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5話

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 ローラの屋敷からグイベル家の屋敷へ戻ってきたアンガスは、自身の所業を思い出して両手で顔を覆い、じっと固まっていた。 場所はアンガスの寝室だ。

 寝室は居間の奥にある。 扉はつけておらず、黒塗りの板の装飾が飾られた入り口をくぐる形になっている。 ベッドも30センチほどの小上がりになっていて、ダブルベッドが置かれている。

 小上がりに置かれているベッドへダイブすると、枕に顔を押し付けてジタバタと手足を動かした。

 寝室の入り口には、アンガスの補佐官が黙って立っていた。 午後の少しの時間でもアンガスと仕事の打ち合わせをしようと、アンガスが戻ってきたと聞き、アンガスの部屋へやって来たのだ。

 アンガスがジタバタと藻掻いている姿を補佐官はあきれた様子で眺めていた。

 「若様……お仕事しましょう……」
 「ええ、分かっています」

 枕に押さえつけられたこもった声がアンガスから発せられた。 一向にベッドから起き上がらないアンガスに小さく溜息をついて、補佐官は居間の執務スペースへ戻って行った。

 アンガスが仕事を再開したのは、数十分後だった。
 
 ◇

 ローラと定期的に会うと約束したアンガスだったが、慣れない領地経営に追われ、約束した連絡する日にも何も連絡が取れずにいた。

 馬車道を車輪が走り、土砂を削り箱馬車が大きく揺れる。

 「おっとっ……」

 座席が大きくゆすられ、アンガスの身体が傾く。 腕を組んでいた手を離し、とっさに座席へ手を吐いた。 後ろの御者席から御者の声が飛んできた。

 「若様っ、大丈夫ですかい? 申し訳ありませんっ、ちょっと大きな石が落ちておりまして……」
 「大丈夫です、少し揺れたくらいですから」

 少しではなかったが、御者の為に嘘をついた。 視線と進行方向が逆だが、馬車の後ろの窓と左右の窓から流れていく景色を眺めるのは心地よい。 向かいに補佐官が座っていなければだが。

 アンガスへ生暖かい眼差しで見つめてくる補佐官から視線をそらし、渡された資料を読み始めた。

 「若様、やっとローラ様と番だと認めたそうですねっ」
 「……何故、貴方がそれを知っているのです?」
 
 補佐官の言葉にハッとして顔を上げた。 今朝からずっと補佐官は、生暖かい瞳で見つめてきていた。 理由が今、分かった。

 「どこでそれを聞いたんですか?と、訪ねているのですが?」

 アンガスは瞳を細めて補佐官に視線を向けて、いつまでも生暖かい眼差しを向けてくる補佐官へもう一度、訪ねた。 アンガスににっこり笑った補佐官は当たり前のように宣った。

 「それはですね。 私ども使用人は、ローラ様の所の使用人は繋がっているという事です」
 「……そうですかっ」
 「はい、繋がっているのです」
 「……何故、同じことを繰り返して言うのです?」
 「とても大事な事だからです」
 「……」

 使用人同士が繋がっているという事は、色々な事が筒抜けだという事だ。 目の前で嬉しそうに書類を眺めている補佐官をアンガスは恨めし気に見つめた。

 「あまり、変な事をあちらの使用人に話さないで下さい……」
 「大丈夫ですよ、ブレイク家から帰ってきた若様がローラ様の可愛さにベッドで悶えていたなんて、言いませんからっ」

 補佐官が片目を瞑って決め顔をアンガスへ放ってくる。 しかし、アンガスに効くはずもない。

 「なっ! あれは違いますっ! ローラの可愛さに悶えていた訳ではありませんっ……あれはっ」
 「あれは? 何です? ベッドでジタバタとしておられたではありませんか」
 「……もう、ほおっておいてくださいっ」

 言いかけてやめたアンガスに、補佐官は食い下がってきたが、無視をして書類に没頭している振りをした。 きっと先程、話していた事は、使用人の間で面白おかしく語られるのだろう。

 (ものすごく腹立ちますねっ……まぁ、横の繋がりは大事です。 大目に見ましょう、私が笑われるだけですからね。 はぁ、アバディ伯爵の威厳もなくなってしまいますね。 最初からないですけどっ)

 馬車は自然の中を走っていたが、ぽつりぽつりと赤茶色の壁の家が増え、アンガスの視界に入ってきた。 アバディ領へ入ったようだ。

 本日は、学園の入学の前にアバディ領へ視察に来ていた。 学園に通い出すと、中々時間が取れなくなる為だ。 一度、ちゃんとアバディ領を見てみたいと思っていたのだ。

 森の香りが減っていき、田畑の香りや土の香り、草花の香りが漂ってくる。

 町へ近づいてくると、料理屋の香り、市場の活気ある声が聞こえ、子供たちが遊んでいる声も聞こえてきた。 中々、活気のある町のようだ。

 「若様、このまま中心部まで進んで、アバディ領の代官とお会いしますよ。 準備はよろしいですか?」
 「ええ、大丈夫ですよ。 事前に色々と調べて来てますしね」
 「では、大丈夫ですね」

