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音の中へ
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◆◇◆
雑踏の中、ヘッドフォンを耳に当てる。流れてくる音楽は、横に進む楽譜とも、ロールされていくデータとも違う。音像は目の前で、まるで通りゆく景色のように過ぎゆき、その響きは俺の体を包み込むんだ。それはまるで、愛する彼の肌の温もりのように、この肌を粟立てていく。
「隼人さん」
その高揚感を奪われて以来、生きている実感がなくなっていた俺は、この人によってたくさんのものを取り戻した。風が運ぶ季節の匂い、その温度、濃度。自分たちは、流れていく時間のうちの、ほんの一部でしかないこと。それを体に取り入れて、自分の中へ混ぜ込んで、外へと逃す。ただそれだけをして生きていくんだと言うことを、彼は再び俺に教えてくれた。
『難しく考えるな。お前はただそこにいるだけで、立派に生きてる』
その言葉とあのギターが、俺を元の世界へと連れ戻してくれた。今や俺は、死のうとしていたこの場所へ、生きて舞い戻って来ている。これまでの数年間を考えると、信じられないくらいに幸せだった。時々本当に信じられなくなって、ぎゅっと頬をつねるのが癖になりつつあった。今も、両頬を軽くつねっては生きていることを確認している。
「おー孝哉、来たな。何やってんだよ、お前。ほっぺた、真っ赤になってるぞ」
隼人さんと出会った、このビルの外階段の踊り場。手を駆けて乗り越え、そのまま落ちて行こうと思った。その時、ふと感じた風が、俺をそこに止まらせた。吹き抜けた風が、あまりに気持ちよくて、思わず少しだけそこにいたいと思ったのを覚えてる。あの時の風が、今も俺の心を撫でていった。
——あの扉を開けると、このあたりの空気が向こうに引き込まれるから、ここにも風が起きるのか……。
それなら、俺を思いとどまらせた風も、隼人さんが起こしたことになる。あの日の俺は、一から十まで隼人さんに助けられていたってことだ。そして、それはまだ続いている。
隼人さんが一緒にいてくれることで、俺の心の傷は随分と癒えた。そうなると、今度は隼人さんと離れることが怖くなった。だから、隼人さんの足が完治した後も、同居は解消せずにまだ一緒に住んで欲しいと俺からお願いした。隼人さんは、それを快く受け入れてくれた。
おかげで俺は安定した生活を送れるようになり、今はこれまで以上に幸せに暮らせている。そして、その中心になっているものが、今の音楽活動だ。
「今日のレコーディング、随分アナログなやり方をするんですね」
初めて一緒にスワングダッシュを演った時以来、二人でユニットを組んでやっていくことにした。そして、それから数ヶ月、ずっとその日々を楽しんでいる。お互いに失っていたものを取り戻して、そこから生まれるものをひたすらに享受してきた。
そして、最近戻ってきた父さんにそれを聞かせた。父さんは、その場に蹲って大泣きしてしまい、軽いパニック発作を起こしてしまうほどに動揺していた。そして、その数日後には『記念に録音しておいでよ』と言ってスタジオの手配を整えて来ていた。
「親父さんの意向だよ。多分、配信するつもりなんじゃねえか。息子が息を吹き返したのが、嬉しくて仕方ねえんだろ」
俺たちは、出会った日に立っていた場所で、今はのんびりと話をしている。隼人さんは俺の隣に立ち、タバコに火をつけた。ジリっと音がして、先端に真っ赤な火が灯る。数千度はある炎が物体を燃やし、その煙を吸うことで肺を苛めるという行動は、今や見慣れた光景となっていた。立ちのぼる煙は僅かに甘い香りがして、その毒性を誤魔化そうとしてるつもりが、寧ろ引き立たせているように俺は思う。
「……お前、ここから落ちて死のうとしてたよなあ」
隼人さんは柵にもたれかかって、懐かしそうに目を細めた。笑いながら口から大量に煙を吐き出すと、それに翻弄されるように咳き込む。自分で吸っておきながら何をやってるんだろうと呆れつつ、俺はその背中を摩った。
「吸いながらしゃべるからだろ。おじいちゃんみたいだよ」
「ああ、すまないねえ。ありがとうね、孝哉くん」
