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6章 閉じこめられた解
75 かたちの強さ(前)
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「――特に似ているのはクレーンにかかる重さを支えるために、内側に引かれた線で、これを主応力線といいます。この線が骨梁とそっくりだったのです。」
解はページをめくった。
次のページには「ウォルフの法則」の説明が書いてある。
骨のかたちと構造について説明した法則だ。
かたち。構造。
本のなかの、ある一文が解の目にとまった。
「かたち、構造はモノを強くします。おなじモノがかたちによってさまざまな強さを持つのです。」
強いのはかたち、と解は心のなかでつぶいた。
この大峡谷のコバルトブルーの岩は人がその上で暮らすことができるほど強い構造をしており、だけどその構造を壊せば脆いのだ。金属で傷つけることができるくらいに。
解は、ここを掘ることに決めた。
翌日、夜が明けて東の空が白むころ、解は目をさました。
寝台から起きあがり、鍵を手にする。
そして部屋のすみっこの仕切りの奥へ入ってドキドキしながら待つ。
やがて鐘が鳴る。きっちり五回だ。
解はそのあいだ鍵を床へ打ちつけた。
左手で鍵を持ち、右手で左手をギュッと握りしめて力いっぱい打つ。
ガツンッと鈍い手ごたえ。何度も何度もだ。
(キツツキみたいだ。)
解は自分のことをそう思った。
テレビの動物を紹介する番組で見たことのあるやつだ。
そうだ、キツツキだ。
そう思ったとたんに、初めはガツン、ガツン、ガツン、とゆるやかだった床を打つリズムが、ガツガツガツガツ、と早くなった。
やがて鐘の音が止まる。
狭い部屋に静寂がおとずれ、下を流れる川の水音が聞こえる。
解はいそいで仕切りの外へ出る。
これを二回くり返したあとしばらくすると外から窓を開けて天流衆の男が現れる。
フード付きの上衣を着た男だ。そして食事のトレイを置いてすぐに出ていく。
掘ることで出たコバルトブルーの破片は細かく砕いて水道に流すことにした。
ためしにすりつぶしてみると、その作業ではそんなに大きな音が出ないことがわかった。
すりつぶすのにはステンレスの水筒を使った。
破片を床に置き、水筒をその上に置き、体重をかけて水筒を転がすと破片がつぶれる。
何度も体重をかけて砂のような粒子になるまで細かくする。
それを指で一つまみずつ、排水溝に落とす。
もしも排水管が砂粒のせいで詰まり、そのことにだれかが気づいたらおしまいだ。
だから一度にたくさん落とすのはぜったいにダメだ。
この作業のときにいちばん気持ちが張りつめた。
大峡谷に住む天流衆はだれも解のいる部屋を見ない。
意図的に見ないようにしている。
はじめ解がつらく感じたそのことが、いまは解に味方した。
解はせっせと床を掘り、破片をすりつぶし、それを捨てた。
一日が終わってみると解の手の指が三箇所ほど擦りむけて小さな傷ができていた。
その傷と引きかえに、床の一か所に十センチほどの深さの穴が出現した。
日が暮れる直前に解はへこんだ床をじっと見つめた。
十センチ、ほんの十センチだ。
解の目が輝いた。
いま解が見ているのは閉じこめられた狭い部屋の床ではなくて、曲がりくねった山道を放牧篭に向かって進んだときに見た道だった。
一度はあきらめかけた先へふたたびつながった、解はそう思った。
(ここを出るんだ。凱風って人に会うんだ。)
翌日も、そのまた翌日も、さらにその翌日も、解はおなじことをくり返した。
毎日、鐘の音が鳴り響くのを待ちわびた。
何日もおなじ動きをするうちに解は上半身ぜんぶを使って力を出すことをおぼえた。
肩に力を入れて鍵を打ちつけるよりもそのほうが深くて大きな穴が掘れる。
はじめは体全体を振るとそれに合わせて頭もゆれるために、鐘の音が止むときにはフラフラになったが、そのうちに視線を固定させると楽なことに気づいた。
穴を掘るスピードがしだいに上がった。
一週間目には解が腰まで埋まるほどの穴になった。
解は穴の壁面に足がかりになる窪みを作った。そうすれば穴の底へ降りるときに飛びおりる必要がなくなる。
大きな音をたてることはなにがあってもしないぞ、と解は思った。
もし解のやっていることを天流衆の人たち、とくにフード付きの上衣を着た男たちに見つかったらおしまいだ。音だけではない。はじめのうちは細かい擦り傷がいくつも指にできた。解は男たちに自分の手先を見せないように気をつけた。
一方で明るいうち、鐘の鳴らない時間を解は本を、「かたちの強さ」を読んですごすことにした。
その本にはかたちによって生じる力のことがたくさん書いてあった。
たとえば、飛行機の翼は上の面にふくらみがあることが書いてあった。
ふくらみによって翼の上と下を流れる空気の量が変化する。
その量の差が揚力という力になってあんなに大きな物体が空を飛ぶのだ。
それからゴルフボールの表面には小さなくぼみがあるということが書いてあった。
おなじ大きさのボールでも、表面がつるつるしたものより遠くまで飛ぶのだ。
日本刀がゆるやかに反っているのはなぜかも書いてあった。
かたちが反ることで刀の上の部分に引っぱる力、下の部分に圧縮する力が生じ、引張と圧縮に刀が対抗することで強くなる。
