キングの怒り

皆中明

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清水田学園のキング

奇妙な現象

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 市岡は幽霊が大の苦手だ。そしてそうなったきっかけは「時計塔の千夜」が原因でもある。

 時計塔に現れる霊のうちの一体であるその美しい少女の霊は、市岡が三年前に受け持っていたクラスの生徒だった「並木千夜なみきちや」にそっくりなのだ。

 元々第三寮が建てられた当初より、時計塔には幽霊が出るという噂があった。一時期は「幽霊塔」と呼ばれていたこともあるくらい、ここには霊が出やすかったのだ。あまりに頻繁に目撃証言があったため、特定の霊が目立っていたという事も無く、どれかに名前がつくような事も無かった。

 しかし、並木千夜が入学した年に教師たちが彼女の姿を見て慄き、その理由が幽霊に似ているからだという事が生徒間に知れ渡ったことで、幽霊のうちの一体が「時計塔の千夜」と呼ばれるようになった。それくらいに二人は似ている。

 そのことが原因で彼女がいじめに遭うようになり、それを苦に自殺をしたのだという噂が立って以来、真面目で善良な教師である市岡直樹は大変に苦しむことになった。

 担任である自分がいじめに気がつけなかったことへの後悔、そのことで彼女を亡くしてしまった事に対する拭いきれない罪悪感が、日に日に彼を追い詰めていった。そのうちに、市岡は幽霊の類は全て、さらには暗がりや高いところも苦手になってしまったらしい。
 
 そういうわけで、今の市岡はその場に凍りついている。時計塔に近づくけば「時計塔の千夜」と対面することになるだろう。彼には、千夜を直視出来る自信が無いのだ。

 ただ、温田見が落ちたことを、誰かに知らせなくてはいけないということだけは理解している。そのためにやれることはと逡巡し、それから必死に息を吸い込んだ。そして、目一杯腹に力を入れると、力の限りに声を張り上げた。

「だっ、誰かー! 誰か来てくださーい! 時計塔からっ……ぬ、温田見くんがぁっ!」

 目でも耳でも彼が落ちていくところを確認出来てはいるが、実際に落ちた後の姿を見ているわけではない。どうなっているのかを知るためには、その場に行かなければならないだろう。

 自分で行けないのならば、人を呼ぶしかない。そう思い、自分に出せる限りの大きさで声を張った。そうして何度か叫びながら、ふとある可能性に気がつく。

「——そうだ。三階から茂みの中や土の上に落ちたのであれば、もしかしたら助かっているかもしれないんだ」

 助かっているかもしれないのであればと、急いでポケットの中のスマートフォンへと手を伸ばす。

「救急車を呼ばなくちゃ……」

 そう思い、手に取ったスマートフォンを操作しようとするが、手が震えてしまってパスを解除することすら出来ない。

「とまれ……、とまれって……もう!」

 必死に指をテンキーに合わせようとするが、どうしても目的の数字からそれは大きく外れてしまう。何度も入力に失敗し、市岡は苛立ちから端末を投げ捨てた。

 通報をすることも叶わず、足も微動だにしない。市岡は自分の情けなさに打ちひしがれて俯き、ただ涙を流すことしか出来なかった。

「誰か来てください……」

 結局、彼は項垂れたままその場に座り込んだ。ちょうどそこに、先ほど別れたばかりの新人教師の声が聞こえてきた。

「市岡先生ー!」

「——才見先生?」

 市岡の声を聞きつけて、才見が慌てた様子で校庭を突っ切り、寮棟の方へと走って来る様子が見えて来た。
 若い彼は、驚くほどの速さで校庭と寮棟を仕切っている生垣の間を通り抜けると、第三寮と第二寮の間の通路へと入って来る。

「市岡先生! どうされましたか? どちらにいらっしゃいますか!」

 どうやら、へたり込んでしまった市岡は、才見には見つけにくいらしい。声はするのに姿の見えない市岡を探して、敷地の隅々まで視線を巡らせながら走っていた。市岡はそんな才見を見て、ヒーローが現れたような気がした。

 自分に出来ないことを、彼はきっとやり遂げてくれるだろう。そう思うと、力が湧く。座り込んだまま彼に向かって大きく手を振り、少しでも早く見つけてもらおうと大きく手を振り上げた。
 
「さ、才見先生! こっち! こっちです! 階段室の入り口のドアのところです!」

 市岡が涙で顔を濡らしたまま才見に向かって大きく手を振っているのを見て、彼は何か問題が起きたのだろうと気がついたようだ。即座に表情を引き締めると、さらにスピードを上げて市岡の元へと急ぐ。

「先生! どうされたんです、こんなところで。顔が真っ青ですよ」

 市岡の顔色が蒼白である事に気がついた才見は、震える背中を摩りながら「先生、取り敢えず落ち着きましょうか」と優しく声をかけた。その優しさに、市岡は目を潤ませる。

 職場で人に冷たくされてばかりの市岡には、才見の優しさが身に染みた。しかし、今はそんな事に感動するような猶予は許されていない。すぐにでも温田見の様子を確かめなければならないと思い、市岡は彼が落ちた方を指差した。

「才見先生、ぬ、温田見くん、あっちの方に……」

 状況をうまく説明しようとしてもうまく回らない頭に、市岡はまた情けなさを感じた。

——どうして僕はいつもこうなんだろう。

 そんな問いかけをすることは、一度や二度の話ではない。彼は、生徒がすぐそこで苦しんでいるかもしれないのに何も出来ずにいる自分のことを、いつも責めていた。

 彼は、これまでずっとそのことに悩まされて来た。普段どれだけ生徒に好かれようとも、今のような時に生徒を守ることの出来ない自分に、いつも苛立ちと呆ればかりが募っていく。

 チリチリと痛む胃や、激しく弾もうとする心臓に苛立つ。どうにかして冷静さを取り戻そうと、彼は必死に自分を律しようとしていた。

 才見はそんな市岡の意を汲み取ったのか、市岡の背中を優しく摩った。

「先生、パニックは誰にでも起こり得ることです。そうなったら自分を責めるのではなく、まずは深呼吸をしましょう!」

 そう言って市岡の背中を優しく摩り続けながら、ゆっくりと深い呼吸へと誘った。それを数回繰り返と、その手の温もりとゆったりとしたリズムによって彼の自責の念は次第に緩み、それから解放された市岡はようやく大きなため息を吐き出した。

「……よかった、少し落ち着きましたね。それで先生、確認なんですが、時計塔とは第三寮のことで合っていますよね。つまりここでしょう? ここに温田見くんがいるんですか?」

「い、いや、違うんだ。温田見くんが、その、屋上から落ちたんです。あの、大きな時計のあるところから、あれです。そこから下まで……」

 悲鳴を上げるようにそう告げる市岡を見て、才見は一瞬返答に詰まってしまった。

「あそこから……?」

 市岡が指を刺しているのは、三階建ての第三寮の突端にある小塔で、大きな金飾りの文字盤が美しい大時計のある部分だった。

 時計は煌びやかさが生かされてかなり大きな作りをしているが、内部は電子構造化されているため軽量な作りになっていて、塔自体はとても小さい。そこに、人が一人ギリギリ立てるくらいのスペースがある。

「あの、あそこってあの噂の場所ですよね。幽霊が出るっていう。どうしてあんなところに……」

 危険極まりない場所であるにも関わらず、この学校には生徒があの場に立つことを咎める教師はいない。なぜなら、時計塔に近づく者はそれだけで問題児であり、関わる価値などないと判断されているからだ。

「それは僕にも分からない。でも、落ちたのは間違いないんだ」

「——分かりました。でも、どこに……」

 戸惑う才見に、市岡も同じ表情を浮かべた。彼は足がすくんで動けず、温田見の姿を確認できていない。

「お、落ちていくところと落ちた音は聞いたんです。でも、姿は確認出来てません。情けない話なんですが、足がすくんで動けなくて……」 

 市岡はそう言うと、力の入らない足を拳で叩いた。嫌悪で自分を痛めつける市岡に、才見がすっと手を伸ばす。何度かぶつかり合ったであろう赤くなった拳をそっと握りしめると、小さく被りを振った。

「そうですか。落ちるところは見たんですよね。——それは怖かったでしょう。足がすくんでも仕方がありませんよ。誰だってそうなると思います。代わりに僕が見てきますから、もうやめてください。こっちにいないということは、向こう側に落ちたってことですよね?」

 市岡の拳を解きながらそういうと、才見はその場に立ち上がった。そして、無人の第三寮の向こう側に見えている駐車場を指差す。

「そ、そうです! あの、駐車場と時計塔の間に舗装されてない通路があるんですよ。そこに落ちたのは間違いないです。ここまでドスンって音が聞こえてきましたから……」

 そう言って市岡はまた顔を青ざめると、今度は自分を労るように両手で自分自身を抱きしめるように労った。

「草が生えてるし未舗装のところだから、もしかしたらケガしてるだけかもしれないんですけれど、でも音が凄かったんです。ドスンって、重くて大きな音がして。温田見くんは体格がいいから、衝撃も……」

「——っ、とにかく見てきます!」

 才見は市岡の説明を聞き終わるまでもなく、駐車場と第三寮の寮棟の間にある細い通路へと走り出した。

「うまく落ちてれば骨折で済むだろうけど……」

 そう独言ながら、建物の角を回った。
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