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王国アルカンジェリ、緑豊かな土地を多く持ち、大陸で二番目に大きな国だ。
深い森を挟んで隣り合っているエスクレド帝国とは微妙な関係を保ちつつ、貿易も盛んに行っている。
教育機関にも力を入れており、平民にも教育を施し、人材育成を王家が進んで行い、学園都市を作り上げた。
学園都市アンジェリ。数十年をかけて築き上げた教育の聖域は、今日も穏やかな陽光に包まれている。
元は王侯貴族だけが通う学園も、今は平民も通える学園となっている。中庭では生徒たちが楽しそうに笑いながら、話をする姿が見受けられる。
暖かい日差しの中では、会話も弾むだろう。しかし、今、学園ではある噂で持ち切りになっている。
『第三王子が、美しく聡明で優しい淑女の鏡と言われている伯爵令嬢と恋に落ちたらしい』『幼い頃からの婚約者とは不仲だそうだ』『だって婚約者は成績優秀で美人だが、根暗で笑わないのだろう』『いつもおどおどしているから第三王子から厭われているんだ』
校舎の至る所で醜悪な噂が這い回っていた。学園に通う生徒で噂を知らない者は誰一人いない。
恋仲だと噂されている伯爵令嬢と第三王子は、一定の距離を保ちながらも、互いを見つめる眼差しは慈愛に満ち、想い合っている様に見えた。
熱に浮かされたような令嬢たちの溜息と、不貞を指弾する冷ややかな囁き。相反する声はうねりとなり、王宮の一角にまで届いていた。
◇
「本当に馬鹿だよね、私の可愛い可愛い弟は」唇からこぼれ出る言葉は、楽し気な音が混じっている。
しかし、上手くやったな、としか思えないな。ファブリツィオでは無理だろうな、彼女を御するのは……。
彼は、唯一王妃から生まれた第一王子であり、学園を卒業後に立太子したアルカンジェリ王国の王太子である。
王城の執務室で、映写機が回る音が規則的に流れ、雰囲気は観劇に近い。白い壁に映し出された映像は、吐き気を催し、王太子の胸を不快にさせた。
不快に歪めた口元から笑みが広がる。
別に、本当に弟のことを馬鹿にしている訳じゃない。本当に可愛いと思っているんだけどね。相手にしている令嬢が弟よりも何枚も上手だから、弟では掌の上で踊らされるだけだろう。まぁ、弟は気づていない訳なんだが、どうしたものか……問題は彼女の目的だよね。
「さて、どの段階でこの映像を弟に見せようか?ピエトロ」長い足を組みなおし、軋んだ音を鳴らして椅子を回した。
背後で立っている三人の従者たちに、王太子は読めない笑みを向ける。
椅子が鳴らす軋んだ音さえも、ピエトロを責めているように聞こえる。
「……っ」王太子の黒い笑みを受け、右端のピエトロが言葉にならない声を発した
「ん?」王太子が首を傾げ、「ピエトロ、今なんて言ったのかな?よく聞こえなかったよ」
「……殿下」ピエトロは目を泳がせる。
ふふっ、随分と焦っているね。しかも汗が噴き出しているし、面白いよ、ピエトロ。確か彼が弟の従者になったのは、四年位前かな。まぁ、もっと前から補佐候補として側にいたけど。
「……マウリツィオ王太子殿下、今回の不祥事は……」
「別に君を責めている訳ではないよ、ピエトロ。君がずっと弟に忠告していたのは知っているしね」
「申し訳ございません、私の不徳の致すところです」ピエトロは深く頭を下げた。
とても悔しそうに顔を歪めるピエトロに、マウリツィオは小さく息を吐く。
おや、随分と悔しそうだね。従者に悲しい顔をさせるなんて罪な男だよ、ファブリツィオ。……仕方ない、可愛い弟に猶予をあげようか。ファブリツィオがお花畑から帰還するのならいいけれど、もし帰還しないのなら、可愛い弟から何もかも取り上げてしまおうか。
「フィルムをファブリツィオに見せていいよ。もし、それでも可愛い弟が目を覚まさないのなら、然るべき措置を取る」
