どろあらしの頼みごと

スズキマキ

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集落の人々

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 なんだかイヤな笑いかただぞ、とこうれんは思った。落ち着きのない、うわずった高笑いに聞こえたのだ。それでもこうれんは思い切ってもう一つたずねた。
「あの、どろあらし、さんに会いましたか?」
 今度はもっといやな笑い声が生じた。まちがえた、と、こうれんは思った。こんなピリピリした空気の中で出すような名前ではなかったのだ。
 まるでこうれんが口にした名前が火をつけたみたいに、大人たちのかもしだす空気の熱量が高まった。バカにしたような、同時に怒ったような、そんな気配がブワッときおこった。
「どろあらし。」
「汚いやつ。」
 たしかに汚いけど、と、こうれんは思った。それにしても。
「あいつこそ猿と間違えて撃っちまうか。」
 だれかの冗談口に、別のだれかが吹き出した。ゲラゲラ笑う声がひびいた。こんなに大きな声で笑う必要があるのかな、と、こうれんは疑問に感じた。だれかがイヤな声で言う、それにだれかが応じる、そうやってやりとりが続くほど、イヤな空気も増えていく。
「ぼうずお前、どろあらしに会ったのか。」
「ええと、はい、昨日。あっ、いいですやっぱりぼく、おじいちゃんのうちにもどります。」
「待て、おい、昨日あのばかは何か言っていたか?」
 だれかの手が伸びてきて、こうれんの頭をつかんだ。こうれんはぎょっとした。昨日はどろあらしに、今日は祖母に腕をつかまれたけど、二人とは比べものにならない乱暴な手つきだった。
 そのだれか、こうれんの初めて会う集落の男は、ニヤニヤしながらこうれんを見ていた。こうれんが昨日見たどろあらしよりももっと血走った目をしている。こうれんは、あることに気づいた。
(酒くさいぞ。)
 どうしてこんなときに酒なんか飲んだのだろう、と、こうれんはイヤな気分になった。そんな場合ではないはずだ。とはいえこうれんはなるべく顔をしかめないように気をつけた。酔っぱらいが混ざっているのなら、なおさら、この男たちを刺激しないようにしたかった。
「どうなんだ、ぼうず。」
「何か言ってましたけど、よくわからなかった。ぼくの知らないだれかの話みたいでした。」
 こうれんは答えた。うそじゃないぞ、と思った。昨日どろあらしがこうれんのまったく知らない者の話をしたのはたしかだ。それが人間じゃない可能性が高いだけで。とにかく話を切り上げたいとこうれんは強く思った。
「だれかのはなしみたいでしたぁ。」
 こうれんの頭をつかんだ男が裏返った声をあげた。周りの男がまた笑った。一瞬だけ遅れてこうれんは、男が自分の口真似をしたことに気づいた。男がこうれんをバカにしたことも。こうれんの頬がかっと熱くなった。そんなこうれんの反応を見ているのかいないのかわからないが、男は肩をすくめてみせた。
「町から来たやつはお高くとまってるなあ、おい、なあ、ぼくちゃん。」
 同級生はみんな「ぼく」とは言わないことに、今さらこうれんは気づいた。こうれんはどうしていいのかわからなくなった。大人が興奮していることに慣れていないし、いま初めて出会った人間ばかりだ。知らない大人、知らない顔、知らない空気。
 どうしよう、とこうれんは思った。呼吸が浅くなった。まばたきを何回かした。何か言わなくちゃ、と思った。こうれんはぐっと手を握りしめた。そして自分の手がつかんでいるのがほうきだということに気がついた。
 そうだ、と、こうれんは思いきって顔をあげた。ぐ、と胸をはった。
「ぼく、もう行きます。手を離してください。」
 こうれんの声に、頭をつかんだ男が鼻白らんだような顔になった。そのぶん、この場が少し冷めた。こうれんの頭にふれている男の手の力が少し弱まった。こうれんは内心で自分をはげましながら、言葉をつづけた。
「ぼくはそうじに行きたいんです。あちこち真っ赤になってしまったから、きれいにする。」
 そうだそうじだ、とこうれんは思った。大事なことだ、すごくすごく大事だ、と思った。
 男のなかの一人が、とまどったような声をあげた。
「そんなこと言ったってぼうず、お前、あちこち全部真っ赤なんだぞ。そんな簡単に落ちるかよ。」
「そうです、そんな簡単に落ちない。だから拭くんです。」
 こうれんの返事に対して、男たちはしずかになった。今度はだれも笑わなかった。男のうちの一人が、さらに何かを言おうと口を開いたそのとき、
「つふたにい、何をしているの。」
 という声が、こうれんの後ろから聞こえた。
 こうれんの頭をつかんだ男の表情から、熱っぽくてイヤな感じがするりとはがれ落ちた。なんなら手も引っこんだ。男が、バツの悪そうな声で言った。
「ささら。」
 こうれんは振りかえった。そして(あれ?)と思った。

 知っている顔がそこにあった。
 向こうもこうれんと同じ顔をしてから、こうれんに声をかけた。
「転校生。」
 同じ学級の女子だ。学級委員。休み時間になると女子がみんな彼女をとりかこむ、そういう子。こうれんは彼女を見て、自分の頭をつかんだ男を見て、それからまた彼女を見た。鼻すじと唇のかたちが似ている。こうれんは彼女のさっきの言葉が「つふたにい」だと気がついた。
「兄妹?」
「うん。」

 変なところで会ったな、と、こうれんは思った。そして彼女といま道端で会ったことに対して、なにか言わなくてはいけない気分になった。
「あの、ぼく今日はうちの手伝いで、まだ学校へ行ってないんだ。」
 彼女、ささらが呆れたような顔になった。
「わたしもだよ。だからここで会ったんでしょ。」
「あ、そうか、そういえばそうだね。」
「あのね、『まだ』ってことはこれから登校する気? 今日は無理だと思うよ。」
 えー、とかあー、とかいう低い声がした。ささらの兄だ。つふた。もったいぶった顔で、彼が言った。
「そうだぞ、学校の行き帰りが危ない。変なことばかり起きよる、この後も何があるかわからんぞ。子どもは早くうちに帰れ。ほら、おれらも行こう。いらん道くさをくった。」
「おう。」
 男たちがぞろぞろと歩いていくのを、こうれんとささらで見送った。こうれんはほっとして、ほっとしたら肩の力が抜けた。抜けて初めて自分の体にすごく力が入っていたことに気づいた。緊張していたのだ。
「ありがとう。」
 こうれんはささらに言った。小さくなっていく男たちの集団を見ていたささらが、横目でこうれんを見た。
「何もやってないよ。」
「でも助かった。あの人たち、ピリピリしてた。」
「ここ、田舎だから。」
 一瞬こうれんは、ささらの言葉と自分の言葉とのつながりがわからなかった。
 ささらが言葉をつづけた。
「きみがよそから来た人だから警戒されたんだよ。」
「あ、うん。」
 そこで会話がとぎれた。同級生といっても、学校で話したことのない相手だ。だってこうれんがここへ来てまだ2週間しかたっていないのだ。なにを話せばいいのかわからない。
「とにかくありがとう。じゃあね。」
 こうれんは歩きだした。余計な時間をついやしてしまったが、これで大岩のところへ行けると思った。(急がなくちゃ。)そう思った。

 ところが、
「きみのうち、そっちじゃないよ。」
 と、ささらが声をかけた。
「もしかして迷ったの? らいぜんさんの家は反対方向だよ。」
「おじいちゃんの家の場所を知っているの?」
「集落のなかのうちは全部わかるよ。」
「え、すごい。」
「送っていこうか。」
「あ、いや、ええっと。」
 こうれんは困った。今度こそ困った。さっきの男たちに囲まれたときも困ったが、なんだかいまのほうがもっと困った気分になった。それから必死で頭を回転させて、どうにかそれっぽい言い訳をひねり出した。
「田んぼ、そう、田んぼへ行くんだよ。おじいちゃんが田んぼを見に行ったんだ。手伝いたいから、ぼくも行こうと思って。」
「らいぜんさんの田んぼは、らいぜんさんのうちからは、ここと逆の方向だよ。」
「君、このあたりの地図がぜんぶ頭に入っているの?」
 思わずこうれんは言った。
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