役立たずの雑用係は、用済みの実験体に恋をする。――神域結界の余り者

白夢

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#1 実験体

03 いずれにしろ印象は良くない

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 どうにか部屋の現状の確認と軽い片付けを終え、時計を見ると午後三時になっていた。

 思ったより時間が過ぎるのが早い。
 または、俺の仕事が遅い。

 そういえば、実験体の処理も依頼されていたんだったと、今更思い出した。
 俺はいったん作業を切り上げて、実験体が収容されている収容施設に向かうことにした。

 資料によれば、実験体5924の収容部屋は西向きの部屋で、壁の高い位置に一つだけ鉄格子の嵌った窓がある。

 サイズは体長百六十センチメートル前後、心臓は一つ。
 うん、概要を見る限りは普通の生物だ。

 しかしサイズが大きい。
 この辺のエリアの実験体は、ネズミか変な機械くらいしかないと思うんだけど。
 え? まさかでかいネズミ? なんか嫌だな……でかい虫よりはマシだけど。

 天井から薬品でも噴射して処理するのが一番安全そうだが、もちろんドロドロの死体をどうにかするのは俺の役目なので、できれば穏便に火葬したい。
 焼く時の匂いはあるが、高温処理すればそんなに気にならない。
 後処理だって、灰を回収すればそれで終わる。灰は適当に撒いてしまえばおしまいだ。

 ただ、こんなところで焼却処理なんかしたら火事になるので、実験体を運ばなければならない。
 今回の実験体はビームを出したり急に火炎放射とかはないみたいだし、中に入っても害はないはずだ。
 俺はつい癖で扉をノックした。当然返事は返ってこない。

「どうぞ……」

 肝が冷えた。
 明らかに女性の声だ。

「い、今……人の声が聞こえなかったか?」
「気のせいじゃありませんかねぇ。先輩はいつも幻聴を聞いてますし」
「あれ? そうか? 俺には聞こえたような気がするんだけど」
「職員が実験体の管理にでも来てるんじゃないですかねぇ」

 そうか、だったら本当に薬品散布はしなくて良かった。危うくまた法を犯すところだ。
 俺は扉を開けた。

「お疲れ様です、実験体の処理に……ん?」

 俺は、丁度正面から俺のことを睨んでいる女性と目が合った。

「……」

 褐色の肌をしていて、黒い髪は酷く傷んでいる。
 質素なワンピースを着ていた。

 そして彼女は……そう、彼女は檻の中にいた。

「……」

 一瞬思考が停止したが、よく考えてみれば、そりゃあまあ、確かに実験体が人間ないしヒト型生物である可能性は決して小さくない割合で存在した。

 しかし、だとすると俺は処理方法を間違えた。

 何も考えず、安全確認を怠って、天井からホースで強酸でもぶちまけて、檻ごと彼女を溶かしてしまうべきだった。

「……」

 彼女は、ごく普通の人間に見えた。
 俺と同じくらいか、それよりいくらか年下の。

 実験体であるせいか、その目にははっきりと不信感と警戒心が浮かんでいた。
 しかしそこに恐怖はなく、むしろ軽蔑みたいな、そういうものを感じた。

「……貴方は人ですか?」

 突然尋ねられた。
 いやそれはこっちのセリフだと言うことすらもできなくて、俺はただ何も言えずに小さく頷く。

「初対面の人と出会ったときは、自己紹介をした方がいいと聞きました」

 彼女は、女性にしては低くて落ち着いた声で話す。
 見た目には、化粧をしていないせいか若く見えるが、その雰囲気はどこかミステリアスだ。

「私は実験体5924です。どうぞよろしくお願いします」

 淡々とした口調で彼女は言う。
 檻の中にいるのに、全く恐れを感じさせない強い瞳に、俺はまるで自分が捕らえられているようにすら感じた。

「もう一人の方はどちらに?」

 彼女は、俺が何も言わないのを見て少し笑った。
 しかしその笑みは愛想を振り撒くようなそれとはまるで違っていた。
 込められているのは、冷たい侮蔑であり、嘲笑だ。

「貴方は無口ですね。私とは違います」

 赤黒い目の下には、深い隈があって、唇は乾いて切れていた。
 既に警戒していなかった。彼女は俺のことを心底見下しているらしかった。

「何か用ですか?」
「……ああ……えっと…………」

 そこで、俺は初めて声を上げた。
 しかし、だからといってどう答えればいいのか思いついたわけじゃなくて、ただその場で狼狽してしまった。

 処分しに来たって言えばいいのか? でもだからといって、このまま溶解液のシャワーを彼女の頭の上から浴びせる気にはなれない。
 ましてやギロチンに縛り付けてその首を切り落とすなんて、俺にはとても無理だ。

 いや、今までヒト型の実験体は一度も処理したことがないってわけじゃない。
 太った男に鰓を縫い付けたのとか、変な鳴き声を上げる女とか、生まれたばかりの胎児の腹に獣の腕が生えたのだって、溶解液で満たされた水槽の中に放り込んだ。
 なんなら俺の半分くらいの年齢の子供三人を、それこそギロチンで処分した事だってある。

 ただ彼らはそう、見た目にも言動にも、少なからずその、人間でない部分みたいなのが見え隠れしていた。
 だから俺はそういう部分だけに注目して、拡大して、努めて冷静でいた。

 だが彼女には、それがなかった。
 取り返しのつかない事故が起きた実験体だし、多分、もう少し時間を共に過ごせば嫌でも彼女の異常性に気づくのだろう。

 それでも彼女を処分するのは、なんていうか、端的に言って……俺にとっては難しい。

 それでも俺は、どうにかして彼女を処分するべきだ。

 俺は親もいないし、優秀なわけでもない。
 死んでも誰も困らないし、ここにしか居場所がない。
 レビィはそれを承知で、ジャックさんも薄々気づいて、俺をこの場所に就職させてくれた。

 だから俺の仕事は大抵の場合、「誰にでもできるが誰もやりたがらない仕事」か「誰にでもできるが誰にも知らせたくない仕事」のどちらかだ。

 だから彼女を救おうだなんて考えてはいけない。……救う? 俺の仕事はレビィに従うことなのに?
 体調や予算的に問題があるならまだしも、どうして俺は……彼女を殺そうとしないんだろう。
 いやそればかりか、俺は、俺は彼女を死なせたくない。

「……何か用ですか?」

 彼女はそう繰り返した。
 俺は浅く呼吸した。
 どうして葛藤しているのかを知る必要があった。
 同時に知らなない方がいいかもしれないとどこかで思った。

 依頼不履行くらいなんだ、俺が役立たずなのはみんな知ってる。
 今更一件くらい、誰も気にしない。そう思う俺がいる。

 それなのに一方で、俺はこう思っている。

「……死なせたくない」

 思わず呟いてしまった。
 そうしたら彼女は、より一層俺を侮り、蔑み、そして軽んじた。

「どうしてですか?」

 その言葉は、酷く冷たくて、まるで熱を感じられない。

「どうしてですか?」

 まるで責めるように尋ねられて、たぶん俺は焦ったんだと思う。

「……好きだからだ」

 口に出すまで、確信していなかった。
 でも口に出したら確信できた。

「はい?」
「お前が好きだ、5924。付き合ってくれ」

 実験体5924。
 彼女は、数回ゆっくりと目を瞬いてから、静かに言った。

「……予定通り、処分してくれませんか?」
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