83 / 112
7章 峡谷の異変
82 揚骨
しおりを挟む
四ツ谷枢の表情が引きしまった。
彼は、
「伊吹!」
と、するどい声で彼の弟子のひとりである青年の名を呼んだ。
伊吹が一歩前へでた。
「はい、先生。」
「道場に揚骨の袋がまだある。ひとっ飛びしてここへ持ってきてくるのだ。」
伊吹が解を見た。
「この子に使わせますか? いきなりはむずかしいと思いますが。」
「急を要する。行きなさい。」
「はい、先生。」
伊吹はもう一度、解の顔を視線でひとなですると、スッと宙に浮いて会堂を出ていった。
解は変な気分になった。
伊吹の視線がなんだか気の毒な人間を見ているように感じたからだ。
解は花連にたずねた。
「揚骨ってなんですか?」
花連が解を横目で見た。
そしてなにも言わずに移動した。
解は花連が動くのを目で追った。
黒い解の瞳に袴姿の花連が映っている。
暗やみのなかで筒袖の着物と花連の肌が抜いたように白く見える。
その花連の姿が動いた――上へ。
花連が宙に浮いている。
解はまじまじと花連を見つめた。穴が開くほどながめた。特に足元を。
「浮いてる……。ええっ、花連さんって天流衆だったんですか?」
「これ。」
花連はなにかを懐から取りだしてみせた。
見ると手のひらに乗るくらいの巾着袋だ。
布製の袋の口に紐がついており、花連の首にかかっている。
解が目を白黒する間に、花連は身体を下降させて会堂の床に音も立てずに着地した。
花連が袋の口を開いてあるものを中から取りだした。
解は花連が手のひらに乗せたものを見た。解はあっと思った。
よーく知っている物体だ。
忘れようにもそんなに簡単には忘れられないほど、いやというほど見て、手でふれたものだった。
それは緑色に淡く光る骨だった。小さなかたまりが三つほど。
「ここの生きものの骨だ。」
解がつぶやくと、花連がうなずいた。
「これが揚骨。」
「揚骨?」
「そう。」
「もしかしてカラジョルの骨ですか? それとも、もしかして――人間の? 天流衆の? もしかしてこれがあるから飛ぶの?」
横から花連の父親が口をはさんだ。
「半分正解だ。天流衆国で空飛ぶ生きものすべてにこの揚骨がある。強力な浮力が発生する骨だ。ただしそれはカラジョルでも人でもない。ウィリ・ウィリという生きものの骨だよ。」
「ウィリ・ウィリ?」
「大きな魚のかたちをしている。だが海ではなく空にいる生きものだ。天流衆の人達がもっともよく食べる肉がウィリ・ウィリだ。」
「魚、あっ、もしかしてサカナモドキ!」
解はつい大声をだし、それからあわてて自分の口を手で押さえた。
いま大声をあげるのはマズいことを思いだしたのだ。
クラブリーがわらって肩をすくめ、それから「大丈夫だ。」とうなずいてみせた。
「お前さんのいまの声が会堂の外まで響いてだれかが起きるってことは、まずないだよ。だが気をつけな。」
「はい。」
うなずき、同時に解は骨鉱山で結生や杉野さんと一緒に蘇石骨を採掘したときのことを思いうかべた。
あのときいちばんたくさん落ちていたのが解や結生がサカナモドキと呼んだ生物の骨だった。
解は首をかしげた。
「でも骨鉱山にたくさんあった骨はどれも地面に散らばっていましたよ。宙に浮いた骨なんて一つもなかったです。」
四ツ谷枢がうなずいた。
「通常はそうだ。揚骨に通る血管が血液を送りこむ。血液が栄養を運んで浮力がうまれるのだ。骨の持ちぬしが弱り、血液の流れが弱まると揚骨の浮力も失われる。すると重力に引かれて地面に落下する。」
「ああ、はい。」
解はレシャバールの死ぬ間際の様子を思いだした。
彼の厳かな声や一瞬だけ見せた笑顔、それに解の腕をつかんだ手の力を思いだすと、胸をぎゅっとつかまれたようなにぶい痛みが生まれた。
解はいそいで意識を過去からこの場へ引きずりもどした。
四ツ谷枢が言葉をつづけた。
「これはウィリ・ウィリの揚骨に特殊な液体を詰めて揚力を保ったままにしている。これがあれば私たち地徒人もここで不便なく暮らしていけるのだ。なにしろ階段も梯子も存在しない世界だからね。」
「あのー、もしかしてその揚骨ってやつを……。」
解が質問しようとしたそのとき、背後でしずかな声がした。
「持ってきましたよ、先生。」
伊吹だ。
四ツ谷枢がわずかに口の両端を持ちあげた。
「ご苦労だった、伊吹。ではそれを解くんに渡しなさい。」
やっぱり、と解は思った。
四ツ谷枢は解に使わせるためにそれを持ってこさせたのだ。
伊吹が花連の首にかかっているものとおなじ巾着袋を解に差しだした。
解は手をのばしてその袋にふれた。
四ツ谷枢がしずかに言った。
「これから君たちにアシファット族のいるシャジン峡谷へ向かってもらう。そこでなにかが起きているようだ。」
その言葉によって、解のあたまのなかに、べつの人間が発したおなじ言葉が再生されて響いた。
『なにかが起きるのだ。』
低い、朗々とした声。舞台の上で役者が張りあげるような声。
カク・シだ。
(いま起きているのが、そのなにかなんだ。)
解は息をのんだ。
四ツ谷枢が言葉をつづけた。
「解くんにはいますぐ浮揚を身につけてもらう。飛行の初歩だ。君は伊吹や花連と一緒に行きなさい。」
「はい。」
解はためらわずうなずいた。
そして布の袋を手にとった。
彼は、
「伊吹!」
と、するどい声で彼の弟子のひとりである青年の名を呼んだ。
伊吹が一歩前へでた。
「はい、先生。」
「道場に揚骨の袋がまだある。ひとっ飛びしてここへ持ってきてくるのだ。」
伊吹が解を見た。
「この子に使わせますか? いきなりはむずかしいと思いますが。」
「急を要する。行きなさい。」