「……」ピエトロの肩が小さく動く。
「可愛い弟がまだ彼女に手を出していないにしても、不貞が美談になっては、王家の威信に関わるからね」
「はい、寛大なお心使い感謝致します」
臣下の礼をしたピエトロは映写機を片付けると、直ぐに王太子の執務室を出て行った。
部屋を出て行くピエトロの背中を見送るマウリツィオは、深い溜息を吐く。
椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げたマウリツィオの表情は、とても辛そうに見える。
映像を見たら悲しむだろうな。可愛い弟よ、兄の愛の鞭だと思って許せ。しかし、可愛い弟は、私に言った誓いを忘れてしまったんだろうか……忘れていたら、とても残念だよ。
再び長い足を組みなおし、「あとは、伯爵令嬢がどう動くかだね。とても楽しみだ」、と呟いて黒い笑みを浮かべる。
残った二人の従者は真面目な表情で立っていたが、内心では戦々恐々としていた。
◇
第三王子であるファブリツィオ・デ・トレ・アルカンジェリは、王の側室であるアントネッラ妃が産んだ二人の王子の一人である。
アントネッラ妃は、両陛下が結婚して何年経っても子供に恵まれず、貴族会議で側室を迎える事が決まり、側妃として王家に入った。
場所は王城にあるファブリツィオの執務室で、兄であるマウリツィオの執務室の並びにある。
ファブリツィオはピエトロから見せられた映像を眺め、碧眼の瞳と口を大きく開けた情けない姿を晒していた。
フィルムが回転する音を鳴らして動く映写機が、白い壁に映し出した映像を止めることなく流している。
静かな執務室で映し出されている男女の声が、ファブリツィオの脳みそを突き刺した。背後で静観しているピエトロを振り返って睨みつける。
「……おい!この映像は本物なのか?!」
「はい、真実でございます」
「……っ」
映像が真実ならば、俺の想い人は淑女の仮面を被っていたという事だろう。裏切り行為を全く見抜けなかった!何たる失態だ!
「俺は、ふしだらな女が一番嫌いなんだ!」
「これで、私が進言していた事を分かって頂けましたか?殿下」
「……っ」
ピエトロが真っ直ぐにファブリツィオを見つめてくる。彼の眼差しには、一切の情けを掛ける感情は見えない。
ピエトロの眼差しから、『殿下は女性を見る目がありませんね』とありありと出ていた。
「まだ、証拠となる映像はありますが、どうされますか?ご覧になられますか?」
「……いや、もういい!」
顔を左右に振って拒絶する。一分一秒も見たくないほどの不快感が胸を差し、吐き気が喉までせり上がってくる。
彼女は清楚で聡明だと思っていた。
俺だけを想っていてくれていると思っていたのに。くそっ、何で……あいつらとキスなんてしているんだ!
ファブリツィオは悔しそうに執務机を拳で叩きつけた。叩きつけた拳は、胸の痛みと共にファブリツィオに突き刺す。
横で映写機を片付けているピエトロは慣れているのか、何の感情も出さずに黙々と作業を続けていた。
「ピエトロ、お前はずっと知っていたのか?」
「はい、存じておりました」ピエトロは眉間に皺を寄せて瞼を閉じる。
「私は学園にも同行しておりますので、第三者の目で状況を見定める事が出来ました。彼女は私にも媚びてきました。まぁ、私は子供には興味がありませんので、相手にはしませんでしたが」
顔を上げてにっこりと笑みを浮かべるピエトロの瞳は、全く笑っていなかった。
ファブリツィオの頬が僅かに引き攣る。
「そうか、お前にも手を出していたのか」
「何度も報告を致しましたよ。殿下には全く信じて頂けませんでしたけど」
ピエトロの眼差しに避難の色が混じる。
「……っ」ファブリツィオはバツが悪そうに視線を逸らす。
仕方ないだろう!俺は彼女の事を信じていたんだから!淑女の鏡だと言われている彼女に、裏の顔があるなんて誰も思わないぞ!
