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6章 閉じこめられた解
71 とても長い時間(中)
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二日目。
解を剣の柄でなぐりつけたのとはべつの男が朝食を運んできた。
その男は前の日の男とおなじ格好をしていた。
フード付きの上衣、青銅のエンブレム、腰にさした長剣。
解が朝食を終えたあと鐘が鳴った。解はまた鐘の音の数を数えた。
鐘はつづけて七回鳴った。
解は窓から身を乗りだして鐘楼をながめた。
鐘を鳴らすための綱を引く人の姿は解のいる場所からは見えない。
七回の鐘の音のあと、家々から人が出てきた。
たくさんの天流衆が次々と下の会堂に集まった。
なかにはあのフード付きの上衣を着ている人もいた。
解は前の日とちがって声をあげずに、だまって外の人たちの姿を見つめた。
(だれか会ったことのある人を見つけたら声をかけることにしよう。アシファット族の人たちはここへ来るのかな。あるいは花連さんでもいい。ううん、花連さんじゃなくても、袴の人がいたらそれが四使のはずだ。)
目をこらして人々の顔を見つめたが、知らない人間ばかりだった。
解は人を選ぼうとしても無理だと気づいた。
(だれでもいいから話を聞いてもらえたら。)
そう思ったが、思った瞬間になぐられた箇所がズキズキと強い痛みを訴え、同時にあの男の怒った顔やどなりつける声が解の頭をよぎった。
解の身体がすくんだ。
今度はもっとひどい目にあう、そう思ったら手の指先がすうっと冷えた。
声が出なかった。
解は気づいた。
知った顔をさがして声をかけようと考えたことは、解自身への言いわけだ。
もしここにケルキトやイサナや花連が来ても、昨日の男の顔を思いうかべた途端に声が出ないかもしれない。
たった一回なぐられただけだぞ、と解は思った。
そりゃ少し血が出たしいまも痛いけど、ズキズキするけど、でも大けがじゃなかった。ただ単に痛いだけだぞ、と解は思った。
どうにか自分の気持ちを奮いたたせようとした。
ところがそうやって頭のなかで自分に対して「昨日のことは大したことじゃない。」と言いきかせるほど、解の気持ちはしぼみ、手の先はますます冷たくなった。
たった一回、と解は頭のなかでくり返した。
たった一回でも、だれかが本気で解の身体を傷つけようとしたことは恐怖だった。
そしてそのために身体も気持ちも縮こまっていく自分がみじめだった。
解のいる部屋の前を飛ぶ者は一人もいなかった。
大峡谷に住む人たちはみんなそこを避けて会堂へ入っていった。
やがてだれかの声が聞こえた。大勢の人間に向かって語りかける声だ。
そのあと音楽が聞こえた。
それからしばらくすると、人々が出てきた。
フード付きの上衣を着て青銅のエンブレムを装着した男が、昼には昼食を、夕暮れどきには夕食を運んできた。解は大人しく口を閉じたままでいたので、その男が解をなぐることはなかった。
そして解に向かって言葉をかけることもなかった。
三日目。
解は外をながめた。
大峡谷の住人が外に出てくるたびにドキドキしたが、だれも解のいる部屋には近づかなかった。一日目に見かけた赤毛の青年の姿が見えた。その青年は三階建ての、切妻屋根の大きな家を出たり入ったりした。その家に住んでいるのだろうと解は考えた。
赤毛の青年は解のいる方向をまったく見なかった。
彼に限らない。大峡谷の住人はだれ一人として解を見ようとしなかった。
まるで解が存在しないかのようだった。少なくとも解はそう感じた。
前の日とおなじ男が食事を運んだ。
この日は会堂に人々が集まることはなかった。
解は狭い部屋のなかをウロウロした。立ったり座ったりした。
狭い部屋にずっといるせいで身体がムズムズした。
解はこの日、東京から着てきた衣服を水道の水で洗った。
昨日までは、いつ意裁官からの呼びだしがあるかと気が急いて洗濯をする気になれなかったのだ。洗っても乾く前に呼びだしがあったら困ると思ったからだ。
(だけどこの様子だとすぐには呼ばれないかもしれないぞ。)
下着も靴下もTシャツもジャブジャブと洗ってギュッとしぼった。
少しの間迷ったあと、トイレの仕切りの布が吊るしてある紐に引っかけた。
三度出る食事ははじめの日からまったくおなじで、この日の夕食には(またか。)と解は思った。それでも食事の前にはそわそわした。一日のなかで変化があるのは食事のときと、すぐそばにある鐘楼の鐘が鳴るときだけだった。
解は鐘の音を数えた。
他にやることがないのだ。
鐘の音が止むと外の人の気配に耳を傾けた。
人の気配が途絶えると川の水音を聞いた。
一度、リュックサックのなかからゲーム機を取りだしてみたが、あいかわらず電源が入らなかった。そして本を読む気にはなれなかった。
この本を読んだのは京成線の電車のなかで少しだけだ。
そのときとおなじだ。
降りる駅や時間を気にしながら電車に乗っているときといまと、本に集中できない感じがよく似ていた。時間はある。たっぷりある。
だけど気持ちがまったく落ちつかないのだ。
夜には洗った衣服が乾いた。
四日目。
だれとも言葉をかわさずに数日をすごして、解はだんだんつらくなってきた。
解を剣の柄でなぐりつけたのとはべつの男が朝食を運んできた。
その男は前の日の男とおなじ格好をしていた。
フード付きの上衣、青銅のエンブレム、腰にさした長剣。
解が朝食を終えたあと鐘が鳴った。解はまた鐘の音の数を数えた。
鐘はつづけて七回鳴った。
解は窓から身を乗りだして鐘楼をながめた。
鐘を鳴らすための綱を引く人の姿は解のいる場所からは見えない。
七回の鐘の音のあと、家々から人が出てきた。
たくさんの天流衆が次々と下の会堂に集まった。
なかにはあのフード付きの上衣を着ている人もいた。
解は前の日とちがって声をあげずに、だまって外の人たちの姿を見つめた。
(だれか会ったことのある人を見つけたら声をかけることにしよう。アシファット族の人たちはここへ来るのかな。あるいは花連さんでもいい。ううん、花連さんじゃなくても、袴の人がいたらそれが四使のはずだ。)
目をこらして人々の顔を見つめたが、知らない人間ばかりだった。
解は人を選ぼうとしても無理だと気づいた。
(だれでもいいから話を聞いてもらえたら。)
そう思ったが、思った瞬間になぐられた箇所がズキズキと強い痛みを訴え、同時にあの男の怒った顔やどなりつける声が解の頭をよぎった。
解の身体がすくんだ。
今度はもっとひどい目にあう、そう思ったら手の指先がすうっと冷えた。
声が出なかった。
解は気づいた。
知った顔をさがして声をかけようと考えたことは、解自身への言いわけだ。
もしここにケルキトやイサナや花連が来ても、昨日の男の顔を思いうかべた途端に声が出ないかもしれない。
たった一回なぐられただけだぞ、と解は思った。
そりゃ少し血が出たしいまも痛いけど、ズキズキするけど、でも大けがじゃなかった。ただ単に痛いだけだぞ、と解は思った。
どうにか自分の気持ちを奮いたたせようとした。
ところがそうやって頭のなかで自分に対して「昨日のことは大したことじゃない。」と言いきかせるほど、解の気持ちはしぼみ、手の先はますます冷たくなった。
たった一回、と解は頭のなかでくり返した。
たった一回でも、だれかが本気で解の身体を傷つけようとしたことは恐怖だった。
そしてそのために身体も気持ちも縮こまっていく自分がみじめだった。
解のいる部屋の前を飛ぶ者は一人もいなかった。
大峡谷に住む人たちはみんなそこを避けて会堂へ入っていった。
やがてだれかの声が聞こえた。大勢の人間に向かって語りかける声だ。
そのあと音楽が聞こえた。
それからしばらくすると、人々が出てきた。
フード付きの上衣を着て青銅のエンブレムを装着した男が、昼には昼食を、夕暮れどきには夕食を運んできた。解は大人しく口を閉じたままでいたので、その男が解をなぐることはなかった。
そして解に向かって言葉をかけることもなかった。
三日目。
解は外をながめた。
大峡谷の住人が外に出てくるたびにドキドキしたが、だれも解のいる部屋には近づかなかった。一日目に見かけた赤毛の青年の姿が見えた。その青年は三階建ての、切妻屋根の大きな家を出たり入ったりした。その家に住んでいるのだろうと解は考えた。
赤毛の青年は解のいる方向をまったく見なかった。
彼に限らない。大峡谷の住人はだれ一人として解を見ようとしなかった。
まるで解が存在しないかのようだった。少なくとも解はそう感じた。
前の日とおなじ男が食事を運んだ。
この日は会堂に人々が集まることはなかった。
解は狭い部屋のなかをウロウロした。立ったり座ったりした。
狭い部屋にずっといるせいで身体がムズムズした。
解はこの日、東京から着てきた衣服を水道の水で洗った。
昨日までは、いつ意裁官からの呼びだしがあるかと気が急いて洗濯をする気になれなかったのだ。洗っても乾く前に呼びだしがあったら困ると思ったからだ。
(だけどこの様子だとすぐには呼ばれないかもしれないぞ。)
下着も靴下もTシャツもジャブジャブと洗ってギュッとしぼった。
少しの間迷ったあと、トイレの仕切りの布が吊るしてある紐に引っかけた。
三度出る食事ははじめの日からまったくおなじで、この日の夕食には(またか。)と解は思った。それでも食事の前にはそわそわした。一日のなかで変化があるのは食事のときと、すぐそばにある鐘楼の鐘が鳴るときだけだった。
解は鐘の音を数えた。
他にやることがないのだ。
鐘の音が止むと外の人の気配に耳を傾けた。
人の気配が途絶えると川の水音を聞いた。
一度、リュックサックのなかからゲーム機を取りだしてみたが、あいかわらず電源が入らなかった。そして本を読む気にはなれなかった。
この本を読んだのは京成線の電車のなかで少しだけだ。
そのときとおなじだ。
降りる駅や時間を気にしながら電車に乗っているときといまと、本に集中できない感じがよく似ていた。時間はある。たっぷりある。
だけど気持ちがまったく落ちつかないのだ。
夜には洗った衣服が乾いた。
四日目。
だれとも言葉をかわさずに数日をすごして、解はだんだんつらくなってきた。
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