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26話
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春の園遊会の企画会議は遅くまで行われたが、日程の半分程しか埋まらなかった。
自身の吐き出した深い溜め息に埋もれそうになるファブリツィオ。補佐官であるピエトロは容赦なく公務を渡してくる。
鬼畜なピエトロを半眼で見つめながら、書類をパラパラと捲る。書類を捲る紙の擦れる小さい音が学園寮の執務室に落ちる。 そして、ふと気づく。
「ん? マウリツィオ兄上の仕事がいつもよりも少ない?」
「はい、マウリツィオ殿下の仕事はあちらで出来る物は、あちらに回しております」
答えたのはマウリツィオの補佐官たちだ。
ピエトロの意味深な笑みで、オラツィオの仕業だと気づき、少しだけ胸に歓喜が湧く。子供の様に一瞬だけ喜色を浮かべたファブリツィオに、補佐官たちは生暖かい眼差しを向けてくる。
自身の心情に気づかれた事に気づき、気恥ずかしさを咳払いで誤魔化す。
「仕事をするぞっ」
補佐官の苦笑を滲ませた返事が返って来た。
マウリツィオ兄上、今頃、とってもご立腹だろうな。
ご立腹どころか、当の本人は嬉々として仕事を熟し、何やら企んでいる様子だとは全く気付いていなかった。
◇
連日の企画会議、本日で全ての企画が決まらないと、クラス毎の企画にも支障が出るだろう。
「では、先日の続きだ。何かないだろうか?」
会議では色々な企画が上がり、カーティアのペア企画も上げられた。
「はい、森散策をするのなら、俺は釣りがしたいです」
「あ、いいね。俺も思ってた。狩猟もいいよね。馬場もあるし、馬を借りて遠出もいい」
ジャンカルロとフリオの二人が盛り上がる。ならば、三日目の天体観測も森で行えばいいのではと、意見が出た。
「なら、森でキャンプもするか?森の中で一泊するのもいいか」
「いいですね。皆で取った獲物を食べましょう」
ジャンカルロとフリオはアウトドア派の様だ。次に手を上げたのはフラヴィオ。
『ちゃんとした意見だろうな』とファブリツィオが鋭い眼差しをフラヴィオへ向ける。
「ちゃんとした意見だってば!保養地の近くに温泉施設があるじゃない?そこ行こうよ。行きでも、帰りでもいいからさ」
「それで言えば、大きなレストラン村もありますね。何軒かあって景色もいいので、人気があるそうです」
「いいね。貴族令嬢も多いし、あんまり土に塗れる企画ばかりだと、嫌がられるよ。それに僕は女子とデートもしたいよ」
「……フラヴィオ、あんまり羽目を外すなよ」
「分かっているよ、殿下」
フラヴィオとヴァレリオの意見を入れる。最後にアリーチェが手を上げた。
「あの、キャンプ場を今から押さえるのは難しいのではないですか?」
「ああ、それは大丈夫だ。三泊四日の間は保養地の周辺施設は押さえている」
「そうですか、余計な差し出口でした。 申し訳ございません」
「いや、大丈夫だ。オルモ嬢は何かないのか?」
「私は、乗馬が好きですので、遠出に参加しようと思います」
「そうか。意見は出揃ったかな?」
皆がファブリツィオの背後にある黒板を眺める。今まで上げた企画が書かれてある。黒板の前にはヴァレリアが立っていた。
「一通り、皆様の意見は聞いたと思います」
