ツンデレΩは噛まれたい

齊藤るる

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出会い編

対峙

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ハルは困惑していた。

この後、ユキはどうするのだろうか?

自分を嫁にしたいと言っている男なのだから、「ハルの家に行きたい」と言い出すかもしれない。そんなことを考えると、どうにも落ち着かない。


「はあ……」


ハルは深いため息をつき、談笑が続く研究室のメンバーに背を向けて、ひそかにその場を離れることにした。

リュックを肩に背負い直し、気配を殺しながら廊下へ出る。
静かに閉じたドア越しに、まだ楽しげな声が聞こえるのを確認しつつ、ハルは足早にその場を去った。


「よし、脱出成功だ」


心の中でそう呟きながら、掲示板に寄って翌日の講義予定を確認しようと思い立つ。
その後は、帰宅して、部屋を片付け、食事をして……そんな日常的な予定を頭の中で巡らせていた。

そうして物思いにふけりながらトイレに入ったハルは、背後から忍び寄る人影に気づかなかった。


「おい」

「うわっ!? びっくりした、なんだタチバナか」


背後から不意に声をかけられ、ハルは飛び上がるほど驚いた。
振り返ると、そこには同じ研究室のタチバナが立っていた。
タチバナは、トイレのリノリウムの床にうっそりと立っている。

ハルは偶然、友人とトイレのタイミングが合ったことに苦笑した。


「なんだよ、連れションするか?」


軽口を叩いてみたものの、タチバナの様子はどこかおかしい。普段の彼らしさが見えない。

ハルは嫌な予感を覚える。

タチバナは口を開かない。ただその瞳には、何か思いつめたような光が宿っている。


「……?」


ハルは小便を済ませたかったが、違和感から逃げるようにして素早く個室トイレに入った。


そして便座に腰かけた瞬間、背中にじわりと冷たい汗が滲む。


(なんか変だ……)


だって、ここは一階だ。自分は上階の研究室から抜け出して、帰ろうとしていた途中なのだから。
だが、タチバナは?
上階にも、他のトイレがある。わざわざ一階のここまで降りて来た理由は?
そして、どうして手ぶらなんだ?帰るにしても、荷物くらいあるんじゃないか?

それに、様子も変だ。


(おかしい……)


用を済ませ、手を洗おうと洗面台に向かった時、タチバナの視線を感じた。彼は洗面台の端に寄りかかるように立ち、ハルをじっと見つめている。

「さっきの話だけど」

「……どの話?」

「お前とあの王子様のことだよ」


手を洗う、ハルの眉間に皺が寄る。


「別に、そういうわけじゃないって言っただろ。まだ何も決めてない」

「でも、あいつは本気だろ?」


タチバナの声は低く、どこか挑むような響きがあった。その目には焦りと怒りが交錯しているようにも見える。


「まあ…向こうは本気なのかもしれないけど。俺は別に……」


手を洗い終えたハルは、鏡で前髪を整えながら、話題をうやむやにしようとする。
なにせ、自分がどうしたいのか、自分でも分かっていないからだ。


「王子様って、男じゃん。ハルってそっちだったんだ」

「なんだよ、その言い方」


タチバナの言葉には明らかな侮蔑が含まれていて、ハルは胸がざわつくのを感じた。
恋人がいたことはないが、淡い恋の経験ならある。初恋は幼稚園の男の先生だった。それから小学校に上がると、同級生の男子を好きになったこともあった。

確かに、オメガとして生きている自分には、伴侶にできる性別の選択肢は多い。しかしだからといって、相手を男に限定したことはない。ただ、無意識のうちに男性を好きになってしまう傾向が、確かにあった。


「俺が先に言ってたら……ハル、お前、どうしてた?」

「……は?」


突然の言葉に、ハルは目を見開く。
何を言われているのか、全く理解できなかった。


「先に俺が告白してたら……お前、どうしてたんだよ!」


タチバナの声は震えている。
それでも、彼の身体は確実にハルに向かって一歩一歩近づいている。


「おい、やめろって」


ハルはタチバナの手を振り払おうとしたが、その大きな手がしっかりと自分の肩を掴む。


「お前が分からないのは分かってる。でも、俺だって……」


その言葉は最後まで続かない。


「先に手を出したほうが、勝ちだよな……」


タチバナは、まるで独り言のように呟く。

ハルは反射的にタチバナを突き飛ばそうとしたが、その動きは簡単にいなされ、逆に壁に追い込まれていく。

そして、タチバナがどんと押してきた。
ハルはよろけて倒れ、背中が便器に当たる。


「痛っ……!」


驚いて、ハルはタチバナを見上げる。
タチバナは、まるで予め決められたかのように狭い個室トイレに踏み込んできた。


「——人生って、そういうもんだろ」


ガチャン、とトイレの鍵が閉まる音が響いた。
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