記憶を失い孤島に漂流した僕は、とある狩人に救われました。――神域結界のはぐれ者

白夢

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#4 家族

34 教会

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 聖都に着いた時、ジャックは、私に研究所を再び渡すと言った。

 私は断ろうとしたが、ジャックは「研究所のためなんだ」と私に言った。


「生憎、研究所の奴らは俺のことが気に食わないらしくてさ。このままじゃ空中分解しそうなんだよ」

 お前の業務も減ったことだし、とジャックは言った。

「ただしレビィ、週末には教会か軍の方に顔出せよ? いいな?」
「……」
「レビィ、返事」
「……分かった」
「よしいい子だ、可愛いな本当にお前は」
「私は可愛いわけではない」

 アインもそうだが、ジャックは些か私のことを子供扱いしすぎなのではないかとたまに思う。

 それどころか、近頃はむしろ犬か何かと思われている節がある。

 別に私はどう思われようと構わないのだが、少なくとも見た目の上では十年ほど年上の男に対してこうもベタベタすることに抵抗はないのだろうか。


「なんか……」

 アインは、そんなジャックを見て呟く。

「……いや、何でもないけど」

 何かが引っ掛かったようだったが、彼女は何も言わなかった。

「どこか気に入った街はなかったのか? そこで暮らしても構わないが」


 色々な街を回るジャックに付いてきたので、それなりに長い間滞在した場所もある。

 私は、できる限り彼女に快適に生活してほしくてそう言ったが、彼女は「別に」と平らな返事を返した。


「アタシにとってはどこも同じだよ。アンタがいるか、いないかってだけで。どっちかといえば、アンタのいる街の方が、アタシの好みだけど」


 私たちは、聖都に到着したその足でルシファーの待つ教会に向かうことに決めていた。

 軍の総司令部がある施設で解散の運びとなったのだが、その施設は教会からさほど遠くない。


 本当ならブロウと実験体5924も一緒に行く予定だったのだが、ブロウが帰路で体調を崩してしまったので、療養のために早く帰るそうだ。

 全く、アレは本当にどうしようもない。


 ということで、私とアインは二人、正午の聖都を歩いていた。

 懐かしき聖都は四年の時を経ても、それほど変わってはいなかった。

 すでに完成されたこの地で、創造は生まれない。
 変わらず道は綺麗に清掃され、建物は整然と立ち並び、荘厳な鐘の音が響く。


「なんていうか」

 アインは周囲を見渡し、静かに言う。

「……何もない、場所だね」
「何もない?」

 そんなことはない、と私は言った。


 教会を中心にし、美しく放射線状に区切られた区画には計算されつくした建築物が設計されている。
 影の一つもなく、光に満たされている。

 その地下には神域結界を守護するための紋が描かれており、そもそもこの聖都は、そのために設計されたのだ。

 この聖都には、この国の誇る全てがある。


 快適な住居、賢者の会議場、美しいモニュメント、透き通った水、有り余る金属、堅牢な橋、麗らかな広場、管理された市場。

 そして何より完璧な、その街をいやこの国を、守護する教会。


「聖都は、この国にある他のどんな街よりも完璧な街だ。完全に統制され、安全で、豊かだからな。選ばれた者しか住めないし、限られた者しか入れない」

 しかし、アインは私が今まで見たことがないくらいに悲しい顔をして遠くを見ていた。


 放射線状に真っすぐ抜けるような道は、恐ろしく見通しがいい。

 その先にある教会の、それよりも先を、彼女は見ているようだった。


「……それに、何の意味があるっていうの」

 その声は酷く悲しげで、虚ろで、儚く、私はいっそ怖くなってしまって彼女を見て、その手を強く握った。


「どうした? 何かあったか?」
「……ううん、何でもない。あれが教会でしょ」

