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弐
京之介、怒りを抑える。
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「父上、ちょっと待ってください!私はまだ、数え年(新年が来て一つ年を取る事)十七なのですよ!見合いなど…」
動揺しながら私は声を荒立てたが、重大な事を思い出す。
いくら支倉家が地位の低い御家人であっても、腐っても武士なのである。子供の祝言の相手は、両家の親同士が決めるのが世の中の習わしであり常識であった。
町人のように自由恋愛など出来るはずもなく、当人同士の気持ちは一切関係ないのだ。
このような重要な事を忘れるとは、私は何という粗忽物なのだろう。
このような事態に陥る事は前からわかっていたのだから、学問や剣術ばかりにうつつを抜かさず…母上のように素晴らしい娘を探せば良かった。
…まだ、初恋さえしてないのに。
どんなに悔やんでも後の祭りと知りつつも、後悔の字が頭に浮かんで離れない私の姿をどう解釈したのか父上は、満足そうにうなずきながら、
「そうだったな、そうだったな、お前はまだ『恋のいろは』も何も知らない子供。このように突然だと、心の準備もままならないだろう…誰でも相手の娘がどんな娘で、自分を気に入って貰える心配するものだ。しかしな、お前はそのような事を心配しなくてもいい。 先方は、この見合いにえらく乗り気で…お前の気にしている歳の事も心配しなくてもいい。相手もまだ若く、十五。若い、若い」
「…」
私は、歳の問題など心配してない!
何でこうも、父上に振り回さられなければならないんだと、大いに自分の人生を嘆いているのだ!
色々な思いを心奥に抑え込む私の姿を見ながら父上は、ご機嫌な様子で部屋の隅で控えていた若党の菊市に紋付袴を出すように命じる。
菊市とは、支倉家に仕えている忠義心の厚い若者で、女手の無いこの家の仕事を一人で切り盛りしてくれている中間(ちゅうげん)だ。
もう一人、長年仕えていた「余佐」という中間もいたのだが、他人の意見をまるで聞かない父上の性格に嫌気をさし、「お暇を頂きます」と言い残して、この家から出ていってしまったのだ。
現状、菊市と私と二人、互いを励まし合いながら父上の暴君に耐えているのである。
「京之介」
「…何です?」
父上に名前を呼ばれても、私はそっぽを向いて答える。
「お前、年を取るごとに、奈津江そっくりになって行くな…」
その言葉に、私の機嫌がさらに輪をかけて悪くなった。奈津江とは…母上の名前である。
私は、額の青筋をピクリと動かしながら、
「…そんな事、少しも嬉しくありません」
「な、なんて罰当たりな!」
父上は、天地が引つくり返ったような驚きの顔で私を見た。
「奈津江に似ていて、何処が不満なのだ。言ってみろ!奈津江は、それはそれは綺麗な女だったんだぞ!」
「…」
私は、わざと顔を隠すため伸ばした前髪越しに父上を睨み付ける。
不満も不満、大不満である。
母上似の女顔のせいで私は、さんざん迷惑をしているのだ。
ちっとも男らしく見えないから、一人で道を歩けば、すぐ男達に絡まれ、喧嘩を売られ…。
人の心の傷も知らず、言いたい放題言うんじゃない…!
そう心の中で憤慨している間に、菊市の助けを借りて紋付袴に着替え終えていた。最後に大小の刀を左腰に下げれば出来上がりだ。
身支度した私の姿を確認すると父上は、
無理矢理、私の腕を掴んで玄関の外まで引きずるように歩かせる。
「今日は、当人同士の顔見せ程度だから、私はついて行かない。菊市、お前がついてやってくれ」
突然名前を呼ばれた菊市は、私の脱いだ着物を手にしながら書院の間から顔を出した。慌てて前掛けを脱ぐと、軽く身支度をして私の側に来る。
珍しく父上は、玄関先で私と菊市の肩に火打ち石で切火(きりび。人や物を清めるための火花)を掛けてくれた。
嫌な予感が、胸を襲う。
案の定、
「さあ、頑張って来い!」
と、含みのある微笑みをその場に残すと父上は、家の障子を勢いよくぴしゃりと閉めた。驚いた私は、反射的に手を伸ばすと障子を開けようとしたのだが…開かない。
今まで抑圧されていた様々な思いが、心の中に広がって行くのを感じた。
拳が、無意識に震える。
私は長年積み重ねられた恨みに支配されながら、勝手場に通じる裏口に回ろうとした。
これから先も父上の言うことを聞かなければならない屈辱を考えれば、親であったとしても、あの狐顔を思いっきり一発殴って…。
勘当されてやる!
しかし、
「…離せ、菊市。行かせてくれ!」
「駄目です。行かせません」
私の行動をお見通しだった菊市は、素早く私の両肩を捕まえた。
「…京之介様。このような事で我をお忘れになられましたら、これこそ旦那様の思う壺でございます。これは試練だと思うのでございます…」
冷静な眼差しを送る菊市の姿を見て私は、何とか怒りを収める。今まで何度も痛い目にあってわかっているはずなのだ。
馬鹿に付ける薬はない、と。
「見合い」などと大袈裟な事を言っていたが…。
いつものように好みの女や娘を見つけたが、狐顔の自分では全く興味にされないので、息子を紹介するとか何とか口実を作って相手を油断させる魂胆なのだろう。
今までにも、私をダシにして妙齢の町娘を自宅に招こうとする前科があるのだ。しかしそれは、未遂に終わったようだが…。
しかし、それだけでは話は終わらなかった。
その町娘の親がお上に訴えると大騒動となり、息子の私にまで「共犯」と疑惑が掛けられたのだ。今回も、父上は自分の欲望の為に私をダシにしようとしているのだろ。
ただ…。
「お見合いをする」と、父上が真面目な顔で言ったのは初めての事であった。
これも父上の企みの一つかも知れない。
いや、しかし…。
父上の言葉を信じる訳ではないのだが、日本橋に向う事を私は決めた。
もしも、本当に「見合い相手」が待っているのなら…。
顔を拝むぐらいならバチは当たらないだろうと思ったのである。
我ながらこの気持ちの早変わりに呆れながらも、身を案じて側で見守ってくれている菊市に優しく微笑みかけた。
「菊市、心配をかけてすまなかった。…日本橋へ行こう」
動揺しながら私は声を荒立てたが、重大な事を思い出す。
いくら支倉家が地位の低い御家人であっても、腐っても武士なのである。子供の祝言の相手は、両家の親同士が決めるのが世の中の習わしであり常識であった。
町人のように自由恋愛など出来るはずもなく、当人同士の気持ちは一切関係ないのだ。
このような重要な事を忘れるとは、私は何という粗忽物なのだろう。
このような事態に陥る事は前からわかっていたのだから、学問や剣術ばかりにうつつを抜かさず…母上のように素晴らしい娘を探せば良かった。
…まだ、初恋さえしてないのに。
どんなに悔やんでも後の祭りと知りつつも、後悔の字が頭に浮かんで離れない私の姿をどう解釈したのか父上は、満足そうにうなずきながら、
「そうだったな、そうだったな、お前はまだ『恋のいろは』も何も知らない子供。このように突然だと、心の準備もままならないだろう…誰でも相手の娘がどんな娘で、自分を気に入って貰える心配するものだ。しかしな、お前はそのような事を心配しなくてもいい。 先方は、この見合いにえらく乗り気で…お前の気にしている歳の事も心配しなくてもいい。相手もまだ若く、十五。若い、若い」
「…」
私は、歳の問題など心配してない!
何でこうも、父上に振り回さられなければならないんだと、大いに自分の人生を嘆いているのだ!
色々な思いを心奥に抑え込む私の姿を見ながら父上は、ご機嫌な様子で部屋の隅で控えていた若党の菊市に紋付袴を出すように命じる。
菊市とは、支倉家に仕えている忠義心の厚い若者で、女手の無いこの家の仕事を一人で切り盛りしてくれている中間(ちゅうげん)だ。
もう一人、長年仕えていた「余佐」という中間もいたのだが、他人の意見をまるで聞かない父上の性格に嫌気をさし、「お暇を頂きます」と言い残して、この家から出ていってしまったのだ。
現状、菊市と私と二人、互いを励まし合いながら父上の暴君に耐えているのである。
「京之介」
「…何です?」
父上に名前を呼ばれても、私はそっぽを向いて答える。
「お前、年を取るごとに、奈津江そっくりになって行くな…」
その言葉に、私の機嫌がさらに輪をかけて悪くなった。奈津江とは…母上の名前である。
私は、額の青筋をピクリと動かしながら、
「…そんな事、少しも嬉しくありません」
「な、なんて罰当たりな!」
父上は、天地が引つくり返ったような驚きの顔で私を見た。
「奈津江に似ていて、何処が不満なのだ。言ってみろ!奈津江は、それはそれは綺麗な女だったんだぞ!」
「…」
私は、わざと顔を隠すため伸ばした前髪越しに父上を睨み付ける。
不満も不満、大不満である。
母上似の女顔のせいで私は、さんざん迷惑をしているのだ。
ちっとも男らしく見えないから、一人で道を歩けば、すぐ男達に絡まれ、喧嘩を売られ…。
人の心の傷も知らず、言いたい放題言うんじゃない…!
そう心の中で憤慨している間に、菊市の助けを借りて紋付袴に着替え終えていた。最後に大小の刀を左腰に下げれば出来上がりだ。
身支度した私の姿を確認すると父上は、
無理矢理、私の腕を掴んで玄関の外まで引きずるように歩かせる。
「今日は、当人同士の顔見せ程度だから、私はついて行かない。菊市、お前がついてやってくれ」
突然名前を呼ばれた菊市は、私の脱いだ着物を手にしながら書院の間から顔を出した。慌てて前掛けを脱ぐと、軽く身支度をして私の側に来る。
珍しく父上は、玄関先で私と菊市の肩に火打ち石で切火(きりび。人や物を清めるための火花)を掛けてくれた。
嫌な予感が、胸を襲う。
案の定、
「さあ、頑張って来い!」
と、含みのある微笑みをその場に残すと父上は、家の障子を勢いよくぴしゃりと閉めた。驚いた私は、反射的に手を伸ばすと障子を開けようとしたのだが…開かない。
今まで抑圧されていた様々な思いが、心の中に広がって行くのを感じた。
拳が、無意識に震える。
私は長年積み重ねられた恨みに支配されながら、勝手場に通じる裏口に回ろうとした。
これから先も父上の言うことを聞かなければならない屈辱を考えれば、親であったとしても、あの狐顔を思いっきり一発殴って…。
勘当されてやる!
しかし、
「…離せ、菊市。行かせてくれ!」
「駄目です。行かせません」
私の行動をお見通しだった菊市は、素早く私の両肩を捕まえた。
「…京之介様。このような事で我をお忘れになられましたら、これこそ旦那様の思う壺でございます。これは試練だと思うのでございます…」
冷静な眼差しを送る菊市の姿を見て私は、何とか怒りを収める。今まで何度も痛い目にあってわかっているはずなのだ。
馬鹿に付ける薬はない、と。
「見合い」などと大袈裟な事を言っていたが…。
いつものように好みの女や娘を見つけたが、狐顔の自分では全く興味にされないので、息子を紹介するとか何とか口実を作って相手を油断させる魂胆なのだろう。
今までにも、私をダシにして妙齢の町娘を自宅に招こうとする前科があるのだ。しかしそれは、未遂に終わったようだが…。
しかし、それだけでは話は終わらなかった。
その町娘の親がお上に訴えると大騒動となり、息子の私にまで「共犯」と疑惑が掛けられたのだ。今回も、父上は自分の欲望の為に私をダシにしようとしているのだろ。
ただ…。
「お見合いをする」と、父上が真面目な顔で言ったのは初めての事であった。
これも父上の企みの一つかも知れない。
いや、しかし…。
父上の言葉を信じる訳ではないのだが、日本橋に向う事を私は決めた。
もしも、本当に「見合い相手」が待っているのなら…。
顔を拝むぐらいならバチは当たらないだろうと思ったのである。
我ながらこの気持ちの早変わりに呆れながらも、身を案じて側で見守ってくれている菊市に優しく微笑みかけた。
「菊市、心配をかけてすまなかった。…日本橋へ行こう」
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