4 / 159
第一章 鞘の内の刃
一話 一振りの刃 3
しおりを挟む
◆
そして数日のうちに迎えた、ひっそりと整えられた出立の日。姉の纏う婚礼衣装は、彼女の命をあらかじめ吸い上げたかのように、目に痛いほど鮮やかな赤を放っている。
祝いの楽隊も、騒がしい爆竹もない。裏門を包むのは、どぶ川の澱んだ水音と、死肉を漁る鴉のしわがれた鳴き声。その不吉な静寂を切り裂いて、赤の裾が汚れた石畳を擦り、「ず、ず」と重くるしい音を立てる。金糸で編まれた重厚な鳳凰が、まるで姉の華奢な肩に爪を立て、捕らえて放さないかのようにのしかかっていた。
「玉蓮、聞きなさい」
「あね……う、え……」
こらえきれず、熱いものが頬を伝っていく。
「これからは、お前一人で生きていくのです。何があっても、負けてはいけません。顔を上げなさい。お前は、誇り高き公主なのですから。その責務を果たしなさい」
玉蓮の涙を拭う指先が、微かに震えていた。ひんやりと凍てつくような冷たさに、玉蓮はしがみつくように頬を寄せる。姉の胸元から伝わる鼓動が、玉蓮の心臓を、逃げ場のない不安で満たしていく。
「……玉蓮は、負けません。もっと、もっと強くなります」
「約束ですよ」
優しく微笑む姉の手が、玉蓮の左胸に添えられた。
「最後の、約束です」
「かならず……」
形を保てないほど震える唇を、なんとか動かして頷く。姉はそれを見て、満足げに笑みを深めた。
「玉蓮、これを」
胸元から取り出された木彫りの鳥が、こてんと玉蓮の手のひらに転がって、その木肌から、微かに爽やかな香りが漂う。
「これは……」
玉蓮は息を呑んだ。滑らかに磨かれた鳥の背とは対照的に、それを差し出す姉の指先は、いくつもの痛々しい切り傷で埋め尽くされていたからだ。不慣れな手つきで刃物を握り、夜なべをしてこれを削り出した姉の姿が、鮮明に脳裏に浮かぶ。
「玉蓮を、守ってくれますように」
髪を撫でるその手が、いつもよりもずっと柔らかく、ずっと温かくて、言葉にならない声が漏れ出た。
「あ、あねっ……うっ、ぁ」
「……では……参ります」
清らかな所作で一礼した姉が、重い衣を翻し、檻のような馬車へと吸い込まれていった。
——行かないで。口が裂けても言ってはならない言葉を、奥歯が砕けるほどの力で噛み殺す。
(言わなきゃ……姉上に……絶対に)
頬を流れる涙をぐいと拭い、顔を上げた。
「あ、姉上……どうか、どうか、お幸せにっ——!」
玉蓮の喉から絞り出された声は、馬車の動き出す音にかき消され、空に吸い込まれていった。その小さな鳥を胸に抱きしめて、遠ざかる馬車を見つめる。馬車の車輪が巻き上げる土埃が、上へ上へと舞い上がっていく。
そして数日のうちに迎えた、ひっそりと整えられた出立の日。姉の纏う婚礼衣装は、彼女の命をあらかじめ吸い上げたかのように、目に痛いほど鮮やかな赤を放っている。
祝いの楽隊も、騒がしい爆竹もない。裏門を包むのは、どぶ川の澱んだ水音と、死肉を漁る鴉のしわがれた鳴き声。その不吉な静寂を切り裂いて、赤の裾が汚れた石畳を擦り、「ず、ず」と重くるしい音を立てる。金糸で編まれた重厚な鳳凰が、まるで姉の華奢な肩に爪を立て、捕らえて放さないかのようにのしかかっていた。
「玉蓮、聞きなさい」
「あね……う、え……」
こらえきれず、熱いものが頬を伝っていく。
「これからは、お前一人で生きていくのです。何があっても、負けてはいけません。顔を上げなさい。お前は、誇り高き公主なのですから。その責務を果たしなさい」
玉蓮の涙を拭う指先が、微かに震えていた。ひんやりと凍てつくような冷たさに、玉蓮はしがみつくように頬を寄せる。姉の胸元から伝わる鼓動が、玉蓮の心臓を、逃げ場のない不安で満たしていく。
「……玉蓮は、負けません。もっと、もっと強くなります」
「約束ですよ」
優しく微笑む姉の手が、玉蓮の左胸に添えられた。
「最後の、約束です」
「かならず……」
形を保てないほど震える唇を、なんとか動かして頷く。姉はそれを見て、満足げに笑みを深めた。
「玉蓮、これを」
胸元から取り出された木彫りの鳥が、こてんと玉蓮の手のひらに転がって、その木肌から、微かに爽やかな香りが漂う。
「これは……」
玉蓮は息を呑んだ。滑らかに磨かれた鳥の背とは対照的に、それを差し出す姉の指先は、いくつもの痛々しい切り傷で埋め尽くされていたからだ。不慣れな手つきで刃物を握り、夜なべをしてこれを削り出した姉の姿が、鮮明に脳裏に浮かぶ。
「玉蓮を、守ってくれますように」
髪を撫でるその手が、いつもよりもずっと柔らかく、ずっと温かくて、言葉にならない声が漏れ出た。
「あ、あねっ……うっ、ぁ」
「……では……参ります」
清らかな所作で一礼した姉が、重い衣を翻し、檻のような馬車へと吸い込まれていった。
——行かないで。口が裂けても言ってはならない言葉を、奥歯が砕けるほどの力で噛み殺す。
(言わなきゃ……姉上に……絶対に)
頬を流れる涙をぐいと拭い、顔を上げた。
「あ、姉上……どうか、どうか、お幸せにっ——!」
玉蓮の喉から絞り出された声は、馬車の動き出す音にかき消され、空に吸い込まれていった。その小さな鳥を胸に抱きしめて、遠ざかる馬車を見つめる。馬車の車輪が巻き上げる土埃が、上へ上へと舞い上がっていく。
1
あなたにおすすめの小説
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした〜
ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。
イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。
8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。
※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
小さくなった夫が可愛すぎて困ります
piyo
恋愛
夫が、ある日突然、幼児の姿になってしまった。
部下の開発中の魔法薬を浴びてしまい、そのとばっちりで若返ってしまったらしい。
いつも仏頂面な夫が、なんだかとっても可愛い――。
契約結婚で、一生愛とは無縁の生活を送ると思っていたノエルだったが、姿が変わってしまった夫を、つい猫可愛がりしてしまう。
「おい、撫でまわすな!」
「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」
これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。
そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語
※完結まで毎日更新
※全26話+おまけ1話
※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。
※他サイトにも投稿
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる