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彼女は龍皇

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 最下層で、俺たちを出迎えた美女。

 どこか、ギルマスと似ていた。理知的な表情と細身な身体つきは正反対だが、全体として柔らかそうなところというか、もっと、はっきり言ってしまうなら――

「あのね、ムート……もう何年ぶりになるのかしら。私ね、ムート。私ね……」

――うん。この女性ひとも、爺さんに惚れてる。

「ああ、もう……私、どうしちゃったのかしら。あなたにお話したいこと、たくさんあるのに――」

 頬を赤らめて、非常に分かりやすくもじもじし始めた彼女だったのだが、改めて俺を見ると、すっと醒めた顔になった。

「で、この娘が例の?」

「ああ、あれ・・だ」

 美女と爺さんが、俺を見た。
 俺は訊いた。

「だ、だで? ご、こ、ごの、ひ、ひ、ひ……ひっと」

 本当に、この女性ひと、誰なんだろう?
 こんなところにいる時点で、只者じゃないのは確定なわけだけど。

「え……言ってなかったの?」

 どん引きだよって顔になる美女に頷いて。
 爺さんが言った。

「龍皇だ」

 龍皇――ってことは、あれか。
 あの龍皇か。

 なるほど。
 ダンジョンの最奥に棲んでるって聞くものな。

 龍にもいろいろあるが、最低レベルの種では単なる翼の生えたトカゲに過ぎない。それが上級種になるにつれ火を吹き、空を飛び、魔法を使い、人間の言葉を理解するようになり……と様々な能力が備わっていく。ざっくり表現するなら、猫又のトカゲ版とでもいったところだろうか。

 龍皇とは、その頂点にある存在だ。

 冒険者たちの話だと、ダンジョン最奥の寝ぐらから出てくることはまずなく、その姿を見たことがある者は、いまやエルフにしかいないらしい。最後に人前に出てきたのがあまりに昔過ぎて、目撃者はみんな死んでしまったのだ。

 その龍皇が、いま俺の目の前にいる。
 これってもしかして、人類レベルで貴重な体験なんじゃないだろうか。

 でも――爺さんが龍皇と知り合い?
 っていうか、龍皇に惚れられてる?
 っていうかいうか、龍皇が女性?
 っていうかいうかいうか、人間?

「ふんっ!」

 とりあえず、腹式呼吸で自分を落ち着けた。
 そのさまの、どこがツボに入ったのか。

「か、可愛い……なにこの娘、可愛いぃ~~~」

 俺を見る龍皇の目に、爺さんに向けるのとはまた別種の熱っぽさが灯った。
 再び頬を赤らめながら、

「ちょ、ちょちょ、ちょっと。ね? ちょっとでいいから。ちょっとで」

と、指を蠢かしながら近付いてきた。ワキワキっていうよりは、そよそよって感じの手付きなのだが、これはこれで不気味だ。

「抱かせて? 抱っこ。抱っこ。ね。ちょっとでいいから。ね?」
「だ、だだ、め、だめ」
「いいじゃないの、いいじゃないの~」
「!!」
「ほ~ら、捕まえた~」

 後ろから抱きかかえられ、俺は愕然、そして呆然となった。

 近付いてくる龍皇の動きを、いつもやってる通り『鎖』で読み、避けるつもりだった。しかし、伝わってくる情報が一瞬で乱れ、逆に、俺の動きを静止させたのだった。

『鎖』に誤情報を送った?
 いや、龍皇が行ったのはそれ以上。
『鎖』を通じて、俺の身体のコントロールを奪い取ったのだ。

「くんかくんか。この雄牝キッス的というか、野趣に溢れた香りがなんというか、もう、もう……」

 そんな変態に首筋の臭いを嗅がれながら、俺は思っていた。
 この女性ひとは、確かに『龍皇』だと。

 少なくとも、いまこの瞬間も俺の生殺与奪権を握っている、いつでも俺を殺すことの出来る、そういう存在――それほどの、圧倒的な強者なのだと。

「頼んだ……」

 爺さんはといえば、それだけ言って、奥の方へと消えた。

「ムート……私も、後で行っていい?」

 龍皇が訊く。
 返事は無かった――はずなのだが。

「も、もう……ムートったらあ。任せなさい! ご要望通り、しっかり、私がクサリちゃんを教育しちゃうんだからあ」

 と、はしゃぎ始める。
 そんな龍皇かのじょに、俺は訊ねた。

「きょ、ぎょお……い、いぐ?」

「あら、それも聞いてなかったのね。まあ、誰に会いに行くのかも教えてもらってなかったんだから、当然といえば当然でしょうね。ふふ、しょうがない人……クサリちゃん。あなた、学校に入るのよね」

「は、ばい、る」

「ムートの見立てだと、剣技と魔力は問題なし。学力的にも優秀。授業にはついていけるはず。ただし――」

 ああ、なるほど。
 なんとなく、話が見えてきた。

「――ただし、他人との会話能力が低すぎる。コミュ障という程ではないが、会話の経験値が低すぎるせいで滑舌が悪く、ボキャブラリーも使いこなせていない」

 会話能力についてだけ、やけに詳細というか、あの爺さん比較では長文レベルのコメントで、一瞬、本当かよとも疑ってしまったのだが。

「ぞお、とう、おり」

 龍皇の言った指摘は、俺自身も自覚してる通りのものなのだった。
 つまり、これから俺に施される『教育』とは――

「まあ、私が教えれば――2週間で人並みレベルには持っていけるかな。それで1ヶ月も経ったら『なんということでしょう!? そこには、詐欺師レベルのコミュ強KUSARIちゃんが!』ってところかしらね」

――他人との話し方、なのだった。

「任せなさ~い。ど~んと任せなさ~い」

 俺的に『信頼できない人間が言いがちな言葉ベスト3』というのがあって、それは『心配してます』『あなたのため』『任せなさい』なわけだが、どれだけ疑わし気であろうと、いまの俺に、逆らうすべは無かった。


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