「では、まとめるか」
企画会議の結果。
一日目、早朝に出発し、温泉施設とレストラン村に立ち寄り、レストランでお茶会をする。夕方過ぎに保養地に着く。夕食後、就寝まで自由時間。
二日目、三年生は保養所で勉強合宿。 一・二年生は北区の農業施設をグループ毎に別れて見学する。夕食後、皆で花火。
三日目、引き続き三年生は勉強合宿。 一・二年生は森の中のキャンプ場へ移動する。釣り、狩猟、乗馬などに別れてグループ行動。夕食は皆で取った物を調理して食べる。夜は天体観測、三年生は保養所の広場で天体観測。
四日目、三年生は午前中に最後の追い込み。一・二年生は昼食前に戻り、昼に出発して行きで寄った温泉施設とレストラン村に立ち寄り、レストランでお茶会で〆る。 夜20時頃、学園寮に帰還。
うん、園遊会だからお茶会で始まってお茶会で終わる。これでいいな。クローチェ伯爵令嬢のペア企画は入られなかったけど。温泉施設とか、キャンプに天体観測と花火。いくらでも俺を嵌めるチャンスはあるな。
後は、ファブリツィオに付け入る隙を作るだけである。自身の考えた事ではあるが、春の園遊会を思うと、気が重くなるファブリツィオだった。
「春の園遊会の日程も決まりましたし、これで、園遊会まで公務に集中出来ますね」
生徒会室から学園寮の執務室へ移動した。
執務机に、大量の仕事が乗せられた。 大きな音を鳴らして書類が置かれ、風圧でファブリツィオの髪が揺れた。
「ピエトロ、日程は決まったが、それに向けて準備があるんだが」
「それは皆が手分けしてやってくれるでしょう?殿下が春の園遊会に参加するには、それまでに終わらせないと駄目な仕事があります。憂なく園遊会に参加したいならば、頑張って下さいね」
ピエトロは無常にも、いい笑顔で宣った。ファブリツィオの嘆き声が執務室で響いた事は、補佐官たちとヴァレリアしか知らない。
◇
「……まさかとは思うが、弟の園遊会に着いていくつもりか」
頬を引き攣らせ、オラツィオは一人しかいない自身の兄を見た。こめかみに小さい青筋が見える。
「えっ、まさか。そんな事しないよ! 私が心配症みたいじゃないか!」
オラツィオの表情には疑いの色が混ぜられている。腕を組んで仁王立ちし、マウリツィオの前に立ちはだかった。
「俺は、あいつを信じて見守る事も必要だと思う」
「そうだね。でも、ファブリツィオが気付いていない者の動きを把握しないとね」
溜め息を吐いたオラツィオは、どうすれば兄を止められるのか悩んでいた。
「大丈夫だって、後ろからバレない様に着いていくだけだから」
「やっぱり着いていく気満々なんじゃないか!」
執務室でオラツィオの大きな声が響く。
「てへっ」
可愛いらしく顔を傾げて、誤魔化し笑いを浮かべるマウリツィオの首根っこを引っ掴み、マウリツィオの為に用意した椅子に兄を投げ付ける。
「オラツィオ、酷い!!私は長男だよ!」
「だからなんだ!大人しく仕事しろ!お前の仕事がこれ以上ファブリツィオに回ったら、あいつが春の園遊会に参加出来ないだろうが!」
オラツィオの言葉に今になって気づいたのか、マウリツィオは眉尻を下げた。
「あぁ、それは駄目だね。企画だけして自身が参加出来ないなんて、つまらないだろうし、来年は三年生だから、勉強合宿だもんね」
三年生の春の園遊会は卒論がある為、卒業試験の為の勉強合宿になる。
