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音の中へ
11_2_生き戻る2
しおりを挟む「絶望って、陥るまでは時間がかかるのに、回復が案外簡単で俺も驚いてる。ただ、その簡単なことが出来る条件が揃うか揃わないかだよね。俺は本当に運が良かったんだよ。あの時気にしてくれてありがとう」
隼人さんの背中を摩る手を背中で止めて、その温もりを感じる。この人がいなかったら、俺はきっとまたここへ来ていただろう。この下へ落ちて、生きていくことから逃れる術を手に入れようと、ただそれだけを求めていたはずだ。
「ねえ、隼人さん。このスタジオさ、俺が襲われた場所なんだよ。ここで谷山から襲われたから、ここで死のうと思ったんだ」
俺が柵の外に立っていたあの日は、襲われたその日ではない。ただ、心にこびりついて動かすことの出来なくなった澱が、俺をここへ連れて来た。どんなに頑張ろうとしても、声が出せない。手は動かない。その絶望から逃れる術も、音楽しか知らなかった。身動きが取れなくなって、息苦しくて、打ち上げられた魚みたいになって、ただ打ちひしがれていたら、いつの間にかここに来ていた。
「だから父さんはここを選んだんだろうね。元々は、ここで父さんの友人たちと遊びながら録音とかしてたから。それを嫌な思い出で上書きされてしまって、来れなくなった。今なら、いい記憶でまた上書きできるって思ったんじゃないかな」
隼人さんは下を覗き込みながら「そうだなあ」と呟く。そして、煙を思い切り吸い込んでは吐き出すのを繰り返した。
「まあ、実は親父さんからそう聞いてた俺は、責任重大で緊張しまくってるんだけどな」
そう言って、何度か吸っては吐き出すふりをしている。わざと緊張しているアピールをする姿を見て、「だから、そういうところがおっさんなんだってば」と俺は笑った。
「もういいよ、言ってろ。どうせ俺はお前よりはおっさんだからな」
そう言ってまた煙を吐き出すと、今度は「はあ、腰が辛いねえ」とおじいさんのフリをする。そういう時の隼人さんは、子供のようで可愛らしい。
「待って……あんまり笑わせないでよ。俺、今から歌うんでしょ? 笑いすぎると喉潰れちゃううから」
「いや、お前が勝手に俺で楽しんでるだけだから。俺はいつも通りなだけなんだけどね」
そう言って、今度は拗ねる。俺より五歳年上なだけなはずなのに、いつもの隼人さんからは、もっと年上のような落ち着いた空気を感じる。それなのに、こういうやりとりをしている間だけは、俺よりもずっと年下にも感じることが多い。そういうところが、一緒にいて飽きない。
穏やかに笑う顔を見ながら、二人でどうでもいい話を繰り返す。この時間もまた、俺にとって生きている実感を得られる大切なものとなっていた。
「笑うとさ、生きてるなって感じするよね」
「あー? まあ、そうだな。尖って張り詰めて痛くなったものが均されていく感じもするな、俺は」
「あ、それわかる」
「だろ?」
こうやって二人で笑っていられれば、きっとスタジオの中に入ってからも少しは耐えられるだろう。あのガラスドアを潜る。今日の俺は、それが最大の目標だった。
「孝哉」
そのドアを見つめたまま固まる俺に、隼人さんが優しく声をかけて来た。「なに?」と答えると、両肩にポンと手を乗せられる。そして、二人で冷たく光るドアを見つめた。
「お前は、あの中で半身を失った。そして生きる意味を見失った。でも、今は俺がいる。俺はお前の半身だ。二人で一緒に行くんだ。一人で戦うなよ。いいな?」
そう言って、背中に指文字を書き始めた。俺はその文字を頭の中で追いかける。
「……え?」
隼人さんは、驚いて振り返った俺の手を握りしめて、優しく包み込むように抱きしめてくれた。
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