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【第三話 みずほ先輩と情熱的なラブレター】

【3-6】

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「あの手紙のゆがみは本物の涙。――あなた、悔し涙を流しながらあの手紙を書いたのね。届かない気持ちを届けたくて」

 みずほ先輩はけっして非難的にならないように、同情を込めた穏やかな声でそう告げた。

 その言葉を飲み込むと同時に白石は顔を崩して突っ伏し、わあわあと泣き出した。

 すべてを認めたがための嗚咽だった。

「だって……あんなに素敵なひと、もう二度と出会えるわけないじゃない……。清川先輩だってそう思うでしょ? 告白されたら、絶対承諾するでしょ?」

 いやいや、それはないだろ。白石は心底惚れているらしく、猪俣が男の頂点に君臨しているらしい。

 その魔法を何と呼べばいいのか、俺はわからず驚愕するばかりだ。

 みずほ先輩と俺は顔を見合わせて肩をすくめた。



 冷静さを取り戻した白石はすっかり神妙になっていた。ここまで心の裏を読まれてしまっては太刀打ちできるはずがない。

 しかし、みずほ先輩の洞察力と凛とした振る舞いは見事としか言いようがない。素直にすごいひとだなと思う。

 白石はみずほ先輩への嘘の謎かけを詫びたうえで、ひたいをテーブルに擦り付けて頼み込む。

「失礼を承知でお願いがありますッ! 彼が清川先輩に告白したら、どうか断ってください!」
「告白かぁ。んー、そりゃ断るわよ」

 みずほ先輩はさも当然のように答える。白石は驚いたようで、はっと顔を上げる。

「ほっ、ほんとうですか! でもどうして⁉」

 絶望で一度は壊れた表情だったが、しだいにもとの輪郭を取り戻す。

「だってねぇ、かつき君?」

 みずほ先輩はかすかな笑みを浮かべて俺を瞳に捉える。

 なんで俺の顔色をうかがうんだ?

 白石の目線が怪訝そうにみずほ先輩と俺の間を行き来する。

「あの、ちょっとお尋ねしてもいいですか」
「なあに?」
「おふたりって、いったいどんな関係で……」

 みずほ先輩はらしからぬためらいを見せ、探るように俺に尋ねる。

「え、と、かつき君、言ってもいい?」

 俺が下僕として扱われているなんて、おおっぴらに言えるはずがない。もしも学校中に噂が広まり、みずほ先輩がドSみたいに思われたら申し訳なさすぎる。

 けれど傷心の彼女に同情しないわけじゃないし、俺たちは彼女の弱みを握っているのだ。言っても口外することはないだろう。

「――まぁ、白石が絶対、秘密にするならいいっすよ」

 みずほ先輩はこくりと首を縦に振った。桃色の唇を白石の耳元に寄せ、両手で筒をつくって内緒話。

 時を同じくして俺は自慢の地獄耳を発動させた。全神経を聴覚に集中させる。

 みずほ先輩の声がかすかに俺の耳に届く。

「あのね、かつき君って、実はわたしの、か――ゴニョゴニョ」

 ――『か』?

下僕げぼく』じゃないのか? だとすれば今、なんて言ったんだ?

 予想しなかった答えに困惑する。なにせ聞いた白石は口をあんぐりと開け、埴輪のような顔をしているのだ。

 それからのっそりと立ち上がり、機械仕掛けの人形のようにカクカクと奇妙な動きで歩き出す。焦点の定まらない目で扉に向かった。

 俺とすれ違いざまにぼそりとつぶやく。

「ばれたら黒澤くん、誰かに殺されちゃうかもね――」
「ひえっ!」

 身の毛のよだつひとことに背筋が凍りつく。おい、いったい何と言われたんだ!

 みずほ先輩の『か――』で、殺意を抱かれるもの。

 それは――。

 そして俺は熟考の末、ひとつの答えにたどり着いた。

 雲の隙間から差し込む光線のようなインスピレーションが沸いたのだ。

 ――そっかぁ、俺、みずほ先輩の『影武者』だったんだ――って何で⁉

 みずほ先輩はなぜか頬を赤らめて小首をかしげた。深い黒を湛えた瞳が俺の姿を映し出す。

 理解の及ばない神秘の深淵に逆らえない俺は、ただ覚悟を決めるしかなかった。

 腹をくくって『影武者』の決意を表明する。

「みずほ先輩、俺は命を懸けてみずほ先輩を守り抜きます!」

 とたん、みずほ先輩は撃たれたように両手で胸を押さえて椅子からずり落ち、ぱたりと床に倒れ込んだ。笑っているか泣いているかわからない表情で叫ぶ。

「きみ、やっぱり最高すぎるよぉ~!」
「あ……あざーっす」

 何が最高なんだか、考えれば考えるほどにそら恐ろしい。

 俺はこのひとに苛まされ、眠れない夜を迎えるのだろう。

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