「それで、どうされるんです?」ピエトロから低い声が吐き出される。
ピエトロの低くて冷たい声で我に返り、ファブリツィオは顔を上げる。
「!!」ファブリツィオの全身が無意識に震え、一瞬で言葉を失う。
声よりも冷たい眼差しがファブリツィオの柔らかくて脆い部分を突き刺した。
映写機は既に片付けられており、ピエトロは普通に業務へ戻ろうとしている。
肘置きを強く握りしめ、牛革に皺がより軋んだ音を立てる。
ファブリツィオの脳裏で一人の女性の姿が過った。
「……もしかしなくても……あいつは知っているのか?」
「あいつとはどなたの事ですか?」ピエトロはとぼけた声を出す。
俺があいつって言えば、一人しかいないだろう!
唇を尖らせて憮然とした表情を浮かべるファブリツィオを、ピエトロは軽蔑の眼差しを込めて見つめてきた。
そして、不機嫌なファブリツィオに呆れ気味に溜息を落としてくる。
「もし『あいつ』と仰る方が殿下の婚約者様ならば、きちんとお名前をお呼びなさいませ。王族の婚約者様を蔑ろにすることは、殿下だとしても許されませんよ」
ピエトロに厳しく叱責され、ファブリツィオは言い直した。
「……ヴァレリアは知っているのか、その、カーティアが……」
ファブリツィオが想い人の名前を言った瞬間、ピエトロの眼差しが鋭くなる。
ピエトロの視線が鋭くなった?カーティアって呼んだからか!ちゃんと区別を付けろって言いたいんだろう!
ファブリツィオは眉を顰めて唇を引き結ぶ。
「ヴァレリアは、クローチェ伯爵令嬢のことを知っているのか?」
ピエトロの眉が訝し気に寄せられたので、狼狽えながら聞き直す。
「あ、いや、俺との恋仲の噂ではなくて、フィルムのことだ」
未だ冷たい眼差しを送ってくるピエトロは、暫し考えたあと口を開いた。
「殿下がクローチェ伯爵令嬢に恋をしたことは、噂を聞かずとも気づいておられたと思います」
「……そうか」ファブリツィオの表情に翳りが差す。
「ストラーネオ侯爵令嬢が映像に映るクローチェ伯爵令嬢を知っているのかと問われれば、存じ上げませんと答えるしかありません」
「……」無言で両手で顔を塞ぐ。
「クローチェ伯爵令嬢はとても上手く動いていましたから、ご存じなのは王太子殿下と本当にごく一部です」
い、今、王太子って言ったか……マウリツィオ兄上に知られているのか!!
頭を抱えたファブリツィオは、地雷を踏んだのか如く身体が震えている。
まぁ、自分で言うのも何だが、カーティアのことは貴族社会では有名になっていたからな……もしかしなくても、兄上が調べたのか。
ファブリツィオは王太子が関わっていたと知り、血の気が引くほど顔色を悪くさせた。兄の王太子は、母違いの兄弟である二人の弟王子をとても溺愛している。
マウリツィオのブラコンは有名で、二人の弟王子がドン引きするくらいだ。
それ故に、とても面倒なこともある。
「あ、兄上が知っているってことは……」
「はい、殿下の憶測通り、マウリツィオ殿下が全て調べ上げられました。先程の映像も、マウリツィオ殿下が殿下に見せるようにと仰せになられましたので、見せることに致しました」
「あ……」
「ええ、とてもお怒りになられていると思います。お顔には出されませんでしたが」
ピエトロは皆まで言わずとも、ファブリツィオの言いたいことが分かったようで、食い気味に知りたかったことを教えてくれた。
ファブリツィオの口から、無意識に乾いた笑い声が吐き出された。
兄上が黒い笑みを浮かべているのが目に浮かぶな。きっと逃げるなっていう兄上のメッセージだろう。ピエトロの忠言を聞き入れず、ずっと無視していたのは俺なんだからな。
「殿下、これを機に、婚約者様であるストラーネオ侯爵令嬢と向き合って下さいませ。九月からは二年生に進級され、生徒会長になられるのです。感情に流されるような学園運営はなさってはいけません。殿下があの事で傷ついていることは、」
「分かっている!皆まで言うな!」拳を執務机に激しく打ちつける。
硬質な木材に衝突した衝撃が、耳の奥をつんざき、手首から肘にかけて熱い痺れを走らせた。
卓上のペン入れが跳ね、積み上げられた書類が雪崩のように床へ散らばる。
静まり返った室内には、乱れた呼吸の音だけが残された。
ファブリツィオは、ピエトロの言葉を遮り、悔いいる様な表情を浮かべる。
「……殿下」ピエトロの心配気な声が耳に届く。
分かってるよ、俺が悪いってことは!正論なんか聞きたくないんだよ!でも、カーティアとは……もう、今までの関係ではいられない。生徒会も辞めてもらうしかない。あいつらも、よくも俺を裏切ってくれたよ。友達面してカーティアを口説いていたなんてな。
ファブリツィオは頭を抱えて項垂れる。
脳裏でヴァレリアにした行いが次々と蘇ってきた。
いや、俺もあいつらとカーティアを責められないか。俺もヴァレリアを裏切ったんだから。きっと俺の罪の方が重い……今更、どんな顔してヴァレリアと向き合えって言うんだよ、兄上。
素直に誠心誠意、ヴァレリアに謝罪し、彼女の望むように計らえばいいのだが、分かっていてもファブリツィオは素直になれなかった。
そして、友人だと思っていた裏切り行為にも、とても腹を立てていた。
深い森を挟んで隣り合っているエスクレド帝国とは微妙な関係を保ちつつ、貿易も盛んに行っている。
教育機関にも力を入れており、平民にも教育を施し、人材育成を王家が進んで行い、学園都市を作り上げた。
学園都市アンジェリ。数十年をかけて築き上げた教育の聖域は、今日も穏やかな陽光に包まれている。
元は王侯貴族だけが通う学園も、今は平民も通える学園となっている。中庭では生徒たちが楽しそうに笑いながら、話をする姿が見受けられる。
暖かい日差しの中では、会話も弾むだろう。しかし、今、学園ではある噂で持ち切りになっている。
『第三王子が、美しく聡明で優しい淑女の鏡と言われている伯爵令嬢と恋に落ちたらしい』『幼い頃からの婚約者とは不仲だそうだ』『だって婚約者は成績優秀で美人だが、根暗で笑わないのだろう』『いつもおどおどしているから第三王子から厭われているんだ』
校舎の至る所で醜悪な噂が這い回っていた。学園に通う生徒で噂を知らない者は誰一人いない。
恋仲だと噂されている伯爵令嬢と第三王子は、一定の距離を保ちながらも、互いを見つめる眼差しは慈愛に満ち、想い合っている様に見えた。
熱に浮かされたような令嬢たちの溜息と、不貞を指弾する冷ややかな囁き。相反する声はうねりとなり、王宮の一角にまで届いていた。
◇
「本当に馬鹿だよね、私の可愛い可愛い弟は」唇からこぼれ出る言葉は、楽し気な音が混じっている。