少しだけ昔を思い出したのか、瞳を伏せるマウリツィオ。やっと諦めてくれた様なので、オラツィオは自身の執務机で仕事を再開した。
◇
マウリツィオがブラコンを発揮している事など気づかず、ファブリツィオは公務に忙殺されながらも、何とか春の園遊会へ参加出来る事になった。
園遊会の前日、ファブリツィオは自身の部屋へヴァレリアを呼び出した。
学園寮のファブリツィオの自室の居間。
ファブリツィオとヴァレリアは緊張した面持ちでソファーセットに向かい合い、今後について話し合っていた。
「明日からの園遊会だが、リアとあまり一緒にはいられないかも知らない」
「はい、承知しています」
膝の上に置いてあるヴァレリアの拳が強く握られている。俯いてしまったヴァレリアの表情は見えない。そっと隣に座り、握り締められたヴァレリアの拳に手を重ねる。
今はピエトロはいない。彼は学園寮の執務室に行ってくれている。園遊会の前に、ヴァレリアと二人っきりになれる時間を作ってもらった。
「出来るだけリアとの二人の時間を作る」
「でも、それではクローチェ伯爵令嬢を嵌められないのではないですか?」
「……大丈夫だ」
少し自信なげに言うファブリツィオに、ヴァレリアは苦笑を零した。
「無理しなくてもいいんですよ。私は信じていますから」
「いや、俺がリアとの思い出を作りたいんだ。去年は園遊会など面倒だと、公務を理由に行かなかったからな」
「そう言えばそうでしたね」
三年生の勉強合宿は強制だが、一・二年生は参加しなくても何もペナルティはないが、生徒たちは楽しみにしているので、特別に何もなければほぼ参加する。
「ああ、リアも補佐だからと言って、俺に付き合って行かなかっただろう?今思えば、酷い事をしたな」
「……残念ではありましたけど、公務とは言え、二人っきりの時間は少しだけありましたよ。目を合わせてくれませんでしたけど……」
ヴァレリアの話を聞き、深く頭を下げて謝罪した。
「本当にすまない!」
「はい、許します」
「いや、リアは簡単に許し過ぎる!」
「では、どうすればいいのです?ここで嘆いていても、前へは進めませんよ」
「ああ、分かっている」
ファブリツィオは、膝に置いた拳を握りしめる。
「どうすれば、リアは不安にならない?」
「……すみません、あの方がいる以上は不安なままです」
「そうだよな」
俯いているヴァレリアの顔を上げさせ、ファブリツィオは真剣な眼差しで訴えた。
「絶対に、今回で方を付ける。今後は不安にさせないから」
「はい、ファーベル様、お一人に任せるつもりはありません。私もお手伝いします」
リア!俺が言うのも何だけど、お人よし過ぎる!
やる気充分なヴァレリアを見て、ファブリツィオは眉尻を下げた。
何処まで、好きにさせれば気が済むんだ!自惚れじゃなくても、リアはきっと俺の事を、俺が思っている以上に好きなんだな。
「俺は、必ずリアを誰よりも幸せにしてみせるから」
「はい。ファーベル様、一緒に幸せになりましょう。私も貴方を幸せにしたいです」
破顔するヴァレリアにファブリツィオの眉尻は更に下がる。ヴァレリアを抱きしめると、ファブリツィオから切実な声が溢れる。
「何を見ても、俺の事を信じてくれ」
「はい」
ファブリツィオの背中に回されたヴァレリアの細い手が小さく震えている。
……口付けしたいけど、いつも思うけど、今のタイミングじゃないんだよ!
ファブリツィオから切ない溜め息が吐き出された。
「口付けしたいけど、我慢するよ」
「いいえ、我慢しないで下さい」
「でも、なんか誤魔化している様で嫌なんだよな」
「それでもいいです」
拗ねた様なヴァレリアの声に、少しだけ身体を離す。
「女だって、不安になればして欲しい時もあります」
「……っ、で、では、いいだろうか」
ヴァレリアは小さく頷き、ファブリツィオが近づくと、二人の影が重なった。
◇
春の園遊会の当日がやって来た。空は晴天で気温も三月の中旬なので、比較的に暖かい。
一日目は移動日、北区にある保養所まで馬車で向かう。馬車は、大勢の学園の生徒を乗せる為、特注で作られた馬車だ。
一クラス三十人が乗れる大型の馬車だ。
六人座れるボックス席が六つあり、四頭の馬が引く。全部で十六台の馬車が大移動する。
クラス別なので、ヴァレリアとは馬車が別々になる。ボックス席の窓から、外を見る。
隣の馬車に、トロヴァート家の双子と一緒に乗り込むヴァレリアを見つめた。
自身が座っているボックス席を眺めまわし、深い溜め息が出た。
一番後ろのボックス席には、ファブリツィオの他に、フラヴィオ、カーティア、アドルフォ、サヴェリオが座っている。
かつての生徒会メンバーである。何が楽しくて、古傷を弄らないといけないのか。 カーティアだけは一人、楽しそうにフラヴィオに話し掛けている。能天気なフラヴィオでさえ、頬を引き攣らせていると言うのに。
「殿下、今年も公務が忙し過ぎて、来られないのかと思っておりました」
「ああ、来年は勉強合宿になるし、皆と遊べるのは今年が最後だからな。公務は何とか詰めた」
「そうですか」
去年は面倒だと、冷めた様子で行かなかったのに、考えを変えたファブリツィオにアドルフォは僅かに眉をあげた。
「もうっ! アドルフォ様ったら、そんな意地悪を言わなくてもいいじゃないですか。折角、ファブリツィオ殿下と来ているのだから楽しみましょう」
「あ、あぁ……」
カーティアの映像を見た後から、アドルフォは彼女が苦手になったのか、微妙な表情をして変な声を出した。
サヴェリオは誰とも目を合わせず、口も聞かず、微動だにしなかった。
アドルフォの気持ちは分からなくもない。あんな場面を見せられたら、流石に引く。
「ファブリツィオ殿下もやっと自由に出来るんですから、気を休めて下さいませ」
和かに微笑むカーティアは、ファブリツィオの隣を陣取り、身体を寄せてくる。
思わず不快感に、眉間に皺が寄せられそうになり、フラヴィオから足蹴を喰らわされる。
……っ、フラヴィオ!
フラヴィオと視線が合うと、『我慢してっ!』と言うフラヴィオの心の声が聞こえてきそうだった。
大人しく座っていないと、駄目らしい。
学園の生徒を乗せた馬車が次々と出発し、ファブリツィオを乗せた馬車も保養所へ向けて出発した。
自身の吐き出した深い溜め息に埋もれそうになるファブリツィオ。補佐官であるピエトロは容赦なく公務を渡してくる。
鬼畜なピエトロを半眼で見つめながら、書類をパラパラと捲る。書類を捲る紙の擦れる小さい音が学園寮の執務室に落ちる。 そして、ふと気づく。
「ん? マウリツィオ兄上の仕事がいつもよりも少ない?」
「はい、マウリツィオ殿下の仕事はあちらで出来る物は、あちらに回しております」
答えたのはマウリツィオの補佐官たちだ。
ピエトロの意味深な笑みで、オラツィオの仕業だと気づき、少しだけ胸に歓喜が湧く。子供の様に一瞬だけ喜色を浮かべたファブリツィオに、補佐官たちは生暖かい眼差しを向けてくる。
自身の心情に気づかれた事に気づき、気恥ずかしさを咳払いで誤魔化す。
「仕事をするぞっ」
補佐官の苦笑を滲ませた返事が返って来た。
マウリツィオ兄上、今頃、とってもご立腹だろうな。
ご立腹どころか、当の本人は嬉々として仕事を熟し、何やら企んでいる様子だとは全く気付いていなかった。
◇
連日の企画会議、本日で全ての企画が決まらないと、クラス毎の企画にも支障が出るだろう。
「では、先日の続きだ。何かないだろうか?」
会議では色々な企画が上がり、カーティアのペア企画も上げられた。
「はい、森散策をするのなら、俺は釣りがしたいです」
「あ、いいね。俺も思ってた。狩猟もいいよね。馬場もあるし、馬を借りて遠出もいい」
ジャンカルロとフリオの二人が盛り上がる。ならば、三日目の天体観測も森で行えばいいのではと、意見が出た。
「なら、森でキャンプもするか?森の中で一泊するのもいいか」
「いいですね。皆で取った獲物を食べましょう」
ジャンカルロとフリオはアウトドア派の様だ。次に手を上げたのはフラヴィオ。
『ちゃんとした意見だろうな』とファブリツィオが鋭い眼差しをフラヴィオへ向ける。
「ちゃんとした意見だってば!保養地の近くに温泉施設があるじゃない?そこ行こうよ。行きでも、帰りでもいいからさ」
「それで言えば、大きなレストラン村もありますね。何軒かあって景色もいいので、人気があるそうです」
「いいね。貴族令嬢も多いし、あんまり土に塗れる企画ばかりだと、嫌がられるよ。それに僕は女子とデートもしたいよ」
「……フラヴィオ、あんまり羽目を外すなよ」
「分かっているよ、殿下」
フラヴィオとヴァレリオの意見を入れる。最後にアリーチェが手を上げた。
「あの、キャンプ場を今から押さえるのは難しいのではないですか?」
「ああ、それは大丈夫だ。三泊四日の間は保養地の周辺施設は押さえている」
「そうですか、余計な差し出口でした。 申し訳ございません」
「いや、大丈夫だ。オルモ嬢は何かないのか?」
「私は、乗馬が好きですので、遠出に参加しようと思います」
「そうか。意見は出揃ったかな?」
皆がファブリツィオの背後にある黒板を眺める。今まで上げた企画が書かれてある。黒板の前にはヴァレリアが立っていた。
「一通り、皆様の意見は聞いたと思います」
「では、まとめるか」
企画会議の結果。
一日目、早朝に出発し、温泉施設とレストラン村に立ち寄り、レストランでお茶会をする。夕方過ぎに保養地に着く。夕食後、就寝まで自由時間。
二日目、三年生は保養所で勉強合宿。 一・二年生は北区の農業施設をグループ毎に別れて見学する。夕食後、皆で花火。
三日目、引き続き三年生は勉強合宿。 一・二年生は森の中のキャンプ場へ移動する。釣り、狩猟、乗馬などに別れてグループ行動。夕食は皆で取った物を調理して食べる。夜は天体観測、三年生は保養所の広場で天体観測。
四日目、三年生は午前中に最後の追い込み。一・二年生は昼食前に戻り、昼に出発して行きで寄った温泉施設とレストラン村に立ち寄り、レストランでお茶会で〆る。 夜20時頃、学園寮に帰還。
うん、園遊会だからお茶会で始まってお茶会で終わる。これでいいな。クローチェ伯爵令嬢のペア企画は入られなかったけど。温泉施設とか、キャンプに天体観測と花火。いくらでも俺を嵌めるチャンスはあるな。
後は、ファブリツィオに付け入る隙を作るだけである。自身の考えた事ではあるが、春の園遊会を思うと、気が重くなるファブリツィオだった。
「春の園遊会の日程も決まりましたし、これで、園遊会まで公務に集中出来ますね」
生徒会室から学園寮の執務室へ移動した。
執務机に、大量の仕事が乗せられた。 大きな音を鳴らして書類が置かれ、風圧でファブリツィオの髪が揺れた。
「ピエトロ、日程は決まったが、それに向けて準備があるんだが」
「それは皆が手分けしてやってくれるでしょう?殿下が春の園遊会に参加するには、それまでに終わらせないと駄目な仕事があります。憂なく園遊会に参加したいならば、頑張って下さいね」
ピエトロは無常にも、いい笑顔で宣った。ファブリツィオの嘆き声が執務室で響いた事は、補佐官たちとヴァレリアしか知らない。
◇
「……まさかとは思うが、弟の園遊会に着いていくつもりか」
頬を引き攣らせ、オラツィオは一人しかいない自身の兄を見た。こめかみに小さい青筋が見える。
