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37話
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ヴァレリアの頭の中は真っ白になっていた。誰の言葉も入って来なかった。
何度も頭の中でマウリツィオの言葉が駆け巡る。気を抜けば、足元の床が崩れて奈落の底に落ちそうになる気持ちを何とか抑えていた。
両親がサイドでヴァレリアを支えている。隣で毅然とした表情で立つ父を見上げ、ヴァレリアは口元を引き結んだ。
お祖父様が王妃とそんな事をしていたなんて!まさか、お祖父様は分かっていて、私を王太子殿下の婚約者候補にしたの。
祖父ならばやりかねない所業に、喉から込み上げてくる不快感を何とか抑えた。
ちゃんと話しを聞いていないと駄目だ分かっている。しかし、謁見の間で話されている内容が頭に入ってこない。言葉は耳から入って来るが、ヴァレリアの脳には刻まれなかった。
「リア、大丈夫か?」
心配そうなファブリツィオの声も脳を通り過ぎて行く。ファブリツィオの無罪が決定した事にも気づいていなかった。
「リア、此処では落ち着いて話せないから、中庭の温室へ行こう。侯爵、ご令嬢をお借りする。帰りはちゃんと送り届ける」
「はい、娘をよろしく頼みます」
両親が頭を下げる中、ヴァレリアはファブリツィオに支えられ、謁見の間を出た。
◇
ヴァレリアを温室に連れて来たのはいいが、まだ詳しい話をマウリツィオから聞いていなかったと気づいた。
あ、詳しい話を兄上から聞いてからにすれば良かった!
「お祖父様は知っていたのでしょうか。 王太子殿下の父親が自分である可能性もあったのに、私を王太子妃にしようとしてたなんて」
絞り出す様なヴァレリアの声に胸を打たれる。ヴァレリアの琥珀色の瞳に、涙と絶望感が滲んでいく。
「リア、何て言えばいいのか分からないが、王妃と君の祖父の事は明るみになったし、倫理観を超えた企みは阻止された」
琥珀色の瞳を見開いたヴァレリアがじっと見つめてくる。思わず抱きしめた。
「リア、君の祖父はもういないんだ。リアが悲しむ事はない。兄上の出生が分かってしまった以上、リアが兄上の婚約者に戻る事はない」
「はい、ファーベル様」
ヴァレリアが背中に手を回してきて、正装をした服を強く掴む。ヴァレリアを安心させる様に、彼女の頭と青銀の髪を優しく撫でた。
人の温もりを感じる時、人は安らぎを感じ、心が落ち着くものだ。二人は互いの気持ちを落ち着かせる為、抱きしめ合った。
暫く続けていると、ヴァレリアは落ち着いたのか、身体を離して琥珀色の瞳を緩めた。ファブリツィオの気持ちも落ち着いた。
「リア、もう大丈夫だな」
「はい、ファーベル様も」
「ああ、俺も大丈夫だ」
何時までもヴァレリアと抱きしめ合っていたいが、ゆっくりもしていられない。
「リア、屋敷まで送る。俺は当分、学園には行けないだろう。色々と決めないとならない」
「はい」
「学園の方はリアに全面的に任せる」
「はい、承知いたしました。学園の事は御心配なさらず」
「ああ、落ち着いたら直ぐに会いに行く」
「はい、待っています」
落ち着いたヴァレリアを屋敷まで送り届け、ファブリツィオは王宮へ戻った。
戻る馬車の中で、ファブリツィオの脳内はマウリツィオの事が占めていた。
「殿下、難しい顔をされてどうされました?」
「……ピエトロ、マウリツィオ兄上の王太子の廃嫡は確実だろうか?」
「ええ、それは免れませんね。大勢の貴族の前で王族ではないと、宣言しましたからね」
「そうだな」
暫し馬車の中で沈黙が漂った。
「言っておくが、俺に王は向いていないからな」
「そんな事、長年殿下のお側にいたので分かっていますよ。王太子のいい補佐官にはなれるでしょうが。殿下はストラーネオ侯爵令嬢と結婚して、王籍を離れるのでしょう?ただ、王籍は離れられないと思いますよ。跡継ぎ問題がありますからね」
ファブリツィオが王に向いていない事に、あっさりと分かっていると答えたピエトロ。ファブリツィオは唖然とした表情を向けた。
「….…俺に王位を目指せとは言わないんだな」
「ええ、貴方がただ一人の王子であれば口煩く言うでしょうが。王子は殿下一人ではありませんからね」
「これ以上、口煩くなるのか?兄弟がいて良かったと心から思ったぞ」
「何気に失礼な事を仰いますね」
淡いブルーの瞳を細め、不機嫌な様子でファブリツィオを見つめて来る。
ファブリツィオは、頬を引き攣らせただけでピエトロの不機嫌な眼差しを流した。
「今後の事を考えると、溜め息しか出ないな」
「仕方ありませんよ、王太子殿下の血筋で議会は混乱して大きく揺れますよ」
「ああ、俺は巻き込まれない様にしないとな」
馬車はゆっくりと王宮の門を潜り抜け、未だ混乱を極める王城へと戻って行った。
◇
王宮へ戻って来たファブリツィオは、翌日から公務に忙殺された。一先ず、王妃とマウリツィオの処分が降りるまで、王太子の仕事をオラツィオと手分けしてこなす事になった。
ファブリツィオの実母である惻妃、アントネッラも忙しくしていた。王妃が謹慎になり、王妃の仕事が全て惻妃に回っていた。
ファブリツィオは気づいていなかったが、今までも、王妃の仕事の半分を嫌がらせでアントネッラに回されていた事。
王族は絶賛、皆が忙しく駆け回っていた。オラツィオも受け持ちの辺境には戻らず、辺境の仕事を代官に任せ、国王の仕事も手伝っている状況だ。
ファブリツィオから深い溜め息が吐き出された。
「この忙しさは何時まで続くんだ、リアに会いたい。リア欠乏症だ!」
ピエトロが呆れた様に頬を引き攣らせた気配が伝わって来た。顔を上げると、若干引いているピエトロの淡いブルーの瞳とぶつかった。
「殿下、気持ち悪い事を言ってないで手を動かして下さい」
「はいはい」
多忙の中、一番最初に倒れたのは、ファブリツィオの母であるアントネッラだった。
「殿下、大変です!惻妃様がお倒れになられました!」
「な、母上が?!」
ファブリツィオは急いで惻妃が暮らす棟へ向かった。
棟の階段を駆け上がり、最上階に辿り着くと、近衛が立っている目の前の扉を押し開け、寝室の扉も開けた。
「母上!」
既にオラツィオが駆けつけており、駆け込んで来たファブリツィオを呆れた様に眺めて来た。オラツィオの青い瞳が騒がしい奴が来たと言っていた。
「ファブリツィオ、静かにしろっ! 母上の体に障るだろう」
「兄上!母上、母上は大丈夫なのですか?!」
中央に置かれたベッド脇の椅子に腰掛けていたオラツィオに駆け寄る。
「大丈夫だから、騒ぐな」
「ファブリツィオ、大丈夫ですよ。 二人共、ありがとう。仕事中なのに駆けつけてくれて、それと心配かけてごめんなさい」
「いえ、母上」
眉尻を下げたファブリツィオは、母の手を取る。心配気な様子のファブリツィオを見て、二人は小さく笑う。
「な、何で二人とも笑っているんですか?!」
「すまん、あまりの慌て様だったから、つい」
「兄上!」
再び惻妃の扉が乱暴に開けられ、慌てた様な声が寝室に響いた。振り向いた瞬間、ファブリツィオはデジャヴを感じた。
「アントネッラ!大丈夫か!」
国王の登場に、ファブリツィオとオラツィオは場所を開けて臣下の礼をする。
アントネッラはベッドの中で、頭だけで下げる。
「今はよい、楽にしなさい」
二人の前を通り過ぎる時、国王が優しい声を掛けてきた。国王と会うのは、謁見の間以来である。国王は直ぐに惻妃へ駆け寄った。
「アントネッラ、起き上がって大丈夫なのか?」
顔を上げたアントネッラは、まだ少しだけ青い顔をしているが、国王に笑顔を向けている。ファブリツィオは不思議な気持ちで二人を見つめていた。
王妃が病気療養という理由で、離宮に引っ込み、国王と惻妃は堂々と会う事が出来るようになった。
王妃も離宮から嫌がらせは出来ないしなっ。
「何だ、父上と母上が仲良さそうにしている姿は不思議か?」
「……はい、私は見た事がなかったので」
「それもそうか、お前が生まれてから王妃の嫌がらせが酷くなったからな」