 補佐官は『流石、若様』と茶化してくる。 いつまでも子ども扱いをしてくる補佐官に苦笑をこぼした。

 ◇

 アバディ領の代官の館は領都の中心部にある。 中々、大きな館だ。 馬車を停めて、館の中へ入ると、玄関ホールはガランとしていた。 先ぶれでアンガスが来る事は伝えてある。

 「迎えがないとは……どういう事でしょう?」
 「……誰もいないはずはないな?」
 「はい、先ぶれも確かに届いております」

 アンガスと補佐官は2人して首を傾げた。 アバディ領の前の代官は高齢という事で引退していた。

 前代官の後を何故か、地方役人になりたての若い青年が受け継いだと、報告書には書いてあった。

 「何故、もっと早く気付かなかったんだ?」
 「……ええ、そうですね」

 やっと迎えに出てきた代官は身体中から石鹸の匂いをさせていた。 しかも、後ろで控えているメイドからも石鹸の香りを漂わせていた。 貴族の中では、メイドに入浴の手伝いをさせる者もいるが、少数である。 メイドの髪がしっとりと湿っている事に、アンガスはイラついた。

 (こいつら昼日中に、風呂へ入っていたのですかっ?!)

 皆があくせくと働いている時間帯だ。 アンガスが休みなく働き、ローラとの時間を取れなかった理由が分かった。 すぐに補佐官も察したようだ。

 ((こいつが全く、仕事をしてないからですね……))

 全ての仕事がアンガスに回って来ていたのだ。 確かにアバディ領を受け継いだのはアンガスだ。

 アンガスがアバディ領の事を処理するのは当たり前のことだが、1人で全ての事を処理するのは無理がある。 だから、人を雇っている言うのに、誰が人選したのだと、アンガスは黒い笑みを浮かべた。

 「では、早速、会議を始めましょうか」

 代官はアンガスの迫力に負け、狼狽えながら後ずさった。 後ろでいたメイドも小さい悲鳴を上げて代官の背中へ隠れる。

 会議は散々だった。 仕事をしていないのだから、何も分からないのは当然だった。 アンガスは帰りの馬車の中で、大きく息を吐きだした。

 「でも、回ってくる仕事量で気づくべきでしたね。 ……代官が全く仕事をしていない事に。 私も舐められたものです」
 「……私も気づきませんでした。 申し訳ありません」
 「いえ、貴方の所為でありませんから、誤らないで下さい。 よく考えてみたら、税収も下がっていたし、不満の声も上がっていたな……」

 (……まさかとは思いますが……)

 「若様は番が出来て、浮かれていたのでしょうね。 普段の若様なら気づいた事も浮足立っていた精神では、気づくのが遅れたのでしょう」
 「……っ」

 アンガスが一瞬だけ考えた事を補佐官はあっさりと口にした。 『浮かれている』という言葉に、アンガスは言い返せず、言葉に詰まる。 アンガスは話が広がらないようにする為、違う事を口にした。

 「……代官の勤務状態を調べて書面にして下さい。 辞めさせるにしても、あの手の類は証拠を突きつけないと納得しないでしょう」
 「はい、かしこまりました」

 馬車はグイベル邸へ帰りつき、大分疲れた様子でアンガスは部屋へ戻って行った。

 ◇

 アンガスの父の執務室は、両親の部屋の1室にある。 屋敷の一番奥に建てられており、2人が結婚した時に植樹された樹がある坪庭を挟んでいる。 渡り廊下を歩きながら、立派に育った樹を眺める。

 執務室の扉をノックしてから、父の返事を待つ。 名前を告げると、すぐに入ってくるようにと返事があった。

 「珍しいな、アンガスがここまで来るのは」
 「はい、お話がありまして参りました」
 「話とは何だ?」
 
 アバディ領の代官の話をし、調査報告書を渡した。 すぐに手に取った父は、少しだけ頬を緩ませたが、直ぐに普段の表情に戻ったどころか、小さく息をついた。

 「……」
 「なんだ、やっと気づいたのか。 お前にしては気づくのが遅かったな。 実は次の後任はもう、決まっている」
 「……!!」
 「いやぁ、今の代官はごり押しされてな、どうしたものかと思っていたんだ。 アバディ領はアンガスに任せる時期だったし、お前に丸投げしてしまえってな」

 アンガスの父はお茶目風に片目を瞑った。 アンガスのこめかみから何かが切れる音がした。

 「そんな顔しても全くかわいくありませんよっ、最初から分かっていたなら、言っておいてくださいっ」
 「それでは勉強にはならんだろう? アンガス自身で気づく事が大事なんだ」
 「……っ、新しい代官とは私も面接をします。 もし、ダメな者だったら交代させますからっ」
 「はいはい」

