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ひとり言
しおりを挟む朝食を終え後宮に向かうため王宮を歩いていると、前方から嫌な人間が歩いてきて内心舌打ちをした。
「これはこれはユリアーネ殿下。お久しぶりですなぁ!」
父の従弟であるディグラン子爵が我が物顔で王宮を歩き、しかも私よりも先に声をかけてきた。本来ならば高位の者から声をかけることが礼儀。だがこの男は昔から王配である父と血縁であることをひけらかし、色々と図々しい。父も父で、毎度注意はしてくれるが、なんでなのかどうにもそこに威厳がない。そのためこの男の厚かましさに拍車をかけている。
ディグラン子爵の無礼さに、背後にいるヴォルフがわかりやすく殺気を放ったのがわかったが、軽く振り返って目線だけで窘めた。
「なんとも華やかなドレスですな。さては、これから後宮へ赴かれるのですか? いやぁ、殿下もさぞ気分がよろしいでしょう。なんせご自身のために若い令息が集まっているのですから。私も一度は体験してみたいものです」
なんだこの男は。
無礼というよりもはや不敬だ。
いやそれよりも、この余裕はいったいなんなのだろう。
王配派はいずれもこの男の息がかかっているが、新たな辞退者が出たため後宮内の王配派はごく少数だ。自分の手駒が次々と後宮から追い出され、派閥争いからも離脱しているというのに、どうしてこんなにも厚顔無恥でいられるのだろうか。
……それとも、この男なりの何か策があるのだろうか。
「そういえば明日は初の月渡りとお伺いしております。殿下は誰を選ばれるのかもうお決めなんですか? あぁ、いやこれは失礼。月渡りの相手はその時になるまで誰にも言わない決まりでしたな。殿下に選ばれるご令息はさぞ嬉しいことでしょうなぁ」
「私、先を急いでおりますので」
「おっとこれは失礼。殿下とのお話が楽しくてつい長話を」
「私がいつ、子爵とお話したかしら」
それまで浮かべていた微笑を一切崩さずそう言うと、案の定ディグラン子爵の表情は引き攣った。
「会話とひとり言を混同されては困りますわ。私はただ、道を塞がれてしまったために子爵のひとり言が聞こえただけ。あなたとお話などしておりません」
「なっ……」
「行くわよ、ヴォルフ」
「はい。姫様」
ディグラン子爵の横をすり抜けると、私をにらみつけるように目線を寄越してきたとき、似合っていないコロンの香りが微かに鼻を突いた。
あの男、いったい何をしに王宮へ来たのだろうか。
元々ディグラン子爵と父は仲の悪い従弟だったと聞いている。
だが父が母に惚れ、王配となるべく行動したため子爵家を継ぐ者がいなくなり、現ディグラン子爵に家のことを頼んだと聞いている。それを未だに恩着せがましく言ってきているが、王族の親類としての甘い汁は十二分に啜っている。それなのに一度味を占めてしまったせいで、さらなる甘味を求めているところが気色悪い。
気色悪いから見たくはないのだが、かといって彼を見ないでいると何をしでかすかわからないのが困りものだ。
甘い汁を啜るだけの寄生虫でも嫌だが、何かを仕掛ける害虫ならばそれ相応のことをしなくてはならない。
今は静観だ。
とにかく今は、明日の月渡りのことを考えないと。
「姫様」
もうすぐ後宮へとたどり着く頃、後ろからヴォルフが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「お顔が険しくなっておいでです」
後ろにいたのに何故わかるんだと言いたくなったが、すぐそばにあった窓ガラスに眉間にしわが寄った自分の顔が映っていた。ヴォルフにもそれが見えたのだろう。
これから後宮にいくのだから、こういう顔は見せられない。
「私もヴォルフみたいにずっと人形のように無表情でいられるようになりたいわ……」
言葉を漏らした後すぐに、八つ当たりゆえの失言だったと気が付いた。
ヴォルフ自身がどう思っているかは知らないが、彼の幼少期を考えれば「人形のように無表情」というのは、彼のトラウマを抉るような言葉だったかもしれない。クラムロス家でヴォルフがナディアにどういう扱いをされていたのか、詳細は知らないが彼女の「お人形」という言葉は未だに忘れられない。
周囲は彼を「人形のようだ」と言うときがあるし、私も今まで心の中でヴォルフのことを「人形のように整っている」とも「人形ように表情が動かない」と思ったことはあるけれど、口にはしまいと思っていたのに。
ヴォルフは割としっかり感情がある。ときに喜び、ときに困惑し、ときに怒る。
それを私が一番知っているのに。
ディグラン子爵への苛立ちと明日の月渡りの緊張と、そして先日からのヴォルフに対するよくわからない思いが、常にピンと張っている糸を弛ませているように思える。
いや、これはただの言い訳だ。
ただ単に私自身がしっかりしていなかっただけだ。
自分の機嫌を取ることは上手いほうだと自認していたが、そうではなかったらしい。今まで機嫌を取るまでのことが私に起こらなかっただけなのかもしれない。
「ごめんなさい、今の言い方は良くなかったわ」
「何がでしょうか」
「え?」
それまでヴォルフの顔を見ずに話していたが、とぼけた言葉に思わず振り返った。
その言葉通り「はて?」と思っているような、ケロッとした様子のヴォルフが私を見つめていた。
「だって、さっきの私の言葉はヴォルフを傷つけるようなものだったでしょ」
「お心遣いありがとうございます。ですが俺は何も傷ついておりませんし、そもそも姫様がどのようなことを仰られても傷つきません」
慰めでもなんでもなく、その言葉は本心だろう。
「あ、いえ。間違えました。もし姫様が俺を不要とおっしゃられたらさすがに傷ついてしまいます」
「……そんなこと言うはずないでしょ」
「はい。だから俺は姫様の言葉に傷つきません」
なんだか一本取られた気がする。
私がヴォルフを不要だなんて言うはずがないとわかっていての言葉だったのだろう。
謙虚なのか傲慢なのかわからないな。
本人がそう言ってくれているのなら、これ以上変に謝り続けることはやめにしよう。
そうこうしている間に後宮へとたどり着いた。
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