かたちによって刀のなかに強さがうまれるのだ。
やがて日が暮れる。暗くなると読書はおしまいだ。
解はページをめくった。
次のページには「ウォルフの法則」の説明が書いてある。
骨のかたちと構造について説明した法則だ。
かたち。構造。
本のなかの、ある一文が解の目にとまった。
「かたち、構造はモノを強くします。おなじモノがかたちによってさまざまな強さを持つのです。」
強いのはかたち、と解は心のなかでつぶいた。
この大峡谷のコバルトブルーの岩は人がその上で暮らすことができるほど強い構造をしており、だけどその構造を壊せば脆いのだ。金属で傷つけることができるくらいに。
解は、ここを掘ることに決めた。
翌日、夜が明けて東の空が白むころ、解は目をさました。
寝台から起きあがり、鍵を手にする。
そして部屋のすみっこの仕切りの奥へ入ってドキドキしながら待つ。
やがて鐘が鳴る。きっちり五回だ。
解はそのあいだ鍵を床へ打ちつけた。
左手で鍵を持ち、右手で左手をギュッと握りしめて力いっぱい打つ。
ガツンッと鈍い手ごたえ。何度も何度もだ。
(キツツキみたいだ。)
解は自分のことをそう思った。
テレビの動物を紹介する番組で見たことのあるやつだ。
そうだ、キツツキだ。
そう思ったとたんに、初めはガツン、ガツン、ガツン、とゆるやかだった床を打つリズムが、ガツガツガツガツ、と早くなった。
やがて鐘の音が止まる。
狭い部屋に静寂がおとずれ、下を流れる川の水音が聞こえる。
解はいそいで仕切りの外へ出る。
これを二回くり返したあとしばらくすると外から窓を開けて天流衆の男が現れる。
フード付きの上衣を着た男だ。そして食事のトレイを置いてすぐに出ていく。
掘ることで出たコバルトブルーの破片は細かく砕いて水道に流すことにした。
ためしにすりつぶしてみると、その作業ではそんなに大きな音が出ないことがわかった。
すりつぶすのにはステンレスの水筒を使った。
破片を床に置き、水筒をその上に置き、体重をかけて水筒を転がすと破片がつぶれる。
何度も体重をかけて砂のような粒子になるまで細かくする。
それを指で一つまみずつ、排水溝に落とす。
もしも排水管が砂粒のせいで詰まり、そのことにだれかが気づいたらおしまいだ。
だから一度にたくさん落とすのはぜったいにダメだ。
この作業のときにいちばん気持ちが張りつめた。
大峡谷に住む天流衆はだれも解のいる部屋を見ない。
意図的に見ないようにしている。
はじめ解がつらく感じたそのことが、いまは解に味方した。
解はせっせと床を掘り、破片をすりつぶし、それを捨てた。
一日が終わってみると解の手の指が三箇所ほど擦りむけて小さな傷ができていた。
その傷と引きかえに、床の一か所に十センチほどの深さの穴が出現した。
日が暮れる直前に解はへこんだ床をじっと見つめた。
十センチ、ほんの十センチだ。
解の目が輝いた。
いま解が見ているのは閉じこめられた狭い部屋の床ではなくて、曲がりくねった山道を放牧篭に向かって進んだときに見た道だった。
一度はあきらめかけた先へふたたびつながった、解はそう思った。
(ここを出るんだ。凱風って人に会うんだ。)
翌日も、そのまた翌日も、さらにその翌日も、解はおなじことをくり返した。
毎日、鐘の音が鳴り響くのを待ちわびた。
何日もおなじ動きをするうちに解は上半身ぜんぶを使って力を出すことをおぼえた。
肩に力を入れて鍵を打ちつけるよりもそのほうが深くて大きな穴が掘れる。
はじめは体全体を振るとそれに合わせて頭もゆれるために、鐘の音が止むときにはフラフラになったが、そのうちに視線を固定させると楽なことに気づいた。
穴を掘るスピードがしだいに上がった。
一週間目には解が腰まで埋まるほどの穴になった。
解は穴の壁面に足がかりになる窪みを作った。そうすれば穴の底へ降りるときに飛びおりる必要がなくなる。
大きな音をたてることはなにがあってもしないぞ、と解は思った。
もし解のやっていることを天流衆の人たち、とくにフード付きの上衣を着た男たちに見つかったらおしまいだ。音だけではない。はじめのうちは細かい擦り傷がいくつも指にできた。解は男たちに自分の手先を見せないように気をつけた。
一方で明るいうち、鐘の鳴らない時間を解は本を、「かたちの強さ」を読んですごすことにした。
その本にはかたちによって生じる力のことがたくさん書いてあった。
たとえば、飛行機の翼は上の面にふくらみがあることが書いてあった。
ふくらみによって翼の上と下を流れる空気の量が変化する。
その量の差が揚力という力になってあんなに大きな物体が空を飛ぶのだ。
それからゴルフボールの表面には小さなくぼみがあるということが書いてあった。
おなじ大きさのボールでも、表面がつるつるしたものより遠くまで飛ぶのだ。
日本刀がゆるやかに反っているのはなぜかも書いてあった。
かたちが反ることで刀の上の部分に引っぱる力、下の部分に圧縮する力が生じ、引張と圧縮に刀が対抗することで強くなる。
かたちによって刀のなかに強さがうまれるのだ。
やがて日が暮れる。暗くなると読書はおしまいだ。
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