『京之介は苦労が絶えない』

luculia

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京之介、驚く。

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  青天の霹靂(へきれき)のごとく、
屋敷の戸が勢いよく開け放たれると、大きな声が屋敷中に響き渡った。

「京之介、今から見合いをするぞ!」

「…はい?」

  樹齢百年とも言われている庭先の桜木の見事なまでの薄紅色の花々を目にし、
  …こんなに良い天気なら、飛鳥山の花見にでも行けばよかった。
  と、後悔するほどの暖かい日溜まりの中で私は、だんだんと重くなって瞼と必死に戦いながら縁側で貸本屋で借りた書物を読んでいた。
  しかし。
  聞きなれない言葉に、ハッと目を覚ました。

  これを言い放ったのは、毎回恒例の騒がしさで役所から帰宅する父上である。

「父上。…今、何と仰いましたか?」

  唐突すぎて言葉の意味が分からなかった私は、父上にそう尋ねたのだが、途端、この世の終わりのような驚愕の表情で私を見つめた。
  大袈裟な仕草で、いつも持ち歩いている趣味の悪い金箔張りの扇子で顔を隠くす。

「京之介。お前はこのような若盛りでありながら、もはや年寄りのように耳が耄碌(もうろく)しているとは嘆かわしい…。お前の将来を考えると父上は、心配で胸が潰れてしまいそうだ…」

  そう言いながら父上は、わざとらしく目頭を押さえたかと思うと、勝手に想像した私の不幸に酔い痴れるかのように、はらはらと涙を流す仕草をした。

  …また、私を小馬鹿にして…。

  心の底から沸き上がってくる怒りを感じつつも私は、大きく息を吐いて冷静さを取り戻して冷ややかな眼差しで父上を見つめた。

「…ですから、唐突に『見合い』とは何なのです?私に分かるように説明してください」

だか、父上は先程の涙を流す仕草とは打って変わって顔をしかめると、憤慨したように言い放つ。

「何をやっているのだ。早く支度をしないか!今すぐと言っただろう!」

  …こ、こいつという奴は…人の話をこれぽっちも聞いちゃいない。

  私は、ぐっと大きな怒りを腹の中に押さえ込んだ。

「…そういう重要な事柄は前もって相談してくださいと、前にお願い致しましたよね…?何で父上は、私の意見も聞かず勝手に決めてしまうのですか…?」

  そう父上に問いかけても、当の本人は悪怯(わるび)れた様子もなく、『何が悪いのだ?』と言わんばかりに私の顔を見返すばかりである。

  己の欲望のままに行動する『傍若無人』の父上の姿を諦め顔で見つめると私は、大きな溜め息を付いた。
  渋々と立ち上がると、部屋の脇に置いてある衣紋掛けに歩み寄る。

気が進まないが、出掛ける支度に取り掛かったのだ。

「…見合いをなされるという事は、漸(ようや)く後添えの方を貰う決心をなされたのですね。喜ばしい事です。父上も、無理な事ばかりなされていますが、ご自分が思われているほどお若くはございません。これで母上も、雲の上で安心なされる事でしょう…」

  父上の最愛であった、私にとっても最愛であった母上が亡くなって十年の歳月が流れた。

  何故、このような男の下(もと)に嫁入りしたのか腑に落ちないほど、 美しく…聡明だった母上。
  何故、このような男に嫌気が差して実家に戻らなかったのか不思議に思うほど、優しく…気丈だった母上。

  自他共に認める「大の女好き」の父上が、他の女に色々とちょっかいは出しても後添えを貰わないのは、母上の事が忘れられない…。
  と、思いたいのだが、この父上に限ってそのような美談はありえないの違う理由があるかもしれないが…。

どのような理由があったとしても、十年の月日が流れたのだ。
  後添えを貰ったとしても、天国にいる母上は喜んで祝福してくれるはずである。

  で、ないと…。

一人息子の私は、これから先も苦労ばかりするではないか!

  気持ちが悪いほど上機嫌で父上は、細く目を弛(た)ませて私の支度を見ていた。しかし、私の着替えが終わりに近付けば近付くほど、父上の表情は険しくなる。
.
「…お前、先程から何を着込んでいるのだ?」

  痺れを切らしたように、そう父上は不満げに私に訊ねる。

「何と仰られても…見ての通り、着物に袴ですよ?」

  私は、 まるで空の色が落ちたかのような鮮やかな浅葱色から静かな闇夜を思わせる藍色へと徐々に変わる着物に、裾に柳の模様が入った銀鼠色(ぎんねずいろ)の袴を着込んでいた。
  自称「粋」である私の一番のお気に入りの組み合わせである。

「もしかして、この着物が・・・赤い長襦袢(今でいう女性の下着の事)にでも見えるのですか?それは、欲求不満の表れですよ。何でも新しい母上を貰わないと、父上が再び過ちを犯してしまう… 」

そう大袈裟に眉間にシワを寄せたのだが、父上はピシャリと手にしている扇子を大きな音を立てて閉めた。

「そんな恰好をしろと、言ってないだろう!」

  扇子の先で、押入れを指差す。

「紋付きだ!押入れの奥に閉まってある紋付袴を着ろと言ったのだ!つい最近買ってやっただろう!…色や柄に煩いお前を呉服問屋に連れて行き、 好きな紋付袴を選ばせてやったではないか!あの時に流した感謝の涙は嘘だったのか!」
 
「…ちなみにその話は、二年も前の事です。それに、私が選んだ物は値段が高いと文句を仰って、結局は父上が選んだ物に決めましたよね?それに私は、泣いてはいません!選べと言われたので選んだのに、あの時間は何だったんだろうと、空しくなって涙がこぼれそうになっただけです!」

私は嫌みっぽく間違いを正したのだが、
父上はそのような事ぐらいでは動じない。

  扇子を優雅に広げて仰ぎながら、

「…はて?そうだったかな?この頃、物忘れがひどくて…」

  無駄な事に時を費やすとは、まさにこの事を言うのだろう。

「…別に、私が見合いをするのではないのですから、堅苦しい紋付袴を着込む必要はないと思うのですが…」
「お前、何か勘違いをしていないか?」

  父上は、狐のような細目で私をまじまじと見た。

「見合いをするのは、私ではない。…京之介、お前だ」
「え?」

  再度、目の醒めるような衝撃を食らった。

  自分の耳を疑いながらも、耳にした言葉を声に出してみる。

「…私が、見合いですか?」
「そうだ。お前しかいないだろう?」

  父上は、不気味なほど上機嫌な様子で扇子の先で私を指差す。

「先方は、日本橋の袂にあるこじんまりとしているが格調高い料亭『花鳥屋』で、お前を待っているぞ。…ここだけの話だが、そこの料亭の未亡人の女将がやたらめったに別嬪の上に、匂い立つほどの艶やかさでな、これは好みだと思って話しかけてみれば、これがまた話の分かるいい女で…」

  私は、料亭の女将の事について熱く語っている父上を、いつものごとく無視した。夢にも思わなかった展開に、混乱する頭を抱える。

  …見合い?
  父上ではなく、私が見合いをするというのか…?
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