「えっ、まさか。そんな事しないよ! 私が心配症みたいじゃないか!」
オラツィオの表情には疑いの色が混ぜられている。腕を組んで仁王立ちし、マウリツィオの前に立ちはだかった。
「俺は、あいつを信じて見守る事も必要だと思う」
「そうだね。でも、ファブリツィオが気付いていない者の動きを把握しないとね」
溜め息を吐いたオラツィオは、どうすれば兄を止められるのか悩んでいた。
「大丈夫だって、後ろからバレない様に着いていくだけだから」
「やっぱり着いていく気満々なんじゃないか!」
執務室でオラツィオの大きな声が響く。
「てへっ」
可愛いらしく顔を傾げて、誤魔化し笑いを浮かべるマウリツィオの首根っこを引っ掴み、マウリツィオの為に用意した椅子に兄を投げ付ける。
「オラツィオ、酷い!!私は長男だよ!」
「だからなんだ!大人しく仕事しろ!お前の仕事がこれ以上ファブリツィオに回ったら、あいつが春の園遊会に参加出来ないだろうが!」
オラツィオの言葉に今になって気づいたのか、マウリツィオは眉尻を下げた。
「あぁ、それは駄目だね。企画だけして自身が参加出来ないなんて、つまらないだろうし、来年は三年生だから、勉強合宿だもんね」
三年生の春の園遊会は卒論がある為、卒業試験の為の勉強合宿になる。
少しだけ昔を思い出したのか、瞳を伏せるマウリツィオ。やっと諦めてくれた様なので、オラツィオは自身の執務机で仕事を再開した。
◇
マウリツィオがブラコンを発揮している事など気づかず、ファブリツィオは公務に忙殺されながらも、何とか春の園遊会へ参加出来る事になった。
園遊会の前日、ファブリツィオは自身の部屋へヴァレリアを呼び出した。
学園寮のファブリツィオの自室の居間。
ファブリツィオとヴァレリアは緊張した面持ちでソファーセットに向かい合い、今後について話し合っていた。
「明日からの園遊会だが、リアとあまり一緒にはいられないかも知らない」
「はい、承知しています」
膝の上に置いてあるヴァレリアの拳が強く握られている。俯いてしまったヴァレリアの表情は見えない。そっと隣に座り、握り締められたヴァレリアの拳に手を重ねる。
今はピエトロはいない。彼は学園寮の執務室に行ってくれている。園遊会の前に、ヴァレリアと二人っきりになれる時間を作ってもらった。
「出来るだけリアとの二人の時間を作る」
「でも、それではクローチェ伯爵令嬢を嵌められないのではないですか?」
「……大丈夫だ」
少し自信なげに言うファブリツィオに、ヴァレリアは苦笑を零した。
「無理しなくてもいいんですよ。私は信じていますから」
「いや、俺がリアとの思い出を作りたいんだ。去年は園遊会など面倒だと、公務を理由に行かなかったからな」
「そう言えばそうでしたね」
三年生の勉強合宿は強制だが、一・二年生は参加しなくても何もペナルティはないが、生徒たちは楽しみにしているので、特別に何もなければほぼ参加する。
「ああ、リアも補佐だからと言って、俺に付き合って行かなかっただろう?今思えば、酷い事をしたな」
「……残念ではありましたけど、公務とは言え、二人っきりの時間は少しだけありましたよ。目を合わせてくれませんでしたけど……」
ヴァレリアの話を聞き、深く頭を下げて謝罪した。
「本当にすまない!」
「はい、許します」
「いや、リアは簡単に許し過ぎる!」
「では、どうすればいいのです?ここで嘆いていても、前へは進めませんよ」
「ああ、分かっている」
ファブリツィオは、膝に置いた拳を握りしめる。
「どうすれば、リアは不安にならない?」
「……すみません、あの方がいる以上は不安なままです」
「そうだよな」
俯いているヴァレリアの顔を上げさせ、ファブリツィオは真剣な眼差しで訴えた。
「絶対に、今回で方を付ける。今後は不安にさせないから」
「はい、ファーベル様、お一人に任せるつもりはありません。私もお手伝いします」
リア!俺が言うのも何だけど、お人よし過ぎる!
