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白の裏側
しおりを挟む無言で駒を置いていく。
初めは盤上がほとんど黒く染まっていたのに、だんだんと駒が置けなくなってきていた。
「王配派と呼ばれる者達はまだおります。何故一掃されないのですか」
王配派の中の、ディグラン子爵が率いていた「新国王派」は空中分解し、今や王配殿下を国王としたいと考える「国王派」しかいない。だがその中で強い力を持つ家は、後宮から出たことによって戦線離脱し、今や王配派は脅威とは呼べない集まりとなっている。
だが、未だ燻る火種は消しておくに限ると、俺は思う。
しかも、姫様に暗殺者を送ったのはディグラン子爵ということになっているが、本当は国王派の者だ。
ならばより一層、粛清すべきではないだろうか。
俺が一つの駒を黒くすると、それを上塗りするように殿下がどんどん駒を白に裏返していく。
駒を置く場所がないため俺の番は飛ばされ、あっという間に盤上は黒い駒一つを残して、一面が白い駒となった。
王配殿下は唯一の黒い駒をトン、と指で突き立て笑みを浮かべた。
「すべてを白にしてはいけないからだよ」
蛇が背筋を逆撫でしながら首元に巻き付いてきたような怖気を感じた。
急に息が詰まり、黒い革手袋の中に汗が滲む。
「そんなことをしたら指標がなくなってしまうだろう。同じ方向が向けないとなったら、また新たな派閥が生まれてしまう。今度はそれがもっと厄介なものとなるかもしれない。だから、仲間外れを作らないといけないんだ」
「……必要悪ということでしょうか」
「そうともいうね」
殿下は何も言わずににっこりと微笑んだ。
するとリバーシを一つ一つ摘まみ上げ、半分を俺に渡してもう一度始めるために真ん中の四マスに駒を置いた。
「でも厳密には違うかな」
「違う?」
「どうして私が、子爵を国外追放だなんて生温い刑にしたかわかるかい?」
その問いには答えられず、言葉を待った。
「これは君のためなんだよ」
「俺のため……ですか?」
「こんな謀殺未遂をしでかしたというのに、子爵は国外追放で済み、しかもユリアーネの暗殺という無実の罪まで被ってる。だとしたら、残りの奴らは王族を舐めてかかるだろう。罰も生温く、暗殺者を送った黒幕も見抜けない愚かな王族だ、とね。相手を見下し、調子に乗っている奴ほどボロを出しやすい。君はこの先、そいつらを刈り取って自分の手柄にするといい」
「……っ!」
情け容赦などではない。
見逃したというわけでもない。
邪魔者を排除しながら、次のネズミ捕りを仕掛けただけだったのだ。
「後宮入りの件もそうですが、何故そこまで俺に尽力してくださるのですか?」
「ユリアーネには君が必要だと判断したからさ」
思わぬ即答に面食らった。
「ドミニク殿はユリアーネのことを愛していただろう。恋愛感情というよりも崇拝に近かったけれど。だが、結果としてユリアーネを殺そうとした」
パタンと音をたて、殿下が駒を白く裏返していく。
「自分を好いている者が、必ずしも自分の味方になるとは限らない。愛と憎しみは表裏一体というからね。だからユリアーネのことを『絶対的に愛してくれる人間』ではなくて、あの子の『絶対的味方となる駒』が欲しかったんだよ」
人好きそうな笑みを俺に向けた。
「君はまさに適任だ」
今回俺が上級婿として後宮に入れたのは、国に返還していたクラムロス侯爵家の爵位を名目上だけ取り戻したからだ。
姫様が療養している短い期間にそんな手続きを完了することなど、到底不可能だ。
だが恐ろしいほどスピーディーで、手続きは執り行われた。
今にして思えば俺が修行を終えた後、異例の早さで姫様の護衛騎士となれたのも、この人の力があったからだろう。
もっと言えば、俺をクラムロス家から引き取ったことを許可したのも、しばらくの期間姫様と過ごせたのも、修行のためあえて距離をとらせたのも、俺をより姫様に執着させようと育てていたのかもしれない。
……いや、もっと言えば姫様をクラムロス家に行かせた時点で、俺の存在を知っていたのかもしれない。
その辺りの真相を聞き出すこともしないが、とにかくすべては俺を、姫様を守る従順な駒とするためのことだったのはわかる。
そのことになんら怒りも不満もない。
結果として俺は、姫様という最愛を手にすることができたのだから。
「最後にもう一つ質問をしてもよろしいでしょうか」
「許す」
「此度の件、ドミニクを巻き込む必要があったか些か疑問なのです。彼は青い血に洗脳こそされていましたが、かといって元はこのようなことを犯す者でもありませんでした」
ドミニクはユタバイト家で優遇されていた。それは青の瞳と髪を持っているからでもあるが、それだけでなく多方面でも優秀だったからだ。
あの男は扱い次第で如何様にもできたはず。それなのにあえてディグラン子爵と手を組ませ、流刑とさせたのには疑問が残っていた。
俺の質問を受け、王配殿下が目線を落としてポツリと零した。
「女王陛下が病床に臥せってしばらくのときに、小さく漏らしていたんだよ。私が女王派から悪く言われることが悲しいと……」
その一言ですべてを理解した。
女王陛下を悲しませたくない。
ただそれだけのために、この方は邪魔者を消し、王配派を小さくし、女王派の筆頭の力を削いだのだ。
ドミニクが罪を犯し、その尻ぬぐいをユタバイト公爵が必ずすることをわかっていたから。
色々と欠落しているこの方は、今まで周囲から言われた罵詈雑言など、これっぽっちも響いていなかっただろう。
だが女王陛下の、愛する女性のたった一言で気が付いた。
自分が悪く言われることで、愛する女性が傷ついている。と。
ならば、やることは一つだ。
この方はただ、女王陛下の憂いを払いたい。ただそれだけのために、行動したのだ。
「愚問を致しました」
ディグラン子爵を失墜させたいことが目的なのだと思っていた自分を恥じた。
もし俺が王配殿下の立場なら、迷うことなく同じことをした。
答えなどわかりきった、本当に愚かすぎる質問をしてしまった。
頭を下げる俺を、王配殿下は微笑みながら見つめた。
「私はね、ジュリアーナとユリアーネのためならどんなことだって喜んでする。君もそうだろう?」
「はい。勿論です」
王配殿下は自分は王にならないとハッキリ明言している。
仮とはいえ今の世を治めているのは王配殿下なため、王配派はそれを不満に思っているようだが、俺は彼ほど王に相応しくない男を知らない。
この御方は女王陛下と姫様以外、心底どうでもいいのだ。
この二人が幸せになるためだけに周囲が存在していると本気で思っている。
そして、それは俺も同じだ。
俺の人生の主人公であり、俺の王子様は、姫様ただ一人なのだ。
「約束、忘れてなどいないよね?」
「はい。もちろんです」
俺の後宮入りを許可した際、王配殿下はある条件を提示した。
『一年以内に種無しでないことを証明すること』
俺がイテラ病に罹っている可能性は限りなく低い。だがゼロではない。
もし姫様が一年以内に子ができないのであれば、この逆ハーレム計画は続いていくことになる。姫様の御心が俺に向いていることに甘んじず、俺自身が婿として機能していることを証明しろと命じられた。
「私は君を気に入っているんだよ。手元に置きたいほどにね」
「はい」
「だから君のほうからユリアーネの隣に、そして私の手元に来てごらん」
ゾッとするほど柔らかな笑みだった。
この人と戦えば必ず俺が勝つ。なのに絶対に逆らえないなにかをこの人は持っている。
王配殿下自身に足りないもの。それが『武力』だ。
だから彼は俺を騎士として、そして暗殺者として育てたかったのだ。自分に足りないものを補うことができる共犯者となるように。
「はい、また私の勝ち」
今度は盤上は一面真っ白となっていた。
「お互い、愛する人には綺麗な世界だけを見てもらえるよう努力していこうじゃないか、婿殿」
「生涯をかけてお供することを誓います。お義父上」
そう言うと満足気に笑った王配殿下に、俺はテーブルに額がつくほど頭を垂れた。
腹の底が知れない王配殿下と、寡黙で従順な王婿候補の利害は一致している。
愛する女性の美しい瞳には、この盤上のように美しく真っ白な世界を見せてあげたい。
例えその裏がどんなにどす黒いものだとしても、それを絶対に彼女達に見せることはないという目的を確かめ合い、盤上遊戯は終了となった。
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