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7章 峡谷の異変
94 独壇場
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亜陸候サルタン閣下は真っ赤になった。頬にそばかすが浮かびあがった。
そうすると若い亜陸候はさらにいっそう若く、いや、幼く見えた。
「そ、そのようなこと、余は許さぬ! 黒の亜陸の意裁官よ、め、命令だ! ただちにその雑夙どもを引かせよ!」
カク・シの琥珀色の目が光った。
冷たい視線が亜陸候サルタン閣下の顔をひとなでした。
すると、まるでカク・シの視線が人の指でできており、その指が亜陸候の唇をつまんだかのように、サルタン閣下がおしだまった。彼の額に汗がにじみはじめた。
カク・シがおもむろに声をあげた。
「どうも亜陸候閣下は誤解しておられるようだ。」
「な、なんだと?」
「このカク・シはサルタン閣下の命令をきくために、わざわざこの青の亜陸にやってきたわけではないし、また閣下にここまでお越しいただいたわけもありませぬ。」
カク・シの琥珀色の目がキョロキョロと定まらないサルタン閣下の水色の目をじっと見すえた。
サルタン閣下の目がいっそう落ちつきなくさまよった。
すると、カク・シは視線の強さをほんの少しだけゆるめた。
「だからといってサルタン閣下を脅迫に来たわけでもないのです。当然でありましょう。」
「そ、そのようなこと、言われずともわかっておる! そもそもこのサルタン、おどしになど屈するような臆病者ではない!」
サルタン閣下は大きく胸をはってみせた。
ケンカをする鳥がつばさを広げるのに似ていた。
「よ、余は、つ、つ、強いのだぞ!」
「もちろんその通りでしょう、閣下。さて、私はあなたと取引がしたいのです。」
「と、取引だと?」
「さよう。」
カク・シは両手をしずかに広げてみせた。
「ここにいるのは、ざっと三百体の雑夙。――手をあげよ!」
巨大な雑夙の隊列が一斉に右腕をまっすぐに伸ばして手のひらを高く掲げた。
まるでそこにいきなり林が生まれたみたいだった。
半透明の、葉のない林だ。
カク・シはうなずき、もう一度声をあげた。
「一歩前へ!」
今度は巨大な雑夙の隊列がざっと一歩出た。
三百を超える巨体の足が地面を踏み、その地響きでコバルトブルーの断崖がゆれた。
解はそのゆれを感じた。宙に浮いているにもかかわらずだ。
天流衆の人々もおなじゆれを感じたようだ。
あたりはいっそうしずまりかえった。
カク・シがわずかに微笑をうかべた。
そして微笑を浮かべたまま巨大な雑夙の大群を睥睨した。
満足そうな表情だ。
まるで言いつけにしたがった犬の頭をなでてやるような雰囲気だった。
「いかがでありましょう、サルタン閣下。ごらんの通りこやつらはあるじの命令にたいへんよく従うのですよ。そう、そのへんの人間とは比べものにならぬほど忠実です。」
「む、むう……。」
サルタン閣下はうなった。
どう返事をしていいか決めかねたようだった。
カク・シはほほえみを収めた。
そして視線を巨大な雑夙たちから中空に浮かぶ放牧民へうつした。
満足げな気配がぬぐったように消えた。
視線は冷たかった。
「青の亜陸では、軍隊は放牧民や採掘民の寄せあつめ。そのような兵に一体どれほどの忠誠心を期待できるものでしょうな。」
朗々としたその声に、亜陸候サルタン閣下がハッとした顔になった。
放牧民たちもだ。
アシファット族やクリアドル族のなかにはカク・シの言葉を聞いて怒った顔になる者もいた。解の目にはケルキトがいちばん怒っているように見えた。
しかしどちらかといえばカク・シに対して気圧されたように身じろぎした者が多かった。
カク・シの言葉にはあざけりがあった。
解はその声を聞いてひどくいやな気持ちになった。
カク・シが言葉をつづけた。
「亡くなったお父上のあとを継いでほどない、若き亜陸候をあなどり、いつなんどき寝首をかくとも限らぬような放牧民をあつめた軍。それよりもこやつらのほうがよほどサルタン閣下に忠誠を誓い、またその誓いをかたく守ることでしょう。」
亜陸候サルタン閣下の表情がすうっと変わった。
解は(あれ?)と思った。
いまのカク・シの言葉をサルタン閣下が一瞬で理解したことに気づいたからだ。
(どうしてこの人は、さっきの川が干あがる話は理解するのに時間がかかったのに、いまの話はすぐにわかったんだ?)
その間も巨大な雑夙の隊列は片手をあげたままだ。
サルタン閣下はそのことに気づいたようで、「む?」と首をひねり、カク・シにたずねた。
「こやつらはいつまで、て、手をあげたままなのだ?」
「命令するまで。もし命令がなければいつまでもこのままでおりましょう。いかがですかな、閣下。こやつらがどれほど忠実であるかおわかりいただけますかな。人にはまねができないほど一途なのですよ。」
サルタン閣下の目が光った。
「と、取引ともうしたな、く、黒の意裁官よ。」
裏がえった声がカク・シに向かった。カク・シがうなずいた。
サルタン閣下は上目づかいでカク・シを見つめた。
ずるそうな、なにかを計算するような顔だ。
「お前は一体、こ、この、青の亜陸候になにを望むのか? その巨大な雑夙たちと引きかえに、余がお前に支払うのは、な、な、なんだと?」
カク・シがほほえんだ。
ぞっとするような冷たいほほえみだと解は思った。
そうすると若い亜陸候はさらにいっそう若く、いや、幼く見えた。
「そ、そのようなこと、余は許さぬ! 黒の亜陸の意裁官よ、め、命令だ! ただちにその雑夙どもを引かせよ!」
カク・シの琥珀色の目が光った。
冷たい視線が亜陸候サルタン閣下の顔をひとなでした。
すると、まるでカク・シの視線が人の指でできており、その指が亜陸候の唇をつまんだかのように、サルタン閣下がおしだまった。彼の額に汗がにじみはじめた。
カク・シがおもむろに声をあげた。
「どうも亜陸候閣下は誤解しておられるようだ。」
「な、なんだと?」
「このカク・シはサルタン閣下の命令をきくために、わざわざこの青の亜陸にやってきたわけではないし、また閣下にここまでお越しいただいたわけもありませぬ。」
カク・シの琥珀色の目がキョロキョロと定まらないサルタン閣下の水色の目をじっと見すえた。
サルタン閣下の目がいっそう落ちつきなくさまよった。
すると、カク・シは視線の強さをほんの少しだけゆるめた。
「だからといってサルタン閣下を脅迫に来たわけでもないのです。当然でありましょう。」
「そ、そのようなこと、言われずともわかっておる! そもそもこのサルタン、おどしになど屈するような臆病者ではない!」
サルタン閣下は大きく胸をはってみせた。
ケンカをする鳥がつばさを広げるのに似ていた。
「よ、余は、つ、つ、強いのだぞ!」
「もちろんその通りでしょう、閣下。さて、私はあなたと取引がしたいのです。」
「と、取引だと?」
「さよう。」
カク・シは両手をしずかに広げてみせた。
「ここにいるのは、ざっと三百体の雑夙。――手をあげよ!」
巨大な雑夙の隊列が一斉に右腕をまっすぐに伸ばして手のひらを高く掲げた。
まるでそこにいきなり林が生まれたみたいだった。
半透明の、葉のない林だ。
カク・シはうなずき、もう一度声をあげた。
「一歩前へ!」
今度は巨大な雑夙の隊列がざっと一歩出た。
三百を超える巨体の足が地面を踏み、その地響きでコバルトブルーの断崖がゆれた。
解はそのゆれを感じた。宙に浮いているにもかかわらずだ。
天流衆の人々もおなじゆれを感じたようだ。
あたりはいっそうしずまりかえった。
カク・シがわずかに微笑をうかべた。
そして微笑を浮かべたまま巨大な雑夙の大群を睥睨した。
満足そうな表情だ。
まるで言いつけにしたがった犬の頭をなでてやるような雰囲気だった。
「いかがでありましょう、サルタン閣下。ごらんの通りこやつらはあるじの命令にたいへんよく従うのですよ。そう、そのへんの人間とは比べものにならぬほど忠実です。」
「む、むう……。」
サルタン閣下はうなった。
どう返事をしていいか決めかねたようだった。
カク・シはほほえみを収めた。
そして視線を巨大な雑夙たちから中空に浮かぶ放牧民へうつした。
満足げな気配がぬぐったように消えた。
視線は冷たかった。
「青の亜陸では、軍隊は放牧民や採掘民の寄せあつめ。そのような兵に一体どれほどの忠誠心を期待できるものでしょうな。」
朗々としたその声に、亜陸候サルタン閣下がハッとした顔になった。
放牧民たちもだ。
アシファット族やクリアドル族のなかにはカク・シの言葉を聞いて怒った顔になる者もいた。解の目にはケルキトがいちばん怒っているように見えた。
しかしどちらかといえばカク・シに対して気圧されたように身じろぎした者が多かった。
カク・シの言葉にはあざけりがあった。
解はその声を聞いてひどくいやな気持ちになった。
カク・シが言葉をつづけた。
「亡くなったお父上のあとを継いでほどない、若き亜陸候をあなどり、いつなんどき寝首をかくとも限らぬような放牧民をあつめた軍。それよりもこやつらのほうがよほどサルタン閣下に忠誠を誓い、またその誓いをかたく守ることでしょう。」
亜陸候サルタン閣下の表情がすうっと変わった。
解は(あれ?)と思った。
いまのカク・シの言葉をサルタン閣下が一瞬で理解したことに気づいたからだ。
(どうしてこの人は、さっきの川が干あがる話は理解するのに時間がかかったのに、いまの話はすぐにわかったんだ?)
その間も巨大な雑夙の隊列は片手をあげたままだ。
サルタン閣下はそのことに気づいたようで、「む?」と首をひねり、カク・シにたずねた。
「こやつらはいつまで、て、手をあげたままなのだ?」
「命令するまで。もし命令がなければいつまでもこのままでおりましょう。いかがですかな、閣下。こやつらがどれほど忠実であるかおわかりいただけますかな。人にはまねができないほど一途なのですよ。」
サルタン閣下の目が光った。
「と、取引ともうしたな、く、黒の意裁官よ。」
裏がえった声がカク・シに向かった。カク・シがうなずいた。
サルタン閣下は上目づかいでカク・シを見つめた。
ずるそうな、なにかを計算するような顔だ。
「お前は一体、こ、この、青の亜陸候になにを望むのか? その巨大な雑夙たちと引きかえに、余がお前に支払うのは、な、な、なんだと?」
カク・シがほほえんだ。
ぞっとするような冷たいほほえみだと解は思った。
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