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9 真っ黒な人形
しおりを挟むヴォルフとの出会いは私達が十歳の頃だった。
当時の私はユタバイト家以外の同世代とは接していなかったため、同性の友人を作るためクラムロス侯爵家へ何度か訪れていた。
クラムロス家は代々多くの優秀な騎士を輩出している名家で、先代のクラムロス侯爵は愛妻家としても有名だった。
だが彼は五年前突然何者かによって殺害されてしまい、その当時は大きなニュースとなった。
様々な偉業を成し遂げた騎士としても有名だっただけに、犯人は相当な手練れだと推測されたが、結局見つからないまま長男に爵位が継がれていた。
紹介されたのは先代侯爵の末娘であるナディア・クラムロス。
彼女は私の一つ上で、少々お転婆な面はあるが人懐っこく、尚且つ礼儀作法はしっかりとしている令嬢で、私の友人としてふさわしいということで、今回白羽の矢が立ったのだという。
ナディアは艶やかな黒髪と潤んだ黒い瞳を持つ、清楚で麗々しい令嬢だった。
家族から可愛がられていることがわかるほど華やかなピンクのドレスと共布の髪飾りをつけたナディアが、周囲が法悦するほど可愛らしい笑みで私に挨拶をしたとき、直感的に思った。
――――この子は嫌だ、と。
幼いながらに人の心を掌握する術を知っているかのようで、人懐っこい性格と華やかな笑みを私にだけでなく周囲の大人に振りまいていた。
だがその笑みの裏に、粘り気を帯びた何かを潜めているような気がした。
ナディアは他のきょうだいとはかなり年の離れた娘として産まれた。クラムロス家は既に成人を迎え騎士団に入った息子や、他家に嫁いだ娘達がいたのだが、もう一人産みたいという夫人のたっての願いから産まれた子だった。
家の中を明るくするような天真爛漫さを持つナディアは大層可愛がられていて、特にナディアの母である前侯爵夫人からは過保護なほどに愛されていた。
ナディアに初めて会った際に感じた嫌悪感を、私は誰にも言うことはしなかった。
言ったところで根拠がないものであったし、それまで同年代と過ごすことがなかったため、同年代の女の子というのはこういうものなのかもしれないと自分を納得させていた。
そしてその思いも、人懐っこい彼女と接するうちに忘れていってしまっていた。
だが私の直感は正しかった。
クラムロス家に何度かお邪魔し、ナディアともすっかり打ち解けていたときのことだった。
仲が深まったこととクラムロス家の警備の万全さから、最低限の護衛しかつけておらず二人だけで過ごすことが増えていたとき、ナディアから秘密の庭で遊ぼうと誘われた。
てっきり庭園のどこかに行くのかと思ったが、案内されたのは邸の裏側だった。
そこには本邸から渡り廊下で繋がった小さな離れと、調理で使う薪や庭掃除道具など使用人が使うものが雑多に置かれている場所だった。
離れもかなり古くくたびれていた。聞けば昔は使用人達が住む家として機能していたが、古くなったため現在は物置にしているらしい。だがそれもほとんども使われなくなった物を置く捨て置き場のようなものだという。
そこは家の主人達が来るような場所では決してなかったが、様々な古い道具が捨て置かれているため、幼い冒険心をくるぐるような場所ではあった。
「あのね、他の誰にも言っちゃダメですよ? ナディアだけの秘密。ユリアーネ様にだけ教えてあげます」
「秘密?」
「二階の、あそこの窓をよーく見てて?」
そう言ってナディアは、辺りに落ちていた少し太めの枝を拾い、傍にあった切り株に打ちつけガンガンッと激しい音を立てた。
木の枝など持ったことすらないような大人し気な風貌で、楽し気に激しい音を立てて枝を振るう様は、初対面の際に感じた嫌悪感を私に思い出させた。
「なにして……」
「あ、ほら、出てきた! 見えるでしょ? 真っ黒なお人形!」
そう言って乱雑に枝を放ったかと思うと、離れの一番奥の部屋らしき窓を指差した。
そこに見えたのは、怖気るほど無表情な男の子だった。
「え……」
「みんなには秘密だよ。ナディアとユリアーネ様だけの秘密なの」
呆ける私の横で、跳ねるかのように楽し気な声でナディアが言った。
「ナディアが拾ったのよ。あの子のことはナディアだけしか知らない、ナディアのお人形なの」
「お、人形……? あれ、人形なの? 人間じゃなくて?」
だってさっき「出てきた」って言っていた。
まるで動物の気を引くみたいに枝を叩いて音を出したとき、ナディアはそう言っていた。
「近くで見るともっとかわいそうで、それがとってもおもしろいのよ」
屈託のない笑みでそう言うナディアに、ゾッとした。
言いたくて言いたくて堪らない、だけど誰にも言えない自分だけの秘密。
彼女はその甘い蜜を誰かと共有したかったのだと思う。
その恐ろしく真っ黒な純粋無垢さに、幼い私は鳥肌が立つほど恐怖しその場を逃げ出した。
怯えきった私の様子を見て驚いている護衛に、今見たことを伝えると大勢の大人が離れへと向かっていった。
姫様はここでお待ちくださいと言われたが、ナディアと一緒にいることが堪らなく嫌で、ナディアから逃げ出すように私も離れへと向かった。
「やだ! さわる、だめ!」
大人たちが集い騒然となっている二階の奥の部屋から、たどたどしい言葉で悲痛な叫び声が聞こえた。
私が部屋へ近づくのを止める護衛を制し、道を開けてもらって中へ入ると、脂が饐えたような初めての臭いに眉が寄った。
その部屋は昼間だというのに外からの僅かな光しかない暗く狭い物置部屋だった。そしてそこにいた真っ黒な少年が、自衛するように震えて蹲っていた。
「くる、いや……おれ、さわる、だめ……」
怯える小さな少年は、この世の不憫を一集したような、そんな憐れな姿だった。
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