ひごめの赤い石

スズキマキ

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第5章 カゲイシオオカミの急襲

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 目を開けているのもむずかしい。それでもミチは必死で目をこらした。
 先を進む聖や進一郎、みれや紗を追いかけた。
 進むにつれてミチの心臓がドキドキと鼓動を速めた。
 か細い希望に、さらにひとすじ、もしかしてうまくいくかもしれないという希望が加わった。

(こっちへ進むと、屋根つき橋だ)

 ミチは何度も顔を手のひらでぬぐった。ぬぐったそばから大粒の雨粒がミチの顔をたたきながらぬらした。ほんの少し先がかすんで見える。
 ミチはしつこく顔をぬぐって視界を確保した。
 ある場所まで来たとき、ミチは転んだ。
「ミチッ」
 快斗がすぐに気づいて声をかけた。
「なにをやっておる、立てっ」
 カゲイシオオカミがするどく吠え、グルルルル、とうなった。ミチが立たなければ襲いかかるつもりかもしれない。ミチはいそいで立ちあがった。
 緊張のあまり足がガクガクとふるえ、唇がわなないた。
「ミチ大丈夫かっ」
 快斗がミチの腕をとった。そのとたんにカゲイシオオカミがまた吠えた。
「余計なことをするな、転んだのはそいつの粗相だっ。一人で立って進ませろっ」 
「なんだよっ、手を貸すくらい、いいだろっ」
 快斗がカゲイシオオカミをにらみつけた。ミチの心臓がおかしいくらいドキドキと鳴った。緊張と興奮でおかしくなりそうだった。
(カゲイシオオカミは気づかなかった。ぼくがただ転んだだけだと思ったんだ)
 ミチはパーカーのポケットに片手をつっこんだ。
 その手は転んだふりをして地面から拾いあげたものをにぎりしめていた。

 ひごめ石の欠片だ。
 はじめて会ったときに津江さんが焚火のそばに置いたやつ。

(まだ残っていた、まだ残っていた、まだ残っていた)
 ミチの頭のなかでおなじ言葉が何度もくり返された。ミチは雨がひどくてよかったと思った。こんなに興奮したらおそらく顔に出ているはずで、それを雨が他の者には見えないようにかくしてくれている。
(カゲイシオオカミにも聖くんにも見つかりませんように)
 とミチは強く願った。願うといっそう緊張して指先がすっと冷たくなった。
 はたしてミチに津江さんとおなじことができるだろうか。
(まじない、津江さんが額に書いてくれた) 
 やるならはかのなかだ、とミチは決めた。

 ずぶぬれの一行は進一郎と聖の家、狭間家の古い日本家屋へたどりついた。縁側を上がった瞬間に人間は全員が文字通りホッと息をついた。屋根のある場所をこれほどありがたいと感じたのはミチにとって初めてだったし、おそらく他の子どもたちも、おなじ気持ちだったにちがいない。
 進一郎が言った。
「タオルをとってくる」
「いらない」
 聖が首を横にふった。そういう聖だって頭のてっぺんから足の先までずぶぬれだ。靴をはいていたはずの足だって靴下がたっぷりと水を吸っている。
 吸っているどころか、まるで靴下で水を汲んだみたいになっていた。
 進一郎は眉をひそめた。
「この人数がこんなに濡れたまま歩いたら、あちこち水浸しだぞ」
 ミチもそう思う。
 歩いた時間はおそらく十五分かそこらのはずだが、パーカーやTシャツどころか、下着までぬれて重くなっていた。着ているものを雑巾みたいにしぼったら、さぞかしたくさんの水が出るだろう。
 屋根の下で改めて見回すと、誰も彼もおなじ状態だった。快斗なんか、Tシャツがピッタリ体にくっついている。
 それなのに聖は進一郎の意見を却下した。
「すぐに、あそこへ、はいる。さあ、いこう」
 進一郎はまだなにか言いたげだったが、少しの間聖の顔を見つめたあとそれ以上の言葉はのみこみ、聖に従うことにしたようだ。聖は、いや、聖の姿をまねたアヤは、人間の住まいが水浸しになることなど、わずかにも気にする様子がなかった。
 もしかしたら自分の体がぬれていることさえ、大して気にならないのかもしれないとミチは思った。

 ボーン、と柱時計の音がひびいた。
 ひとつだけ。

(四時半とか五時半とか、それくらい。どっちだろう)
 ミチはそう考えた。
 遅い時刻になればなるほど、もしかしたらこの家の大人が帰宅するかもしれない、そうも考えた。だけど、前に来たときとおなじように、古くて広い日本家屋のなかはしん、と静まりかえっていた。
 ミチは進一郎にたずねた。
「進一郎さんのお母さんはどこかへ出かけているんですか」
「入院中だ」
 進一郎が短くこたえた。
「ついでに、父は仕事でいつも遅い」
 大人の帰りを期待してもムダだと、進一郎の声が告げていた。
 つまり、いまこの瞬間の困難を解決してくれる人間の大人は一人もいないのだ。
 なんとなくミチには進一郎が進一郎らしい理由がわかったような気がした。
 この古くて大きな屋敷には、大人のいる時間も空間も少ないのだ。進一郎は一人でこの屋敷と弟を守っているような、責任を負っているような、そんな顔をいつもしているように見えた。
 進一郎が聖を、いや、聖の姿をしたアヤを見た。
「わかった、このまま行こう。本物の聖もそこにいるんだな」
「いる」
 にせものの聖がうなずいた。

 進一郎が先頭に立ち、みれと手をつないだ聖がそれにつづいた。
 そのあとが紗、快斗、ミチ、そしてカゲイシオオカミだ。
 カゲイシオオカミがすぐ後ろにぴったりとはりついていることについて、ミチは、どうしようかと考えをめぐらせた。ただしこれについては、良い考えが生まれるより先に、カゲイシオオカミのほうでこの問題を解決した。
 みんなにつづいて、書庫へつづく階段、はしごを立てかけたような例の急な階段をのぼりはじめたミチは、自分の背後で、カゲイシオオカミがつづく気配がないことに気づいて、振り向いた。
 カゲイシオオカミがミチを見あげて言った。
「ここから先は、おれは、おれに限らず、アヤは行けないのだ」
 行けないのだと告白することが、ひどく腹の立つことであるみたいな苦い口調で、カゲイシオオカミは言った。
「えっ、どうしてですか」

「墳のなかはアヤがもといた場所とつながっている。おれたちアヤはみなあそこから来た。そして寄主と離れるとあそこへかえっていく。たとえ寄主が生きたままでも、もしあそこへ行けばもといた場所へ引っぱられてしまうかもしれない」

「かもしれない、ですか」
「実際にどうなるかはだれにもわからん。もといた場所へかえるつもりのないアヤがあそこへ足を踏み入れることなどない。これまで一度としてなかった」
 カゲイシオオカミは、傲然と言った。
「おれがあそこへもどるのは、いまではない」
 まるで、自分はできないのではなくてやらないのだ、そう言いたいように見えた。カゲイシオオカミが傲然とすればするほど、その態度と言葉が、ミチには言いわけをしているように見えた。(カゲイシオオカミだってこわいんだ)とミチは思った。

 カゲイシオオカミはガルル、と一声うなり、それからミチに言った。
「いいからさっさと行け、子ども。おれと話せば行かずにすむと思ったか、それとも時間を稼げると思ったかしらないが、そんな甘い考えを持ってもムダだ。行くのだ、この臆病者め」

 ぼくは臆病じゃない、という言葉をミチは飲みこんだ。
 それよりも大事なことがある。
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