上 下
22 / 57

VS亜龍(3)

しおりを挟む
 声を失う乗客たち。
 静まり返った車内に、少女たちの独白が流れる。

「わたしたちが虐められてるのを見たからって。だからだって――そう言って、あの人は、奴隷商人の館に1人で来たんです」

「あの人は、強い人なんですか?――確かに奴隷商人の護衛は、簡単に斃して。でも館の奥から出てきた人たちには、あの人の出した炎も水も、全部跳ね返されて」

 馬車の外、しゃがみ込むあの人ルゴシ
 その背中――魔導衣ローブに滲み広がる、赤。
 隠しようもなく、考えるまでもなく。
 それは、血の赤だった。

「なのにあの人は、わたしたちを庇って。何度も斬られて、蹴られて、殴られて、それなのに。いくつも使い魔を出して、闘って」

「思うんです――あの人ひとりだったら、きっと、もっと簡単に勝てたはずなのにって。あんな恐ろしい場所に、来なくても良かったのにって」

 ルゴシは、馬車に乗った時点で既に満身創痍だったのだ。

 魔導衣ローブを脱ぎ捨てた、裸身。
 斬られ、灼け、撲られた痕が、彼の激闘を物語っていた。
 同時に、亜龍族デミドラゴンの退治なんて、とうてい不可能だということも。

 彼の口元が蠢く。
『鎖』が拾い上げた声は、こうだ。

『我が血肉を……吸い上げ、蠱惑の蜜とせよ。群翅となり報せ……此処に在りし贄を。彼の者に……与えん…………我を』

 ルゴシの肌を濡らす血が、薄紅色の霧となり、彼を離れる。
 そして、宙を渡った――その先で。
 亜龍族デミドラゴンが、いまさら気付いたように、ルゴシを振り返った。

「わたしたち、助けてもらったんです。あの恐ろしい場所から。なのに……助けてもらったのに」

 ルゴシの周囲の地面が盛り上がり、そこから数体の影が現れた。
 あれが、少女たちの言ってた『使い魔』なのだろう。

 骸骨が数体、ルゴシの背後に浮かんでいた。

 彼らは魔導衣ローブを纏い、両手は鉤爪となっている。
 その鉤爪を、彼らはルゴシの背中に突き刺し。
 そのまま、ルゴシを宙へと吊り上げたのだった。

「それなのに、間違ってる気がするんです。わたしたちは、間違ってるんじゃないかって、思ってしまうんです」

 骸骨たちは、ルゴシを運んで遠ざかっていく。
 ルゴシに注意を惹かれてた亜龍族デミドラゴンも、それを追い、一歩踏み出す。

「わたしたちが、あの人を――良い人だと思う、素晴らしい人だと思う、感謝する、その気持が間違いなんじゃないかって思ってしまうんです」

「もしあの人が、同じだったらどうしようって」
「私たちを、攫った人と。私たちを、売ろうとした人と」
「檻の中の私たちを、嫌な目で見ていた人たちと――あの人まで、同じだったらどうしようって」

 一歩では止まらない。
 二歩、三歩。
 ルゴシに喰い付き引きずり下ろすため、亜龍族デミドラゴンが歩き出す。

「あの人は――あの人だけは、私たちを嫌な目で見なかった。嫌らしく触ったりもしなかった。これから、ニアランにいる信頼できる人のところまで連れてってくれるって。『『何かあった時』は、自分たちだけで訪ねてくれ』って『この手紙を持っていけば、大丈夫だから』って」

 骸骨が速度を上げれば、亜龍族デミドラゴンも走り出すのだろう。
 そして彼亜龍族が目的を達し欲望を満たした頃、結界は消え、馬車は既に走り去ってるに違いない。

「私たちは、良いのでしょうか? あの人を、良い人だと思って。あの人に、助かって欲しいと願う気持ちは――良いのでしょうか? 間違ってないのでしょうか?」

 問われて、ウィルバーが口を開いた。
 答えたのではない。
 俺に、問うたのだ。

「物言いこそ胡乱でありましたが――こちらが気恥ずかしくなる程の善人、と私には見えましたが。クサリ様の目には、如何に映りましたかな?」

 さて――どう答えたものか。

 ルゴシ=チクーナ。

 やつが最初に口を開いた瞬間、俺は、激しい既視感にとらわれていた。
 そして思った。『ああ、こういう奴か』と。

 A級冒険者にして金線級魔術師。貴族との付き合いも多いだろうし、自然と態度もそれにふさわしいものとなるはずだ。しかしルゴシの物腰は、ウィルバーが評した通り『胡乱』そのものだった。

 俺にとっては、懐かしささえ感じる個性だ。

 ああいう人間には、前世で何度か会ったことがあった。医者や役人、会社経営者。高い社会的地位にありながら、口のきき方は厭味ったらしく砕けて、そのくせ隙が無く馴れ馴れしい。身に着けてるはずの教養や品性を、著しく裏切っている。

 文化的自傷行為。

 そういった人間について、いつからか俺は、そんな言葉を当てはめるようになっていた。彼らと話すうち、透けて見えてくるものがあったからだ。そして『鎖』で読み取ったルゴシの情報も、それに一致していた。

 苛立ちと、諦念。

 馬車で出会って、最初に『鎖』から伝わってきたのは、ルゴシのそんな感情だった。奴は、怒っていた。子供たちを泣かせる世界に怒り、悲しみ、それをどうにも出来ない自分に苛立ち、諦めを感じながらも、いま側にいる子供たちの未来だけは護ろうと誓い、そして鎖に繋がれた俺を見つけ、憤怒していた。

 半死半生の身体に、そんな感情を渦巻かせ。
 何度も、意識を失いかけながら。
 あの軽口の何割かは、気絶を遠ざけるためのものだったに違いない。

 で――そんな男を、俺はどう評価する?

「…………分かりません」

 早々に、白旗を上げることにした。簡潔にまとめるなんて、絶対に無理だ。龍皇のところで習ったトークのスキルも、役に立たない。俺のルゴシに対する評価は、そんなのが通用しない場所から来ているからだ。

 乗客たちをかき分け、俺は、馬車を降りた。
 止めようとする手も、声も無かった。

 木剣を、出すのももどかしい。

 伸ばした手の先に凝固させた『斬撃』のイメージを、横薙ぎに疾走らせる。それだけで、結界が裂けた。しかし、流石は金線級魔術師というべきか。俺が結界の外に出た途端、裂け目は閉じて修復される。

 もう、1キロ以上は離れているか。

 だらりと宙を運ばれてくルゴシに、亜龍族デミドラゴンは、ほとんど追いついていた。噛み付こうとして、何度も飛び跳ねている。その顎は、まだ届かない。だが掠りはしたのだろう。ルゴシの脛からは、血と骨の色がのぞいていた。俺は、走り出していた。両手には、木剣が顕現している。

 あの男を、助ける。

 いまの俺は、そんな行動への渇望に支配されてる。
 そしてそれこそが、ルゴシに対する、俺の評価そのものなのだった。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

月、100万円で買われたみたいです。

key
恋愛 / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:42

顧恋

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

なんでもない話

現代文学 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:2

異世界転生したわけだけど異世界転生モノが嘘っぱちだということがわかりました

ss
ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

愛してます……。

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:3

処理中です...