やる気充分なヴァレリアを見て、ファブリツィオは眉尻を下げた。
何処まで、好きにさせれば気が済むんだ!自惚れじゃなくても、リアはきっと俺の事を、俺が思っている以上に好きなんだな。
「俺は、必ずリアを誰よりも幸せにしてみせるから」
「はい。ファーベル様、一緒に幸せになりましょう。私も貴方を幸せにしたいです」
破顔するヴァレリアにファブリツィオの眉尻は更に下がる。ヴァレリアを抱きしめると、ファブリツィオから切実な声が溢れる。
「何を見ても、俺の事を信じてくれ」
「はい」
ファブリツィオの背中に回されたヴァレリアの細い手が小さく震えている。
……口付けしたいけど、いつも思うけど、今のタイミングじゃないんだよ!
ファブリツィオから切ない溜め息が吐き出された。
「口付けしたいけど、我慢するよ」
「いいえ、我慢しないで下さい」
「でも、なんか誤魔化している様で嫌なんだよな」
「それでもいいです」
拗ねた様なヴァレリアの声に、少しだけ身体を離す。
「女だって、不安になればして欲しい時もあります」
「……っ、で、では、いいだろうか」
ヴァレリアは小さく頷き、ファブリツィオが近づくと、二人の影が重なった。
◇
春の園遊会の当日がやって来た。空は晴天で気温も三月の中旬なので、比較的に暖かい。
一日目は移動日、北区にある保養所まで馬車で向かう。馬車は、大勢の学園の生徒を乗せる為、特注で作られた馬車だ。
一クラス三十人が乗れる大型の馬車だ。
六人座れるボックス席が六つあり、四頭の馬が引く。全部で十六台の馬車が大移動する。
クラス別なので、ヴァレリアとは馬車が別々になる。ボックス席の窓から、外を見る。
隣の馬車に、トロヴァート家の双子と一緒に乗り込むヴァレリアを見つめた。
自身が座っているボックス席を眺めまわし、深い溜め息が出た。
一番後ろのボックス席には、ファブリツィオの他に、フラヴィオ、カーティア、アドルフォ、サヴェリオが座っている。
かつての生徒会メンバーである。何が楽しくて、古傷を弄らないといけないのか。 カーティアだけは一人、楽しそうにフラヴィオに話し掛けている。能天気なフラヴィオでさえ、頬を引き攣らせていると言うのに。
「殿下、今年も公務が忙し過ぎて、来られないのかと思っておりました」
「ああ、来年は勉強合宿になるし、皆と遊べるのは今年が最後だからな。公務は何とか詰めた」
「そうですか」
去年は面倒だと、冷めた様子で行かなかったのに、考えを変えたファブリツィオにアドルフォは僅かに眉をあげた。
「もうっ! アドルフォ様ったら、そんな意地悪を言わなくてもいいじゃないですか。折角、ファブリツィオ殿下と来ているのだから楽しみましょう」
「あ、あぁ……」
カーティアの映像を見た後から、アドルフォは彼女が苦手になったのか、微妙な表情をして変な声を出した。
サヴェリオは誰とも目を合わせず、口も聞かず、微動だにしなかった。
アドルフォの気持ちは分からなくもない。あんな場面を見せられたら、流石に引く。
「ファブリツィオ殿下もやっと自由に出来るんですから、気を休めて下さいませ」
和かに微笑むカーティアは、ファブリツィオの隣を陣取り、身体を寄せてくる。
思わず不快感に、眉間に皺が寄せられそうになり、フラヴィオから足蹴を喰らわされる。
……っ、フラヴィオ!
フラヴィオと視線が合うと、『我慢してっ!』と言うフラヴィオの心の声が聞こえてきそうだった。
大人しく座っていないと、駄目らしい。
学園の生徒を乗せた馬車が次々と出発し、ファブリツィオを乗せた馬車も保養所へ向けて出発した。
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