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7章 峡谷の異変
83 飛ぶ
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はじめに感じたのはいやな感覚だった。
放牧篭の枝室で強いゆれを感じたときに似ていた。
足元がおぼつかず、軽い目まいに似た不快さがおそってきた。
四ツ谷枢が言った。
「身体の力を抜きなさい。肩をさげてごらん。」
解はそうした。
目まいに似た不快さがさらに増した。
同時に解は自分の身体が前のめりに倒れるのではないかという気がした。
まるでだれかに肩や背中を押されたような感触だ。
身体が勝手に転がってしまいそうだった。
解はあわてて背をそらせた。そしてそのとたん、
「うわあっ。」
思わず解は声をあげた。
背をそらせた力は、単に背をそらせるだけですまなかった。
解の身体が後ろむきに回転したのだ。
解は自分の足が地面から離れていることに気づいた。
後方宙返りだ。もちろんそんなことは初体験だ。
身体がとんぼ返りをひとつした。
解はこわくなった。
身体がぎゅっと固まった。
すると解の頭が上に、胴体が下になり、解は会堂の床に尻もちをついた。
それはひどくゆっくりした動きだった。
「浮いたっ……。」
解は呆然とつぶやいた。
いまのが宙に浮く状態だったのだとしたら、いままで目にした天流衆の人達の印象とはずいぶんちがうぞ、解はそう思った。
天流衆はごくふつうにまっすぐ立つように宙に浮いてみせるが(それにさっきの花連だってそうだ)、それだけのことがずいぶんむずかしい。
「もう一度だ、解くん。やってごらん。」
四ツ谷枢の声が飛んできた。
おだやかだけど容赦のない声だ。
できない状態でいることなど許されないのだとすぐさま解は理解した。
(いそがないと。)
すると、まるでそれを見すかしたかのように、四ツ谷枢が言った。
「落ちつきなさい。いちど息をぜんぶ吐きだしてみなさい。」
解は言われるままにそうした。
「そうだ、では今度は深く吸って。そう、もう一度吐いて。よし。解くんは水に潜ったことはあるかね? 水に浮くのも宙に浮くのも似たような感覚だ。水底から浮上するつもりでやってごらん。」
解はそうした。
「そうだ、その感じだ。身体がゆれると感じたら逆らわずにそのままゆれなさい。」
解はそうした。
もう一度、身体を前に押されるような感覚が生じたが、押されるままにまかせた。
四ツ谷枢の言葉の通りだ。
水のなかにいるみたいだった。
だれかの力、いや、なにかの力――浮力が解の身体を押しあげている。
途中までは上手くいった。
解は一生懸命に身体に力を入れないようにした。
でもそれを気にするあまりにむしろ変なところに力が入ってきた。
しばらくがんばってみたが、結局もう一度とんぼ返りをするはめになった。
解はふたたび落下して床にしりもちをついた。
(ダメだ。)
と解が思った瞬間に、それとは真逆の言葉がかかった。
「よし、いいぞ、大丈夫だ。」
四ツ谷枢だ。
彼はうなずいた。
「さっきよりずっといい。もう一度やるんだ、解くん。」
解は立ちあがって四ツ谷枢の言葉に従った。
床から足が離れたところで四ツ谷枢が解の真正面に立った。
解の目の前に彼の顔がある。
四ツ谷枢は両手を伸ばして解の頭にふれ、姿勢を修正した。
「この位置だ。骨盤の真上に頭がい骨があるのが安定する位置だ。」
しばらくの間は大丈夫だった。が、やがてまた解は前のめりに押されたように感じて肩に力が入ってしまった。
とんぼ返りして落下した解に、四ツ谷枢が「もう一度だ。」と声をかけた。
「だんだん修正できている。もう一度やってごらん。」
解はそうした。
また目まいのような不快さがおそってきたが、解はその目まいよりも自分を押しあげる力のほうに集中した。
(ゆれる、ゆれるけどゆれていいんだ、ゆれる、ゆれる。)
伊吹が小さく口笛を吹いてみせた。
「さすが枢先生。指導の仕方がちがう。」
解の目にうつる光景が少しずつ変化した。
クラブリーがかかげる灯りが解の視界の端に見える。
それがだんだん低くなっていく。
(灯りが低くなったんじゃ、ない。ぼくが、高く、なった、ん、だ。)
四ツ谷枢がまた解に声をかけた。
「できるかぎり肩をさげたまま息をしてごらん。鼻でそっと吸うんだ、しずかに、そうだ。」
ふしぎな声だ。ゆったりしているのに注意深い声でもあった。
彼の言葉で自分の身体が導かれてしぜんに動くのが解には心地よかった。
失敗しそうなことをあらかじめ想定したうえでそこにはふれず、適切な道すじだけを示すような声だった。
ふと解は、この体験をバローもしたのかもしれない、とケルキトの兄のえらそうな態度を思いだした。
もしそうならバローがいばったのも少しくらいは無理ないと思った。
四ツ谷枢に導かれると、なんだか自分がいままでより強くなったような気分になる。
ぼくは宙に浮いている、解が改めてそう思ったとき、解の右側に花連が、左側に伊吹が浮かんでいた。
伊吹がほほえみ、解に手を差しのべた。
「解くん、よくやった。はじめてにしては上出来だ。まっすぐに浮くことができれば、あとはぼくらが君の手を引くよ。」
「いそいで。」
花連が解をうながし、伊吹とおなじように解に向けて手を差しだした。
解は二人の手をとった。
二人の手が解の身体を引っぱった。身体が前へ進んだ。
背後から四ツ谷枢の声が聞こえた。
「解くん、肩をさげたままでいなさい。腕が伸びきらないように気をつけるんだ。」
解はそうした。
一行は会堂の外へ出た。
放牧篭の枝室で強いゆれを感じたときに似ていた。
足元がおぼつかず、軽い目まいに似た不快さがおそってきた。
四ツ谷枢が言った。
「身体の力を抜きなさい。肩をさげてごらん。」
解はそうした。
目まいに似た不快さがさらに増した。
同時に解は自分の身体が前のめりに倒れるのではないかという気がした。
まるでだれかに肩や背中を押されたような感触だ。
身体が勝手に転がってしまいそうだった。
解はあわてて背をそらせた。そしてそのとたん、
「うわあっ。」
思わず解は声をあげた。
背をそらせた力は、単に背をそらせるだけですまなかった。
解の身体が後ろむきに回転したのだ。
解は自分の足が地面から離れていることに気づいた。
後方宙返りだ。もちろんそんなことは初体験だ。
身体がとんぼ返りをひとつした。
解はこわくなった。
身体がぎゅっと固まった。
すると解の頭が上に、胴体が下になり、解は会堂の床に尻もちをついた。
それはひどくゆっくりした動きだった。
「浮いたっ……。」
解は呆然とつぶやいた。
いまのが宙に浮く状態だったのだとしたら、いままで目にした天流衆の人達の印象とはずいぶんちがうぞ、解はそう思った。
天流衆はごくふつうにまっすぐ立つように宙に浮いてみせるが(それにさっきの花連だってそうだ)、それだけのことがずいぶんむずかしい。
「もう一度だ、解くん。やってごらん。」
四ツ谷枢の声が飛んできた。
おだやかだけど容赦のない声だ。
できない状態でいることなど許されないのだとすぐさま解は理解した。
(いそがないと。)
すると、まるでそれを見すかしたかのように、四ツ谷枢が言った。
「落ちつきなさい。いちど息をぜんぶ吐きだしてみなさい。」
解は言われるままにそうした。
「そうだ、では今度は深く吸って。そう、もう一度吐いて。よし。解くんは水に潜ったことはあるかね? 水に浮くのも宙に浮くのも似たような感覚だ。水底から浮上するつもりでやってごらん。」
解はそうした。
「そうだ、その感じだ。身体がゆれると感じたら逆らわずにそのままゆれなさい。」
解はそうした。
もう一度、身体を前に押されるような感覚が生じたが、押されるままにまかせた。
四ツ谷枢の言葉の通りだ。
水のなかにいるみたいだった。
だれかの力、いや、なにかの力――浮力が解の身体を押しあげている。
途中までは上手くいった。
解は一生懸命に身体に力を入れないようにした。
でもそれを気にするあまりにむしろ変なところに力が入ってきた。
しばらくがんばってみたが、結局もう一度とんぼ返りをするはめになった。
解はふたたび落下して床にしりもちをついた。
(ダメだ。)
と解が思った瞬間に、それとは真逆の言葉がかかった。
「よし、いいぞ、大丈夫だ。」
四ツ谷枢だ。
彼はうなずいた。
「さっきよりずっといい。もう一度やるんだ、解くん。」
解は立ちあがって四ツ谷枢の言葉に従った。
床から足が離れたところで四ツ谷枢が解の真正面に立った。
解の目の前に彼の顔がある。
四ツ谷枢は両手を伸ばして解の頭にふれ、姿勢を修正した。
「この位置だ。骨盤の真上に頭がい骨があるのが安定する位置だ。」
しばらくの間は大丈夫だった。が、やがてまた解は前のめりに押されたように感じて肩に力が入ってしまった。
とんぼ返りして落下した解に、四ツ谷枢が「もう一度だ。」と声をかけた。
「だんだん修正できている。もう一度やってごらん。」
解はそうした。
また目まいのような不快さがおそってきたが、解はその目まいよりも自分を押しあげる力のほうに集中した。
(ゆれる、ゆれるけどゆれていいんだ、ゆれる、ゆれる。)
伊吹が小さく口笛を吹いてみせた。
「さすが枢先生。指導の仕方がちがう。」
解の目にうつる光景が少しずつ変化した。
クラブリーがかかげる灯りが解の視界の端に見える。
それがだんだん低くなっていく。
(灯りが低くなったんじゃ、ない。ぼくが、高く、なった、ん、だ。)
四ツ谷枢がまた解に声をかけた。
「できるかぎり肩をさげたまま息をしてごらん。鼻でそっと吸うんだ、しずかに、そうだ。」
ふしぎな声だ。ゆったりしているのに注意深い声でもあった。
彼の言葉で自分の身体が導かれてしぜんに動くのが解には心地よかった。
失敗しそうなことをあらかじめ想定したうえでそこにはふれず、適切な道すじだけを示すような声だった。
ふと解は、この体験をバローもしたのかもしれない、とケルキトの兄のえらそうな態度を思いだした。
もしそうならバローがいばったのも少しくらいは無理ないと思った。
四ツ谷枢に導かれると、なんだか自分がいままでより強くなったような気分になる。
ぼくは宙に浮いている、解が改めてそう思ったとき、解の右側に花連が、左側に伊吹が浮かんでいた。
伊吹がほほえみ、解に手を差しのべた。
「解くん、よくやった。はじめてにしては上出来だ。まっすぐに浮くことができれば、あとはぼくらが君の手を引くよ。」
「いそいで。」
花連が解をうながし、伊吹とおなじように解に向けて手を差しだした。
解は二人の手をとった。
二人の手が解の身体を引っぱった。身体が前へ進んだ。
背後から四ツ谷枢の声が聞こえた。
「解くん、肩をさげたままでいなさい。腕が伸びきらないように気をつけるんだ。」
解はそうした。
一行は会堂の外へ出た。
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