「そうだ。とても美しい建造物だろう。……すまない、お前には見えないか」
「ううん、見えるよ」

 彼女は私を安心させるように笑って、しかし、その表情をすぐに陰らせて、そう言った。


「見えるよ。すごく……うん。きれい、なんじゃない」

 どうにも歯切れが悪い。
 私は少し気になったが、彼女は「早く行こう」と私を急かした。

 確かにこんなところで突っ立っていても時間を浪費するばかりだ。私は彼女に従って歩く速度を上げる。

 そこにはすぐに着いた。
 荘厳な門、いつ見ても気圧されそうになる。


「……ここが教会、か」
「そうだ。神域結界の中心にある」
「へえ、そうなんだ」

 アインは教会を見上げていた、そしてその視線は、教会の遥か上にある空を見ていた。

 その表情は険しく、苦虫を嚙み潰したようだ。


「……ここは賑やかなとこだね」

 アインはしばらく黙ってから、それだけを絞り出すように呟いた。


「賑やか?」

 清浄な空気の漂う教会を賑やかとは思わなかったが、感じ方は人それぞれだろう。

 アインはずっと誰もいない島で過ごしていたし、人の動く気配だけで、騒がしいと感じるのかもしれない。


「行こうか」
「……うん、分かった」

 緊張しているのか、アインの声は固い。
 彼女が緊張するなんて、珍しいことだと思った。


「この奥だ」
 アインは何も答えない。
 それについては、珍しいことではなかった。

 教会に初めて足を踏み入れた者は、大抵無口になる。


 私とアインは、白い紙の上に敷かれた透明なガラスのタイルを、コツコツと音を立てて歩く。

 アインの足音は不規則だ。未だ傷は深い。心が痛い。


 静寂だけが満ちている。

 教会の中には、誰もいなかった。


 私とアインは広い教会の中を、互いに会話もないまま歩く。

 やがて目的地に辿り着きそっと扉を開けると、眼前に礼拝堂が広がった。

 まるで神の嘆息のように、キラキラした光がステンドグラスから降り注いでいる。


 その空間には、質素な金属質のベンチが整然と並べられている。

 その一つに、ちょこんと腰掛けて、俯いて祈っているルシファーの後姿が見えた。


 心臓が跳ねた。
 
 それは久しぶりに見た兄の背中であったが、私はむしろ、親愛なる主の無事に安堵している自分に気が付いた。


 その小柄な体は、広大な空間の中で一層小さく見える。

 彼以外には誰もいない。
 そして彼は、目立たない位置に座って微動だにしない。


 私はゆっくりとルシファーに近づいた。
 アインは私の後をついて歩いた。

 ルシファーの真横に来たくらいに、彼は目を開いて顔を上げ、私の方を見た。


「おかえり、レビィ」


 久しぶりに見た。
 優しく垂れ下がった目元、微笑みを湛える口元、幼い顔。

 自然と涙が流れた。
 その風貌は、四年の年月を経ても、何一つ変わりはしていない。

 ごく自然に傅いた。
 ルシファーもそれを咎めなかった。


「待っていたよ」

 ルシファーは立ち上がって両手を広げて、私を抱きしめた。
 小さくて軽い体、この世界で最も重く、尊い命を抱く器。


「……すまなかった。役に、立てなくて」
「君が生きて帰って来てくれた、それだけで私は十分だよ」

 ああ、そうだ。
 この兄は、いつだって不肖の弟をこうして庇ってくれたのだった。
 ルシファーはそうしてから、ゆっくりと私から離れた。

 そして彼はアインを見上げた、アインはルシファーを見下ろしていた。


「やあ、アインくん」
「……ああ、そう」

 その表情には、温度がなかった。

 アインの感情だけは読み取れると私は思っていたのだが、それは間違いだったのかと思うほどにその表情は冷淡で、そしてどこまでも平坦だった。


「大切な私の弟を助けてくれたそうだね、感謝しているよ。立場故に、礼を尽くせないこと理解してほしい。この椅子は、少し窮屈なんだ」

 一方のルシファーは笑っている。
 いつもと変わらない、優しい笑顔だ。


「……アンタがルシファーなの?」
「ああ、そうだ」
「……」

 アインの表情は、どちらかといえば嫌悪しているように見える。
 私には、その理由が分からなかった。


「……アインくん。私と話してくれないか。二人で」
「アタシには、アンタと話したいことなんて何もない」
「……頼むよ、お願いだ」

 ルシファーは懇願しているようにさえ見える。

 それは本当に珍しいことだった、この国ではルシファーの願いは、何よりも優先して叶えられるのだから、ルシファーは懇願などする必要は一つもない。


「アタシには、アンタの頼みごとを聞く義理なんてない」

 しかしそんな稀有な懇願に対して、アインは冷たくそう言い放つ。

 二人は面識があるのだろうか? いやしかし、そんなはずはないと思うのだが。

 もしそうなら、アインは私がルシファーの話をしたとき、多少なりとも何か言ってくれたはずだし、それに何より、アインはずっとあの島で生活していて、聖都はどころか、大陸にすら訪れたことはなかったのだから。


「……」
「……」

「……ルシファー、一つだけ聞かせてくれる?」

 長い沈黙の後、アインは酷く冷徹に聞こえる声でそう言った。


「何でも聞いてくれ。一つと言わず、いくつでも」
「アンタは、後悔してる?」

 ルシファーは笑顔のままだった。しかし、そう、間違いであったかもしれないと思うほどには自然に、笑顔のままに泣いていた。


「しているとも。これ以上ないほどに」

 その涙はまるで夢みたいに彼の頬を伝い足下に落ちた。

 石像に流れる雨のように空虚で、それは涙というよりただの水に過ぎないようにすら見える。


「何を?」
「全てを、かな」
「つまりアンタは、全部間違えたんだ」
「そうだね、その通りだ。弁明などしないし、とてもできない」
「じゃあどうするつもり? アンタのせいで失われたものを、どうやって取り戻すの? アンタのせいで変わってしまったものを、どうやって元に戻すの?」

 ルシファーは何故か、私を見た。

 その目は慈愛に満ちていて、それはまるで、傷ついた小鳥でも見るような目だった。


「……戻らない。何も戻らないさ」
「それは良かったね」

 アインは皮肉を込めて吐き捨てた。
 何の話をしているのか、全く分からなかった。

「……でもね、アインくん。私はそれでも精一杯努力しようと思っている。この国は恐ろしいほど様々なものを失い、人々は豹変した。失われたものを取り戻すことも、変わったものを元に戻すことも私にはできない。それでもせめて、新しいものを創造し、人々を安らかな方向へと導く。それが私のできる、最大で最高で、唯一の償いだと思っているから」

「そう。確かに、今までのアンタの行為よりはいくらかマシみたいに見えるね」

 アインはそう言ってから、少し悩んだ。
 少し悩んでから、私を見て、再びルシファーに向き直る。

「いいよルシファー。アンタがそう言うなら、少しくらい話してあげても」
「ありがとう、恩に着るよ」


 ルシファーは本当に安堵したようにそう言った。

 珍しいことだと思った、ルシファーはまるで許されたように見えたからだ。
 ルシファーはいつも、許す方なのに。


 アインはまるで知っているかのように歩き出した、それをルシファーは追いかける。
 それもまた、私の知らない二人の姿で。


「待て、アイン……話が見えない、何のことを言っているんだ?」

 私はそう言って彼女を呼び止めた。
 彼女は立ち止まって振り向いたが、私にその場で待っているように告げた。

「……アンタは知らない方がいいよ、レビィ」

 そして彼女は、また歩き出す。
 私はそんなに未熟だろうか。ただ悔しかった。


 まるで有害な情報から幼い子を守るような彼女とルシファーの抽象的な会話と、そしてあまりにも容易くそのフィルターに弾かれてしまう自分が。

 どうしようもない不安と焦燥と、幼稚な苛立ちを感じてしまう。


 ああ、早く大人になりたい。

 そんな風に思うことこそ、私が未だ子供である証なのだろう。
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