キングの怒り

皆中明

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清水田学園のキング

始業式の朝

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「おはよう」

 小高い丘の上にある高級住宅街の中に、全寮制の私立高校がある。古くから続く名門の家系の後嗣と、全国から学力で選ばれた者しかいない、選りすぐりのエリートたち。恵まれた環境でわがまま放題に育った生徒たちが、三年間親元を離れて過ごす学舎だ。

 午前八時二十分。校門に立つ教師たちが、敷地内にある寮から校舎への短い通学路に揃って立ち、生徒たちに朝の挨拶を繰り返している。登校時の光景としては珍しくもないものだが、この教師たちには別の目的があった。それは、小遣い稼ぎである。

 彼らは今、校則違反の生徒を捕まえてボーナスへのポイントを稼ぐことに集中している。毎日朝から夜まで目をギラつかせては、軽微なものであっても捕まえてやろうと息巻いていて、少しの乱れも許そうとはしない。

 その行いはそれなりに成果を上げており、生徒が校則違反へのメリットを感じなくなったために学園の風紀の乱れは、ここ数年ほとんど見られていない。もちろん例外というものは往々にして存在するものだが、清水田学園に通えば生徒は礼節を弁えた子になるという評判を恣にしていた。

 この制度が始まったのは、ある理事長の鶴の一声がきっかけだった。

 当初は教育者にあるまじきと反対する声も上がったのだが、日が立つにつれてモチベーションの維持には何よりも金が大切だったということを、全ての教員が知ることになる。今や学園の関係者の殆どに歓迎される制度となっていた。

 そして、その制度を提案した理事長の最上辰之助もがみたつのすけの息子である最上光彰もがみみつあきは、父が納める多額の寄付金の後押しと自身の優秀さにより確固たる地位が確立され、本人の意思とは関係無く絶対的な権力を持つ存在へと祭り上げられていた。

 彼だけは多少の違反であれば目を瞑られ、多少の揉め事であれば揉み消される。光彰自身はそれに甘んじているかと言われればそうでは無いのだが、人と関わることに興味を持たないために異を唱えようともしなかった。

 本人が何も言わないため、周囲はその扱いが正しいのだと思い込み、その待遇は日を追うごとにエスカレートしていった。
 彼が今年度の寮長になることが決まったあたりから、教師が光彰に媚びる日が続いている。

「最上くん、おはよう。昨日も君のおかげで第一寮は平和でしたね。第二寮の寮長に君の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですよ」

「本当ですね。第一寮にはもともと優秀な生徒が多くいますけれど、それにしたって最上君の統率力が無ければ、これほど寮生活がまとまることもありませんから」

 他人が聞けば身の毛もよだつ様なお世辞合戦を、教師たちは我先にと光彰の前で披露する。

 しかし、当の本人は人の機嫌をとる人間の心理が全く理解できないため、彼らの意に沿った返答をすることも無い。今朝もいつものように

「それはどうも」

 とだけ告げて、その場を去ろうとした。

 そんな彼の背中へ、思いもよらない一言が突き刺さる。

「ねえ君、先生に対してその態度は失礼じゃないかい?」

 その言葉と口調に、光彰は思わず足を止めた。

 自分に対して何か意見を言う人間に久しぶりに遭遇したことで、思わず興味を惹かれたのだ。

 光彰は、普段あまり人に声をかけられることが無い。かけられたとしても、そこに返答が必要ないような内容の事が多いので、まず声をかけた人を見る事もない。それが今日は様子が違うのだ。驚いて振り返ると、いかにも新卒の新米教師といった様子の男が、光彰を鼻息荒く睨みつけていた。

——あーあ、これはめんどくさいな。

 彼が軽くあしらったところで、おそらくこの男はそれに対して大騒ぎをするだろう。しかし、まともにぶつかれば、今度は彼の方が管理職の者達から目をつけられ事になるかもしれない。

 どう転んでも面倒なことになりそうだと思っている彼の前に、いつもより気だるげな様子の柳野黎やなぎのれいが現れた。

「——おはよう、光彰」

 光彰はあくびを噛み殺す黎を見て、満足げに優しい笑みを浮かべた。特別扱いのほとんどを拒否している彼も、一つだけそれを利用して願い出た我儘がある。それは、同室の生徒は三年間黎だけにしてほしいというものだった。

「黎、やっと起きれたのか。ごめんな、俺今日は早く行かないといけなかったから」

 自分以外の人間の大多数に興味を抱かない光彰も、愛してやまない人がいる。それがこの男、幼馴染の黎だ。彼が目の前に現れると、それだけで光彰の顔は綻ぶ。周囲はそんな彼の表情を見て、すかさずスマホを掲げて写真を撮り始めた。

 光彰はいわゆる眉目秀麗と呼ばれるタイプで、同じ三年生だけでなく、他の学年にもファンが多数いる。滅多に見ることの出来ない彼の笑顔を少しでも多く写真に収めようと、生徒たちは色んな場所から撮影を始めた。

 鳴り響く様々な電子音と共に、歓声が上がる。毎日が撮影会のようで、彼はまるでアイドルのような扱いをされていた。

「おー、大丈夫よ。お前がかけてくれてた目覚ましで起きられたから。ありがとうな。お前があれを掛けてくれて無かったら、多分起きられなかったと思う」

 周囲のすべてのものから毒気を抜いてしまいそうなほどの無垢な笑顔で、黎は光彰に頭を下げる。それを見て、光彰はまたふわりと柔らかに微笑んだ。

「そうか。役に立てたなら何よりだ」

 その顔を捉えようと、また狂ったようにスマホのシャッター音が鳴り響く。その異様な光景に、黎は顔を顰めながら器用に笑った。

「三年になってもお前の人気は相変わらずすごいなあ。今日も撮影会じゃないか。毎日同じ制服を着て、無愛想なだけの男を見てて何がそんなに楽しいのか……。俺には全然分かんないなあ」

 黎が不思議そうにそう呟いていると、シンプルな電子音が彼の耳元で鳴り響いた。振り返ってみてみると、光彰がスマホを構えて黎の写真を撮っている。取り終えたデータを確認すると、ポツリと「可愛い」と零した。

「俺を撮る奴らの気持ちはわからないけれど、自分が可愛いと思う人間の写真を毎日撮りたいっていう気持ちだけなら理解できるぞ。俺だって黎の写真なら毎日撮りたいし、眺めていたいからな」

 そう言って撮った写真を眺めては、また顔を緩めている。黎はそれを見ていると、何とも言え無い気持ちになってしまった。

 光彰が黎に向ける愛は、おそらく幼馴染だからだというレベルを超えている。それに対してどう答えていいのかが、彼にはいつもわからない。上手い返しが思いつかず、ただ居心地の悪さが募るばかりだった。

「ええ? お前さあ、それって結構気持ち悪いこと言ってると思うんだけど、わかってて言ってる?」

「ああ、もちろんわかってる。ただ、そんな事はどうでもいいんだよ。だって黎は可愛い。大事なことはそれだけで、他のことは俺にとっては心の底からどうでもいいんだ」

 キッパリとそう言う光彰の手元が気になり、黎は彼のカメラロールを盗み見た。するとそこには、自分の写真だけが画面いっぱいに並んでいる。

 光彰が自分を好きでいても危害が及ばなかったために何も思わずにいられたのだが、それを見るとさすがに嫌悪感が湧いてしまう。なるべく見ないようにしようと思い、素早く視線を外した。

