15 / 25
出会い編
対峙
しおりを挟む
ハルは困惑していた。
この後、ユキはどうするのだろうか?
自分を嫁にしたいと言っている男なのだから、「ハルの家に行きたい」と言い出すかもしれない。そんなことを考えると、どうにも落ち着かない。
「はあ……」
ハルは深いため息をつき、談笑が続く研究室のメンバーに背を向けて、ひそかにその場を離れることにした。
リュックを肩に背負い直し、気配を殺しながら廊下へ出る。
静かに閉じたドア越しに、まだ楽しげな声が聞こえるのを確認しつつ、ハルは足早にその場を去った。
「よし、脱出成功だ」
心の中でそう呟きながら、掲示板に寄って翌日の講義予定を確認しようと思い立つ。
その後は、帰宅して、部屋を片付け、食事をして……そんな日常的な予定を頭の中で巡らせていた。
そうして物思いにふけりながらトイレに入ったハルは、背後から忍び寄る人影に気づかなかった。
「おい」
「うわっ!? びっくりした、なんだタチバナか」
背後から不意に声をかけられ、ハルは飛び上がるほど驚いた。
振り返ると、そこには同じ研究室のタチバナが立っていた。
タチバナは、トイレのリノリウムの床にうっそりと立っている。
ハルは偶然、友人とトイレのタイミングが合ったことに苦笑した。
「なんだよ、連れションするか?」
軽口を叩いてみたものの、タチバナの様子はどこかおかしい。普段の彼らしさが見えない。
ハルは嫌な予感を覚える。
タチバナは口を開かない。ただその瞳には、何か思いつめたような光が宿っている。
「……?」
ハルは小便を済ませたかったが、違和感から逃げるようにして素早く個室トイレに入った。
そして便座に腰かけた瞬間、背中にじわりと冷たい汗が滲む。
(なんか変だ……)
だって、ここは一階だ。自分は上階の研究室から抜け出して、帰ろうとしていた途中なのだから。
だが、タチバナは?
上階にも、他のトイレがある。わざわざ一階のここまで降りて来た理由は?
そして、どうして手ぶらなんだ?帰るにしても、荷物くらいあるんじゃないか?
それに、様子も変だ。
(おかしい……)
用を済ませ、手を洗おうと洗面台に向かった時、タチバナの視線を感じた。彼は洗面台の端に寄りかかるように立ち、ハルをじっと見つめている。
「さっきの話だけど」
「……どの話?」
「お前とあの王子様のことだよ」
手を洗う、ハルの眉間に皺が寄る。
「別に、そういうわけじゃないって言っただろ。まだ何も決めてない」
「でも、あいつは本気だろ?」
タチバナの声は低く、どこか挑むような響きがあった。その目には焦りと怒りが交錯しているようにも見える。
「まあ…向こうは本気なのかもしれないけど。俺は別に……」
手を洗い終えたハルは、鏡で前髪を整えながら、話題をうやむやにしようとする。
なにせ、自分がどうしたいのか、自分でも分かっていないからだ。
「王子様って、男じゃん。ハルってそっちだったんだ」
「なんだよ、その言い方」
タチバナの言葉には明らかな侮蔑が含まれていて、ハルは胸がざわつくのを感じた。
恋人がいたことはないが、淡い恋の経験ならある。初恋は幼稚園の男の先生だった。それから小学校に上がると、同級生の男子を好きになったこともあった。
確かに、オメガとして生きている自分には、伴侶にできる性別の選択肢は多い。しかしだからといって、相手を男に限定したことはない。ただ、無意識のうちに男性を好きになってしまう傾向が、確かにあった。
「俺が先に言ってたら……ハル、お前、どうしてた?」
「……は?」
突然の言葉に、ハルは目を見開く。
何を言われているのか、全く理解できなかった。
「先に俺が告白してたら……お前、どうしてたんだよ!」
タチバナの声は震えている。
それでも、彼の身体は確実にハルに向かって一歩一歩近づいている。
「おい、やめろって」
ハルはタチバナの手を振り払おうとしたが、その大きな手がしっかりと自分の肩を掴む。
「お前が分からないのは分かってる。でも、俺だって……」
その言葉は最後まで続かない。
「先に手を出したほうが、勝ちだよな……」
タチバナは、まるで独り言のように呟く。
ハルは反射的にタチバナを突き飛ばそうとしたが、その動きは簡単にいなされ、逆に壁に追い込まれていく。
そして、タチバナがどんと押してきた。
ハルはよろけて倒れ、背中が便器に当たる。
「痛っ……!」
驚いて、ハルはタチバナを見上げる。
タチバナは、まるで予め決められたかのように狭い個室トイレに踏み込んできた。
「——人生って、そういうもんだろ」
ガチャン、とトイレの鍵が閉まる音が響いた。
この後、ユキはどうするのだろうか?
自分を嫁にしたいと言っている男なのだから、「ハルの家に行きたい」と言い出すかもしれない。そんなことを考えると、どうにも落ち着かない。
「はあ……」
ハルは深いため息をつき、談笑が続く研究室のメンバーに背を向けて、ひそかにその場を離れることにした。
リュックを肩に背負い直し、気配を殺しながら廊下へ出る。
静かに閉じたドア越しに、まだ楽しげな声が聞こえるのを確認しつつ、ハルは足早にその場を去った。
「よし、脱出成功だ」
心の中でそう呟きながら、掲示板に寄って翌日の講義予定を確認しようと思い立つ。
その後は、帰宅して、部屋を片付け、食事をして……そんな日常的な予定を頭の中で巡らせていた。
そうして物思いにふけりながらトイレに入ったハルは、背後から忍び寄る人影に気づかなかった。
「おい」
「うわっ!? びっくりした、なんだタチバナか」
背後から不意に声をかけられ、ハルは飛び上がるほど驚いた。
振り返ると、そこには同じ研究室のタチバナが立っていた。
タチバナは、トイレのリノリウムの床にうっそりと立っている。
ハルは偶然、友人とトイレのタイミングが合ったことに苦笑した。
「なんだよ、連れションするか?」
軽口を叩いてみたものの、タチバナの様子はどこかおかしい。普段の彼らしさが見えない。
ハルは嫌な予感を覚える。
タチバナは口を開かない。ただその瞳には、何か思いつめたような光が宿っている。
「……?」
ハルは小便を済ませたかったが、違和感から逃げるようにして素早く個室トイレに入った。
そして便座に腰かけた瞬間、背中にじわりと冷たい汗が滲む。
(なんか変だ……)
だって、ここは一階だ。自分は上階の研究室から抜け出して、帰ろうとしていた途中なのだから。
だが、タチバナは?
上階にも、他のトイレがある。わざわざ一階のここまで降りて来た理由は?
そして、どうして手ぶらなんだ?帰るにしても、荷物くらいあるんじゃないか?
それに、様子も変だ。
(おかしい……)
用を済ませ、手を洗おうと洗面台に向かった時、タチバナの視線を感じた。彼は洗面台の端に寄りかかるように立ち、ハルをじっと見つめている。
「さっきの話だけど」
「……どの話?」
「お前とあの王子様のことだよ」
手を洗う、ハルの眉間に皺が寄る。
「別に、そういうわけじゃないって言っただろ。まだ何も決めてない」
「でも、あいつは本気だろ?」
タチバナの声は低く、どこか挑むような響きがあった。その目には焦りと怒りが交錯しているようにも見える。
「まあ…向こうは本気なのかもしれないけど。俺は別に……」
手を洗い終えたハルは、鏡で前髪を整えながら、話題をうやむやにしようとする。
なにせ、自分がどうしたいのか、自分でも分かっていないからだ。
「王子様って、男じゃん。ハルってそっちだったんだ」
「なんだよ、その言い方」
タチバナの言葉には明らかな侮蔑が含まれていて、ハルは胸がざわつくのを感じた。
恋人がいたことはないが、淡い恋の経験ならある。初恋は幼稚園の男の先生だった。それから小学校に上がると、同級生の男子を好きになったこともあった。
確かに、オメガとして生きている自分には、伴侶にできる性別の選択肢は多い。しかしだからといって、相手を男に限定したことはない。ただ、無意識のうちに男性を好きになってしまう傾向が、確かにあった。
「俺が先に言ってたら……ハル、お前、どうしてた?」
「……は?」
突然の言葉に、ハルは目を見開く。
何を言われているのか、全く理解できなかった。
「先に俺が告白してたら……お前、どうしてたんだよ!」
タチバナの声は震えている。
それでも、彼の身体は確実にハルに向かって一歩一歩近づいている。
「おい、やめろって」
ハルはタチバナの手を振り払おうとしたが、その大きな手がしっかりと自分の肩を掴む。
「お前が分からないのは分かってる。でも、俺だって……」
その言葉は最後まで続かない。
「先に手を出したほうが、勝ちだよな……」
タチバナは、まるで独り言のように呟く。
ハルは反射的にタチバナを突き飛ばそうとしたが、その動きは簡単にいなされ、逆に壁に追い込まれていく。
そして、タチバナがどんと押してきた。
ハルはよろけて倒れ、背中が便器に当たる。
「痛っ……!」
驚いて、ハルはタチバナを見上げる。
タチバナは、まるで予め決められたかのように狭い個室トイレに踏み込んできた。
「——人生って、そういうもんだろ」
ガチャン、とトイレの鍵が閉まる音が響いた。
0
あなたにおすすめの小説
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー
白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿)
金持ち社長・溺愛&執着 α × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω
幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。
ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。
発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう
離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。
すれ違っていく2人は結ばれることができるのか……
思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいαの溺愛、身分差ストーリー
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる