張るローラを思い出すと、自然と口元が緩む。 先程までの苛立ちが綺麗に霧散する。

 勢いよくベッドから起き上がり、アンガスは口元へ手を持って行った。

 (もしかして……私は本当に……ローラの事をっ)

 ◇

 屋敷へ戻って来たローラは、アンガスと同じようにベッドへダイブしていた。 今回、リーバイに花街へ連れられて行き、分かったことがあった。

 アンガスに『自身がどこに行こうとしていたか、ちゃんと見て確かめなさい』と言われ、考えたのだ。 もしかしたら、リーバイと関係を結ぶ所だったと思うと、身体が震えて心から嫌だと思ったのだ。 番の刻印に流されているのかもと考えたが、心が違うと言っている。

 番だと気にするあまり、ローラの気持ちはアンガスに傾いていっているようだ。 アンガスと身体を求め合う想像をしてみれば、嫌悪感はなくしっくりとくる。

 (もう少しだけ考えないと……でも、私はアンガス様以外に触れられるのは嫌だわ……私、本当にアンガス様の事っ)

 アンガスへの気持ちもはっきりさせないといけないが、リーバイとの関係もはっきりさせないと駄目だ。 居間では、ローラの様子に使用人たちがざわついている。

 双方の使用人がざわつき、今日の2人の様子はグイベル家、ブレイク家の間で共有されたのだった。
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