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第一章 異世界来たら牢獄で
金の意外な使い道
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「ただいま~」
「おかえり~ってどうしたんですかイザスタさんっ!? 今手助けに行ったと思ったらすぐ戻ってきて」
牢の入口で待機しているとイザスタさんが戻ってきた。もう鬼みたいになった巨人種の人を何とかしたかと思ったが、視線を移せばディラン看守がまだ戦っている。
依然として自分から攻撃を仕掛けず、精々攻撃を躱しきれない時に拳で攻撃の軌道を変えるくらいだ。あんなデカい相手の攻撃を殴って回避するディラン看守も十分凄いのだが。
「それが、倒さなくても凶魔になっちゃったあの子を元に戻す手段があるらしくてね。協力には少し準備が必要だから一度戻ってきたの。トキヒサちゃんはもう動ける?」
「勿論ですよ。元に戻せるっていうのは良い事です。俺は何をすれば?」
「上出来! じゃあトキヒサちゃんは、そこに倒れてるエプリちゃんを隅に運んであげて。うっかり巻き込まれたら危ないから」
確かにこの状況で眠っているエプリをほっとくとマズイ。牢の外に出して逃げられでもしたらことだが、かと言ってここで鬼に踏みつけられでもしたら問題だ。
「分かりました。他に何か手伝えることは?」
「そうねぇ……準備に数分かかるけど、アタシとスライムちゃんはしばらく動けなくなるの。ピンチになったら守ってね! ……な~んて、看守ちゃんが頑張ってるし、そんなに心配することはないけど」
「了解。任せてください」
スライムも動けないというのは気になったが、俺は急いでエプリを抱き抱えた。まだ眠りの霧が効いているらしく、身じろぎ一つせずスヤスヤ寝息を立てている。ホント眠っていれば綺麗なのにな。起きたらあんな危ない奴というのが信じられないぞ。
「さてと、それじゃあ始めるとしましょうか。スライムちゃんこっちに来て」
運び終えるのを見て、イザスタさんは近くで待機していたスライムを呼び寄せる。そのままスライムに手を触れると、目を閉じて動きを止める。一体何をするつもりなのだろうか?
「…………そう。受け入れてくれるのね。……ありがとう」
そう静かに言ったかと思うと、イザスタさんは目を開いて訥々と何かを唱え始めた。
「“私、イザスタ・フォルスの名において、ここに誓約する”」
その瞬間、イザスタさんの周囲の雰囲気が一気に変わった。昔旅行先で見た、とある神様を奉っていた神殿を思い出す。厳かでどこか近寄りがたい感覚。イザスタさんの表情はとても真剣で、どこか鬼気迫るようにも神々しいようにも見える不思議なものだった。
「“貴方を我が眷属として迎えることを”」
彼女はそこで自らの指を噛み裂いて、スライムの上に翳す。ジワリと染み出て珠になった血の雫が、一滴落ちて染み込んでいく。染み込んだ瞬間、ぶるりと大きく震えるスライム。だがそれ以上に動くこともなく、ただ次の言葉を待っている。
「“貴方の命は我が身のために”」
二滴目。再びぽつりと命の雫が染みていく。それは先ほどと同じだが、スライムの方には明らかに変化が生じていた。少し身体が大きくなり、色も変化し始めている。これまでは壁の色に合わせた灰色に近かったのが、今では少し赤茶色が混ざっている。
「“貴方の力は我が意のままに”」
三滴目。スライムはますます大きくなり、体中がプルプルと波打つように震えている。
……すごいなこれは。イザスタさんの血にはスライムを強化する力があるとは聞いていたけど、これじゃあ成長と言うよりも進化に近い。
良く見ればイザスタさんの額から汗が噴き出している。どうやら傍から見るよりも相当の集中を必要とするようだ。頑張ってくださいイザスタさん。集中を途切れさせないように口に出さず、俺が内心そう応援していると、
「グオオオオォォ」
牢屋の奥から物凄い咆哮が衝撃を伴って聞こえてくる。何だ今のは? ……まさかっ!?
嫌な予感がして聞こえてきた方を見ると、そこでは鬼がディラン看守に強烈な打撃を加えているところだった。ついに躱しきれなくなったのか、直撃したディラン看守はそのまま反対側の壁まで飛ばされる。
鬼は次にイザスタさんの方へ視線を向けて近づいてきた。見たら鬼は全身の筋肉の鎧がより膨張して禍々しくなり、先ほどよりも明らかに強そうだ。
何あれ!? 時間経過で強くなるなんて聞いてないぞ。看守がぶっ飛ばされたのもおそらくこのせいだろう。紙一重で躱したつもりが、急に強くなったから予測が乱れたとかそんな感じで。
一歩一歩。ゆっくりだが、鬼は一歩の幅が大きいのでこのままだとすぐ到達する。イザスタさんはというと、極度の集中の為かまるで鬼の方を見ていない。
「“貴方の思いは我が理の内に”」
四滴目。背後に危険が迫っているというのに彼女はまるで見向きもせず、只々スライムに自らの血を注ぎ続け、スライムもまた血を受け入れ続けている。
「イザスタさんっ! 鬼がこっちに来てます。早く離れてください!!」
強化はまた後にして、今は逃げるか迎撃しないとマズイ。呼びかけるのだがイザスタさんは動かない。気づいていないのかと思ったがそうではなく、これは単に……途中で止めることが出来ないものなのだ。
さっき言っていたではないか。自分とスライムはしばらく動けないと。中断できるものならばもうとっくにしているはず。出来ないってことはそういうことなのだろう。
「待ってろっ! 今行くっ!」
ディラン看守が急いで走ってくるが、このままじゃ鬼が到達する方が早い。いつものイザスタさんなら何とかなりそうだが、今襲われたら回避も出来ない。
……何をやっているんだ俺は。こんなところで。俺は頼まれたじゃないか。ピンチになったら守ってくれと。今がその時だっ!!
「うおおおっ」
身体は動く。まだ行ける。俺は声を上げながら鬼に向かって突撃する。ちなみに物凄く怖い。当然だろ? 自分の倍くらいある相手に向かっていかなきゃいけないんだから。正直逃げたい。
だけどな。今後ろにいる人を見殺しにするなんてのは、間違いなく一生後悔する。逃げなかったら死ぬかもしれない。逃げたら一生後悔。それなら話は簡単だ。逃げないで死ななければいい。
どうだ“相棒”。バカだバカだと良く言われるが、考えて見れば至極単純な答えだった。俺もそういつもバカではないんだ。……違う?
鬼は俺に気づいたようで、こちらに殺意のこもった視線を向けてくる。とりあえずこちらに注意を引くことは出来たが……このところ熱い視線を受けまくっている気がする。
イザスタさんのは例外として、ほとんどが殺意だの怒りだの精神的によろしくないものばっかりだ。良い意味での視線はないものかね。
「ゴガアアアァ」
邪魔者を捻り潰そうと、鬼は腕を振るって薙ぎ払いをかけてくる。力の差は歴然。力比べをしたら間違いなくぺちゃんこにされる未来しか見えない。受け止めるのはディラン看守だから出来たのであって俺には無理だ。
なら残る選択肢は一つ。躱しまくって時間を稼ぐことだ。……なんか今日は時間稼ぎばかりしている気がするな。稼ぎたいのは時間じゃなくて金だよ金。
俺はスライディングで腕の下を掻い潜る。頭頂部が掠ったみたいだが何とか無事だ。将来ハゲたらお前のせいだぞっ。そのまま脇をすり抜けようとするが、そこまで上手くいかず突き出された足に引っ掛けられる。
字面は可愛いが、実際は三メートル越えの巨体から繰り出される足引っ掛けである。目の前にいきなり丸太が飛び出てきたようなものだ。俺は足を強打してそのまま転がってしまう。
「~~っ!?」
すぐ立とうとするが、足に激痛が走って動けない。見るとズボンの破れた所から血が出ている。鬼も勝利を確信したのか、俺に背を向けて再びイザスタさんの方に歩き出した。あいつめ。俺なんか眼中にないってか!!
「“そして貴方の魂は、我が名と我が道と共に”」
五滴目。いよいよ終わりに近づいたらしく、さっきからスライムが心臓の鼓動のように一定のリズムで脈動している。しかし、もう少しのところで鬼がイザスタさんの背後に辿り着いてしまった。
看守の方を見るが追いつくまであと五メートル。短い距離だがそれが今はあまりにも長い。俺が駆け寄ろうにも足を怪我して動けない。
ここまでか? いやまだだ。俺はポケットから硬貨を取り出す。銅貨。荷物を換金した時に手元に残しておいた一つだ。
少しでいい。注意を引ければ看守が間に合う。鬼は獲物を叩き潰そうと腕を振り上げた。このまま振り下ろされればイザスタさんは……。そんなことさせてたまるかっ。
鬼がイザスタさんに剛腕を振り下ろそうという直前、俺は硬貨を鬼目掛けて投げつけた。
まだ旅は始まってもいないんだ。これからって時なんだ。俺はあの人に沢山の恩が有る。俺を幾度も助けてくれて、出所用の金まで用立ててくれた。まだ何一つ恩を返していない。だから頼む。一瞬だけでいい。その腕を止めてこっちを向けよこの野郎っ!!
渾身の力と思いを乗せた銅貨は鬼に当たり……そのままカンッと軽い音を立てて真上に弾かれる。
……たったそれだけ。筋肉の鎧が硬質化してもはや金属に近い硬度となった鬼にとって、今の一撃は衝撃すら感じない程度のものだったらしい。
鬼は止まることなく、高く上げた腕を振り下ろしてイザスタさんを叩き潰す………………はずだった。
その真上に弾かれた銅貨が、振り上げた腕に当たった瞬間爆弾のように爆発さえしなければ。
「…………えっ?」
ぼんっと小さいながらも炸裂した銅貨は、爆風で振り下ろそうとした腕を逆の方向に押し返す。当然関節とは逆方向であり、そのまま跳ね上がって動きが硬直する。
「グ、グオオアアァ?」
鬼は何が起こったか分からなかったらしく、一瞬思考が停止したように呆然としていたようだった。心配するな。俺も何が何だかさっぱり分からない。なんで投げつけた硬貨が爆発? この世界の金は爆発物でも仕込んでいるのか?
事態を理解しようとするその空白の時間。時間にして二秒にも満たなかっただろう。だが、鬼が再び気を取り直して腕を振り下ろそうとするまでに、
「今度は……間に合ったようだな」
ディラン看守が鬼とイザスタさんとの間に割り込むには十分な時間だった。
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