二人の妃を平等に愛する事は出来ない。
惻妃とファブリツィオたちに関心がない態度を取っていた父に同情する気持ちは湧いて来ない。例え跡継ぎが必要だったとしても、複数の女性を愛せないし、事実、国王は失敗している。
「俺なら惻妃は迎え入れないけどな」
密かに呟いたファブリツィオの小さい声は、隣に立つオラツィオには聞こえていた。
「ほう、お前は王になる覚悟が出来たのか」
「いいえ、全く出来てませんし、王になる気もありませんので、兄上、頑張って下さい」
「そうか、奇遇だな。俺も王になる気はない」
「……マウリツィオ兄上が無理な今、王になるのはオラツィオ兄上しかいないんですけど?」
「大丈夫だ、当てがある」
「マウリツィオ兄上は、多分ですが、無理だと思います」
「当てがあると言っただろう」
ファブリツィオが首を傾げていると、別の方向から疑問の答えが出た。
国王が惻妃専属の医師に訊ねた。
「アントネッラは大丈夫なのか?」
「はい、陛下。惻妃様はご病気ではありません」
「病気ではない?それでは何故、アントネッラは倒れたのだ」
「はい、ご懐妊でございます。アントネッラ妃は、酷い悪阻で倒れられました。今は落ち着いておられますが、高齢出産になりますので、出産まで気をつけないといけません」
既に知っていたオラツィオと母であるアントネッラ以外は、驚いて叫んだ後、あんぐりと口を開けた。背後でピエトロも驚きの表情をしていた。
今、なんて言った?母上が懐妊した?
「「えっ、嘘!」」
ファブリツィオと国王の声が揃った。
『そうか』と呟いた国王は破顔してアントネッラを抱きしめた。
「よくやった、アントネッラ!この子が皆を幸せにするぞ」
そっとアントネッラのお腹に触れる国王は、とても幸せそうに見えた。
「皆を幸せってどういう事だ?!」
ファブリツィオの疑問は、後日、国王からの公式発表で皆に伝えられた。
◇
アントネッラの懐妊は、離宮にいる王妃にも伝えられた。離宮の一室で閉じ籠っていた王妃は、握りしめた扇子を真っ二つに折った。
扇子の折れた音が部屋に響き、続いて次々と家具が壊されていく音が轟く。
全ての家具が壊され、扉付近に控えていたメイドたちが声を殺して震えている。
荒い息をして震える手足を押さえ、王妃の琥珀色の瞳に、狂気に満ちた色が滲んでいく。
「陛下、やっぱり、あの女と隠れて会っていたのね!私に嘘をついてまで!」
「お、王妃様」
「私を一人にして!」
「「「「は、はいっ」」」」
王妃の剣幕に、メイドたちは震える声で返事をし、慌てて部屋を出ていった。
王妃の部屋では、行く日も物が壊される騒音が響いていた。
◇
色々な騒動を起こした者たちの処分が決定した。違法植物を用いて王子を罪人に仕立て上げようとしたアドルフォは、生涯、鉱山での労働だ。侍女二人は王妃の指示に従っただけだが、王族を陥れた事に変わりはない。彼女たちは懲戒解雇され、修道院に入れられた。
王妃は、カーティアとアリーチェの話で、ファブリツィオに媚薬を盛った罪も加えられた。隣国の王族で王妃という立場故、極刑は免れた。しかし、マウリツィオが提出した色々な悪事が露呈し、もう表舞台には出て来られない。国民には体調不良だと公式発表され、離宮での生涯幽閉が言い渡された。
カーティアとアリーチェは司法取引を、して、修道院から出されたが、カーティアはまた、問題を引き起こすと面倒なので、カーティアは規律の厳しい学園へ入れられ、卒業後は政略結婚が待っており、アルカンジェリには戻って来られないだろう。
因みにアリーチェは、学園へ復帰した。
そして、残る問題は王太子に誰が就くかだ。
◇
「俺は、今、何を見させられている?」
ファブリツィオの目の前で、いい大人が年甲斐もなくイチャイチャしている光景を見て、金色の瞳を細めた。
場所は惻妃の寝室で、ファブリツィオが母の見舞いに国王とかち合ってしまったのが運の尽きだった。
王妃が居ないからってイチャイチャし過ぎじゃないか!不謹慎だろう、あんた達がそんなんだから、王妃も切れたんじゃないのか?!
何処からか憐れみの視線を感じ、振り返ると、ピエトロの淡いブルーの瞳に同情の色が滲んでいた。完全にファブリツィオの心を読んでいる。
「いや、流石に色々と嫌がらせをされた事は許す事はしないが、あの人も可哀想な人だと思っただけだ」
「そこがお人好しだと言うんです」
「……っ」
「本当に非情になれないんだね、ファブリツィオは」
「散々、嫌がらせして来た相手に同情するとはな」
感心したようなマウリツィオの声と、呆れた様なオラツィオの声を背後で聞き、振り返った。
「……兄上」
「いいんだよ、ファブリツィオ。母上の自業自得なんだ。王妃なんだからドンと構えていれば良かったんだよ。無駄に恋愛脳だった所為かな」
「どこの国でも、複数の妃がいる所は大なり小なりの揉め事はある」
オラツィオの話に眉を顰める。
「辺境の関所を守っていると、色々と聞こえて来るんだよ」
「成程」
オラツィオの辺境はアルカンジェリの貿易の玄関口になっている為、色々な国々から人がやって来る。国によって妃の扱いに気を付けなければ行けないらしく、オラツィオにとってはとても面倒な事らしい。
「マウリツィオ兄上は良かったんですか?」
フッと濃紺の瞳を細め、優しい笑みを浮かべる。
「いいんだよ、私はどちらの子か分からないしね。ハッキリと分かっている王子が王太子になるべきだ」
国王が公式発表したのは、詳しくは語らなかったが、惻妃の懐妊と王太子の選定をやり直す事だ。マウリツィオが王籍から離れる事は許されなかった。
生まれてくる子が王子か王女なのかはまだ分からないが、どちらが生まれてもマウリツィオは王太子には成らず、補佐する方に回るそうだ。
どうしてもマウリツィオを手放したくない国王が、彼を王太子の教育係に任命した。
マウリツィオ兄上が教育係なんて、絶対に最悪だ!悪夢しかない。
不敵な笑みを浮かべるマウリツィオに嫌な予感が過ぎり顔を左右に振った。
何度も頭の中でマウリツィオの言葉が駆け巡る。気を抜けば、足元の床が崩れて奈落の底に落ちそうになる気持ちを何とか抑えていた。
両親がサイドでヴァレリアを支えている。隣で毅然とした表情で立つ父を見上げ、ヴァレリアは口元を引き結んだ。
お祖父様が王妃とそんな事をしていたなんて!まさか、お祖父様は分かっていて、私を王太子殿下の婚約者候補にしたの。
祖父ならばやりかねない所業に、喉から込み上げてくる不快感を何とか抑えた。
ちゃんと話しを聞いていないと駄目だ分かっている。しかし、謁見の間で話されている内容が頭に入ってこない。言葉は耳から入って来るが、ヴァレリアの脳には刻まれなかった。
「リア、大丈夫か?」
心配そうなファブリツィオの声も脳を通り過ぎて行く。ファブリツィオの無罪が決定した事にも気づいていなかった。
「リア、此処では落ち着いて話せないから、中庭の温室へ行こう。侯爵、ご令嬢をお借りする。帰りはちゃんと送り届ける」
「はい、娘をよろしく頼みます」
両親が頭を下げる中、ヴァレリアはファブリツィオに支えられ、謁見の間を出た。
◇
ヴァレリアを温室に連れて来たのはいいが、まだ詳しい話をマウリツィオから聞いていなかったと気づいた。
あ、詳しい話を兄上から聞いてからにすれば良かった!
