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呪いはかけない
しおりを挟む月渡りからどのくらいの時間が経ったかまったくわからないが、きっと今頃王宮内は私がいなくなったことで騒いでいるだろう。
――――ヴォルフはどうしているだろうか。
あの忠実なる護衛のことだ。
今頃血眼になって、いやむしろ手あたり次第当たり散らして血だらけになりながら私を探しているかもしれない。ヴォルフが殺人鬼になる前に早く帰らないと。
仮にここから出られずここで死んだとしたら、ヴォルフに気持ちを伝えられたのはよかったかもしれない。
……いや、違う。
むしろダメだ。全然よくない。最悪だ。
私が今ここで死んだら、ヴォルフに呪いをかけたのと同じだ。
敬愛している主人から告白され、それを断った日に主人は行方不明となって後日遺体で見つかるだなんて、ヴォルフの心に大きく傷を作ってしまう。
私はヴォルフに幸せになってほしい。
辛い幼少期を過ごした彼に、暖かい家庭を築いてほしい。
この思いは、恋だと気づく前から抱いていたものだ。
それなのに私がいなくなってしまったら、もうヴォルフは一生幸せになることはない。
ヴォルフが私を女として愛していなくともだ。
――――がんばれ、私。
好きな人を傷つけるな。
好きな人に呪いをかけるな。
あの些か私への敬愛が過ぎる、私を愛していないヴォルフのために、生きてここから出てあげなければ。
「ユリアーネ様! これを!」
焦った様子のテオドア様の声に振り向き駆け寄ると、先程まで大時計があった場所がぽっかりと開き、奥へと続く狭い廊下がずっと続いていた。
よかった。脱出口はやっぱりあった。
そう思ったが、廊下の先は光がないため全く見えず、深淵のような真っ暗闇がどこまでも続いていて、本能的な怖さを思わせ無意識に息を呑んだ。
「大時計の振り子のある扉を開けようとしたら、時計ごと動いてこれが……」
「恐らくこの先が外へと繋がっているはずよ。見つけてくれてありがとう」
「ですが本当にこの中を進むのですか……?」
躊躇する気持ちはわかる。私だって怖くないはずがない。
でもせっかく出口があるのに、二人して怯えてここに留まっていても無駄なだけだ。
「じゃあこうしましょう。私一人でこの道を進むわ。テオドア様はここに残って、もし誰か助けが来たら私がこの奥へ入ったと伝えて。仮に私が先に出られたら必ずあなたを助けに来るわ」
「っ! 危険すぎます! それなら僕が中へ……」
「いいえ。たぶんあなたはかなり強い薬を服用されているはずよ、事実、今立っているのもやっとなほどでしょう? それなら体力のある私がいくべきだわ」
本音を言えば二人で進みたい。こんな暗いところを一人でなんて行きたくない。
だけどここに助けがこないとも限らないし、そもそも具合の悪いテオドア様にこれ以上無茶をさせるわけにはいかない。
気丈に振舞っているが、顔色は先程からひどいままだ。
「ですがユリアーネ様お一人で行かせるなんて……。あなた様は王女です! そのようなことはさせられません!」
「王女だからよ」
今思う恐怖を微塵も悟らせないよう、まっすぐテオドア様を見つめ、自分を律しながら声を出す。
「私は将来この国の王となる者よ。王は民を守る者。あなた一人守れないようじゃ、為政者にはなれないわ」
「ユリアーネ様……」
為政者という強い言葉を使って、テオドア様をここへ繋ぐ。我ながらずるい女だ。
案の定テオドア様は口を噤んだ。
「じゃあ、大人しくここで待っ……」
「お待ちください!」
いつまでもここにいたらこの暗い廊下を歩く勇気がぶれそうで足を進めようとしたところで、テオドア様に止められた。
「何も持たずにこの奥へ進むのは無謀です。出口まで一直線ならいいですが、迷路状になっているかもしれません。一旦ほんの少しだけ奥に進んでどうなっているか見てみましょう。もし道が分かれているようなら、何か策が必要です」
「……確かに。言う通りだわ」
テオドア様は思った以上に冷静だ。私のほうが落ち着いていると思っていたが、どうやら違っていたのかもしれない。「ここは自分が行く」と申し出たテオドア様が奥へと進み、姿が見えなくなったと思ったがすぐに引き返してきた。
「やっぱり一直線ではなさそうですね……。すべての道に出口があるのならいいんですが、行き止まりで引き返すとなったら確実に方向感覚を失ってここにも戻ってこられなくなりそうです」
「……っ」
そうなるとずっとこの暗闇に閉じ込められたままになる。
それを想像して初めて恐怖を顔に出してしまった。
やはりここで助けを待ったほうがいいだろうか。ヴォルフならきっと……。いや、ヴォルフに甘えるな。
来てくれるかどうかわからない可能性に賭けるよりも、ここを進んで出口を探す可能性に賭けたほうがいい。
恐怖は、気合で押さえつけろ。
すると突然何かが切り裂かれる音がして顔を上げると、テオドア様がでベッドのシーツを引っ張りだして私があげたブローチ型の糸切ハサミで細く切り始めた。
「テオドア様?」
「これがハサミだと気付かれていなかったからか、取られなくてよかったです。これを紐のように細く破いて歩いた道に落としながら進めば、仮に行き止まりでもちゃんと引き返せます」
シーツは丁寧に切られ、どんどん細い包帯のようになっていく。ハサミとはいえ糸切ハサミでこんなに綺麗に切れるはずはない。恐らく彼が器用だからこんな形状にできるのだろう。ここは私が下手に手を出さないほうがいいと判断した。
あっという間にシーツを切り終え、長い紐となった。
「扉は開けたままにしておきましょう。この奥がどれほどあるかわかりませんから、この先の突き当りから紐を下ろしたほうがよろしいかと。少しでも紐を節約しておいたほうがいいので」
「そうね」
私達が生きている間にドミニク様が再びこの部屋を訪れる可能性は限りなく低いから、この部屋からドミニク様、ないし敵が追ってくることはないだろう。
ならこの扉は開けっ放しにしていても問題はない。
「あと、お嫌かもしれませんが僕の靴を履いていってください。この中を裸足で行くのは危険です」
「わかったわ。ありがとう」
サイズが全然違うため、ベッドに置かれていた枕をハサミで裂き、中綿を出して靴に詰め込んだ。
夜着に男物の革靴というなんとも歪な恰好だが、今は見た目なんぞどうでもいい。
「あと、中は寒いです。この毛布を……」
「いいえ。それはテオドア様に」
それを奪ってしまったら、絶対にテオドア様が危険な状態になる。奪うわけにはいかないし、彼を死なせるわけにもいかない。
改めて真っ暗な廊下の前に立つ。
足元から嫌な冷気が漏れ出ている。
「テオドア様、寒さでつらくなったら遠慮なくここを閉めていいからね」
声が僅かに震えたのは、冷気のせいだと思いたい。
「ユリアーネ様、やはり僕が……」
「一緒に閉じ込められたのがあなたで本当によかった」
静かに息を吸い、心配そうな顔で横に立つテオドア様を見上げた。
その心配を少しでも無くしたくて、精一杯の笑顔を作った。
「私が治政する世となったとき、あなたには私の傍にいて支えてほしいわ」
テオドア様がオレンジ色の瞳を瞬かせ、すぐさまその場で跪き、体を覆っていた毛布は床にはらりと落ちた。
「私、テオドア・ユタバイトは今この場より我が王、ユリアーネ・シーゲル殿下へ生涯の絶対的忠誠を誓います……!」
落ちた毛布をテオドア様にそっとかけ、その肩に触れた。
「行ってくるわ」
「……行ってらっしゃいませ。どうか……どうかご無事に」
サイズの合わない靴を動かして暗い廊下へと進み、突き当り進むと左右どちらも真っ暗闇に包まれていた。
紐となったシーツの端を落とし動かないよう重石を乗せた後、私は直感で右の道を進んだ。
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