闇を抱く白菊 —天命の盤—

アリスの鏡

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第二章 獣の巣

八話 白楊の華

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◇◇◇

 自らの粗末な部屋に戻り、最低限の荷物をまとめる。そして、玉蓮は懐から一つの古い布の包みを取り出した。中には木製の守り鳥。あの日、姉の死の報せを聞いた時に、握り潰してしまったその片翼には、痛々しいひびが入ったまま。それを指でそっとなぞる。

「姉上、行ってまいります」

 その声は、冷たい部屋の空気に吸い込まれていった。彼女はその鳥を再び布に包み、懐の最も深い場所へとしまい込んだ。


 馬車が白楊はくよう国・王都、雛許すうきょの城門の前に着くと、そこにはまるで祭りのように人だかりができていた。

 どこから聞きつけたのか、民たちが黒山のごとく押し寄せている。その様子を見た玉蓮は、小さく、そして深くため息をつく。民たちのひそやかな囁き声が、馬車の壁を通り抜けて、はっきりと耳に届いてくる。

「おい、あれが噂の『白楊はくようの華』か?」

「ああ。魔性の姫君だとか」

 酒と垢の混じったような粘着質な視線が、馬車の薄い壁越しに突き刺さってくる。桃の花の唇、雪の肌、濡れ羽色の髪——。誰が見たわけでもなかろうに、都の噂とは、いつも無責任で饒舌じょうぜつだ。玉蓮は、それらの声をはえの羽音でも聞くように聞き流し、背筋をスッと伸ばした。

「一度は拝みてえな!」

 次々と声が上がる。

「あんたたち、知らないのかい。あのお姫様がなんてうたわれているのか。英雄も焼き尽くしちまうんだよ」

 一人の老女の声が響いた。周りのざわめきが一瞬、静まる。

「ああ、あれだろ——ええっと」

 その時、どこからともなく、詩歌うたが聞こえてきた。

◇◇◇◇

 北天ほくてん白菊はくきく 月貌げつぼう

 霜輝そうき凜冽りんれつ しょう人心じんしん

 焚尽ふんじん英雄えいゆう こんはく

 猶如ゆうじょ飛蛾ひが 競撲きょうぼく


 北の空に咲く白菊は、月のように美しい顔を持つ華である。その霜のような冷たい輝きは、あまりに気高く、人々の心をもひれ伏せる。英雄の魂さえも焼き尽くしてしまう、その、あまりにも危険な美しさ。それでも人々は、まるで火に飛び込む夏の虫のように、競ってその身を滅ぼしにいくのだ。

◇◇◇◇

 何度耳にしたかわからない、この詩歌うた。いつの間にか、「白楊はくようの華」よりも、この不吉な詩歌のほうが、人々の口に馴染んでいる。

 玉蓮は、その詩歌うたを聞きながら、まるで自分とは関係のない遠い国の物語のように、ゆっくりと瞳を閉じた。道行く人々のざわめきが大きくなり、熱気が伝わってくる。

「姫様、迂回いたしましょうか」

 御者ぎょしゃの不安げな問いかけに、玉蓮は、ふ、と口の端だけで笑みを浮かべた。

「わたくしを見たいというのなら、見せましょう」

 玉蓮の言葉に、御者の背中がびくりと震えた。

「姫様! なりませぬ!」

 玉蓮の白い指が、窓の垂れ布を捉えた。指先のざらりとした感触。一呼吸おいて、玉蓮はその布を迷いなく、優雅に跳ね上げた。一気に流れ込む午後の陽光。玉蓮は顔を背けることもなく、その肌を白日の下に晒した。


 ——刹那せつな


 喧騒けんそうが、死に絶えた。

 やかましかった野次馬のざわめきが、罵声が、嘲笑ちょうしょうが。まるで鋭利な刃物で断ち切られたように、プツリと途絶える。聞こえるのは、風の音と、誰かが息を呑む音だけ。

 何百という瞳が、ただ一点、馬車の窓枠に切り取られた玉蓮の顔に釘付けになり、凍りついている。畏怖いふ驚愕きょうがく

 それらのぶしつけな視線を、玉蓮は長い睫毛の下から見下ろした。怯えもせず、媚びもせずに。

「進みなさい」

「……は、は!」

 御者が弾かれたように声を返した。
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