しかし、上手くやったな、としか思えないな。ファブリツィオでは無理だろうな、彼女を御するのは……。
彼は、唯一王妃から生まれた第一王子であり、学園を卒業後に立太子したアルカンジェリ王国の王太子である。
王城の執務室で、映写機が回る音が規則的に流れ、雰囲気は観劇に近い。白い壁に映し出された映像は、吐き気を催し、王太子の胸を不快にさせた。
不快に歪めた口元から笑みが広がる。
別に、本当に弟のことを馬鹿にしている訳じゃない。本当に可愛いと思っているんだけどね。相手にしている令嬢が弟よりも何枚も上手だから、弟では掌の上で踊らされるだけだろう。まぁ、弟は気づていない訳なんだが、どうしたものか……問題は彼女の目的だよね。
「さて、どの段階でこの映像を弟に見せようか?ピエトロ」長い足を組みなおし、軋んだ音を鳴らして椅子を回した。
背後で立っている三人の従者たちに、王太子は読めない笑みを向ける。
椅子が鳴らす軋んだ音さえも、ピエトロを責めているように聞こえる。
「……っ」王太子の黒い笑みを受け、右端のピエトロが言葉にならない声を発した
「ん?」王太子が首を傾げ、「ピエトロ、今なんて言ったのかな?よく聞こえなかったよ」
「……殿下」ピエトロは目を泳がせる。
ふふっ、随分と焦っているね。しかも汗が噴き出しているし、面白いよ、ピエトロ。確か彼が弟の従者になったのは、四年位前かな。まぁ、もっと前から補佐候補として側にいたけど。
「……マウリツィオ王太子殿下、今回の不祥事は……」
「別に君を責めている訳ではないよ、ピエトロ。君がずっと弟に忠告していたのは知っているしね」
「申し訳ございません、私の不徳の致すところです」ピエトロは深く頭を下げた。
とても悔しそうに顔を歪めるピエトロに、マウリツィオは小さく息を吐く。
おや、随分と悔しそうだね。従者に悲しい顔をさせるなんて罪な男だよ、ファブリツィオ。……仕方ない、可愛い弟に猶予をあげようか。ファブリツィオがお花畑から帰還するのならいいけれど、もし帰還しないのなら、可愛い弟から何もかも取り上げてしまおうか。
「フィルムをファブリツィオに見せていいよ。もし、それでも可愛い弟が目を覚まさないのなら、然るべき措置を取る」
「……」ピエトロの肩が小さく動く。
「可愛い弟がまだ彼女に手を出していないにしても、不貞が美談になっては、王家の威信に関わるからね」
「はい、寛大なお心使い感謝致します」
臣下の礼をしたピエトロは映写機を片付けると、直ぐに王太子の執務室を出て行った。
部屋を出て行くピエトロの背中を見送るマウリツィオは、深い溜息を吐く。
椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げたマウリツィオの表情は、とても辛そうに見える。
映像を見たら悲しむだろうな。可愛い弟よ、兄の愛の鞭だと思って許せ。しかし、可愛い弟は、私に言った誓いを忘れてしまったんだろうか……忘れていたら、とても残念だよ。
再び長い足を組みなおし、「あとは、伯爵令嬢がどう動くかだね。とても楽しみだ」、と呟いて黒い笑みを浮かべる。
残った二人の従者は真面目な表情で立っていたが、内心では戦々恐々としていた。
◇
第三王子であるファブリツィオ・デ・トレ・アルカンジェリは、王の側室であるアントネッラ妃が産んだ二人の王子の一人である。
アントネッラ妃は、両陛下が結婚して何年経っても子供に恵まれず、貴族会議で側室を迎える事が決まり、側妃として王家に入った。
場所は王城にあるファブリツィオの執務室で、兄であるマウリツィオの執務室の並びにある。
ファブリツィオはピエトロから見せられた映像を眺め、碧眼の瞳と口を大きく開けた情けない姿を晒していた。
フィルムが回転する音を鳴らして動く映写機が、白い壁に映し出した映像を止めることなく流している。
静かな執務室で映し出されている男女の声が、ファブリツィオの脳みそを突き刺した。背後で静観しているピエトロを振り返って睨みつける。
「……おい!この映像は本物なのか?!」
「はい、真実でございます」
「……っ」
映像が真実ならば、俺の想い人は淑女の仮面を被っていたという事だろう。裏切り行為を全く見抜けなかった!何たる失態だ!
「俺は、ふしだらな女が一番嫌いなんだ!」
「これで、私が進言していた事を分かって頂けましたか?殿下」
「……っ」
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ピエトロの眼差しから、『殿下は女性を見る目がありませんね』とありありと出ていた。
「まだ、証拠となる映像はありますが、どうされますか?ご覧になられますか?」
「……いや、もういい!」
顔を左右に振って拒絶する。一分一秒も見たくないほどの不快感が胸を差し、吐き気が喉までせり上がってくる。
彼女は清楚で聡明だと思っていた。
俺だけを想っていてくれていると思っていたのに。くそっ、何で……あいつらとキスなんてしているんだ!
ファブリツィオは悔しそうに執務机を拳で叩きつけた。叩きつけた拳は、胸の痛みと共にファブリツィオに突き刺す。
横で映写機を片付けているピエトロは慣れているのか、何の感情も出さずに黙々と作業を続けていた。
「ピエトロ、お前はずっと知っていたのか?」
「はい、存じておりました」ピエトロは眉間に皺を寄せて瞼を閉じる。
「私は学園にも同行しておりますので、第三者の目で状況を見定める事が出来ました。彼女は私にも媚びてきました。まぁ、私は子供には興味がありませんので、相手にはしませんでしたが」
顔を上げてにっこりと笑みを浮かべるピエトロの瞳は、全く笑っていなかった。
ファブリツィオの頬が僅かに引き攣る。
「そうか、お前にも手を出していたのか」
「何度も報告を致しましたよ。殿下には全く信じて頂けませんでしたけど」
ピエトロの眼差しに避難の色が混じる。
「……っ」ファブリツィオはバツが悪そうに視線を逸らす。
仕方ないだろう!俺は彼女の事を信じていたんだから!淑女の鏡だと言われている彼女に、裏の顔があるなんて誰も思わないぞ!
「それで、どうされるんです?」ピエトロから低い声が吐き出される。
ピエトロの低くて冷たい声で我に返り、ファブリツィオは顔を上げる。
「!!」ファブリツィオの全身が無意識に震え、一瞬で言葉を失う。
声よりも冷たい眼差しがファブリツィオの柔らかくて脆い部分を突き刺した。
映写機は既に片付けられており、ピエトロは普通に業務へ戻ろうとしている。
肘置きを強く握りしめ、牛革に皺がより軋んだ音を立てる。
ファブリツィオの脳裏で一人の女性の姿が過った。
「……もしかしなくても……あいつは知っているのか?」
「あいつとはどなたの事ですか?」ピエトロはとぼけた声を出す。
俺があいつって言えば、一人しかいないだろう!
唇を尖らせて憮然とした表情を浮かべるファブリツィオを、ピエトロは軽蔑の眼差しを込めて見つめてきた。
そして、不機嫌なファブリツィオに呆れ気味に溜息を落としてくる。
「もし『あいつ』と仰る方が殿下の婚約者様ならば、きちんとお名前をお呼びなさいませ。王族の婚約者様を蔑ろにすることは、殿下だとしても許されませんよ」
ピエトロに厳しく叱責され、ファブリツィオは言い直した。
「……ヴァレリアは知っているのか、その、カーティアが……」
ファブリツィオが想い人の名前を言った瞬間、ピエトロの眼差しが鋭くなる。
ピエトロの視線が鋭くなった?カーティアって呼んだからか!ちゃんと区別を付けろって言いたいんだろう!
ファブリツィオは眉を顰めて唇を引き結ぶ。
「ヴァレリアは、クローチェ伯爵令嬢のことを知っているのか?」
ピエトロの眉が訝し気に寄せられたので、狼狽えながら聞き直す。
「あ、いや、俺との恋仲の噂ではなくて、フィルムのことだ」
未だ冷たい眼差しを送ってくるピエトロは、暫し考えたあと口を開いた。
「殿下がクローチェ伯爵令嬢に恋をしたことは、噂を聞かずとも気づいておられたと思います」
「……そうか」ファブリツィオの表情に翳りが差す。
「ストラーネオ侯爵令嬢が映像に映るクローチェ伯爵令嬢を知っているのかと問われれば、存じ上げませんと答えるしかありません」
「……」無言で両手で顔を塞ぐ。
「クローチェ伯爵令嬢はとても上手く動いていましたから、ご存じなのは王太子殿下と本当にごく一部です」
い、今、王太子って言ったか……マウリツィオ兄上に知られているのか!!
頭を抱えたファブリツィオは、地雷を踏んだのか如く身体が震えている。
まぁ、自分で言うのも何だが、カーティアのことは貴族社会では有名になっていたからな……もしかしなくても、兄上が調べたのか。
ファブリツィオは王太子が関わっていたと知り、血の気が引くほど顔色を悪くさせた。兄の王太子は、母違いの兄弟である二人の弟王子をとても溺愛している。
マウリツィオのブラコンは有名で、二人の弟王子がドン引きするくらいだ。
それ故に、とても面倒なこともある。
「あ、兄上が知っているってことは……」
「はい、殿下の憶測通り、マウリツィオ殿下が全て調べ上げられました。先程の映像も、マウリツィオ殿下が殿下に見せるようにと仰せになられましたので、見せることに致しました」
「あ……」
「ええ、とてもお怒りになられていると思います。お顔には出されませんでしたが」
ピエトロは皆まで言わずとも、ファブリツィオの言いたいことが分かったようで、食い気味に知りたかったことを教えてくれた。
ファブリツィオの口から、無意識に乾いた笑い声が吐き出された。
兄上が黒い笑みを浮かべているのが目に浮かぶな。きっと逃げるなっていう兄上のメッセージだろう。ピエトロの忠言を聞き入れず、ずっと無視していたのは俺なんだからな。
「殿下、これを機に、婚約者様であるストラーネオ侯爵令嬢と向き合って下さいませ。九月からは二年生に進級され、生徒会長になられるのです。感情に流されるような学園運営はなさってはいけません。殿下があの事で傷ついていることは、」
「分かっている!皆まで言うな!」拳を執務机に激しく打ちつける。
硬質な木材に衝突した衝撃が、耳の奥をつんざき、手首から肘にかけて熱い痺れを走らせた。
卓上のペン入れが跳ね、積み上げられた書類が雪崩のように床へ散らばる。
静まり返った室内には、乱れた呼吸の音だけが残された。
ファブリツィオは、ピエトロの言葉を遮り、悔いいる様な表情を浮かべる。
「……殿下」ピエトロの心配気な声が耳に届く。
分かってるよ、俺が悪いってことは!正論なんか聞きたくないんだよ!でも、カーティアとは……もう、今までの関係ではいられない。生徒会も辞めてもらうしかない。あいつらも、よくも俺を裏切ってくれたよ。友達面してカーティアを口説いていたなんてな。
ファブリツィオは頭を抱えて項垂れる。
脳裏でヴァレリアにした行いが次々と蘇ってきた。
いや、俺もあいつらとカーティアを責められないか。俺もヴァレリアを裏切ったんだから。きっと俺の罪の方が重い……今更、どんな顔してヴァレリアと向き合えって言うんだよ、兄上。
素直に誠心誠意、ヴァレリアに謝罪し、彼女の望むように計らえばいいのだが、分かっていてもファブリツィオは素直になれなかった。
そして、友人だと思っていた裏切り行為にも、とても腹を立てていた。
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