 父を軽く睨みつけた後、アンガスは足早に執務室を出て行った。

 部屋へ戻ると、補佐官から1つの封書が届いていた。 中身を読んでみると、第一王子であるジェレミーからのアンガスの元へ訪れるという先ぶれだった。

 「……っ殿下が今日、こちらに来るそうです。 もう少し早く連絡をくれたらいいのに、全くっ」
 「ジェレミー殿下ですか?」
 「ええ……。 先ぶれが来たのはいつですか?」
 「つい先ほどですよ。 若様が部屋を出てから、少ししてからです」
 「わかりました。 今から殿下に手紙を届けてもらえますか? 先程、出て行ったのなら追いつくでしょう。 今からでは十分なおもてなしも出来ませんし。 私が指定する茶屋に来てもらいましょう。 行き成り訪ねてくるのですから、これくらい許されるでしょう」
 「はい、承知いたしました」
 「私はすぐに出かけてきます。 後、茶屋で過ごした後は、こちらに戻ってくると思いますので、お茶の準備だけしておいて下さい」
 「はい」

 出かける準備を終えると、補佐官が戻ってきた。 丁度、先ぶれを持ってきた従者を見つけられたようで、ちゃんと手紙を渡せたようだ。 直ぐに馬車でアンガスが指定した茶屋へ向かう。

 ◇

 石畳みを馬車の車輪が打つ。 窓の外には、見慣れぬ街並みが流れていき、馬車が向かっている茶屋に心を躍らせていた。 馬車がゆっくりと市街地の馬車止めに停まった馬車の正面には、シュヴァルツ家の家紋のエンブレムがつけられていた。

 「さ、ローラ、手を取って」

 リーバイが自然と馬車を降りるローラに手を差し出した。 ためらいなくリーバイが差し出した手をローラは取った。 馬車を降りて向かった先は、一際、にぎやかな場所だった。

 街の外れの一角に、大きな門で商店街と遮られていた。 ローラは門の先の華やかな店構えの街並みに、瞳を輝かせた。

 「ローラ、行こう。 予約しているから、並ばなくても入れるよ」
 「……そう」

 周囲を見回すと、煌びやかな衣装を着た女性や男性が店の前で立っていたり、店の前を通る人に手を振ったりしていた。 リーバイに手を引かれ、ローラは一歩、門の中へ入ろうとしていた。

 急に腕を後ろへ引かれ、ローラは前後に引っ張られた事により、後ろへ転びかけたが、背後にいた人のおかげで転ばすに済んだ。 直ぐに後ろを振り返り、礼を言おうとしてローラの身体が固まった。

 ものすごく怖い表情をしたアンガスが居たからだ。 後ろへ引っ張ったのは、アンガスのようだ。
 
 アンガスの後ろには、何故かジェレミーとアダムがいたのだが、ローラは会った事がなかった為、誰かわからなかった。

 「アンガス様っ」
 「ローラ、何故、こんな所にいるんですか?」
 「えっ、こんな所? えと……私はリーバイに誘われて……」

 怖い表情をしたアンガスがローラの前を歩いていたリーバイを睨みつけた。

 「ここは、貴方たちが来る場所ではないでしょう。 シュヴァルツ伯爵子息、どういうつもりですか?」

 舌打ちをしたリーバイは事の子細を話した。

 「この奥に美味しい饅頭を出す茶屋があるんだ。 ……別にそういう目的で来たわけじゃないっ」
 「ほう、というか、人の番をこんな所の茶屋に誘う方がおかしいのですが」
 「グ、グイベル侯爵子息こそ、こんな所に連れ立ってくるとは、人の事を言えませんよ」
 「私が来たのは、ここの茶屋ではなく、門のそばにある茶屋へ来ていたんです。 そしたら、この門を超えようとしている君たちを見つけたんですよ」

 ローラは2人がこんな所という事に、全く理解が出来ていなかった。 睨みあう2人から『シャーッ』と舌を出して威嚇する音が鳴った。

 「おいおい、門前で話していても仕方ないだろう? 一先ず、その茶屋へ行こうではないか」
 「で……いや、ジュリー……しかし」
 「アンガス、とりあえずの彼の言う茶屋が安全な場所なのか、確認をして、状況によっては処罰しよう」
 
 小さく息を吐いたアンガスがローラの手を引いてきた。

 「行きますよ、ローラ。 自身がどこに行こうとしていたか、ちゃんと見て確かめなさい。 あまりにももの知らずなのも呆れますね」

 アンガスの言葉にローラの胸を突き刺した。 いとこであるリーバイに付いて来ただけなのに、ずいぶんな言われようだ。 しかし、門の中へ入り、アンガスが言わんとしていた事が分かり、愕然としてリーバイを見た。 リーバイはローラと視線が合うと、バツが悪そうに視線を逸らした。

 ただ、リーバイが連れて行きたがっていた茶屋は、普通にお茶をするだけでも出来るらしく、店の中には女性だけの客もいた。 しかし、女性客の着ていた服装を見る限り、一般人ではないようだ。

 (……っリーバイ、どうしてこんな所に私を連れて来たの?)

 アンガスたち一行は、ジェレミーを先頭にアダム、アンガスとローラ、最後尾にリーバイと続き、2間続きの部屋へ通された。
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