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#5 海と島人
41 森林、人魚姫の声のように
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私は森に住んでいるらしい何かの鳥の声で目を覚ました。
寮とは違い、部屋のベッドはキングサイズだ。
仮死状態に陥っているのかと疑うくらい寝相のいい彼はぴくりともしないで昨晩と同じ姿勢をしていた。
相当疲れていたのだろう。
ここはルシファー様が個人的に所有される別荘の一つだそう。
海岸近くの丘の上に立つこの木造の建物は鬱蒼とした森林の、木々の生い茂る地を一部切り開いて作られたものだ。
聖都の圧倒されるような白塗りの壁とは異なり、温かみを覚える柔らかで明るい木材で建てられている。
起こすのも気が引けて、私は彼を起こさないようにそっと立ち上がった。
しかしその僅かな仕草で彼は目覚めてしまい、眠そうな声で私を呼ぶ。
「んー、ぶらいどー?」
「あ、すみません。起こしてしまいましたか?」
彼はうーんと背伸びした。
「大丈夫、もう朝か……あー、良く寝た」
「昨晩はお疲れさまでした」
「うん、やっぱり何度乗っても空の旅は慣れないんだよな……お前は平気だったか?」
「飛行船……でしたっけ。私は大丈夫でしたよ」
彼はシャワーを浴びに行ってくると言って、そのまま着替えを持って行ってしまった。
私は朝からシャワーを浴びる習慣はない。
最初に彼に連れ出されたときの名残で、蒸しタオルで体を拭くのがルーティーンの一つになっている。
「おはようございます、ブライド様」
使用人の方が一人、私に話しかけて下さった。
丁寧にお辞儀されたのだが、少し気後れしてしまう。
「あ、えっと、おはようございます。その……様というのは呼ばれ慣れませんね……」
「慣れていただかなければ困ります。私共にも立場がございますので」
そう言われてしまうと無理にやめてくれとも言えず、私はそうですかと致し方なく受け入れる。
すると彼女は小さく微笑み、私に蒸しタオルを差し出した。
「お気遣いありがとうございます、どうぞ」
「えっ……ありがとうございます」
何故私がこれを欲していることを知っているのだろうか? 彼から聞いたのかな。
私はそれを受け取って、タオルで体を拭いて着替えた。
リビングに出ると、彼は朝食を食べていた。
何度も見ているけれど、彼の食事は何度見ても美しい。
教科書とかに載ってそう。惚れ惚れする上品さ。
「今日も可愛いな、ブライド。スクランブルエッグよりも眩しいよ」
「……はい」
なんと言えばいいのかがよく分からず、私は曖昧に笑ってそう言った。
彼はとても綺麗な人だけれど、たまに言葉のチョイスに疑問を感じる。
彼は何であれ取捨選択が苦手なのだ。
こういうところがモテない原因だろう。
私が好きなところでもある。
「たまには俺以外の料理も食ってみろよ、たまに食う分には美味しいから」
「ブロウ、貴方はもう少し言葉の選択というものを覚えた方が良いと思うんです」
優しいはずの料理人の方が殺意の篭った視線を送ってきている。
彼は無自覚に人に嫌われるタイプだ。
優しいところもあるんだけど、同じくらいデリカシーもあったら良かったのに。
いや、このままでいいのかな。人には一つか二つくらい欠点があった方が良いと思うし。
私は彼の目の前の席に座った。
一枚のプレートに収められた朝食は、確かに彼の言う通り美味しい。
「大丈夫か?」
「えっ?」
「ぼんやりしてるように見えたから」
「貴方じゃないんですから、ぼんやりなんかしていませんよ」
「あれ? もしかして俺のこと馬鹿にしてたりする?」
「違いますよ」
「本当にそうなんだよな? 俺信じていい?」
彼は食事をしながら喋っているのに、何かの物語のワンシーンみたいだ。
何故彼は何をしても様になるのだろう。
私は最後にバケットを口に入れて、食後の紅茶を一口嗅いだ。海の色から、柑橘系の香りがするのがなんだかおかしい。
「このお茶は何ですか? とても綺麗な色ですね」
「マリンオレンジの紅茶でございます。お口に合ったなら何よりです」
なんだか思った以上にそのままの名前で拍子抜けしてしまった。
名づけた人もこの紅茶を飲んで私と同じように思ったに違いない。
「気に入ったのか?」
「ええ……とても香ばしいシトラスの香りです。こんなに鮮やかなブルーの紅茶なのに」
「そっか、それはよかった」
彼はにっこり笑って、また一口コーヒーを飲んだ。
暗い苦みを持った香りがする。
朝にコーヒーを飲むのは紳士の嗜みだそうだ。
でも朝以外はそんなに飲まないところを見ると、コーヒーそれ自体はそれほど好きではないらしい。
「悪いんだけど、ちょっとだけ書類仕事していいか? 午前中に終わらせるよ。その間、お前はここの探検でもして待っててくれ。それで、午後からハイキングにでも行こうぜ」
「お仕事ならお手伝いしますよ」
「いや、なんでもかんでもお前任せじゃ俺も成長できないというか、立つ瀬がないというか……頑張りたいんだよ、俺も」
別に気にしなくていいのに、と思いつつ、たまには彼の自尊心も尊重してあげようとか、偉そうなことを思いながら私は頷いた。
「分かりました。ハイキングって、海を見に行くんですか?」
「ああ、そうだよ。綺麗な海なんだ」
彼はにこっと笑う。
綺麗な人だ。
人魚なんて見たことないけれど、彼は多分、彼らより美しいのだと思う。
「楽しみにしていますね」
私はそう言って笑い返した。
寮とは違い、部屋のベッドはキングサイズだ。
仮死状態に陥っているのかと疑うくらい寝相のいい彼はぴくりともしないで昨晩と同じ姿勢をしていた。
相当疲れていたのだろう。
ここはルシファー様が個人的に所有される別荘の一つだそう。
海岸近くの丘の上に立つこの木造の建物は鬱蒼とした森林の、木々の生い茂る地を一部切り開いて作られたものだ。
聖都の圧倒されるような白塗りの壁とは異なり、温かみを覚える柔らかで明るい木材で建てられている。
起こすのも気が引けて、私は彼を起こさないようにそっと立ち上がった。
しかしその僅かな仕草で彼は目覚めてしまい、眠そうな声で私を呼ぶ。
「んー、ぶらいどー?」
「あ、すみません。起こしてしまいましたか?」
彼はうーんと背伸びした。
「大丈夫、もう朝か……あー、良く寝た」
「昨晩はお疲れさまでした」
「うん、やっぱり何度乗っても空の旅は慣れないんだよな……お前は平気だったか?」
「飛行船……でしたっけ。私は大丈夫でしたよ」
彼はシャワーを浴びに行ってくると言って、そのまま着替えを持って行ってしまった。
私は朝からシャワーを浴びる習慣はない。
最初に彼に連れ出されたときの名残で、蒸しタオルで体を拭くのがルーティーンの一つになっている。
「おはようございます、ブライド様」
使用人の方が一人、私に話しかけて下さった。
丁寧にお辞儀されたのだが、少し気後れしてしまう。
「あ、えっと、おはようございます。その……様というのは呼ばれ慣れませんね……」
「慣れていただかなければ困ります。私共にも立場がございますので」
そう言われてしまうと無理にやめてくれとも言えず、私はそうですかと致し方なく受け入れる。
すると彼女は小さく微笑み、私に蒸しタオルを差し出した。
「お気遣いありがとうございます、どうぞ」
「えっ……ありがとうございます」
何故私がこれを欲していることを知っているのだろうか? 彼から聞いたのかな。
私はそれを受け取って、タオルで体を拭いて着替えた。
リビングに出ると、彼は朝食を食べていた。
何度も見ているけれど、彼の食事は何度見ても美しい。
教科書とかに載ってそう。惚れ惚れする上品さ。
「今日も可愛いな、ブライド。スクランブルエッグよりも眩しいよ」
「……はい」
なんと言えばいいのかがよく分からず、私は曖昧に笑ってそう言った。
彼はとても綺麗な人だけれど、たまに言葉のチョイスに疑問を感じる。
彼は何であれ取捨選択が苦手なのだ。
こういうところがモテない原因だろう。
私が好きなところでもある。
「たまには俺以外の料理も食ってみろよ、たまに食う分には美味しいから」
「ブロウ、貴方はもう少し言葉の選択というものを覚えた方が良いと思うんです」
優しいはずの料理人の方が殺意の篭った視線を送ってきている。
彼は無自覚に人に嫌われるタイプだ。
優しいところもあるんだけど、同じくらいデリカシーもあったら良かったのに。
いや、このままでいいのかな。人には一つか二つくらい欠点があった方が良いと思うし。
私は彼の目の前の席に座った。
一枚のプレートに収められた朝食は、確かに彼の言う通り美味しい。
「大丈夫か?」
「えっ?」
「ぼんやりしてるように見えたから」
「貴方じゃないんですから、ぼんやりなんかしていませんよ」
「あれ? もしかして俺のこと馬鹿にしてたりする?」
「違いますよ」
「本当にそうなんだよな? 俺信じていい?」
彼は食事をしながら喋っているのに、何かの物語のワンシーンみたいだ。
何故彼は何をしても様になるのだろう。
私は最後にバケットを口に入れて、食後の紅茶を一口嗅いだ。海の色から、柑橘系の香りがするのがなんだかおかしい。
「このお茶は何ですか? とても綺麗な色ですね」
「マリンオレンジの紅茶でございます。お口に合ったなら何よりです」
なんだか思った以上にそのままの名前で拍子抜けしてしまった。
名づけた人もこの紅茶を飲んで私と同じように思ったに違いない。
「気に入ったのか?」
「ええ……とても香ばしいシトラスの香りです。こんなに鮮やかなブルーの紅茶なのに」
「そっか、それはよかった」
彼はにっこり笑って、また一口コーヒーを飲んだ。
暗い苦みを持った香りがする。
朝にコーヒーを飲むのは紳士の嗜みだそうだ。
でも朝以外はそんなに飲まないところを見ると、コーヒーそれ自体はそれほど好きではないらしい。
「悪いんだけど、ちょっとだけ書類仕事していいか? 午前中に終わらせるよ。その間、お前はここの探検でもして待っててくれ。それで、午後からハイキングにでも行こうぜ」
「お仕事ならお手伝いしますよ」
「いや、なんでもかんでもお前任せじゃ俺も成長できないというか、立つ瀬がないというか……頑張りたいんだよ、俺も」
別に気にしなくていいのに、と思いつつ、たまには彼の自尊心も尊重してあげようとか、偉そうなことを思いながら私は頷いた。
「分かりました。ハイキングって、海を見に行くんですか?」
「ああ、そうだよ。綺麗な海なんだ」
彼はにこっと笑う。
綺麗な人だ。
人魚なんて見たことないけれど、彼は多分、彼らより美しいのだと思う。
「楽しみにしていますね」
私はそう言って笑い返した。
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