「はい、先生。」
伊吹はもう一度、解の顔を視線でひとなですると、スッと宙に浮いて会堂を出ていった。
解は変な気分になった。
伊吹の視線がなんだか気の毒な人間を見ているように感じたからだ。
解は花連にたずねた。
「揚骨ってなんですか?」
花連が解を横目で見た。
そしてなにも言わずに移動した。
解は花連が動くのを目で追った。
黒い解の瞳に袴姿の花連が映っている。
暗やみのなかで筒袖の着物と花連の肌が抜いたように白く見える。
その花連の姿が動いた――上へ。
花連が宙に浮いている。
解はまじまじと花連を見つめた。穴が開くほどながめた。特に足元を。
「浮いてる……。ええっ、花連さんって天流衆だったんですか?」
「これ。」
花連はなにかを懐から取りだしてみせた。
見ると手のひらに乗るくらいの巾着袋だ。
布製の袋の口に紐がついており、花連の首にかかっている。
解が目を白黒する間に、花連は身体を下降させて会堂の床に音も立てずに着地した。
花連が袋の口を開いてあるものを中から取りだした。
解は花連が手のひらに乗せたものを見た。解はあっと思った。
よーく知っている物体だ。
忘れようにもそんなに簡単には忘れられないほど、いやというほど見て、手でふれたものだった。
それは緑色に淡く光る骨だった。小さなかたまりが三つほど。
「ここの生きものの骨だ。」
解がつぶやくと、花連がうなずいた。
「これが揚骨。」
「揚骨?」
「そう。」
「もしかしてカラジョルの骨ですか? それとも、もしかして――人間の? 天流衆の? もしかしてこれがあるから飛ぶの?」
横から花連の父親が口をはさんだ。
「半分正解だ。天流衆国で空飛ぶ生きものすべてにこの揚骨がある。強力な浮力が発生する骨だ。ただしそれはカラジョルでも人でもない。ウィリ・ウィリという生きものの骨だよ。」
「ウィリ・ウィリ?」
「大きな魚のかたちをしている。だが海ではなく空にいる生きものだ。天流衆の人達がもっともよく食べる肉がウィリ・ウィリだ。」
「魚、あっ、もしかしてサカナモドキ!」
解はつい大声をだし、それからあわてて自分の口を手で押さえた。
いま大声をあげるのはマズいことを思いだしたのだ。
クラブリーがわらって肩をすくめ、それから「大丈夫だ。」とうなずいてみせた。
「お前さんのいまの声が会堂の外まで響いてだれかが起きるってことは、まずないだよ。だが気をつけな。」
「はい。」
うなずき、同時に解は骨鉱山で結生や杉野さんと一緒に蘇石骨を採掘したときのことを思いうかべた。
あのときいちばんたくさん落ちていたのが解や結生がサカナモドキと呼んだ生物の骨だった。
解は首をかしげた。
「でも骨鉱山にたくさんあった骨はどれも地面に散らばっていましたよ。宙に浮いた骨なんて一つもなかったです。」
四ツ谷枢がうなずいた。
「通常はそうだ。揚骨に通る血管が血液を送りこむ。血液が栄養を運んで浮力がうまれるのだ。骨の持ちぬしが弱り、血液の流れが弱まると揚骨の浮力も失われる。すると重力に引かれて地面に落下する。」
「ああ、はい。」
解はレシャバールの死ぬ間際の様子を思いだした。
彼の厳かな声や一瞬だけ見せた笑顔、それに解の腕をつかんだ手の力を思いだすと、胸をぎゅっとつかまれたようなにぶい痛みが生まれた。
解はいそいで意識を過去からこの場へ引きずりもどした。
四ツ谷枢が言葉をつづけた。
「これはウィリ・ウィリの揚骨に特殊な液体を詰めて揚力を保ったままにしている。これがあれば私たち地徒人もここで不便なく暮らしていけるのだ。なにしろ階段も梯子も存在しない世界だからね。」
「あのー、もしかしてその揚骨ってやつを……。」
解が質問しようとしたそのとき、背後でしずかな声がした。
「持ってきましたよ、先生。」
伊吹だ。
四ツ谷枢がわずかに口の両端を持ちあげた。
「ご苦労だった、伊吹。ではそれを解くんに渡しなさい。」
やっぱり、と解は思った。
四ツ谷枢は解に使わせるためにそれを持ってこさせたのだ。
伊吹が花連の首にかかっているものとおなじ巾着袋を解に差しだした。
解は手をのばしてその袋にふれた。
四ツ谷枢がしずかに言った。
「これから君たちにアシファット族のいるシャジン峡谷へ向かってもらう。そこでなにかが起きているようだ。」
その言葉によって、解のあたまのなかに、べつの人間が発したおなじ言葉が再生されて響いた。
『なにかが起きるのだ。』
低い、朗々とした声。舞台の上で役者が張りあげるような声。
カク・シだ。
(いま起きているのが、そのなにかなんだ。)
解は息をのんだ。
四ツ谷枢が言葉をつづけた。
「解くんにはいますぐ浮揚を身につけてもらう。飛行の初歩だ。君は伊吹や花連と一緒に行きなさい。」
「はい。」
解はためらわずうなずいた。
そして布の袋を手にとった。
0
あなたにおすすめの小説
「いっすん坊」てなんなんだ
こいちろう
児童書・童話
ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。
自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・
クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました
藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。
相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。
さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!?
「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」
星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。
「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」
「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」
ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や
帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……?
「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」
「お前のこと、誰にも渡したくない」
クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
少年騎士
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞参加作」ポーウィス王国という辺境の小国には、12歳になるとダンジョンか魔境で一定の強さになるまで自分を鍛えなければいけないと言う全国民に対する法律があった。周囲の小国群の中で生き残るため、小国を狙う大国から自国を守るために作られた法律、義務だった。領地持ち騎士家の嫡男ハリー・グリフィスも、その義務に従い1人王都にあるダンジョンに向かって村をでた。だが、両親祖父母の計らいで平民の幼馴染2人も一緒に12歳の義務に同行する事になった。将来救国の英雄となるハリーの物語が始まった。
村から追い出された変わり者の僕は、なぜかみんなの人気者になりました~異種族わちゃわちゃ冒険ものがたり~
楓乃めーぷる
児童書・童話
グラム村で変わり者扱いされていた少年フィロは村長の家で小間使いとして、生まれてから10年間馬小屋で暮らしてきた。フィロには生き物たちの言葉が分かるという不思議な力があった。そのせいで同年代の子どもたちにも仲良くしてもらえず、友達は森で助けた赤い鳥のポイと馬小屋の馬と村で飼われている鶏くらいだ。
いつもと変わらない日々を送っていたフィロだったが、ある日村に黒くて大きなドラゴンがやってくる。ドラゴンは怒り村人たちでは歯が立たない。石を投げつけて何とか追い返そうとするが、必死に何かを訴えている.
気になったフィロが村長に申し出てドラゴンの話を聞くと、ドラゴンの巣を荒らした者が村にいることが分かる。ドラゴンは知らぬふりをする村人たちの態度に怒り、炎を噴いて暴れまわる。フィロの必死の説得に漸く耳を傾けて大人しくなるドラゴンだったが、フィロとドラゴンを見た村人たちは、フィロこそドラゴンを招き入れた張本人であり実は魔物の生まれ変わりだったのだと決めつけてフィロを村を追い出してしまう。
途方に暮れるフィロを見たドラゴンは、フィロに謝ってくるのだがその姿がみるみる美しい黒髪の女性へと変化して……。
「ドラゴンがお姉さんになった?」
「フィロ、これから私と一緒に旅をしよう」
変わり者の少年フィロと異種族の仲間たちが繰り広げる、自分探しと人助けの冒険ものがたり。
・毎日7時投稿予定です。間に合わない場合は別の時間や次の日になる場合もあります。
14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート
谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。
“スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。
そして14歳で、まさかの《定年》。
6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。
だけど、定年まで残された時間はわずか8年……!
――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。
だが、そんな幸弘の前に現れたのは、
「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。
これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。
描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。
ノースキャンプの見張り台
こいちろう
児童書・童話
時代劇で見かけるような、古めかしい木づくりの橋。それを渡ると、向こう岸にノースキャンプがある。アーミーグリーンの北門と、その傍の監視塔。まるで映画村のセットだ。
進駐軍のキャンプ跡。周りを鉄さびた有刺鉄線に囲まれた、まるで要塞みたいな町だった。進駐軍が去ってからは住宅地になって、たくさんの子どもが暮らしていた。
赤茶色にさび付いた監視塔。その下に広がる広っぱは、子どもたちの最高の遊び場だ。見張っているのか、見守っているのか、鉄塔の、あのてっぺんから、いつも誰かに見られているんじゃないか?ユーイチはいつもそんな風に感じていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる