8 / 8
1章
冬休暇
しおりを挟む
冬休暇がはじまった。
夏や春の休暇と比べればずっと短いながらも、年末年始を家族で迎えるために毎年ほとんどの生徒が帰省する。
今年もそれは同じで、休暇中も学校に残るのはエロイーズやロジェの姉弟とそれに付き合うクロード、その他ごく少数の生徒だけだった。
アクセルもできることなら残りたかった。しかし、そんな息子を見抜いていた母から早々に迎えの馬車を寄越されて帰省していた。
ほとんど無理やり帰らされたにも関わらず、辺境伯の屋敷には人が少なかった。
いまはアクセルと入れ違いに弟が遊学に行っている。暮らしているのは、国に提出するための税収報告の作成やら年始の式典の準備やらに忙しい母に、ドラジャン辺境伯領私設騎士団の団長として国境にある要塞とを忙しなく行き来する父、昔から離れに住んでいる男だけだった。
男がいつから離れに住んでいるのかアクセルには定かでなく、また滅多に会うこともない。幼い頃から離れには近付かないようにと言われていた。男のことはただ、父母の古くからの友人らしい、ということしか彼は知らなかった。
昔から父も母も忙しい人だった。いまも、帰ってきた日の晩餐をともにしたきり、満足に話す時間もない。
父は一度だけ時間を作って剣術の練習を見てくれたが、彼はこの国で一、二を争う剣士と言われる人物だ。新米の騎士団員にも敵わない自分の相手をさせるのは忍びなく、早々に切り上げてしまった。
往復で一週間以上を要し、滞在できるのはたったの数日。なんのために帰省させられたのかとモヤモヤしていたアクセルが母の執務室に呼び出されたのは、帰る前日の夜のことだった。
「発つのは明日の朝でしたね」
ドラジャン女辺境伯は書類に視線を落としたまま、ノックをして入ってきたアクセルに尋ねた。
アクセルは一人で夕食をとり湯浴みもすましてもう寝ようかという頃だと言うのに、母の仕事はまだ終わらないらしい。
「ええ」
飴色に磨き上げられた重厚な執務机のうえ。片手でつまめるサンドイッチやカナッペが盛られた皿はほとんど手が付けられた様子がないまま、彼と入れ違いに出ていった執事により下げられた。
母は読んでいた書類にサインを書き入れるとペンを置き、新たに給仕されたカップに口をつけて深く息を吐き出した。
アクセルも母にならって、腰掛けたソファのまえ、ローテーブルにおかれた紅茶を一口含む。
「学校には慣れた?」
「親しい友人もでき楽しくやってますよ」
「そう。真面目にやってるのでしょうね。ウルバーノ王国でのあなたの様子を母がなにも知らないと思ったら大間違いよ」
アクセルは動揺を悟られないよう、そっとカップをソーサーに戻す。遊び歩いていることがバレないようそれなりの成績は取っていたはずだが、やはり母はそれほど甘くなかったようだ。
「さあ。今も昔もなにかを教師に咎められたことはありませんね」
嘘は吐いていない、とアクセルはうそぶく。昔から要領がよく成績のよい彼に、教員もケチはつけられなかった。
鋭い瞳で睨みつけてもまったく堪えた様子がない息子に、ドラジャン伯は脱力して話題を変えた。
「……まあいいでしょう。帰省してから書庫にこもって魔術書をあさっていたようですし。どういう風の吹き回しかしら」
「来年度から専科もはじまりますから、予習をと思いまして」
「秋頃には魔術論理学の本をわざわざ送るようにと侍従に命じたとか」
「俺もそろそろ上級学年ですよ。将来を見据え、勉学にもより一層身が入るというものです」
「では、魔術論理学の公理くらい誦じられるのでしょうね」
ここではじめてアクセルは焦りをあらわにした。ええと、と視線を泳がせる息子に呆れて、ドラジャン伯はまた話題を変える。
「……専科は防衛術を取るのかしら」
「その予定です」
「結界魔法や認識阻害魔法が急激に上達したなんてことは?」
「……上達ですか。いまのところは」
さきまでの勢いをなくし軽口を叩けなくなった息子に満足したのか、ドラジャン伯は解放してやることに決めたらしい。
「なにかあればすぐに手紙で報せること。――明日は早いのでしょう、もう下がっていいわ」
アクセルは頭を下げて退室すると、大きく息を吐き出した。そして、ぽつぽつと灯る燭台を頼りに薄暗い廊下を自室へと歩んだ。
夏や春の休暇と比べればずっと短いながらも、年末年始を家族で迎えるために毎年ほとんどの生徒が帰省する。
今年もそれは同じで、休暇中も学校に残るのはエロイーズやロジェの姉弟とそれに付き合うクロード、その他ごく少数の生徒だけだった。
アクセルもできることなら残りたかった。しかし、そんな息子を見抜いていた母から早々に迎えの馬車を寄越されて帰省していた。
ほとんど無理やり帰らされたにも関わらず、辺境伯の屋敷には人が少なかった。
いまはアクセルと入れ違いに弟が遊学に行っている。暮らしているのは、国に提出するための税収報告の作成やら年始の式典の準備やらに忙しい母に、ドラジャン辺境伯領私設騎士団の団長として国境にある要塞とを忙しなく行き来する父、昔から離れに住んでいる男だけだった。
男がいつから離れに住んでいるのかアクセルには定かでなく、また滅多に会うこともない。幼い頃から離れには近付かないようにと言われていた。男のことはただ、父母の古くからの友人らしい、ということしか彼は知らなかった。
昔から父も母も忙しい人だった。いまも、帰ってきた日の晩餐をともにしたきり、満足に話す時間もない。
父は一度だけ時間を作って剣術の練習を見てくれたが、彼はこの国で一、二を争う剣士と言われる人物だ。新米の騎士団員にも敵わない自分の相手をさせるのは忍びなく、早々に切り上げてしまった。
往復で一週間以上を要し、滞在できるのはたったの数日。なんのために帰省させられたのかとモヤモヤしていたアクセルが母の執務室に呼び出されたのは、帰る前日の夜のことだった。
「発つのは明日の朝でしたね」
ドラジャン女辺境伯は書類に視線を落としたまま、ノックをして入ってきたアクセルに尋ねた。
アクセルは一人で夕食をとり湯浴みもすましてもう寝ようかという頃だと言うのに、母の仕事はまだ終わらないらしい。
「ええ」
飴色に磨き上げられた重厚な執務机のうえ。片手でつまめるサンドイッチやカナッペが盛られた皿はほとんど手が付けられた様子がないまま、彼と入れ違いに出ていった執事により下げられた。
母は読んでいた書類にサインを書き入れるとペンを置き、新たに給仕されたカップに口をつけて深く息を吐き出した。
アクセルも母にならって、腰掛けたソファのまえ、ローテーブルにおかれた紅茶を一口含む。
「学校には慣れた?」
「親しい友人もでき楽しくやってますよ」
「そう。真面目にやってるのでしょうね。ウルバーノ王国でのあなたの様子を母がなにも知らないと思ったら大間違いよ」
アクセルは動揺を悟られないよう、そっとカップをソーサーに戻す。遊び歩いていることがバレないようそれなりの成績は取っていたはずだが、やはり母はそれほど甘くなかったようだ。
「さあ。今も昔もなにかを教師に咎められたことはありませんね」
嘘は吐いていない、とアクセルはうそぶく。昔から要領がよく成績のよい彼に、教員もケチはつけられなかった。
鋭い瞳で睨みつけてもまったく堪えた様子がない息子に、ドラジャン伯は脱力して話題を変えた。
「……まあいいでしょう。帰省してから書庫にこもって魔術書をあさっていたようですし。どういう風の吹き回しかしら」
「来年度から専科もはじまりますから、予習をと思いまして」
「秋頃には魔術論理学の本をわざわざ送るようにと侍従に命じたとか」
「俺もそろそろ上級学年ですよ。将来を見据え、勉学にもより一層身が入るというものです」
「では、魔術論理学の公理くらい誦じられるのでしょうね」
ここではじめてアクセルは焦りをあらわにした。ええと、と視線を泳がせる息子に呆れて、ドラジャン伯はまた話題を変える。
「……専科は防衛術を取るのかしら」
「その予定です」
「結界魔法や認識阻害魔法が急激に上達したなんてことは?」
「……上達ですか。いまのところは」
さきまでの勢いをなくし軽口を叩けなくなった息子に満足したのか、ドラジャン伯は解放してやることに決めたらしい。
「なにかあればすぐに手紙で報せること。――明日は早いのでしょう、もう下がっていいわ」
アクセルは頭を下げて退室すると、大きく息を吐き出した。そして、ぽつぽつと灯る燭台を頼りに薄暗い廊下を自室へと歩んだ。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった
ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。
生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。
本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。
だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか…
どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。
大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…
王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む
木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。
その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。
燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。
眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。
それが妹の名だと知っても、離れられなかった。
「殿下が幸せなら、それでいい」
そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。
赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。
※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。
表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。
※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。
©︎月影 / 木風 雪乃
絶対に追放されたいオレと絶対に追放したくない男の攻防
藤掛ヒメノ@Pro-ZELO
BL
世は、追放ブームである。
追放の波がついに我がパーティーにもやって来た。
きっと追放されるのはオレだろう。
ついにパーティーのリーダーであるゼルドに呼び出された。
仲が良かったわけじゃないが、悪くないパーティーだった。残念だ……。
って、アレ?
なんか雲行きが怪しいんですけど……?
短編BLラブコメ。
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
祖国に棄てられた少年は賢者に愛される
結衣可
BL
祖国に棄てられた少年――ユリアン。
彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。
その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。
絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。
誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。
棄てられた少年と、孤独な賢者。
陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。
禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り
結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。
そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。
冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。
愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。
禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる