51 / 54
25 白の裏側
しおりを挟む揺蕩うような夢見心地に包まれて、眠りにつくことができないでいた。
腕の中に眠る愛しい人の雪白のような肌に際限ない劣情を覚えるが、それを必死に宥め、滑らかな肩に唇を落としてから布団をしっかりとかけてあげる。
姫様が好きだという気持ちを、自分は今までどうして気が付かないでいられたのだろうか。
真っ暗闇の中に輝く光のように、絶対に見落とすことなどないほど、自分の心の中にしっかりと存在していたというのに。
「姫様と俺は、結ばれたんだ……」
ぽつりと漏らした自分の言葉が、じわじわと染み込んでいく。
あの狭く暗い部屋に呪縛されていた俺を、姫様は解き放ってくれた。
だけど俺は、その瞬間からまた縛られた。
姫様は俺の手足も、命も、すべて雁字搦めに捕えて離さない。
そのことに幸福を感じ、一生縛られていたいと本気で思っていた。
なのにあなたが俺に心をくださるから、俺が姫様に縛られるだけじゃ足りなくなってしまった。
姫様が、俺に縛られてほしい。
縛られてくれなくちゃ。
寝顔を見つめながらゆったりとしたリズムで髪を撫でていると、僅かにまつ毛が震え瞼が開く。
淡い青の瞳が眠そうにぼんやりとしている。その美しさについ見惚れた。
「まだ起きているの?」
眠いせいで幼気さを覚える声が可愛らしい。
「なんだかもったいなくて……。まだ朝は遠いのでどうぞお休みください」
「えぇ。……ヴォルフ、こっちにおいで」
とろんとした表情でそう言った姫様は、言葉に反してご自身が俺のほうへとすり寄ってきた。
そして俺の背中に手を回し、子供をあやすように優しく擦ってくれた。
「あなたが傍にいると、あたたかいわ……」
小さくそう呟くと、すぐにまた寝息をたてた。
腕の中に感じる熱をしっかりと抱きしめながら、僅かに身を屈めてローズピンクの髪に顔を埋めた。
どうして容易く、俺をこんなにも幸福にしてくれるのだろう。
この方を守るためなら、この時間を守り続けるためなら、俺はなんだってしよう。
邪魔する者は全員排除すればいい。
俺にとってユリアーネ様がいない暗闇に放り出されることは、死と同義なのだから。
「はい。君の番」
王配殿下の執務室。バルコニーに置かれたティーテーブルの上に豪奢なチェス盤が置かれ、俺と王配殿下はチェスを行っていた。
人畜無害そうな笑みで王配殿下が笑む。
その笑みを剥がしたら、狡猾で粘着質な執着心を孕んでいるなど、夢にも思わないほど穏やかに。
「子爵は君が自ら追放をしたんだって?」
「はい。四肢を切り落とし、西の樹海に置いてきました」
シーゲル国の西は広大な樹海が広がっている。
そこは死の森とも呼ばれ、一度入れば二度と戻って来られない立ち入り禁止区域だ。その森を抜けると隣国へと行けるが、人間の足で隣国へと無事にたどり着くことはまず不可能だろう。
そもそも、奴には既に足などないのだが。
「へぇ、驚いた。君は本当に優しいんだね」
「優しい……ですか」
「僕なら目玉もとるかな」
盤上の駒でも取るかのような、なんとも軽い口調で言い放った。
そして殿下は本当に俺の黒い駒を取り、そのマスに自分の白い駒を置いた。
――――……あぁ、何故そうしなかったのだろう。
姫様を殺そうとし、心的外傷を作った男に、姫様以上の暗闇を浴びせたまま朽ちさせればよかった。
だがもう遅い。奴はすでに野犬か何かの腹の中だろう。
すでに捨てたモノなどどうでもいいと、頭の中ですぐに後悔を掃き捨てた。
傍らにいた年嵩のメイドが、空になった殿下のカップに紅茶を注ぎ、すぐにその場を辞した。
そのメイドには見覚えがあった。
「彼女は薬事に長けていてね。月蕩酒はもちろん、他にも色々調合できるから重宝しているんだ」
俺の視線に気が付いた殿下が、お茶の香りを楽しみながら、優雅に言った。
今回の一件は、すべて王配殿下が裏で糸を引いている。
おかしいと思ったのは、今回の逆ハーレム計画と呼ばれるものを聞いたときからだ。
イテラ病の後遺症のことは本当だ。
だが水面下で派閥争いが苛烈している中で後宮を作り、しかも王配派が不満を覚えるような人選をしたとすれば、どう考えても何らかの事態が起きると思うはず。
しかもこの方は、女王陛下と姫様を至高としている。
後継問題があるとはいえ、何故姫様を渦中に放り込むようなことをしたのか、見当がつかなかった。
「君は、ユリアーネが歩く道の石を拾って、あの子が転ばないようにしたいと思っているんだろ?」
殿下が白の駒を動かし、黒の騎士を取った。
その質問には答えなかったが、殿下はそれを是として受け取った。
「護衛騎士にとってはそれが正解だ。だが私は父親だからね。私の役目はユリアーネが躓く石を小さくしてあげて、立ち上がる術を持たせることだ」
「だからあえて、あの誘拐事件を引き起こされたのですね」
少し責めた言い方になってしまったのも仕方ない。
だがすべてが王配殿下の策略通りなら、姫様があんな目に合うことなどなかったはずだ。憤ってしまうのも無理はない。
「愚人は時に突拍子もないことをするから困るね。盤上にいろと言ったのに。……まあこの場合、愚かというより彼の信仰心を侮っていたのかな」
あの教会に姫様を連れだしたのはドミニクだ。
彼は王家を崇拝し、姫様をあそこで眠らせ、本物の神にでもしたかったという。
あの教会は遥か昔のユタバイト家の者が、王族の青を祈るために建てたもので、テオドアをそこに眠らせようとしていたのも、ある種の情だろう。青になれなかった彼を青に染めて眠らせようという、はた迷惑な情だ。
ほら、君の番だよ。と急かされ駒を動かした。
だがそれを見た後殿下は一度お茶に口をつけ、演技がかっているほど優雅に白の女王を動かし「チェックメイト」と唱えた。
彼の王は一マスも動いてはいない。
やる前から負けることはわかっていた。
時折こうしてチェスをするが、一度たりとも勝ったことはないし、接戦に持ち込めたことすらないのだ。
すると早々にチェス盤を片付け、今度は違うボードゲームを取り出した。
「実はリバーシが一番得意なんだよね。君はルール知ってる?」
「はい。やったことはありませんが」
「そうかそうか。ならやろう」
中央の四マスに黒と白の駒を置き、無言でゲームが始まった。
殿下の狙いは、恐らく王配派筆頭であるディグラン子爵の失墜だったのだろう。
だからあえて敵方を懐に招き入れ、彼らが蛮行を犯すことを待っていた。
……いや、蛮行を犯すよう誘導した。
俺に後宮内にいる者の取捨選択権を渡したのは、王配派を切り捨てていくことにより、新国王派を動かすことだ。
王配派の有力貴族が消えていくことに新国王派は業が煮え、姫様が自分を選んでくれないことに憤りを覚えていたドミニクを取り込み、今回の運だよりの杜撰な誘拐事件を起こした。そしてたまたま誰にも見られず、誘拐を果たしたのだ。
だが、見ていなかったからこそ姫様の発見が遅れてしまった。
当初は王配殿下が行けと命じたあの避難室に姫様を連れていくよう操作していたはずなのに、ドミニクによって別の場所へ連れて行かれてしまった。
それが王配殿下の唯一の誤算だった。
だが結果として、すべては殿下の思惑通りに終着した。
30
あなたにおすすめの小説
転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。
ラム猫
恋愛
異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。
『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。
しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。
彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。
※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
主人公の義兄がヤンデレになるとか聞いてないんですけど!?
玉響なつめ
恋愛
暗殺者として生きるセレンはふとしたタイミングで前世を思い出す。
ここは自身が読んでいた小説と酷似した世界――そして自分はその小説の中で死亡する、ちょい役であることを思い出す。
これはいかんと一念発起、いっそのこと主人公側について保護してもらおう!と思い立つ。
そして物語がいい感じで進んだところで退職金をもらって夢の田舎暮らしを実現させるのだ!
そう意気込んでみたはいいものの、何故だかヒロインの義兄が上司になって以降、やたらとセレンを気にして――?
おかしいな、貴方はヒロインに一途なキャラでしょ!?
※小説家になろう・カクヨムにも掲載
ハードモードな異世界で生き抜いてたら敵国の将軍に捕まったのですが
影原
恋愛
異世界転移しても誰にも助けられることなく、厳しい生活を送っていたルリ。ある日、治癒師の力に目覚めたら、聖堂に連れていかれ、さらには金にがめつい師によって、戦場に派遣されてしまう。
ああ、神様、お助けください! なんて信じていない神様に祈りを捧げながら兵士を治療していたら、あれこれあって敵国の将軍に捕まっちゃった話。
敵国の将軍×異世界転移してハードモードな日々を送る女
-------------------
続以降のあらすじ。
同じ日本から来たらしい聖女。そんな聖女と一緒に帰れるかもしれない、そんな希望を抱いたら、木っ端みじんに希望が砕け散り、予定調和的に囲い込まれるハードモード異世界話です。
前半は主人公視点、後半はダーリオ視点。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
【短編完結】元聖女は聖騎士の執着から逃げられない 聖女を辞めた夜、幼馴染の聖騎士に初めてを奪われました
えびのおすし
恋愛
瘴気を祓う任務を終え、聖女の務めから解放されたミヤ。
同じく役目を終えた聖女たちと最後の女子会を開くことに。
聖女セレフィーナが王子との婚約を決めたと知り、彼女たちはお互いの新たな門出を祝い合う。
ミヤには、ずっと心に秘めていた想いがあった。
相手は、幼馴染であり専属聖騎士だったカイル。
けれど、その気持ちを告げるつもりはなかった。
女子会を終え、自室へ戻ったミヤを待っていたのはカイルだった。
いつも通り無邪気に振る舞うミヤに、彼は思いがけない熱を向けてくる。
――きっとこれが、カイルと過ごす最後の夜になる。
彼の真意が分からないまま、ミヤはカイルを受け入れた。
元聖女と幼馴染聖騎士の、鈍感すれ違いラブ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる