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7章 峡谷の異変
95 危険な取引
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(やばいぞ。)
そう思った。
解だったらぜったいに乗らない取引だ。
でも亜陸候サルタン閣下はちがった。彼は身を乗りだした。
そのために長いマントがぴーんと張ったくらいだ。
カク・シは片手をあげた。
彼の左手の人差し指がまっすぐに亜陸候サルタン閣下の胸元をさし示した。
「その黄金を。」
サルタン閣下がハッとした顔になった。
いや、亜陸候だけではない。
その場にあつまった放牧民も、亜陸軍も、そして北流の使たちさえもがハッとした。
解はカク・シの人差し指の先にあるものをじっと見つめた。
そこには金のエンブレムが輝いていた。
解は目をこらしてそれをよーく見た。
いままでもカク・シをはじめとして天流衆のさまざまな人がさまざまなエンブレムをつけているのを見たが、それらはすべて青銅か銀だった。
金色に輝くエンブレムを目にしたのはこれがはじめてだ。
解のいる位置から亜陸候はかなり離れているが、それでもなんとか紋章が見えた。
それはつぶれたハート形の輪郭に見えた。
解が閉じこめられているあいだに食事を運んできた男たちの紋章から、太陽のフレアと翼を抜いたものだ。解は首をかしげた。
(あのかたち、一体なんだろう?)
ただしそれを知らないのは、この場では解一人であるようだった。
亜陸候サルタン閣下はフードとマントの留め具であるエンブレムに指でふれた。
「こ、こ、これを? お、黄金のエンブレムは、この天流衆国にたった六つ存在するだけであるぞ。それぞれの亜陸に一つずつ、そ、それに天流衆すべてを統べる、こ、国王陛下に一つ。」
解はアッと思った。
そして大いそぎでレシャバールのことを思いうかべた。
彼は金のエンブレムを身につけていただろうか。
解の記憶ではちがう。もし身につけていれば気づいたはずだ。
そして同時に解は、ある言葉も思いだした。
それを解に教えたのはほかならぬカク・シだ。
六つの黄金。
これが天流衆の宝、国を支える柱。もし柱を失くせば――
(レシャバールさんが持っていた金のエンブレムをカク・シがうばったんだ!)
このことに思いいたったとき、解の口が勝手に開いた。
「渡しちゃダメだ、ぜったいに!」
解は大声をあげた。
カク・シが現れてからは彼の存在感が強すぎてだれ一人として気にしていないが、タンはあいかわらずビーッ、ビーッと叫びつづけている。そのサイレンのような音に負けないほどの大声が、解の口からひとりでに出た。
「ぼくが会ったときレシャバールさんはエンブレムをつけていなかった! カク・シはレシャバールさんから金のエンブレムをとったんだ! カク・シは六つの黄金をあつめるつもりだ!」
解は叫んだ。
「ホロビシンの姿を見たいから!」
これまでとはまったくちがう種類の沈黙がその場をおおいつくした。
全員が解を見た。
大きく目を見ひらき信じられないという顔の者もいたし、おびえるように顔をゆがめた者もいた。
解はカク・シの目つきに気づいた。
琥珀色の目がまるで敵を射抜こうとでもいうような、ぞっとするほどきびしい視線を放っている。
その視線はまっすぐに解へと向いた。
カク・シがつぶやいた。
「その声、兆却亀の影のなかで聞いた……。」
解の足がふるえた。
足だけでなく肩もふるえた。手の指もだ。
目をそらしてうつむきたかった。
でも解は顔をあげつづけた。泣きそうになるのをこらえて解はカク・シを見かえした。
カク・シがふたたびつぶやいた。
「小松解といったな。」
「バカな!」
吐きすてるような声が響いた。解はその声のしたほうを見た。
ベルハス意裁官が解をにらみつけている。
「裁決も経ておらぬ地徒人、それもまだほんの子どもであるぞ! こんな子どもの言葉を真に受けるな!」
亜陸兵がそれぞれ近くにいる者同士で目くばせをしあった。
声に出さないでベルハス意裁官と解の言葉のどちらを信じるのかを、おたがいではかりあっているようだった。
そしてそのしぐさは、カク・シの声によって止まった。
「明日。」
ふたたびその場がしずまりかえった。
「サルタン閣下、明日この場所でふたたびお会いいたそう。そのときまでに私と取引をするのか決めていただきたい。」
「う、うむ、しかし……。」
とまどった顔の亜陸候サルタン閣下がチラッと解の顔を見た。
解がもう一度口を開くその直前に、カク・シがことさら朗々とした声をあげた。
その場を圧倒するような声が響きわたった。
「黄金はたしかに希少であるが、エンブレムはそれほど大きなものでもありませぬ。もう一度作ることもできましょう。」
まるでそんなことは些細なことだとでもいうような、無造作な言葉だった。
そしてその言葉のあとにカク・シは彼自身の胸元に装着してある銀のエンブレムにふれた。
乱れのない指の動きで、そのエンブレムをはずした。
カク・シはエンブレムを指ではじいた。
銀のエンブレムがくるくると回転しながら落下した。
その場にいる天流衆が全員、アッという顔になった。
なかには身を乗りだして落ちていくエンブレムを見つめる者もいた。
カク・シは落ちついた態度のままだ。
「紋章はただの記号、それが人の価値を決めるわけではありませぬ。サルタン閣下、むしろそのような記号への固執を捨てた者こそ真に強い者といえるでしょう。さあ、閣下、私は金のエンブレムを欲するのではなく、とらわれを捨てた今までとはちがう強きサルタン閣下にお会いしたいのですよ。」
そう思った。
解だったらぜったいに乗らない取引だ。
でも亜陸候サルタン閣下はちがった。彼は身を乗りだした。
そのために長いマントがぴーんと張ったくらいだ。
カク・シは片手をあげた。
彼の左手の人差し指がまっすぐに亜陸候サルタン閣下の胸元をさし示した。
「その黄金を。」
サルタン閣下がハッとした顔になった。
いや、亜陸候だけではない。
その場にあつまった放牧民も、亜陸軍も、そして北流の使たちさえもがハッとした。
解はカク・シの人差し指の先にあるものをじっと見つめた。
そこには金のエンブレムが輝いていた。
解は目をこらしてそれをよーく見た。
いままでもカク・シをはじめとして天流衆のさまざまな人がさまざまなエンブレムをつけているのを見たが、それらはすべて青銅か銀だった。
金色に輝くエンブレムを目にしたのはこれがはじめてだ。
解のいる位置から亜陸候はかなり離れているが、それでもなんとか紋章が見えた。
それはつぶれたハート形の輪郭に見えた。
解が閉じこめられているあいだに食事を運んできた男たちの紋章から、太陽のフレアと翼を抜いたものだ。解は首をかしげた。
(あのかたち、一体なんだろう?)