「ん?」

 そして、たまたま光彰から逸らした視線が、ある人物とぶつかっていることに気がついた。その視線の中には、ほんの僅かに何かしらの感情が込められているように見える。

 しかし、その感情がどんなものなのかは、黎には分からない。驚いているような、慄いているような、喜んでいるような……。何か不思議なものを感じる視線だなと思っていた。

 ただその視線を送っている人物が誰なのかは分かっている。その人がつい先ほど光彰と話していたことを思い出し、隣を歩く光彰の肩をトントンと叩いて彼を呼んだ。

「なあ、あれって新任の先生だよな。お前何かしたの? ずっとこっちを見てるぞ。そういえばお前、さっきあの人と何か揉めてなかった?」

 そう言って、件の教師を指差しながら光彰に尋ねた。それがいけなかったのだろうか。その教師は、黎のその行動を見咎めて、何か言いたそうな顔をしたかと思うと、猛烈な勢いで二人の方へと歩み寄って来た。

「君! 人に指を差してはいけないよ! そして、君。先ほどの話だが……」

 その教師は、新人らしくやる気に満ちた表情で、鼻息も荒く大股でズカズカと歩いてくる。光彰は彼のその姿を見て、深いため息をこぼした。

 まだ大学を卒業したばかりで、社会人経験はここからがスタートになるのだろう。それなのに、教員になるとなぜか何もかもを知ったような顔をする彼のような者は、少なからず現れる。この教員もそのタイプのようだ。

 光彰は、なぜか毎年そういうタイプに絡まれてしまう。彼自身はそれをどうとも思わないのだが、周囲はそれを許さない。それが原因となって相手が解雇されていくことすらあった。

 光彰は人に興味を示さないが、悪い男ではない。どちらかというと、人のいいところのあるタイプだ。自分に向けられた敵意のせいで解雇されたのだと知ると、胸を痛めるだけの感性は持ち合わせている。

 こうなった場合、彼が高圧的な態度に出て話を一方的に終わらせるのが一番いいということを、彼は経験上で知っていた。しかし、それはとても面倒な事でもある。

 仕方がないと腹を括りつつ、一つ大きなため息をつく。そして、大きく息を吸い込むと、新米教師を睨みつける様にしてキッパリと言い放った。

「先生、あなたも黎に指を差していますよ。ご自分の態度を改めずに、そういう中途半端な態度で他人を指摘するのはやめてください。ちなみに、俺の名前は最上光彰です。三年一組、第一寮所属、今年度の寮長をしています。こちらは柳野黎。俺と同じクラスで、同じ寮の所属です。今年度は、寮長室で一緒に暮らしています。ちなみに、幼馴染です。よろしくお願いします。では」

 光彰は、相手への指摘と自分達の自己紹介だけを済ませると、急いでその場を離れようとした。こうしておけば、理事長の息子という金ヅルにケンカを売った新米教師でも、そう咎められずに済むだろうと考えたからだ。

 余計なことをした人であっても、デリカシーの無い対応をされれば同志のように思ってもらえるだろう。そういう配慮をしたつもりだった。

「あ、ちょっと。光彰、待てよ」

 光彰を追いかけて、黎もその場を去ろうとする。しかし、去り際にふと何かに気がついたようで、突然立ち止まった。そして、

「——あの! よ、よろしくお願いします。先生」

 と、その新任教師に頭を下げてきっちりと挨拶をし、パッと花が咲くように笑った。

「えっ? あっ、ああ……」

 その黎の反応に、教師は戸惑う。しかし、何かを言おうと思い立ち口を開こうとしたが、そうする間も無く黎は先を行く光彰の名前を呼びながらバタバタと走り去って行った。

 新任の教師は、思わず彼を追いかけたい衝動に駆られた。しかし、着任したばかりであまり生徒と揉め事を起こしてはいけないと思い、昂った気持ちを収めて踵を返す。

才見さいみ先生ー。そろそろ戻りましょうかー」

 そこへ、古株の数学教師で教務主任でもある市岡直樹いちおかなおきが、彼を呼びにやって来た。才見が周囲を見渡すと、公社の時計はすでに始業時間の八時三十分を指している。

「あ、すみません! 今行きます!」

 才見は、快活な様子でそう叫ぶと、急いで市岡の方へと走った。そして、教師の群れに合流すると、雑談を交わしながら眩しい笑顔を振り撒き、着任早々に周囲へ溶け込むというコミュニケーション能力の高さを見せつけていた。
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