第六監獄の看守長は、あんまり死なない天使らしい

白夢

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37 バイバイ、元気でね

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「……本日から勤務に戻りますので、ご挨拶に参りました。矯正長」
「そうか。ご苦労」

 謹慎が明けた俺が矯正長様に挨拶に行くと、彼はまるで何もなかったかのように、クールに応対してくれた。
 

 あれは悪い夢だったのだろうか。
 確かに、考えてみると、ネイルガンで部下を磔にして、テーザーガンで拷問するような人格破綻者が矯正長なわけがない。そりゃそうだ。

 襲われても抵抗できるように、一応念のために防刃の服を着てきたのだが、そういうことは発生しないようだ。
 ああ良かった。
 
 
 そんなこんなで、俺が喜んで早速職場に向かおうとしたところ、矯正長は、さも当然のように小さな紙袋を渡してきた。
 あまりにも自然だったので、俺はその紙袋を普通に受け取って、なんとなく流れで、その中身に目をやった。
 
 その中には、カードくらいのサイズの一枚板が入っている。
 そしてその板には、なんか見覚えのある釘が刺さっており、その釘は、何やら人間の爪のようなものを貫通し、留めていた。

 
「……」

 なんだこの趣味の悪いオブジェは。
 呪物か?
 
「兄に渡せ。私が用意した、信頼の証だと言え」
「……はい」

 呪物だった。
 やっぱおかしいよこの人。

 
「私は、兄の意に背くようなことは決してしない。ただ忠実に従うまでだ。兄には、『不肖の弟は、主の首をも差し出す覚悟だ』と、必ず伝えろ」
「……はい。承りました」

「恩赦の件だが、私の方で処理しておく。お前は何もする必要はない。第六監獄については、臨時の人員を送る。処刑までの手順を簡略化するつもりだ」


 何も言わない内から、矯正長はつらつらと述べて言う。

 恐らく俺の部屋にも監視がついているのだろう。今までもそうだったんだろうけど、それを隠すつもりがなくなったらしい。


「感謝申し上げます」

「処罰については見送りとなった。看守長とはいえ、防ぎようのない厄災であったと議会で承認された。喫緊の課題は、事態の収拾だ」

「ありがとうございます」
「せいぜい期待を裏切らないよう、尽力したまえ」


 結局この人が俺の味方なのか敵なのか、判断に困るところが少しある。

 官吏は絶対に支配できてるという自信があるみたいだが、万が一にも正気に戻れば、官吏を殺しにかかるだろう。
 そもそも彼は官吏の弟だ。
 血を分けた弟よりも、養子の俺を優先してくれるとは限らない。
 ……いや、官吏の性格なら、利用価値の高い俺を優先するかもしれないけど。


 俺は一礼して、部屋を去ろうとした。

 しかしそこで、何故か矯正長は立ち上がり、歩き出す。
 どうやら左足を引きずっているようだが、まさかこの爪、自分のだったりしないよな?
 いや、他の人のだったとしても、それはそれで怖いけど。
 
 っていうかこの兄弟は、信頼の証に人間の爪を贈るのが当然の文化なのだろうか。
 俺は信頼の証に生爪の標本が贈られてきたら、そんな馬鹿野郎とは縁を切る。


「看守長」

 と、矯正長はいつの間にか不自由な足で扉の前に立ち、ノブに手をかける。

「困ったことがあれば、何でも言うといい。力になろう」
「……ありがとうございます」
「いつも見守っている」

 そう言って、矯正長は部屋のドアを開けてくれた。

 今一番困ってるのは、この湿度高めの矯正長なんだけど、力になってくれるかな。
 まぁ、正直にそう言って、何かいいことが起きるとはとても思えないから言わないけど。

 

 どうやら他の監獄にヴァンピールが潜り込んでいたなどということはなかったらしく、他の監獄はいつも通りに動いている。

 例の惨状は囚人も知っているが、詳細は知らされていない。

 それでも明らかに人が少なくなったと囚人に感づかれれば面倒なことになるので、今は他の監獄から人をかき集めている。


 第六監獄に戻り、執務室を開けると、埃っぽい匂いと同時に、しかめっ面の男が見えた。

「どうも」
「元気か?」
「えぇ、お陰様で」

 例の監獄医だ。
 彼は偶然にも割と早い段階で俺に出会い、全てが終わるまでシェルターに隠れていたので、奇跡的に無傷だ。
 非武装の職員はほぼ死んだので、かなり貴重な生き残りといえる。
 
 こうして元気に出勤している姿が見られるなんて、ちょっと嬉しいな。


「それは良かった。死亡確認の仕事は順調か?」
「……それ、面白いと思ってるなら止めて下さい。つまらないので」

 監獄医は冷たく言い放ち、俺に何か書類を渡した。

 
「これは?」
「辞表です。受理して下さい」

 と、監獄医は硬い口調で言う。
 
 
「ジョークのセンスが合わないからって、辞めることはないだろ。まずはハラスメント相談窓口に行ってくれ。まだ機能してるかどうか知らないが」
「そんなものがあったとしても、使う馬鹿はいません」

 と、監獄医は肩を竦める。いつにも増して強気だ。


「帝国に幼い娘がいましてね。親戚の伝手で、預けてるんです。公国は俺の故郷ですが、あの子のウェディングドレスを天国で見るのはごめんなんですよ」
「どの面下げて天国に行こうとしてるんだ、お前は?」
「俺が何のために医者をやってると思ってんですか。天国にくらい行かせてもらわなきゃ大損です」

 と、監獄医はもう一度書類を突き出す。
 確かにその封筒には「退職願」と記載されていた。


「亡命するつもりか?」
「言質を取ろうとしてるなら無駄ですよ。帝国に娘がいるって言ってるだけで、別に俺が行くって言ってるわけじゃありませんから」
「そうだな」

 俺はその場で書類の封を切り、中の書類に軽く目を通す。


「不備はありませんよね?」
「これ、どこで貰った?」
「……前の職場ですよ。看守長がご不在だったので」
「そこの事務員は信用しない方がいい。印紙の朱印が偽物だ」
「え?」

 監獄医は慌てたように俺から書類を取り返す。

「……そうですか? どこが?」
「悪いが管理職にしか分からない。教えたらお前を消さなきゃいけなくなる」
「……そうですか」

 俺は振り返って自分の背後の書類棚から引き出しを引っ張り出し、その中から退職届を取り出した。

「ほら」
「……えっと」
「そこで書け。すぐに終わるだろ」

 俺は監獄医にペンを差し出しながら言う。
 監獄医は、しばらく虚を突かれたようなアホ面を晒していたが、頷いて、書き始めた。
 
「……」
「……」

 監獄医は武骨な指に似合わない、女みたいな綺麗な字を書く。
 その綺麗な字には、『主たる死因:出血性ショック死』なんて物騒な文字があまりにも似合わなくて、ちょっと面白かった。


「……どうぞ」
「ああ」

 俺は書類を受け取って内容を確認し、監獄医が持って来た封筒に戻して入れて封蝋をした。『受理』の証だ。


「長い間、苦労をかけたな」
「……どうも」

 監獄医は、少し驚いているようだった。

「……いいんですか?」
「いいんですかってなんだ。懲戒免職の方が良かったか?」
「いや、難癖をつけて断られると、聞いてたので」
「なんだ、俺よりも信頼してる奴がいるのか? 妬かせてくれるな」
「……そうじゃないですけど」

「辞めたいんだろ? 治安維持隊に通報されたくなければ、余計なことは言わずに、さっさと出ていけ」
「……そうですね」


 監獄医は妙に歯切れが悪い。

「……看守長は、いないんですか。お子さんとか」
「いないな。それがどうした?」
「そういえば、そういう話をしたことがなかったと思って」
「ほとんどラリって化学式の話ばっかりしてたからな」

 どうやら、監獄医は何かを迷っているらしかった。
 でも俺は首を傾げて、気が付かないように装った。


「……あの、看守長」
「なんだ、お前は暇なのか? 俺はそうじゃない」

 俺は引き出しから書類を取り出し、ひらひらと手を振って追い出すような素振りを見せる。


 しかし監獄医はそこを退かず、囁くように低い声で、俺に尋ねた。

「……アンタと俺は、友達ですか?」
「……」



 この監獄医は、例の如く俺のことを舐め腐っている。

 俺と歳が近く、酒と薬が好きだった。
 前の看守長とつるんで囚人にドラッグを売りさばいていて、代替わりした後も似たようなことを持ちかけて来たが、俺は蹴った。
 お前のせいで稼ぎが減ったんだ、などとふざけたことをぼやいていた。

 ――どうせその金は、酒に消えるんだろ。
 ――そうですね。だから今の方が、手間も危険もなくていい。

 要するに俺と監獄医は、互いにアルコールとドラッグを交換するような仲だった。



 俺は顔を上げて、彼の目を正面から見つめた。

「いいや。お前は監獄医で、俺は看守長だ。それ以上でも、それ以下でもない」


 俺が594を気に入ったと言った時、監禁しろと言ったのはこの監獄医だ。
 それは恐らく、アルコール中毒でドロッドロに溶けた脳みそが言わせた妄言だった。

 ――なんなら、死亡確認書でも書きましょうか? アハハハ。

 こんなときですら、バッキバキにキマった瞳孔しか思い出せないあたり、まともな関係じゃない。


「……お世話になりました」

 監獄医はまだ何か言いたそうだったが、気を取り直し、俺の気が変わらない内に、一礼して歩き出した。

「……」
「……」

 そして、無言で部屋の扉に手をかける。

「……」
「……」


 扉を開けてからも、監獄医はしばらく動かなかった。
 しかし、俺が何も言わないので、振り向かず、背を向けたまま、少し悲しそうに呟いた。

「俺は嫌いじゃなかったですよ。アンタのジョーク」
「……」


 バタン、と無駄に大きな音を立てて扉が閉まる。

 寮の部屋みたいに、ここも静音設計にしてくれればいいのに。
 妙に古めかしいからいけない。



「……さよなら」

 俺は封筒に書いてある文字を、意味もなく眺めて呟いた。


 亡命が成功するにしても、失敗するにしても、俺はもう二度と、彼に会うことはないだろう。


 そうか。
 俺はもう二度と、あの几帳面な『死』の文字を見られないのか。


「……」


 永遠の別れ。
 これもまた、飽きるほどに癒えた傷だ。
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