「お祖父様は知っていたのでしょうか。 王太子殿下の父親が自分である可能性もあったのに、私を王太子妃にしようとしてたなんて」
絞り出す様なヴァレリアの声に胸を打たれる。ヴァレリアの琥珀色の瞳に、涙と絶望感が滲んでいく。
「リア、何て言えばいいのか分からないが、王妃と君の祖父の事は明るみになったし、倫理観を超えた企みは阻止された」
琥珀色の瞳を見開いたヴァレリアがじっと見つめてくる。思わず抱きしめた。
「リア、君の祖父はもういないんだ。リアが悲しむ事はない。兄上の出生が分かってしまった以上、リアが兄上の婚約者に戻る事はない」
「はい、ファーベル様」
ヴァレリアが背中に手を回してきて、正装をした服を強く掴む。ヴァレリアを安心させる様に、彼女の頭と青銀の髪を優しく撫でた。
人の温もりを感じる時、人は安らぎを感じ、心が落ち着くものだ。二人は互いの気持ちを落ち着かせる為、抱きしめ合った。
暫く続けていると、ヴァレリアは落ち着いたのか、身体を離して琥珀色の瞳を緩めた。ファブリツィオの気持ちも落ち着いた。
「リア、もう大丈夫だな」
「はい、ファーベル様も」
「ああ、俺も大丈夫だ」
何時までもヴァレリアと抱きしめ合っていたいが、ゆっくりもしていられない。
「リア、屋敷まで送る。俺は当分、学園には行けないだろう。色々と決めないとならない」
「はい」
「学園の方はリアに全面的に任せる」
「はい、承知いたしました。学園の事は御心配なさらず」
「ああ、落ち着いたら直ぐに会いに行く」
「はい、待っています」
落ち着いたヴァレリアを屋敷まで送り届け、ファブリツィオは王宮へ戻った。
戻る馬車の中で、ファブリツィオの脳内はマウリツィオの事が占めていた。
「殿下、難しい顔をされてどうされました?」
「……ピエトロ、マウリツィオ兄上の王太子の廃嫡は確実だろうか?」
「ええ、それは免れませんね。大勢の貴族の前で王族ではないと、宣言しましたからね」
「そうだな」
暫し馬車の中で沈黙が漂った。
「言っておくが、俺に王は向いていないからな」
「そんな事、長年殿下のお側にいたので分かっていますよ。王太子のいい補佐官にはなれるでしょうが。殿下はストラーネオ侯爵令嬢と結婚して、王籍を離れるのでしょう?ただ、王籍は離れられないと思いますよ。跡継ぎ問題がありますからね」
ファブリツィオが王に向いていない事に、あっさりと分かっていると答えたピエトロ。ファブリツィオは唖然とした表情を向けた。
「….…俺に王位を目指せとは言わないんだな」
「ええ、貴方がただ一人の王子であれば口煩く言うでしょうが。王子は殿下一人ではありませんからね」
「これ以上、口煩くなるのか?兄弟がいて良かったと心から思ったぞ」
「何気に失礼な事を仰いますね」
淡いブルーの瞳を細め、不機嫌な様子でファブリツィオを見つめて来る。
ファブリツィオは、頬を引き攣らせただけでピエトロの不機嫌な眼差しを流した。
「今後の事を考えると、溜め息しか出ないな」
「仕方ありませんよ、王太子殿下の血筋で議会は混乱して大きく揺れますよ」
「ああ、俺は巻き込まれない様にしないとな」
馬車はゆっくりと王宮の門を潜り抜け、未だ混乱を極める王城へと戻って行った。
◇
王宮へ戻って来たファブリツィオは、翌日から公務に忙殺された。一先ず、王妃とマウリツィオの処分が降りるまで、王太子の仕事をオラツィオと手分けしてこなす事になった。
ファブリツィオの実母である惻妃、アントネッラも忙しくしていた。王妃が謹慎になり、王妃の仕事が全て惻妃に回っていた。
ファブリツィオは気づいていなかったが、今までも、王妃の仕事の半分を嫌がらせでアントネッラに回されていた事。
王族は絶賛、皆が忙しく駆け回っていた。オラツィオも受け持ちの辺境には戻らず、辺境の仕事を代官に任せ、国王の仕事も手伝っている状況だ。
ファブリツィオから深い溜め息が吐き出された。
「この忙しさは何時まで続くんだ、リアに会いたい。リア欠乏症だ!」
ピエトロが呆れた様に頬を引き攣らせた気配が伝わって来た。顔を上げると、若干引いているピエトロの淡いブルーの瞳とぶつかった。
「殿下、気持ち悪い事を言ってないで手を動かして下さい」
「はいはい」
多忙の中、一番最初に倒れたのは、ファブリツィオの母であるアントネッラだった。
「殿下、大変です!惻妃様がお倒れになられました!」
「な、母上が?!」
ファブリツィオは急いで惻妃が暮らす棟へ向かった。
棟の階段を駆け上がり、最上階に辿り着くと、近衛が立っている目の前の扉を押し開け、寝室の扉も開けた。
「母上!」
既にオラツィオが駆けつけており、駆け込んで来たファブリツィオを呆れた様に眺めて来た。オラツィオの青い瞳が騒がしい奴が来たと言っていた。
「ファブリツィオ、静かにしろっ! 母上の体に障るだろう」
「兄上!母上、母上は大丈夫なのですか?!」
中央に置かれたベッド脇の椅子に腰掛けていたオラツィオに駆け寄る。
「大丈夫だから、騒ぐな」
「ファブリツィオ、大丈夫ですよ。 二人共、ありがとう。仕事中なのに駆けつけてくれて、それと心配かけてごめんなさい」
「いえ、母上」
眉尻を下げたファブリツィオは、母の手を取る。心配気な様子のファブリツィオを見て、二人は小さく笑う。
「な、何で二人とも笑っているんですか?!」
「すまん、あまりの慌て様だったから、つい」
「兄上!」
再び惻妃の扉が乱暴に開けられ、慌てた様な声が寝室に響いた。振り向いた瞬間、ファブリツィオはデジャヴを感じた。
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「……はい、私は見た事がなかったので」
「それもそうか、お前が生まれてから王妃の嫌がらせが酷くなったからな」
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惻妃とファブリツィオたちに関心がない態度を取っていた父に同情する気持ちは湧いて来ない。例え跡継ぎが必要だったとしても、複数の女性を愛せないし、事実、国王は失敗している。
「俺なら惻妃は迎え入れないけどな」
密かに呟いたファブリツィオの小さい声は、隣に立つオラツィオには聞こえていた。
「ほう、お前は王になる覚悟が出来たのか」
「いいえ、全く出来てませんし、王になる気もありませんので、兄上、頑張って下さい」
「そうか、奇遇だな。俺も王になる気はない」
「……マウリツィオ兄上が無理な今、王になるのはオラツィオ兄上しかいないんですけど?」
「大丈夫だ、当てがある」
「マウリツィオ兄上は、多分ですが、無理だと思います」
「当てがあると言っただろう」
ファブリツィオが首を傾げていると、別の方向から疑問の答えが出た。
国王が惻妃専属の医師に訊ねた。
「アントネッラは大丈夫なのか?」
「はい、陛下。惻妃様はご病気ではありません」
「病気ではない?それでは何故、アントネッラは倒れたのだ」
「はい、ご懐妊でございます。アントネッラ妃は、酷い悪阻で倒れられました。今は落ち着いておられますが、高齢出産になりますので、出産まで気をつけないといけません」
既に知っていたオラツィオと母であるアントネッラ以外は、驚いて叫んだ後、あんぐりと口を開けた。背後でピエトロも驚きの表情をしていた。
今、なんて言った?母上が懐妊した?
