引きニート令息とご側近さま

ちえ。

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お仕事タイム(sideジョエル)

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 ドミニスアーナ公爵領から数か所の町を潜り数日、立派な外壁の門をくぐり、それから下町を抜けて、内側にある貴族街の門を潜る。
 辿り着いたのはドミニスアルの王城の元に区画整理された広大な城下町。ここには国内の表も闇も全てが潜んでいる。
 最先端のブティックの並ぶ高級商店街に、美術館や博物館、音楽堂なんて高尚な趣を語る娯楽場もあれば、花街や賭博場の並んだ歓楽街も賑わう。高位貴族の邸宅が所狭しとその建物の敷地を競い、次いで屋敷を構えるのは豪商や成り上がり。
 こんな煌びやかな町にはもちろん裏の姿もある。といっても、兄さんや王太子の徹底した管理の元、今や人身売買や人を狂わす薬の類は今は厳しく取り締まられ、治安維持のための人員も金も掛けられたこの町で敢えてせせこましい犯罪を起こそうなんて稀有な馬鹿者は少ない。この町でこの警備網を潜りひっそりと交わされるのは、一端には取り締まれないお偉方の取引やお遊戯だ。
 もう慣れたものである寂れた建物を抜け、狭い階段を下れば、そこに広がるのは地上の建物とはうって変わり、広大で豪華絢爛な大広間。嗜みを知った紳士淑女のための、闇の社交場である。

 公爵領を離れて三日。僕はもうアンドリューに会いたい。
 三日も顔を合わせなければ、何をしていても思い浮かべるのはアンディの姿だ。
 朝日が上ると共に聞こえる『おはようございます』を聞く為に毎日寝ているふりをする事から始まり、彼の選んだ服を着て、彼の運んだ食事を彼と一緒に食べる。そうしなければ朝は訪れない。ここ三日ほど、僕の夜は明けていない。
 ああ、働きたくない。

 いつもこの場に出入りするときに装うように、帽子と眼鏡に首に口元まで埋まるようなストールを巻いて、王家の金と呼ばれる珍しい色の瞳は茶色い色ガラスで繕う。帽子からのぞく金の髪はそう珍しいものではない。
 変装としては随分と簡素でお粗末であるけど、僕は公式な社交会デビューもしていなければ、顔が売れるような集まりなどにも滅多に顔を出さない。素顔が見られたところで割れる素性でもないからこそだった。

 僕と同じ円卓を囲むのは、頬までを覆った煌びやかな飾り仮面の淑女、全く素が見えない顔を覆った面をした痩せた老紳士、いつも胡散臭い笑顔をそのまま晒した裏町の大商人。今日は痩せた狐面の目元だけを仮面で覆った、趣味の悪い成金主義な服をきた男も同席している。
 彼らは素性を隠すのも隠さないのもそれぞれ。顔で売っている権力者から、公に出入りを悟られたくないお偉方まで人によって違うのだ。
 そうして僕の元に集まっているのは、各方々へそれなりの権力を持つ利に敏い者たち。兄さん経由で詳しい情報を持っている僕の身元は、おそらく王室関係者と思われていることだろう。
 関係者じゃないかと言われれば、まあ関係者なんじゃないかって気もするけど。

「皆様ご存じのように、此度は王都で新しい祭事を行うのですって?楽しみですわね」
 ふくよかなマダムが品良く真っ赤な唇に弧を描き、誰にともなく語りかける。話題提供をしているように見えて、恐らく詳しい情報が欲しいのだろう。仮面から覗く瞳が周囲を注意深く観察している。
「そうですね、良質な衣類や宝石などがその祭事のために良く売れているようでございます。なにやら、皆様方がた、王城でのパーティーでちょっとした贈り物をなされるという事でしてね」
 商人がにこやかな笑みで同じ卓についた人々を見渡す。
「そのようにお伺いしておりますわ。して、皆さまはどのようなものをどなたに贈られるのかしら」
「特に指定はないようですよ。王城からは、扱いに困る程の荷は持ち込まないようにと。まあ、裕福な貴族は自分の財を見せつけたいでしょうな」
 マダムの問いかけに、どの口が語るのかと思える金糸の刺繍の服に霞んだような痩せた男が渋い声で答える。自分はそこそこの貴族であると示しているのだろう。僕にはどこの誰か、もうわかっているけれど。
「どうやら次期様は、商業収入を増やすための試みとしてこの祭事を執り行われることとしたようですよ。ですので、大切なのはどなたにどれだけの贈り物をするかではありません」
 本当は王太子じゃなくて兄さんが思いつきで考えたイベントなんだろうけど。ま、事実なんかどうでもいい。
 僕が口を挟めば、皆聞き耳を立てて此方を見ているのがわかる。そう、その注目。それが重要だった。ここで僕の場に持ち込んで。それから本当の仕事が始まる。
 僕は優美に唇の端を上げる。勿体ぶって、手元のワインをゆっくりと傾け、それから潜めた声を作り言葉を放つ。
「ただ、どなたへとどれだけ贈り物をなさったかは、記録に残ります。良くお考えになるのがよろしいかと。私にはこれ以上の事は申し上げられませんが」
 その言葉に、卓を囲む貴人たちはごくりと喉を鳴らした。そう、僕が『滑らした態』の真実にくぎづけられている。
「そうしてね、とある尊いお方に黒い噂があるのはご存知でしょうか?ここだけの話ですが……かの、酒蔵で有名な侯爵家の卿が、隣国から贈賄を受けておられるそうで、物取りが始まりそうです」
「かのお方が。勿論そう仰るだけの証拠は上がっているということでしょうな?」
 老紳士が面白そうに僕ににやりとした笑みを向ける。
 ここでは僕に疑いの眼を向ける人間などいない。
「勿論、確かな筋からのお話ですよ。他にも、かの美術品収集家と名高い卿なども…」
 何故ならば、これは全部真実になるからだ。この場の力を得てから、ではあるけどね。
 僕はこの仕事が決して嫌いではないし、きっと向いているのだろう。
 だけど、ひたすら早く帰りたい。
 早く帰って、アンディといちゃいちゃ平和な日々を送りたい。それが本望だ。


 煌びやかな絨毯を踏みしめ、夜も更けた社交場を後にする。月明かりも薄暗い街中で、僕を待ちわびるように声をかける男がいた。
「ジョエル様。兄上様よりお願いがおありと」
 気配も薄く僕に近づいたその男は、兄さんの差し金のようだ。
「そう、何かな?僕はもう仕事は果たしてあげたはずだけど」
 僕は振り返らずに軽く肩を竦める。周囲に人はいなくて、僕の影たちは潜んで警戒してくれているだろう。だが、それでも安易に話をするのには抵抗がある。これ以上の仕事が増えるのにも。
「明日、もう一仕事お願いいたしたい事があると」
 畏まって告げる相手を、僕は鼻で笑った。
「嫌だよ。明日には発たないと、アンディが迎えに来るのに間に合わない。いくら兄さんだって、それを邪魔できると思ってないでしょう?僕と戦争する気なの?」
 普段通りに紡いだ言葉は、ひどく冷たい。使者は少したじろいだものの、さすがはあの兄さんの寄越した者だ。躊躇う様子はない。
「まさか。貴方様がたが争えば、国の存続すら怪しい。是非とも穏便に。公爵領には此方から丁寧に使いを出させていただきます。どうぞお力をお貸しください」
 そう言うからには、恐らくもう手は回されているんだろう。
 本当についてない。
「しかたないなあ。僕、アンディとの生活を邪魔するなら情報網の10や20はぶっ壊して帰るからね。ま、わかってるだろうけど」
「卿も重々承知いたしております。ですので、明日の出立を数時間遅らせる程度でと」
「それ、数時間で片づけろって事だよね?本当に人使い荒いなあ」
 取りあえず、無駄に拘束時間が増えるよりはずっとましだけど。
 一刻でも早く、一秒でも早く、アンドリューに会いたい。それ以外の事はどうでもいいんだ。
 僕はしぶしぶと残業を受け入れて仮宿に向かった。ああ、働きたくない。

 翌日の僕は、少女の姿だった。扇子で顔を半分覆い、瞳の色は緑へ、金の髪は巻いてアップにして。緩めのドレスを纏えば、そこには完全な令嬢が出来上がっていた。
 元々高めの声は、意識して少し軽やかにすれば違和感はない。
「それでは参りましょうかね」
 やさぐれた声で適当に吐き捨てるのは部屋の中まで。そこから一歩出れば、音もなく床を踏みしめる立ち姿まで疑われる要素はないはずだ。
 兄の従者にエスコートされて、待ち合わせの怪しげな場所へと向かう。少し柄の悪い交流場では、上品ぶったイノシシが昼間から酒を煽っている。
 従者は僕を見せびらかし、僕は恥じらったように彼の後ろに隠れて頬を染める。
 正直、面倒くさい。僕をエスコートするのがアンドリューだったら最高なのに。溜息は心の内に留めて、上目にチラチラとイノシシを見つめ、視線が絡むと儚げに微笑んだ。
 イノシシはにやりと濁った目で笑った。はい、捕獲完了。
 従者が席を外した間に、イノシシは僕に詰め寄る。恥じらいと恐れを上手くないまぜながら、僕は時間を稼ぐ。時折艶を乗せて流し見たり、これ見よがしに唇に触れたりして煽る事も忘れない。
 イノシシが僕の両手首を取った時には、もう全てが終わっている。
 戻ってきた従者は、警備兵を連れて周囲を制圧し。
 僕は怯えて泣くふりだけしておけばいい。用は足りただろう。
 弟に色仕掛けさせて平気なんだろうか、兄さんは。ま、兄さんだからそんなものか。


 そうして、いつもより数時間遅い帰路につき。足がつかないようにとこまめに姿を変え、順路を紆余曲折しながら、3日かけて長い旅路を戻って。漸く慣れ親しんだ公爵領が見えてくれば。
「ジョエル様、ご無事のお戻り、心よりお喜び申し上げます」
 いつもより少し気せわしげだったアンディは、僕を抱きしめてくれた。
 何を吹き込んだのか、これが正しく兄さんからの報酬なのだろう。

「ただいま、アンドリュー。会いたかった。ねぇ、今日は一緒に寝よう?」
 一時でも、コンマ数秒でも、もう離れていたくない。

 兄さんはいったいどんな魔法を使ったのだろうか。
 アンドリューは、少しだけ眉を寄せて小さく頷いた。
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