おどけて老人のような話し方をしながら、また激しく咳き込む隼人さんを見て笑った。
雑踏の中、ヘッドフォンを耳に当てる。流れてくる音楽は、横に進む楽譜とも、ロールされていくデータとも違う。音像は目の前で、まるで通りゆく景色のように過ぎゆき、その響きは俺の体を包み込むんだ。それはまるで、愛する彼の肌の温もりのように、この肌を粟立てていく。
「隼人さん」
その高揚感を奪われて以来、生きている実感がなくなっていた俺は、この人によってたくさんのものを取り戻した。風が運ぶ季節の匂い、その温度、濃度。自分たちは、流れていく時間のうちの、ほんの一部でしかないこと。それを体に取り入れて、自分の中へ混ぜ込んで、外へと逃す。ただそれだけをして生きていくんだと言うことを、彼は再び俺に教えてくれた。
『難しく考えるな。お前はただそこにいるだけで、立派に生きてる』
その言葉とあのギターが、俺を元の世界へと連れ戻してくれた。今や俺は、死のうとしていたこの場所へ、生きて舞い戻って来ている。これまでの数年間を考えると、信じられないくらいに幸せだった。時々本当に信じられなくなって、ぎゅっと頬をつねるのが癖になりつつあった。今も、両頬を軽くつねっては生きていることを確認している。
「おー孝哉、来たな。何やってんだよ、お前。ほっぺた、真っ赤になってるぞ」
隼人さんと出会った、このビルの外階段の踊り場。手を駆けて乗り越え、そのまま落ちて行こうと思った。その時、ふと感じた風が、俺をそこに止まらせた。吹き抜けた風が、あまりに気持ちよくて、思わず少しだけそこにいたいと思ったのを覚えてる。あの時の風が、今も俺の心を撫でていった。
——あの扉を開けると、このあたりの空気が向こうに引き込まれるから、ここにも風が起きるのか……。
それなら、俺を思いとどまらせた風も、隼人さんが起こしたことになる。あの日の俺は、一から十まで隼人さんに助けられていたってことだ。そして、それはまだ続いている。
隼人さんが一緒にいてくれることで、俺の心の傷は随分と癒えた。そうなると、今度は隼人さんと離れることが怖くなった。だから、隼人さんの足が完治した後も、同居は解消せずにまだ一緒に住んで欲しいと俺からお願いした。隼人さんは、それを快く受け入れてくれた。
おかげで俺は安定した生活を送れるようになり、今はこれまで以上に幸せに暮らせている。そして、その中心になっているものが、今の音楽活動だ。
「今日のレコーディング、随分アナログなやり方をするんですね」
初めて一緒にスワングダッシュを演った時以来、二人でユニットを組んでやっていくことにした。そして、それから数ヶ月、ずっとその日々を楽しんでいる。お互いに失っていたものを取り戻して、そこから生まれるものをひたすらに享受してきた。
そして、最近戻ってきた父さんにそれを聞かせた。父さんは、その場に蹲って大泣きしてしまい、軽いパニック発作を起こしてしまうほどに動揺していた。そして、その数日後には『記念に録音しておいでよ』と言ってスタジオの手配を整えて来ていた。
「親父さんの意向だよ。多分、配信するつもりなんじゃねえか。息子が息を吹き返したのが、嬉しくて仕方ねえんだろ」
俺たちは、出会った日に立っていた場所で、今はのんびりと話をしている。隼人さんは俺の隣に立ち、タバコに火をつけた。ジリっと音がして、先端に真っ赤な火が灯る。数千度はある炎が物体を燃やし、その煙を吸うことで肺を苛めるという行動は、今や見慣れた光景となっていた。立ちのぼる煙は僅かに甘い香りがして、その毒性を誤魔化そうとしてるつもりが、寧ろ引き立たせているように俺は思う。
「……お前、ここから落ちて死のうとしてたよなあ」
隼人さんは柵にもたれかかって、懐かしそうに目を細めた。笑いながら口から大量に煙を吐き出すと、それに翻弄されるように咳き込む。自分で吸っておきながら何をやってるんだろうと呆れつつ、俺はその背中を摩った。
「吸いながらしゃべるからだろ。おじいちゃんみたいだよ」
「ああ、すまないねえ。ありがとうね、孝哉くん」
おどけて老人のような話し方をしながら、また激しく咳き込む隼人さんを見て笑った。
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