第六監獄の看守長は、あんまり死なない天使らしい

白夢

文字の大きさ
35 / 55

35 最後通告のギブアップ

しおりを挟む
 いつの間にか寝ていた。
 咳き込むと同時に、喉元から大量の水が溢れ出し、吐き出す。

「ゴボッ、ゲホッ、は、ハァ、ゴハッ」

 際限なく溢れてくる水に、溺れそうになる。
 吐き出そうとするが、苦々しく、いつまでも、重い。

 俺はふらふらと立ち上がり、シャワー室に閉じこもる。

「……」

 ビシャビシャと足下に水が吐き出され、広がった。
 真っ赤な視界が揺れて、俺は崩れ落ち、その場に座った。


「……」

 口からドバドバと透明な液体が流れ続ける。
 
 両眼、鼻腔、耳、口。


「……」

 体が拒絶している。
 魔に染まった肉は、聖なる存在を受け付けない。

 激痛に似た悍ましいほどの吐き気。
 何度も繰り返している。


「……」


 聖水、こんなに使ってたんだな。

 俺は他人事のように思った。


「……」

 俺の身体は人間で、その魂は半分天使で半分悪魔。

 聖水で力を得るくせに、その聖水が受け付けない。

 限界まで溜め込んで、こうしていつも吐き出すことになる。


「……はぁ」

 いつものように溜め息を吐く。
 誰かが言っていた。「不死は祝福ではなく怨呪だ」と。俺もそう思う。

 死なないことは、尊重されないことを意味する。
 誰よりも自分自身が、自分の身体に無関心になる。

 殴られても刺されても、どうせ死なないのだからと、やがて痛みすら感じなくなっていく。


 傷は癒える。
 今傷ついているのかどうかすら、分からなくなる。


「……終わったか」

 俺はシャワーを浴びて、タオルで体を拭き、着替えて寝室を出た。


「……おはよう」

 官吏が俺の方を向いて言った。


「……」
「彼女は眠っている。さっきまで君を待っていたが、限界だったようだ」
「……」

 官吏の言う通り、594はソファにしなだれかかって眠っていた。
 その頬には乾いた涙の跡がある。


「お前は寝ないのか?」
「私はショートスリーパーだからな」
「……そうかよ」

 俺は書類を取り出して、テーブルに置く。
 死んだ看守の処理をしなければならない。


「看守」
「……何か用か?」
「酷く傷ついているようだ」
「……いつものことだろ」
「ああ」
「……」

 何が言いたいのか分からない。


「……君は長い間、私に尽くしてくれたな」
「これからもそうだ」
「ああ、そうかもしれないが、私は……近く君の元を去るかもしれない」
「亡命でもするのか?」
「亡命、か……」

 冗談のつもりだったが、官吏は思った以上に深刻そうだった。
 俺は手元の資料から顔を上げて、官吏を見る。


「……そういえばお前、矯正長の兄だったのか?」
「ああ……聞いたのか。そうだ、私にとっては弟だ」
「仲はいいのか?」
「誰から聞いたか知らないが、仲が良いと思うか?」
「……知るかよそんなの」
「私の忠実な傀儡の一人だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……傀儡、ね」

「昔、小さな悪戯をした。それを窘めてやった以来、私には決して逆らわない。実に素直で臆病な子だが、君ほど優秀とはいえない」

 官吏は無表情で言う。
 

「そういえば、矯正長にしてやったんだったんだったな。忘れていた。お前を虐めたか? そうするなと言っておいたんだが」
「……いや、別に」

 忘れてたのか。
 いや、これも本心で言ってるかどうか謎だが。

 一方官吏は明らかに見透かしていて、眉をひそめる。

「痛めつけたのか? 愛すべき家族を。全く……忠誠が揺らいでいるようだな」
「……」
「……」
「……え? 俺に言ったのか?」

「君に言ったのではない。あの子は今も見ているだろう。あの子には、そういうところがある。聞こえているのなら、自分を罰せずにはいられないはずだ」

「…………」

 そんな、逆らえないって、そんなレベルで逆らえないのかよ。
 怖すぎるだろ。元実験体の俺よりも非道な扱いを受けてそう。


「あの子には素質があったのだ。実に愚かで……あの子も『愛されたい』のだろうな。私に逆らうとどうなるか、私はあの子に報せてやった。あの子は世界一敬愛していた両親を、目の前で無惨にも失ったのだ。不幸な事故だった。そう……それは実に幼い反抗心だった。今思えば、あそこまで咎めることはなかったかもしれないな。当時は私も若かった。私はあの子に家庭を持つように言った。そうすることで、あの子は決して私に逆らわないようになった」

「……」

 弟に対してその扱い、官吏って生粋のサイコパスなんだな。


「あー……そうなんだ。なんで俺にはそうしなかったんだ?」
「私が君に交際を勧めたのは、君の精神的な支えになればと思ったからだ」

「本当だろうな?」
「何故嘘をつく必要がある? 君に脅迫は逆効果じゃないか」
「……そうだな」
「君は天邪鬼だからな」

 官吏は穏やかに微笑み、静かにそう言った。
 普通に怖い。
 
 
「それで、お前はどっか行くのか?」
「いや、私が行くのではない。君に勧めている」
「俺が異国に? 魔界のお姫様が結婚相手でも募集してんのか?」
「それを言うなら、相手は王子だった。しかしもう何十年も前の話だ」

 募集してたのかよ。
 募集するなそんなもの。王子様の恋人くらい自国で見つけろ。


「……そうじゃないなら、何なんだよ」
「君は自由に生きたいと言っていた。昔からそうだった」
「昔の話だ。今は思ってない」
「……そうか?」
「ああ。どこにいても、俺が化け物だって事実は変わらないしな」
「……」

「ここで看守をやってるのが、俺にとっての幸せなんだよ。看守になるのは、昔からの夢だったんだ。天職だと思ってる」
 
 俺は明るくそう言ったが、官吏は深刻な顔をして、俺を見ていた。

 
「……私は、君に国を出てほしいと思っている」

「だから、なんでなんだよ。俺が消えたらこの国はどうなる? 銀の弾丸だって、そう簡単には作れない」

「君にも愛国心があったとは驚きだな」

「ねーよそんなもの。何なんだよお前は。俺はお前に使われる道具だって言ってるだけだろ?」

「……」

「なんで不満げなんだよ。嫌々従っててほしいってことか? 俺みたいな性癖しやがって」
「私は性的興奮を目的として君を支配しているわけではない」
「少しくらい興奮しろよ」
「君がそう言うなら善処しよう」
「やめろよ」

 自分で言って何だけど、どう善処するんだよ。媚薬でも飲むのか?
 いや、いっつもエナドリ飲んでるし、精力剤くらいはもう飲んでるかもしれない。

 ……お前、ショートスリーパーじゃなくてカフェイン中毒で寝られないだけなんじゃないのか?


「とにかく、俺は今まで通りお前に従うからな。普通に仕事も続けるし、お前の研究所も取り戻して……」

「もう、私の研究所ではない」
「……は? もしかしてクビになったのか? 官吏じゃなくなったってことか?」
「そういえば、君は私を官吏と呼んでいたな。これからは『青年』とでも呼ぶか?」

 官吏は肩を竦めて笑う。
 なんか様子が変だと思ってたら、とんでもないことになっているようだ。
 

「は? おい嘘だろ? お前、失脚したのか?」
「容赦ないな」

 官吏は飄々としているが、俺は思わず目を見開く。

「は……馬鹿、奴らは馬鹿なのか? 後任は?」
「さぁ、どうだろうな。少なくとも私は知らん」

「お前が研究の第一人者だっただろ! ヴァンピールの治療はどうなったんだよ? 奪還作戦は?」

「知らないな。今はどうなっているのやら」
「……おい誰だその判断をしたのは」

「さぁな。私の知らない間に開かれた議会で決まったようだ。私を疎む者は多い」

「締め出したのか!?」
「あまり大きな声を出すものではない、可愛い伴侶が起きるぞ」
「……まだ伴侶じゃない」

 俺は言いようのない怒りのような、呆れのような、絶望のような感覚に包まれ、また座った。


「君は看守の座を気に入っていたのに、すまなかったな」

「……いいよ別に、俺のことは……もうそろそろ首切られそうだし。でもお前は……なんでそんなことを許したんだ?」

「警戒はしていた。常に三時間以上は眠らないように気を張っていた。だが、気が緩んでしまったのだ。議会の名を冠するからには、そんなやり方はすまいと思っていたのだが」

「それで俺に、亡命しろって?」
「ああ。やはり暴力は、何も生まないのかもしれない」

 と、官吏は教科書みたいなことを言う。
 

「何なら、もう一回クーデターでも起こすか? 今度は俺の名前を使え。俺が先導すれば負けはないだろ。軍事クーデターなら、前ほど難しくない」
「今の大臣達も、ほとんどが四十未満だ。次世代はティーンエイジャーになるだろう」

「それでもいい。焚きつけてやれば……公爵の血筋で残ってるのは?」
「姪がいるが、閉鎖病棟に幽閉されている。実に哀れな娘だ。看守、もう止めないか。きりがない。例え私が公爵になろうと、この国を立て直せる気がしないのだ」
「弱気だな、お前らしくもない」
「君こそ、今日は私の肩を持つんだな。珍しい」
「……」

「隣国に渡ることは考えておけ。今まで通りの生活は難しくなるかもしれない」
「お前はどうするんだよ」
「私はこの国と共に沈むとしよう。こんな場所でも、私の故郷だからな」
「……だったら俺も残る。俺はお前に飼われてんだよ、官吏。お前がいなきゃ逃げる意味もない」
「そうか」

 官吏は少し笑った。


「そうだった。君は昔から、そういう子だったな」
「……お前がそう躾けたんだろ」

「そうだな。昔君が言っていた通り、奴隷商は私の天職なのだろう。地獄で営む家業が決まったな」
「地獄で商売すんな」
 
「そういえば、君は地獄に行ったことがあると言っていたな。どんなところなんだ?」
「地獄には行ったわけじゃない、見ただけだ。なんだ急に、幻世に興味が湧いたのか?」
「そういえば、そういう話をしなかっただろう? こちらの話ばかりしていた」
「お前が興味なかったからな」
「聞かせてくれないか?」
「なんでお前、そんな話……」

「君の言う通り、この機会に仕事を辞めようと思ってな。君には迷惑かもしれないが、私もいい歳だ。老害というのも、あながち間違っていない」

 官吏はそう言って柔らかく笑った。
 その笑顔には、何かから解放されたかのような、憑き物が落ちたような、そんな爽やかさがあった。

 しかしその視線は空虚で、俺はそれが嫌だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...