「「えっ、嘘!」」
ファブリツィオと国王の声が揃った。
『そうか』と呟いた国王は破顔してアントネッラを抱きしめた。
「よくやった、アントネッラ!この子が皆を幸せにするぞ」
そっとアントネッラのお腹に触れる国王は、とても幸せそうに見えた。
「皆を幸せってどういう事だ?!」
ファブリツィオの疑問は、後日、国王からの公式発表で皆に伝えられた。
◇
アントネッラの懐妊は、離宮にいる王妃にも伝えられた。離宮の一室で閉じ籠っていた王妃は、握りしめた扇子を真っ二つに折った。
扇子の折れた音が部屋に響き、続いて次々と家具が壊されていく音が轟く。
全ての家具が壊され、扉付近に控えていたメイドたちが声を殺して震えている。
荒い息をして震える手足を押さえ、王妃の琥珀色の瞳に、狂気に満ちた色が滲んでいく。
「陛下、やっぱり、あの女と隠れて会っていたのね!私に嘘をついてまで!」
「お、王妃様」
「私を一人にして!」
「「「「は、はいっ」」」」
王妃の剣幕に、メイドたちは震える声で返事をし、慌てて部屋を出ていった。
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王妃は、カーティアとアリーチェの話で、ファブリツィオに媚薬を盛った罪も加えられた。隣国の王族で王妃という立場故、極刑は免れた。しかし、マウリツィオが提出した色々な悪事が露呈し、もう表舞台には出て来られない。国民には体調不良だと公式発表され、離宮での生涯幽閉が言い渡された。
カーティアとアリーチェは司法取引を、して、修道院から出されたが、カーティアはまた、問題を引き起こすと面倒なので、カーティアは規律の厳しい学園へ入れられ、卒業後は政略結婚が待っており、アルカンジェリには戻って来られないだろう。
因みにアリーチェは、学園へ復帰した。
そして、残る問題は王太子に誰が就くかだ。
◇
「俺は、今、何を見させられている?」
ファブリツィオの目の前で、いい大人が年甲斐もなくイチャイチャしている光景を見て、金色の瞳を細めた。
場所は惻妃の寝室で、ファブリツィオが母の見舞いに国王とかち合ってしまったのが運の尽きだった。
王妃が居ないからってイチャイチャし過ぎじゃないか!不謹慎だろう、あんた達がそんなんだから、王妃も切れたんじゃないのか?!
何処からか憐れみの視線を感じ、振り返ると、ピエトロの淡いブルーの瞳に同情の色が滲んでいた。完全にファブリツィオの心を読んでいる。
「いや、流石に色々と嫌がらせをされた事は許す事はしないが、あの人も可哀想な人だと思っただけだ」
「そこがお人好しだと言うんです」
「……っ」
「本当に非情になれないんだね、ファブリツィオは」
「散々、嫌がらせして来た相手に同情するとはな」
感心したようなマウリツィオの声と、呆れた様なオラツィオの声を背後で聞き、振り返った。
「……兄上」
「いいんだよ、ファブリツィオ。母上の自業自得なんだ。王妃なんだからドンと構えていれば良かったんだよ。無駄に恋愛脳だった所為かな」
「どこの国でも、複数の妃がいる所は大なり小なりの揉め事はある」
オラツィオの話に眉を顰める。
「辺境の関所を守っていると、色々と聞こえて来るんだよ」
「成程」
オラツィオの辺境はアルカンジェリの貿易の玄関口になっている為、色々な国々から人がやって来る。国によって妃の扱いに気を付けなければ行けないらしく、オラツィオにとってはとても面倒な事らしい。
「マウリツィオ兄上は良かったんですか?」
フッと濃紺の瞳を細め、優しい笑みを浮かべる。
「いいんだよ、私はどちらの子か分からないしね。ハッキリと分かっている王子が王太子になるべきだ」
国王が公式発表したのは、詳しくは語らなかったが、惻妃の懐妊と王太子の選定をやり直す事だ。マウリツィオが王籍から離れる事は許されなかった。
生まれてくる子が王子か王女なのかはまだ分からないが、どちらが生まれてもマウリツィオは王太子には成らず、補佐する方に回るそうだ。
どうしてもマウリツィオを手放したくない国王が、彼を王太子の教育係に任命した。
マウリツィオ兄上が教育係なんて、絶対に最悪だ!悪夢しかない。
不敵な笑みを浮かべるマウリツィオに嫌な予感が過ぎり顔を左右に振った。
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けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
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