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#4 湖
38 潜水、このまま沈めば
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夏も深くなると、彼の体調はほとんど回復した。
「ブライド、お前って泳げる?」
「組成物は貴方と同じですから、水に入ることはできますよ」
「いや、金槌かどうか聞いてるんだけど……」
「経験がないので不明です」
「経験ないなら泳げないだろ」
私は再び彼の食事を食べられるようになったし、以前とは違って彼も忙しい時や疲れているときには、私に食事の用意を頼んだりしてくれるようになった。
休日には料理を教えてくれたり、レシピを書いてくれたりする。
そのおかげで、私も少々の料理スキルを身に着けることができたのだ。
「湖に泳ぎにでも行こうかと思うんだけど、どうかな? お前が嫌ならもちろん、無理にとは言わないけど……」
「嫌ではありませんよ。貴方は泳げるんですか?」
「俺はまあ、人並みにというか。十メートル垂直潜水ができる程度かな……」
「垂直潜水?」
「ああうん、水軍の試験なんだけどな。二十メートル垂直潜水及び往復七キロの遠泳が試験にあるんだよ。それで練習した……無理だったけど」
「そんなに潜って何をするんですか?」
「神域結界の境界が海だったりすると、だいたいそのくらいで薄くなってたりするんだよ。その補修とか点検とか、そういうのを水軍がやるからさ」
彼はソウメンを啜りながらそう言った。
そうなんですか、と私は頷く。
「貴方は物知りですね」
「まあ、お前より結構長い間生きてきたからな」
彼はそう言って苦笑いした。「とはいえ俺は無能なんだけど」と。
「どうする?」
「貴方と一緒なら行きます」
私はそう答えて、彼は面食らったように頷く。
「あ、ああそうなんだ……でもいいの? 水着とか着てほしいんだけど着てくれる?」
「まさかビキニとか着せようとしてるんですか? 私、角材みたいな体型してますけど」
「角材は言いすぎだと思うんだけど……」
「言いすぎじゃありませんよ。見てください」
私は主張を成立させるべく、自分の服を胸元まで捲り上げた。
胸はおろか、くびれすらほとんどない。ただし腹筋だけは割れているから、少しくらいはぽこぽことした凹凸があるかもしれないけど。
「止めろブライド! 女の子だろ!」
彼は悲鳴を上げて私の手首を掴んで服から引き剥がした。
布はすとんとまた腰の辺りにまで落ちる。女の子はどっちだろう。彼は相変わらずネグリジェを愛用している。
「平らでしょう?」
「どうしてそんな自慢げなの? 分かった、別にビキニじゃなくていいから。それにお前の魅力的な部分は主に脚部にあるから大丈夫」
「脚ですか?」
「そうだよ。ついでに俺の頭とか踏んでもらってもいいかな?」
「どうしてですか?」
「可愛い……」
「どうしたんですか?」
湖と言えば、去年の冬はスケートに行ったけれど同じ場所だろうか。
一般的に水着姿というのは男女を問わず扇情的なものだけれど、ただでさえ美しい彼なら羞月閉花に違いない。
昼間だから月は見えないだろうけれど。
「いつ頃を予定されているんですか?」
「二十二日とかかな。ほら、朱曜だろ?」
「大丈夫ですか? 翌日はお仕事ですが……」
「ああ、大丈夫だよ。もうほとんど体調は戻ったしな」
「クロさんはいらっしゃらないんですか」
「クロ? お前クロと仲いいのかよ、俺の幻覚なのに」
変なこと言う奴だなと、彼はそう笑う。
その笑顔に陰りはなく、憂いはなく、それに私は彼の人間らしさを覚えた。
「彼女はだって、貴方の一部じゃないですか」
「俺の一部? まあそりゃ俺が見てる幻覚なわけだしそういう言い方もあるだろうけど。クロは気分屋だし、現れたきゃ現れるさ。案外、お前の水着姿を拝みに来るかもな」
彼は何でもないことのように冗談めかしてそう言った。
彼は大抵笑っている。
「……貴方は何故、十メートルまでしか潜水できないんですか?」
「どうしたの急に。俺の傷を抉らないで?」
「潜ることはできたんですよね」
「ああ、そうだよ。潜水自体は三十メートルまでできるんだけど、パニック起こして浮上できないからさ。あれ、お前なんで分かったの? もしかしてルシーに聞いてた?」
彼は十メートルまでしか沈めなかったんじゃない。
浮き上がれなかったのだ。
「ブロウ、湖に行っても潜らないでくださいね」
「ん? いや良いけど、なんでだよ?」
「約束してください」
「ああうん、約束するよ。なんでそんなこと言うの?」
「水の中では、貴方に声が届かないからです」
「どういうこと?」
「……貴方のことが心配なんですよ、それだけです」
私には容易に想像できた。
海の底に向かって、暗闇に向かって、一直線に落ちて行く彼の姿。
その耳に届かないはずの音を届ける幻覚の姿。
「溺れると思ってるの? そんなに深くないから大丈夫だよ」
彼はニコニコ笑ってそう言った。
私はそうですねと呟いたけれど、彼が儚く見えて怖かった。
「ブライド、お前って泳げる?」
「組成物は貴方と同じですから、水に入ることはできますよ」
「いや、金槌かどうか聞いてるんだけど……」
「経験がないので不明です」
「経験ないなら泳げないだろ」
私は再び彼の食事を食べられるようになったし、以前とは違って彼も忙しい時や疲れているときには、私に食事の用意を頼んだりしてくれるようになった。
休日には料理を教えてくれたり、レシピを書いてくれたりする。
そのおかげで、私も少々の料理スキルを身に着けることができたのだ。
「湖に泳ぎにでも行こうかと思うんだけど、どうかな? お前が嫌ならもちろん、無理にとは言わないけど……」
「嫌ではありませんよ。貴方は泳げるんですか?」
「俺はまあ、人並みにというか。十メートル垂直潜水ができる程度かな……」
「垂直潜水?」
「ああうん、水軍の試験なんだけどな。二十メートル垂直潜水及び往復七キロの遠泳が試験にあるんだよ。それで練習した……無理だったけど」
「そんなに潜って何をするんですか?」
「神域結界の境界が海だったりすると、だいたいそのくらいで薄くなってたりするんだよ。その補修とか点検とか、そういうのを水軍がやるからさ」
彼はソウメンを啜りながらそう言った。
そうなんですか、と私は頷く。
「貴方は物知りですね」
「まあ、お前より結構長い間生きてきたからな」
彼はそう言って苦笑いした。「とはいえ俺は無能なんだけど」と。
「どうする?」
「貴方と一緒なら行きます」
私はそう答えて、彼は面食らったように頷く。
「あ、ああそうなんだ……でもいいの? 水着とか着てほしいんだけど着てくれる?」
「まさかビキニとか着せようとしてるんですか? 私、角材みたいな体型してますけど」
「角材は言いすぎだと思うんだけど……」
「言いすぎじゃありませんよ。見てください」
私は主張を成立させるべく、自分の服を胸元まで捲り上げた。
胸はおろか、くびれすらほとんどない。ただし腹筋だけは割れているから、少しくらいはぽこぽことした凹凸があるかもしれないけど。
「止めろブライド! 女の子だろ!」
彼は悲鳴を上げて私の手首を掴んで服から引き剥がした。
布はすとんとまた腰の辺りにまで落ちる。女の子はどっちだろう。彼は相変わらずネグリジェを愛用している。
「平らでしょう?」
「どうしてそんな自慢げなの? 分かった、別にビキニじゃなくていいから。それにお前の魅力的な部分は主に脚部にあるから大丈夫」
「脚ですか?」
「そうだよ。ついでに俺の頭とか踏んでもらってもいいかな?」
「どうしてですか?」
「可愛い……」
「どうしたんですか?」
湖と言えば、去年の冬はスケートに行ったけれど同じ場所だろうか。
一般的に水着姿というのは男女を問わず扇情的なものだけれど、ただでさえ美しい彼なら羞月閉花に違いない。
昼間だから月は見えないだろうけれど。
「いつ頃を予定されているんですか?」
「二十二日とかかな。ほら、朱曜だろ?」
「大丈夫ですか? 翌日はお仕事ですが……」
「ああ、大丈夫だよ。もうほとんど体調は戻ったしな」
「クロさんはいらっしゃらないんですか」
「クロ? お前クロと仲いいのかよ、俺の幻覚なのに」
変なこと言う奴だなと、彼はそう笑う。
その笑顔に陰りはなく、憂いはなく、それに私は彼の人間らしさを覚えた。
「彼女はだって、貴方の一部じゃないですか」
「俺の一部? まあそりゃ俺が見てる幻覚なわけだしそういう言い方もあるだろうけど。クロは気分屋だし、現れたきゃ現れるさ。案外、お前の水着姿を拝みに来るかもな」
彼は何でもないことのように冗談めかしてそう言った。
彼は大抵笑っている。
「……貴方は何故、十メートルまでしか潜水できないんですか?」
「どうしたの急に。俺の傷を抉らないで?」
「潜ることはできたんですよね」
「ああ、そうだよ。潜水自体は三十メートルまでできるんだけど、パニック起こして浮上できないからさ。あれ、お前なんで分かったの? もしかしてルシーに聞いてた?」
彼は十メートルまでしか沈めなかったんじゃない。
浮き上がれなかったのだ。
「ブロウ、湖に行っても潜らないでくださいね」
「ん? いや良いけど、なんでだよ?」
「約束してください」
「ああうん、約束するよ。なんでそんなこと言うの?」
「水の中では、貴方に声が届かないからです」
「どういうこと?」
「……貴方のことが心配なんですよ、それだけです」
私には容易に想像できた。
海の底に向かって、暗闇に向かって、一直線に落ちて行く彼の姿。
その耳に届かないはずの音を届ける幻覚の姿。
「溺れると思ってるの? そんなに深くないから大丈夫だよ」
彼はニコニコ笑ってそう言った。
私はそうですねと呟いたけれど、彼が儚く見えて怖かった。
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