ただしそれを知らないのは、この場では解一人であるようだった。
亜陸候サルタン閣下はフードとマントの留め具であるエンブレムに指でふれた。
「こ、こ、これを? お、黄金のエンブレムは、この天流衆国にたった六つ存在するだけであるぞ。それぞれの亜陸に一つずつ、そ、それに天流衆すべてを統べる、こ、国王陛下に一つ。」
解はアッと思った。
そして大いそぎでレシャバールのことを思いうかべた。
彼は金のエンブレムを身につけていただろうか。
解の記憶ではちがう。もし身につけていれば気づいたはずだ。
そして同時に解は、ある言葉も思いだした。
それを解に教えたのはほかならぬカク・シだ。
六つの黄金。
これが天流衆の宝、国を支える柱。もし柱を失くせば――
(レシャバールさんが持っていた金のエンブレムをカク・シがうばったんだ!)
このことに思いいたったとき、解の口が勝手に開いた。
「渡しちゃダメだ、ぜったいに!」
解は大声をあげた。
カク・シが現れてからは彼の存在感が強すぎてだれ一人として気にしていないが、タンはあいかわらずビーッ、ビーッと叫びつづけている。そのサイレンのような音に負けないほどの大声が、解の口からひとりでに出た。
「ぼくが会ったときレシャバールさんはエンブレムをつけていなかった! カク・シはレシャバールさんから金のエンブレムをとったんだ! カク・シは六つの黄金をあつめるつもりだ!」
解は叫んだ。
「ホロビシンの姿を見たいから!」
これまでとはまったくちがう種類の沈黙がその場をおおいつくした。
全員が解を見た。
大きく目を見ひらき信じられないという顔の者もいたし、おびえるように顔をゆがめた者もいた。
解はカク・シの目つきに気づいた。
琥珀色の目がまるで敵を射抜こうとでもいうような、ぞっとするほどきびしい視線を放っている。
その視線はまっすぐに解へと向いた。
カク・シがつぶやいた。
「その声、兆却亀の影のなかで聞いた……。」
解の足がふるえた。
足だけでなく肩もふるえた。手の指もだ。
目をそらしてうつむきたかった。
でも解は顔をあげつづけた。泣きそうになるのをこらえて解はカク・シを見かえした。
カク・シがふたたびつぶやいた。
「小松解といったな。」
「バカな!」
吐きすてるような声が響いた。解はその声のしたほうを見た。
ベルハス意裁官が解をにらみつけている。
「裁決も経ておらぬ地徒人、それもまだほんの子どもであるぞ! こんな子どもの言葉を真に受けるな!」
亜陸兵がそれぞれ近くにいる者同士で目くばせをしあった。
声に出さないでベルハス意裁官と解の言葉のどちらを信じるのかを、おたがいではかりあっているようだった。
そしてそのしぐさは、カク・シの声によって止まった。
「明日。」
ふたたびその場がしずまりかえった。
「サルタン閣下、明日この場所でふたたびお会いいたそう。そのときまでに私と取引をするのか決めていただきたい。」
「う、うむ、しかし……。」
とまどった顔の亜陸候サルタン閣下がチラッと解の顔を見た。
解がもう一度口を開くその直前に、カク・シがことさら朗々とした声をあげた。
その場を圧倒するような声が響きわたった。
「黄金はたしかに希少であるが、エンブレムはそれほど大きなものでもありませぬ。もう一度作ることもできましょう。」
まるでそんなことは些細なことだとでもいうような、無造作な言葉だった。
そしてその言葉のあとにカク・シは彼自身の胸元に装着してある銀のエンブレムにふれた。
乱れのない指の動きで、そのエンブレムをはずした。
カク・シはエンブレムを指ではじいた。
銀のエンブレムがくるくると回転しながら落下した。
その場にいる天流衆が全員、アッという顔になった。
なかには身を乗りだして落ちていくエンブレムを見つめる者もいた。
カク・シは落ちついた態度のままだ。
「紋章はただの記号、それが人の価値を決めるわけではありませぬ。サルタン閣下、むしろそのような記号への固執を捨てた者こそ真に強い者といえるでしょう。さあ、閣下、私は金のエンブレムを欲するのではなく、とらわれを捨てた今までとはちがう強きサルタン閣下にお会いしたいのですよ。」
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